第135話 境界線

 バスマからワルザドまでの空の旅は概ね快適だった。

車両なら8日程度、ラクダなら一月以上かかる道のりを僅か2日で移動できた。

速度もさることながら、空からの方が地形が確認しやすくて道に迷うことが少ない。

しかも地理的状況による迂回などの必要がないのが利点だ。

風の影響さえなければ出発地と目的地を直線で結んだ距離を移動するだけで済むので、おのずと移動距離も短くなるのだ。

さらに、食事時間や休憩時間もジローさんに乗ったままだし、夜も飛行機のファーストクラス並みに快適なシートを倒して寝ることができる。

見張りを一人残しておけばジローさんが自動航行してくれるので、その分時間短縮になった。


 一度だけはぐれワイバーンの襲撃を受けたが、ジローさんの機銃だけで倒してしまい、俺たちの出番はなかった。

しかもワイバーンからはEランクの魔石がでた。

とってもついている。

最初は顔面を蒼白にして怖がっていたナーデレさんも時間とともに空の旅にも慣れて、今では元気に食事の支度などを手伝ってくれている。

あのまま地上1メートルを進んでいれば、魔物の襲撃は受けるは、スピードは上がらないはで大変だっただろう。

何よりも難しい操縦を強いられるジャンの神経がすり減ってしまったに違いない。


 ワルザドの街が近づいてきた。

ジローさんで乗り付けると物見高ものみだかい野次馬が集まったりして嫌なので、街から30キロほど離れた場所に着陸することにした。

「推進機および浮遊装置の出力を下げる。これより下降を開始するぞ」

この二日でジャンは長足ちょうそくの進歩を遂げている。

ジローさんのシステムに頼らなくても風を読むことを憶えた。

俺なんかいまだにジローさん任せだ。

横風の影響を考えながらぴたりと目標地点に着陸できる技術はベテランパイロットのようだ。

もっともジローさんに任せておけば自動でやってくれるんだけどね。

ジャンがどうしてもやりたいというのでやらせてみただけだ。

「さあ、ここからは車両で行くからね。みんな用意をしてくれよ」

ジローさんを砂の絵柄のシートで覆って俺たちは出発した。


 二台の車両に分かれてワルザドへ向かう。

一時間くらいで到着するだろう。

サナの顔が浮かない。

旅の終わりを敏感に感じているのだと思う。

幼いサナが大人でも体験できないような大冒険をしたのだ。

その終わりが近づいてくれば寂しさや感慨なども湧くというものだろう。

逆にナーデレさんの方は安心したような顔をしている。

多分これが普通の反応なのだ。

好き好んで冒険に出かけるような酔狂な人間の方がマイノリティーのはずだ。

俺とナーデレさんの間にはそれぞれの世界を分かつような線がひかれているように思う。

たとえ互いの立場を理解しあえたとしても、それぞれの世界には入ることはできないのだろう。

ナーデレさんは俺がサナをさらって行くのではないかと危惧していたようだが、ある意味でそれは当たっていた。

なぜならサナはこちらの世界に興味を持ち始めている。

年若いサナは俺とナーデレさんの間にひかれた不可侵のラインを道端の溝をまたぐような気軽さで飛び越えられるのだ。

「お兄ちゃん……サナはもっとお兄ちゃんと一緒に旅がしたいよ」

ほら、もうこちらの世界へ来たがっている。

そんな顔をしなくても大丈夫ですよナーデレさん。

子どもはちゃんとお返しします。

「それは無理だよ。子どもを連れていけるほど甘くはないんだぞ」

「私、何でもするから」

大抵のお願いは聞いてあげちゃう甘々イッペイでも、受け入れられないものはある。

「『不死鳥の団』はそんなに簡単に入れるもんじゃないんだよ」

サナは眉を寄せて考えている。

「じゃあ私がボニー姉ちゃんくらい強くなったら仲間に入れてくれる?」

俺は首を横に振る。

「じゃあ、マリア姉ちゃんくらいおっぱいが大きくなったら?」

かなり魅力的だけど頑張って首を横に振る。

「じゃあどうすればいいの?」

「自分の身は自分で守るという覚悟と実力がある人だけが入れるんだ」

「そういう決まりなの?」

「そういう決まりなんだ」

成文化はされてないけど、これは不文律だ。子どもに嘘は言わない。

「じゃあ私、頑張って覚悟と実力をみにつけるよ!」

もし本当に冒険をしたいのなら俺を頼ることはない。

自分の足で歩いていけばいいと思う。

そして再びこの砂漠のどこかで巡り合うことができれば、その時は邂逅かいこうを喜び合おう。

それが冒険者の生き方だと思う。



 ワルザドに着いた俺たちは、以前に泊った『ランプの明かり亭』に再び宿をとった。

父親のハサンも娘のノエミも変わらず元気だ。

ノエミとサナは歳が近いこともあってすぐに仲良くなっていた。

ハサンに事情を話すと、知り合いの農家が手伝いを探しているという。

まさに渡りに船というやつだ。

さっそく仕事を紹介してもらえてナーデレさんの笑顔も眩しいほどだ。

きっとこの人はこの街で慎ましく生きていくのだろう。

幸せになって欲しいものだ。


 別れの時が近づいていた。

何度も俺に感謝を告げるナーデレさんと挨拶を済ませてタッ君に乗り込む。

「お兄ちゃんまた会いに来てくれる?」

「生きてたら、またこの街に寄るさ」

「うん……」

サナには俺たちが砂漠の奥地を目指していることは告げてある。

デザル神殿のある砂漠の奥地はこの地に住む人にとって畏怖の対象だ。

俺の死が十分にあり得ることだと、幼いサナも理解している。

「まあ、死ぬつもりはないさ。またサナに会いた――」

「死なないでねっ!!」

サナの目は真剣だった。

「サナ……約束はできないよ。冒険をするっていうのは、そういうことなんだ」

泣きながら手を振るサナを最後に一度だけ振り返ってワルザドを後にした。



 砂煙を上げて、お兄ちゃんは行ってしまった。

私も冒険についていきたかったけど、きっと大変なんだよね。

服の袖で涙を拭いていたらノエミちゃんが慰めてくれた。

「まったく、イッペイ兄ちゃんたらまんまと盗んでいったわ!」

「お兄ちゃんは盗賊じゃなくて冒険者だよ」

ノエミちゃんは得意げな顔で私を見る。

私よりお姉ちゃんだからって、ちょっとだけ偉そうだ。

「ううん、お兄ちゃんはトンデモナイものを盗んでいったわ!」

「なんのこと?」

「サナの心よ!」

「……何言ってるんだか、ちょっとわからない」

ノエミちゃんはがっかりしたような顔をしていた。

なにかうまいことを言ったつもりだったみたい。

でも、私の心は私のココにあると思うんだけど?

「ねえノエミちゃん、砂漠を越えていくのは大変だよね?」

「そうよ。ウチは宿屋だから隊商キャラバンのお客さんが何人も来てくれたけど、亡くなってしまった人も大勢いるわ」

やっぱりそうなんだ。

冒険をすれば、いつ死んでもおかしくないんだ。

向こうの方でお母さんが呼んでいる。

明日から仕事をして、新しい部屋を探さなければならないみたい。

私も仕事を手伝わなければいけない。

畑仕事は大変だけど、ここには水がたくさんあるし、ノエミちゃんという友達もできた。

お母さんにも笑顔が戻ったし、明日からの毎日も楽しいものになるような気がする。

でも、私はあの景色を忘れることができない。

空の上から見渡した鱗の様に続く砂丘の数々。

遠くに見える雪をかぶった山。

あの山の向こうには何があるのだろう。

そして、その向こうにも更に世界は続いているとお兄ちゃんは言っていた。

そんな世界の果てを想像すると胸がドキドキする。

このドキドキが抑えられなくなったら、私は覚悟と実力を身につけなければならないんだろう。

きっとお兄ちゃんは私を迎えにはきてくれない。

もし本当に私が冒険をしたくなったら、私は私の力でお兄ちゃんのいるところまでたどり着かなくてはならないんだね。

でも、いつか行ってみたいな。

私がたどり着けさえすればお兄ちゃんはいつもの笑顔で迎えてくれる、なんとなくそんな気がした。

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