第141話 賢者の記憶

 ラーサ砂漠の北には北天山脈ほくてんさんみゃくが二千キロに渡り連なっている。

オイワキ聖堂は、北天山脈の中に立ち並ぶ独立峰どくりつほうの一つにちょこんと乗っている石造りの八角円堂だった。

大きなものではない。

建物の外観はスケールも含めて奈良県法隆寺の夢殿によく似ている。

そしてよく観察するとわかるのだが、この建物は山の頂上に建てられたのではなく、塔のような頂上部分を削って作られていた。

聖堂へと続く登山道などは一切ない。

ほぼ垂直の断崖絶壁は侵入者を拒むように数百メートルも谷へ続いていた。


「これ、どうやって登るんだよ……?」

ジャンが呆れたように呟く。

この聖堂を作った一ノ瀬さんは大賢者と呼ばれていた。

おそらく空を飛ぶことができたんじゃないのか。

「使える人を見たことはありませんが飛行魔法とか浮遊魔法というのがあるそうですよ。風系や重力系の魔法ですね。神聖魔法にも『天使の翼』というのがあります」

魔力を具現化して背中に翼を生やすそうだ。

「マリアは使えるの?」

「私は攻撃系と浄化系しか使えません」

マリアは外見こそ癒し系なのだが、中身は意外と攻撃系だ。

さすがは元神殿武闘派集団、祓魔師ふつまし部隊所属だ。


 頂上部分のスペースはほぼ建物に占められていて、ジローさんを着陸させる場所はない。

早速懸垂下降の訓練が役立つ時が来た。

ホバリング状態のジローさんから最初にジャンが降りる。

山頂は風が強く、いくらジローさんが自動で機体を制御していてもある程度は揺れる。

だがジャンは事も無げに地上にたどり着いてしまった。

下の方でジャンがザイルをピンと張ってくれるので、揺れが少なくなり、目標地点へ楽に降りていけるようになった。

俺も安心して降りることができた。

今回は尻もちをつくこともなく綺麗なフォームで着地を決める。

地上に着いたら気を抜くことなく周囲の警戒だ。

こういった一連の動作も訓練でしっかりボニーさんに叩き込まれた。


 全員が地上に降りたので、今度は俺とボニーさんで扉のチェックだ。

俺はスキャンを使い、ボニーさんも目視でトラップなどがないか確認する。

「怪しいところはありませんね。魔力を流せば開く仕組み見たいです」

「だいじょう……ぶ」

手のひらのごく微量な魔力を感じ取ってロックがはずれ、僅かな軋みを立てながら扉は開いた。

きっと300年ぶりに開いたんじゃないのか? 

中に入ろうとすると自動的に壁の間接照明がともった。

建物の内部は中央に小さな台があるだけで他には何もない。

台の上には大きな石板と、こまごまとしたものが置かれていた。

用心を怠らずに進む。

「これ……なに?」

「真ん中の石板は記憶装置みたいなものですね。石板に手をあてると一ノ瀬さんの資料に脳内で直接アクセスできるみたいです。周りの物は一ノ瀬さんが生前に身につけていたものでしょう」

見覚えのあるメーカーの時計やスマートフォンがあって、懐かしさで目頭が熱くなる。


 俺はそっと石板に触れた。

途端に脳内にインデックスが羅列される。

ほとんどが魔法や魔道具の研究資料だ。

これはざっと見るだけでも時間がかかりそうだ。


「おっさんここにも何かあるぞ!」

室内を歩き回っていたジャンが呼んでいる。

見れば石壁に日本語が掘りつけられている。


『次の言葉を下部の四角の中に漢字で書きましょう』


転移者に対する一ノ瀬さんからのメッセージだな。

でも転移者が外国人だったら絶対にわからない問題だぞ。


「おっさん、なんて書いてあるんだ?」

「隠し部屋を開けるためのパスワードみたいなもんだ」


問1.(あおもりけん)

問2.(とうきょうと)

問3.(おおさかふ)


簡単な問題でよかった。

もう少し難しかったら危うく恥をかくところだったぜ。

林檎りんごとか絶対に書けないもん! 

一ノ瀬さんもその辺のことは考慮して問題を作ってくれたんだろうな。


 全ての漢字を書き終わると、音もなく床がスライドして下に降りる階段が現れた。

調査は長くなりそうだ。

空中で浮遊しているジローさんには適当な着陸場所を見つけて待っていてもらおう。

俺や魔石のエネルギー供給なしでは、ジローさんは40分程で活動限界がやって来る。

先程ちらっとみた一ノ瀬さんの記録には魔力エネルギーについての記述もあるようだったから、今後色々改善できるかもしれない。


 階段の下にあったのは、先ほど見たのと同じ大きさの記憶の石板と、巨大な魔導装置だった。

「マスター、これは転送装置でしょうか?」

床には円形の石が設置されていて、ヴァンパイアの親玉であるポーの館にあったのとそっくりな魔法陣が描かれている。

「そうみたいだけど……」


 俺は注意深く魔法陣と石板を調べた。

調査の結果、魔法陣は転送装置としても使えることがわかった。

だがこの道具は転送装置として開発されたものではない。

これは時空を超えて異界と異界を繋げる転移装置だった。

一ノ瀬さんはここで元の世界に帰る研究をしていたのだ。

記憶の石板に記録が残っている。

一ノ瀬さんが魔王戦役の後、イスリア国を追われてネピアの迷宮に潜った本当の理由がわかった。

彼は権力争いに巻き込まれたのではない。

真相はこの魔導装置を動かすために魔王からドロップしたSランク魔石を盗み出して、逃亡者になっていたのだ。

そしてこの地に潜み、日本へ帰るための研究を続けたようだ。

転移装置は理論的には完成していた。

だが魔王が落としたSランク魔石でさえ、彼自身を故郷に送る力はなかった。

Sランク魔石を使って一ノ瀬さんができたのは、自分の無事を知らせる手紙を父母に送ることだけだったのだ。

「マスター……」

「大丈夫。俺は元いた世界にそれほどの未練はないんだ。でも一ノ瀬さんの気持を考えると遣り切れなくてな……」

俺は顔も知らない同郷人のために少しだけ泣いた。


 その日はかなり忙しくなった。

俺は一ノ瀬さんの資料を参考にして、記憶の石板を複製した。

そして一ノ瀬さんの記録をコピーする。

彼の業績を俺一人のものにするわけにもいかないだろう。

今後この地を訪れる転移者は他にもいるかもしれない。

複製さえ作ればオリジナルを残したままで、好きな時に彼の資料にアクセスできるようになる。

「マスター、この転送装置は使えるのですか?」

「ああ。こいつは凄いぞ。理論上は座標を指定してやればこの世界のどこへでも飛べる」

「階層を越えられるのですか?」

「その通り! ネピアのアパートにだって、王宮の花園にだって転送可能だ」

言ってて思ったが、これってかなりヤバい代物じゃないか? 

見つかったら大問題になりそうだ。

実際は転送座標に物や人がいないなどの安全性が担保されなければならないから、まったく知らない場所へ行くのはかなり危険だ。

だけどこんなものがあれば犯罪行為は余裕で行えるし、世界情勢だってひっくり返しかねない。

転移装置の存在は絶対に秘密にしておくようにみんなに念を押した。

俺たちもなるべく使用を控えておこう。

でも便利だよなこれ……。

ちょっとくらいなら使ってもいいかな……。

アパートまで飛ぶのはまずいとして、途中までならどうだろう……。

例えば第五階層のパーティー専用の小部屋なら……。

あそこはカギもかかるし、『不死鳥の団』専用の部屋だ。

他の冒険者が入り込むこともない。

対してこの聖堂も人が入り込む可能性はほとんどない。

よし、これからは第五階層の専用部屋から聖堂までは転送でショートカットだ!

これで最短3日あれば地上からここまで来ることができるぞ。

しかもこの先の階層も安全が確保できれば転送は可能だ。

これで探索の可能性はかなり広がるはずだ。

明日は朝から飛べばその日の内にデザル神殿へ到着できる。

いよいよ第八階層が目前に迫ってきた。

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