第138話 マイマイ

 目が覚めると、ジローさんはジャミレの西35キロ地点で浮遊していた。

予め命令していた通り、我々の睡眠中に300キロの距離を移動したのだ。

見張りについていたマリアがコーヒーの入ったカップをくれる。

「おはようございます。今日はだいぶ涼しいですよ」

ジローさんの船室はエアコンが適温を保っているが、朝方は0度近くまで気温が下がったそうだ。

それでも日中は30度以上になるのだろう。

恐ろしいほどの寒暖差だ。

「砂漠にも秋がやってきたわけだ……おっ、マリアもコーヒーを淹れるのがうまくなったね」

香りのよいコーヒーはラーサ砂漠の南にある高地からもたらされる。

サファイヤマウンテンという場所で栽培されているそうだ。

豊かな香りと深いコクが特徴だ。

俺はこのコーヒーが気に入って大量に買い込んでいる。

「今日はどうしますか、一応ジャミレというオアシスを見ておいた方がよいとは思いますが」

ジャミレは砂漠の奥地にある小さな集落だ。

正確にはオアシスではなくゲルタという砂漠特有の湿地である。

切り立った砂岩の間の低地に地下水が流れ込み、消えることのない水溜りを形成している。

人々はそこにラクダを放牧して育てたり、農業用水をくみ上げたりして生活をしていた。

上質なラクダの産地としては有名だが、俺たちはラクダにはようがない。

欲しいのは食料だが、耕地面積が少ないジャミレには農作物は期待できないだろう。

それでも確認のために見物にいってもいいかな。

「朝食を食べたら寄ってみようよ。役に立つ情報が手に入るかもしれないしね」

情報収集と言えば酒場が基本だが、ジャミレに酒場なんかあるのだろうか? 

それでも商店くらいならあるだろう。

 俺はシートで休眠状態になっているゴブを起動させた。

最近はたまに休眠状態で記憶の整理をさせている。

ハードディスクをデフラグするみたいなものだ。

これをすると調子がいいらしい。

頭がクリアになるそうだ。

「おはようございますマスター」

「気分はどうだい?」

「良好でございます。これより朝の清掃を始めたいと存じます」

ゴブのお陰で船内はいつでもピカピカだ。


 朝食を済ませてから車両に乗り換えてジャミレへ向かった。

予想した通りラクダ以外特筆すべきものはない集落だった。

それでも市場が開かれていると聞いたので向かってみる。

露店が四軒だけのこじんまりとした市場だった。

俺はゴブと二人で露店を端から覗いてみた。

一軒の店でおばあさんが大きなカタツムリを売っている。

これは所謂いわゆるエスカルゴだ。

ハーブバターで焼いたら美味しそうだ。

「マスターあれは食用でしょうか?」

「ああ、陸貝の一種だよ。下処理に手間がかかるけどとても美味しいんだ」

かつての日本で、仕事の関係から何度か食べたことがある。

「このマイマイを全部下さい」

「全部かい? で、お前さんは何を持ってきたんだい?」

お金ではなく物々交換じゃなきゃダメらしい。

困ったことに交換できるような物資は、ほとんどジローさんに置いてきてしまった。

俺は腰につけたポーチからナイフを取り出す。

普段、道具を作成したり、ちょっとしたことによく使う小型のナイフだ。

俺の自作で切れ味もよく、刃紋も素晴らしいお気に入りの逸品だ。

「これでどう?」

おばあさんが見せてくれというのでナイフを手渡した。

「いい品だね……これだけ立派なナイフは初めて見たよ。本当にこのマイマイと交換でいいのかい?」

「割には合わないんだけど、今日はどうしてもエスカルゴが食べたいんだ」

「エスカルゴとはマイマイ料理のことかい? マイマイだけじゃこのナイフを貰うのは悪いね。家にリンゴがあるからとりにおいで」

おばあさんは中々律儀な人らしい。

ナイフの価値を認めて、なるべくきちんとした対価を払おうとしてくれている。

砂漠の民でも特に奥地の人は誇り高い部族が多いと聞いた。

きっとこのおばあさんもそうなんだろう。

ありがたくリンゴも貰うことにした。


 おばあさんについて家へいくと庭にリンゴの木が3本植えられていた。

青いリンゴがたわわに実っていて、良い香りが庭先まで漂っている。

荷物を置きに建物に入っていたおばあさんが出てきた。

「アンタの帽子にリンゴを入れてやろうね」

ゴブが自分の革の帽子を差し出した。

おばあさんはそれにリンゴを山のように入れてくれる。

「これだけあれば足りるかい?」

「ありがとう、じゅうぶんだよ」

瑞々しいリンゴが実に美味そうだ。

そのまま食べてもいいし、アップルパイやコンポート、ジャムにしても美味しいだろう。

おばあさんに礼を言って帰ろうとすると家の中から叫び声が響いてきた。

「婆ちゃん助けて! 兄ちゃんが!」

おばあさんは老人とは思えない素早さで家の中へと駆け込んでいく。

つられて俺とゴブも中へ入ってしまった。

それくらい切迫した声だったのだ。


 家の中では二十代半ばの青年の腕を少女とおばあさんが必死に抑えていた。

青年の手には俺のナイフが握られている。

「ナイフを離すんだよ!」

「頼む! 死なせてくれ!」

青年が自殺を図ったところを少女に見咎められたようだ。

「マスター、どちらの味方をなさいますか? 私としては女性に手をお貸ししたいのですが」

あっけにとられて茫然自失していた。

ゴブののほほんとした発言に我に返る。

「ナイフを取り上げるんだ!」

4人がかりで青年からナイフを取り上げた。


 薄暗い室内に女たちが息を切らす音と、青年の泣き声が響いている。

リンゴを貰いに来ただけなのにとんでもない修羅場に遭遇してしまった。

全員が落ち着いたところで事情を聞いてみた。

 この青年はおばあさんの孫でカービドといった。

おばあさんの家はカービドと妹のフーダの3人暮らしだった。

カービドはラクダの放牧を生業なりわいにしていて、この辺りにしては比較的裕福な暮らしをしていたそうだ。

だが、カービドは一年ほど前から腰が痛くて立てなくなり、近頃では杖を使わなければ移動もできないほど症状は悪化していた。

仕事も出来るような状態ではなく、貯えを使い果たした後は、年老いた祖母と若い妹に生活を支えてもらっているようなものだった。

先程は玄関に聞きなれない人の声がしたので、客でも来たのかと、痛い腰をかばいながら出てきたらしい。

見るとテーブルの上に見慣れぬナイフが置いてある。

そのナイフを見て衝動的に自殺を図ったというのだ。

俺のナイフは妖刀か!

「これ以上ばあちゃんたちに迷惑をかけたくないんだ……」

若い身空で祖母に養われるのは忸怩じくじたる思いがあるんだろうなあ。

俺はカービドにスキャンをかける。

腰痛が始まったのは一年前だそうな。

ぎっくり腰にしては長いし、椎間板でも痛めたかな? 

「あんた何をやっているんだい?」

「お静かに。マスターは大魔法使い、あなた方は運がいいですぞ」

ゴブよ、あんまり風呂敷を広げないでくれ。

「腰椎圧迫骨折だな」

「ようつ……?」

「背骨のこの辺がつぶれてるんだよ」

「そうか、ラクダから落ちたあの時だな……」

「ほい。治しといたから、落ちている筋肉をつけ治すためにも毎日ゆっくり歩くんだよ」

「え?」

マイマイとリンゴを持ってばあさんの家から出た。

さすがに迷宮第七階層で医療行為を行ったからと言って取り締まりの対象にはならないだろう。

しばらく歩いていると大声がして3人が追いかけてくる。

「大魔法使い様ぁ! お待ち下さーーーい!!」

カービドも走ってくる。

脚の筋肉は大分落ちているのに大したものだ。

とりあえず治療は成功だな。

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