第127話 ラーハイネの家

 最初にジャンの異変に気が付いたのはマリアだった。

バスマに来て4日目の朝のことだ。

「ジャン君、顔色が少し悪いわよ」

「そうか? ちょっとダルい気もすけど……」

言われてみればジャンの目の下にうっすらクマができている。

最近毎日夜中まで遊び歩いているようだ。

休日の過ごし方をとやかく言うつもりはないが体調管理だけはきちんとしてほしい。

「回復魔法かけてやるから、飯を食い終わったらこっちこいよ」

「ん……」

ジャンはなんとなく上の空だ。

どうしたというのだ? 

いつもの元気がまるでない。

 朝食を終えて俺とジャンだけがテーブルに残った。

「毎晩出かけてるみたいだけど、なじみの店でもできたのか?」

「そういうわけじゃねえ……ちょっと知り合いができて、そいつと喋ってるだけだ」

好きな子でもできたのかな。

それ自体は悪いことじゃない。

俺はスキャンでジャンの身体を調べたが外傷や病気などは見つからなかった。

「別段悪いところはないけど……」

「多分、身体がなまってるんだよ。ちょっと訓練すれば治るぜ」

だがよく調べてみると、エネルギーの元となるATPという物質が若干減っている。

全体的に生命力が低下している感じだ。

原因は不明である。

「……どんな娘なんだ?」

「な、突然なんだよ」

「そりゃ、気になるだろう。お前が好きになるくらいだから、いい娘だとは思うけど」

ジャンが気まずそうだ。

やっぱり毎晩、彼女と逢引きしていたんだな。

「好きかどうかなんて……。なんとなく気になるだけなんだ。それにいつも会っても喋ってるだけだし……」

中学生みたいだな。

「食事とか行かないのか?」

「誘っても、要らないっていうんだよ」

ジャンが言うにはライハーネという娘はジャンがどう誘っても酒はおろか食事もいかないそうだ。

二人は夜な夜な街を徘徊して、お喋りに興じているらしい

「アイツすげー痩せてんの。ちょっと心配になるくらいにな」

痩せているか……。

ひょっとすると病気の可能性もあるぞ。

ジャンの生命力が低下しているのもライハーネに関係があるかもしれない。

「なあジャン、その娘は病気とかじゃないか? よかったら俺が診てあげるけどどうする?」

ジャンの顔が明るく輝いた。

ずっとライハーネを心配していたのだろう。

善は急げということで、とりあえず午前中にライハーネの家を二人で訪ねることにした。


 お土産にネピアから持ってきた砂糖と市場で買った果物などを用意する。

「どうせなら指輪とかネックレスとかプレゼントしたら?」

「いきなり指輪とか重すぎねえか? あんまり高価なものはどうかと思うんだ。下手したら盗賊がやって来る地域だぜ」

路地裏の通路を抜けて、階段や橋を渡り、俺たちは迷路のような貧民街を歩いた。

俺一人なら宿まで帰れる自信がないくらい入り組んでいる。

通行人だってやばそうな雰囲気の男たちが大勢いる。

空気は乾いているが、時折人間の排泄物の臭いにアヘンの煙が混じったものが漂っていた。

マモル君を装備してなかったら絶対に入りたくない街だった。

「おっさん、多分大丈夫だと思うが、変なのが絡んで来たらワイヤーフックで屋根に飛び乗って逃げろよ」

「了解。たった今、空を飛べる新装備を作ろうと心に誓ったよ」

「そんなのできるのか?」

バックパック式のヘリコプターやジェットなら作成可能だ。

この前、ターヘラでアースラの父親にCランクの魔石を貰っている。

あれがあればできると思う。


「よくこんな入りくんだ道を憶えられるな」

「いつもライハーネを送って帰るからな、もう完全におぼえた」

ほうほう、二人の仲はなかなかいい感じに進展しているようだ。

「キスぐらいしたのか?」

「おっさんはすぐそういうこと聞くよな」

ジャンは不機嫌そうな顔になる。

でも今だってウキウキしているのを俺は知っている。

ジャンの足取りは軽い。

キスぐらいはしているようだ。

だが、ジャンは突然足を止めた。

「どうした?」

振り返ったジャンの顔は真剣だった。

「なあおっさん。女ってすぐに体の関係を持ちたがるものなのか?」

いきなり何事だ? 

よく聞いてみると、ジャンが家まで送り届けて帰ろうとすると、毎晩ライハーネは「私を抱きたい?」と聞いてくるそうだ。

「抱きたくないわけじゃねえんだが、ああいう風に聞かれるとかえって抱けなくなる」

ジャンはキスだけして帰ってきたそうだ。

女はすぐに体の関係を求めるものなのか? 

そんなことわかるわけがない。

「そうだなあ……30歳が近づいてくると、出会いからベッドインまでの展開が急になるという傾向はあると思う。恋愛の過程を楽しむより、未来に焦りを感じているパターンだ」

「よくわかんねえ」

そうだよな。

ジャンは18歳だし、ライハーネは17歳というんだからアラサーの気持は関係ないか。

「……寂しいのかもしれないな。一人で生きていくのが不安で怖くて、たとえ一晩でも一緒にいて欲しいのかもしれない」

「それは俺も考えた。だったら……やっぱり俺はあいつを抱けない」

俺たちは四日後に出発の予定だ。

ジャンはずっとライハーネの横には居てやれない。

愛した人との、一夜の思い出を頼りにして辛いことを耐えていくという生き方もある。

それがいいことなのかはわからない。

ジャンはライハーネに自分の跡を残していくことを嫌がっているのかもしれない。


 丘へと登る長い階段の途中で振り返るとバスマの街が一望できた。

砂岩を切って作った掘立小屋がふもとまで続いている。

ジャンは十字路を左に曲がった。

 その家はどう見ても人が住んでいるようには見えなかった。

扉は外れかけているが、家の中は暗くて様子はうかがえない。

「本当にここか?」

「ああ……ここに来るのは5回目だ。間違える筈がねえ」

ジャンのマッピング技能が優れているのは一緒に迷宮に潜っている俺だってよく知っている。

だが、ここに人が住んでいるとはとても思えない。

近所の家だってどこもすべてボロなのだが、それでも生活のにおいというものがある。

しかしライハーネの家はそういった人の痕跡というものをまったく感じさせなかったのだ。

「ライハーネ、いるか?」

ジャンが扉を叩く。

あんまり強くたたくと外れかけた扉がとれてしまいそうだ。

「俺だ、ジャンだ!」

狭い路地を行き交う人々が俺たちを不審者を見るような目つきで通り過ぎていく。

ついには、となりの家から赤ん坊を背負った女の人が出てきた。

足元にはまだ二人の子供が引っ付いている。

「誰だいアンタたちは?」

「ライハーネを訪ねてきたんだ」

ジャンの言葉に女は訝し気に俺たちを見た。

「ライハーネだって? 知り合いかい?」

ものすごく胡散臭い人間を見る目をしている。

この辺りに砂漠の民以外の人間などやって来ないのだろう。

「ここにも何度か来たことがあるんだ。あいつを知らないか?」

ジャンの質問に女は驚くべき答えを返してきた。

「知ってるも知らないも、ライハーネなら半年前に死んだよ」

住む人もいなくなったバラックが女の言葉を肯定するように、俺たちの目の前に建っている。

ジャンは茫然と取れかけたドアを見つめていた。

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