第128話アラサーは宿で待つ
家の中に入ってしまおうとする女を俺は引き留めた。
「ちょっと待ってくれ。詳しい話を聞きたいんだ」
俺は女の手に1000ディル銀貨を握らせる。
ジャンは身じろぎもせずに固まったままだ。
「そんなに詳しくは知らないよ」
そう言いながらも、握らせた銀貨のお陰で女の口は随分と滑りがよくなった。
ライハーネは両親と三人で暮らしていたそうだ。
この辺りは子沢山の家庭が多かったが、ライハーネに兄弟はいなかった。
「ありゃあ、石切り場の事故で怪我をして勃たなくなっちまったらしいよ」
ヘビーな事情があったみたいだな。
とにかく3人で貧しいながらなんとか生活をやりくりしていた。
農家の手伝いをして日当を貰ったり、歓楽街で花を売ったりが主な収入源だった。
しかしそんな生活は砂嵐などが来て日当が貰えなくなるとすぐに立ちいかなくなってしまう。
そうなれば若い娘がすることは一つだ。
街角に立ち春を売るしかない。
だがラーハイネは頑なに身体を売ることだけは拒んだらしい。
食べるものもほとんどない中でラーハイネは昼も夜も働いた。
「若いんだから強情を張らずに身体を売ればよかったんだよ。そうすれば死ぬことはなかったさ」
女の言葉には棘があったが、どこかラーハイネを憐れむ気持ちも滲んでいた。
やがて貧苦の中に父親が死に、母親も後を追うように死んでいった。
ラーハイネに残されたのは今にも崩れそうなバラックと両親が残した借金だけだった。
「この家は空き家のままなのかい?」
見ればわかるが一応確かめておく。
「この辺に住んでいる人間で、この家に近づくやつはいないよ。この家には悪霊が出るんだよ!」
うわお、いよいよ怪談じみてきたな。
「本当は私だって引っ越したいんだ。でも、他に行くところなんてどこにもないからね」
おもむろにジャンがドアに手をかけて開いた。
それを見た女は悲鳴を上げながら家の方へ逃げかえってしまう。
「ジャン」
俺が呼んでも振り返りもしない。
すたすたと部屋の中へと入ってしまった。
やれやれだ。
俺はハンドガンの弾をスタン弾から
家の中は暗かった。
もともと窓は一つしかない。
フラッシュライトで照らすと何もない一間だけの造りということがわかった。
この六畳一間ほどの大きさの場所に家族が暮らしていたのだろう。
家財などは一切なくがらんどうの空間は迷宮の小部屋のようだった。
「ジャン」
「……こんなところに一人でいたら……抱きしめて欲しくなるよな」
「そうだな」
隙間から入ってきた砂が床に薄く積もっていた。
ジャンはそのまま自分の部屋へ行ってしまい、夜まで姿を現さなかった。
夕食時になって俺は宿の食堂で他のメンバーに事の次第を語った。
「まずいですね。ジャン君はとり憑かれていますよ」
「ジャンの生命力が下がっているのはやっぱりラーハイネの霊が原因か?」
「はい。霊が霊として存在するにもエネルギーは必要なのです」
「例えばジャンがエネルギーを与え続ければラーハイネは幽霊として存在し続けることが可能なのかな?」
厳密にいえば幽霊としては存在できるが、出来たとしても生前の記憶や、自我などは時間とともにどんどん希薄になってしまうそうだ。
そうなればただの怨念であり、ラーハイネはどこにもいなくなってしまう。
今はまだ死んで半年なので自我が残っているが、一年も過ぎると自我の崩壊がはじまる。
「じゃあ、シャーロット婆ちゃんはどうなるんだよ?」
「聖女様の霊を一般の方と比較するのは間違っています。聖女様は神殿の意向もあって、敢えて安らかなる眠りにつかず、霊体となって勤めを果たされているのです。そのために生前は厳しい修業を積み、死に際しては特殊な儀式を行うそうですよ」
そうだったんだ。
てっきり成仏できないでいると思ってた。
ごめんねシャーロット婆ちゃん。生きている内は無理矢理聖女にされて、死んだ後もこき使われるなんて可哀想だよな。
「そういうわけで除霊を執り行う必要があります」
「必要ねえ」
部屋から降りてきたジャンがマリアの言葉を遮った。
「何を言ってるんですかジャン君。このままでは貴男も、そしてラーハイネさんも苦しむんですよ」
「わかってる。だが助けは必要ねえ」
「わかっていません。霊は実態がないので
「除霊する気はない」
「じゃあジャン君はラーハイネさんの魂と永劫にこの地をさまようつもりですか!? 彼女は貴方を道連れにしようとしているのかもしれないんですよ」
マリアは必死でジャンに説明しているが、ジャンだってそんなことはわかっているんだ。
「……ジャン、明日は探索用品の買い出しだ。力仕事だからちゃんと手伝えよ」
「ああ。それまでには帰る」
帰ってくるならそれでいい。
「もう出かけるのか?」
「ああ。そろそろあいつが待ってる時間だ」
「いっといで」
ジャンは俺の肩を軽くたたいて部屋へと戻っていった。
「イッペイさん! すぐに追いかけるべきです。ジャン君に気を使っているなら、気づかれないように尾行すればいいじゃないですか」
「……俺は他人の恋愛関係に首を突っ込みたくないんだよ」
マリアは怒ったように俺を見て、ついでボニーさんの顔を見る。
「必要……ない」
つれない俺たちの態度にマリアも無言で部屋へ帰ってしまった。
「嫌われたかな?」
マリアは優しいから、ジャンのことを心配しているのだろう。
だけど、人の恋路を覗くのは趣味じゃない。
ジャンは朝までに帰ってくると言ったんだ。
だったら信じて待つしかない。
「パティーは……どうした?」
「『エンジェル・ウィング』は探索会議だそうですよ。だから今晩はここで一人で飲んでますよ」
「つき……あう」
一人でジャンの帰りを待っていようとしたが、ボニーさんは一緒に待ってくれるようだ。
それは嬉しい。
嬉しいけど隣に移動して軽く寄りかかってくるのはダメだ。
「そういうのはだめです。離れてください」
「言ったはずだぞ……私はイッペイの……都合のいい女になる……と」
剣になるというのは聞いたけど、都合のいい女は初耳です。
「ボニーさん……いい加減新しい恋を探しませんか?」
「今は……いい。毎日……楽しいから」
そうなんだ。
だったら俺も嬉しいかな。
「……マリアめ」
ボニーさんが呟いた。
「どうしました?」
「今ジャンが出てったけど……マリアがつけていった」
マリアはジャンを心配してこっそり尾行を開始したようだ。
心配性だな。
こう言っては何だがジャンは第4位階の冒険者だ。
そこら辺の少女の幽霊に後れを取ることはないはずだ。
それこそジャンが望んでラーハイネと共に朽ちる以外、ジャンがとり殺されることなんてことはないんだ。
「マリアは……職業病」
元祓魔師のマリアにとって幽霊は除霊の対象にしか見えないのかもしれないな。
「マスター、本当についていかなくてよろしいのですか?」
「ゴブ、ジャンは戦闘に行くんじゃない。男女の仲を清算しにいっただけさ。たとえその結果が戦闘になっても、ジャンから求められない限り介入はできない」
そう、これは戦いじゃない。
たんなる悲しい恋愛なのだ。
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