第126話 月下の花

 俺としては優しく声をかけたつもりだったが、酔っぱらいはご機嫌斜めになったようだ。

「なんだクソガキがぁ」

こいつ頭が悪いな。

悪口にセンスの欠片もねえ。

「みっともねえから、やめろって言ってんだよ」

「てめえ……」

男たちはいきなり殴りかかってきた。

どうみても40過ぎのオッサンだ。

それが二人もいて少年に殴りかかるとは情けねえ。

2対1だから気が大きくなっているのか? 

だが悪口のセンスもないが戦闘のセンスもない。

ウチのオッサンですらこいつら相手なら余裕で勝てる。

まあ、あのオッサンは戦闘になる前に逃げるか奇襲をかけて叩き潰すかのどちらかだ。

まともに喧嘩なんてしないだろう。

オッサンは勝算の高い戦闘しかしないからな。

 体捌きだけで拳を避ける。

二人組はすぐに息切れをおこして逃げ出した。

遠く離れてからこっちに向かって叫んでいる。

バカ? ちび? 短小? 童貞? 

お前らの方がよっぽどガキみてえじゃねえか! 

ふん、合ってるのは一個だけだぞ。

「おい、怪我はねえか?」

茫然としている花売りに声をかけた。

「あ、……ありがとう」

「アンタも大変だな。こんな時間まで商売とは」

俺も貧しい地域に住んでいたのでこいつの事情はわかる。

「あの手の人は一日に一人くらいはいるよ……」

女は儚げな表情をして薄く笑う。

それが俺をいらだたせた。

だけど何故か突き放す気にはなれない。

「花をくれよ」

「今から娼館?」

「違う!」

思わず大声を出してしまう。

なんで俺は全力で否定しているんだ? 

そんな俺を見て女はようやく年相応の表情でクスクス笑った。

笑うと少し可愛い気がした。

「遊女へのお土産じゃないなら、何に使うの?」

「それは、なんとなく欲しかったんだよ!」

花なんざ生まれてこのかた買ったことはねえ。

「ありがとう。私のために言ってくれたんだよね。でも今日はほとんど売れてしまったからもういいの」

「そうか、だったらなんか食うか? 向こうの方でまだやっている屋台を見かけたけど」

女の痩せ方が気になった。

普段まともに飯を食っていないはずだ。

「ねえ」

なんだ? 

気に障ったか?

「もしかして私、ナンパされてるのかな?」

っ! 

状況からするとそう見えなくもない。

「そ、それは……」

「アンタ、愛想の悪い顔だから判断がつかないんだよね」

別に女と遊ぶために声をかけたわけじゃない。

だけど宿に帰ったってすることはないし、退屈を紛らわすために街に出たんだ。

「今日の俺は暇なんだよ。だからなんか食わねえかって誘っただけだ」

「ふうん……。旅人かい?」

「ああ。冒険者だ」

 花売りの名前はライハーネといった。

ライハーネは、食事は食べたばかりだからいらないという。

遠慮深い女だ。

俺たちは特に何をするでもなく、街中の階段に座ってだらだらと喋っていた。

特別なことを話しているわけじゃないけどなんだか楽しかった。

時折、酒場から楽器の音色と歌声が響いてきて、二人でそれを聴いたりもした。

急に辺りが暗くなったと思ったら、目の前の酒場が店じまいをしている。

ランプや燭台の灯が消されるにつれ周囲の闇は濃さを増した。

気づかない内にずいぶん時間が経っていたようだ。

「送ってく。家族が心配してるだろう」

「一人暮らしだから……でも……送って欲しい」

 俺たちは饐えた匂いのする裏通りや、汚水の流れる水路などを越えてライハーネの家へ向かった。

ランタンなどなかったが月の明るい晩だったから足元に不安はない。

「ジャンが帰り道に迷わないか心配だわ……あんまり記憶力とかよさそうにみえないもん」

「馬鹿にするなよ。マッピングは冒険者の基本だぞ。道ぐらいちゃんと覚えてらあ」

「なんだ。帰れないなら泊めてあげようと思ったのに……」

白い月がライハーネの黒髪を艶々(つやつや)と照らしている。

こいつは美人ではない。

美人ではないけど……どうしてこんなに惹かれるんだろう。

「着いたよ。ここ」

ライハーネの家はバラックが立ち並ぶ丘の中腹にあった。

「ぼろくてびっくりしたでしょう?」

「いや、ガキの頃はもっとひどいところに住んでたことがある」

事実だ。

親父が迷宮で怪我をして、半年間探索に出られなかった時だ。

「……よってく?」

「いや。帰るよ」

もう深夜だ。今日は帰った方がいいだろう。

「ジャン……私を抱きたい?」

心臓を掴まれたようにドキッとした。

「俺たちは今日会ったばかりだ」

「そうね」

今夜はそういう気分になれない。

「……ごめん。ちょっと寂しかったから。明日の夜、また会えない?」

「ああ、しばらくはバスマにいるけど、その間は毎日暇なんだ」

俺たちは明日の夜も同じ場所で会う約束をして別れた。


 宿の入口でばったりマリアに会った。

手には水差しと食べものが入ったトレーを抱えている。

女子会とやらはまだ続いているようだ。

「あらジャン君。夜遊びですか」

酒が入っているせいか、ほんのり顔が桜色をしている。

薄い部屋着を着ていて、やけに色っぽい。

胸に視線がいかないように苦労した。

……俺の性欲がないわけじゃないんだ。

じゃあなんでライハーネの誘いを断ったんだろう。

「どうしたんですか、難しい顔をして?」

「……なんでもねえんだ。おやすみ」

適当に返事をして部屋へ帰った。

なんとなくだけど、ライハーネが寂しそうだったから抱けなかったような気がした。

寝苦しくて何度も寝返りをうつ。

浅いまどろみの中で、ライハーネがあのバラックで俺をいつまでも待っている夢を見た。




 鎧戸の隙間から差し込む光に照らされて、埃が宙に浮かぶ様子を俺は眺めていた。

パティーは小さな寝息を立ててまだ眠っている。

起こすのは可愛そうなので、こうして埃の観察をしているのだ。

だが次の瞬間、目覚めたパティーと至近距離で目が合った。

恥ずかしがるかと思ったら、微笑みかけられてしまう。

「おはようイッペイ」

「おはよう。目が覚めたね」

これでようやく動くことができる。

ベッドから起き上がろうとしたら後ろからパティーに抱き着かれ、ベッドの方へ引き戻された。

力ではとても敵わない。

「まだ行ったらだめ」

動けないよ、そんなところ掴まれちゃ。

「服を着るだけだよ」

「それもダメ」

今朝のパティーは甘えっ子だ。

「じゃあどうすればいい?」

「えっとね……」

パティーがリクエストを俺の耳にささやく。

俺は半ば自発的に、半ば引っ張られるようにシーツの中へと戻った。

 箇条書きで送られてくるリクエストに丁寧に応えながら、こちらの注文書も送り付けていく。

貪欲にお互いを求め、お互いの求めに応じた。

それは二人の時間を取り戻す儀式のようでもあったし、理性ではどうしようもない感情の発露でもあった。

一言でいえば、とんでもなく気持いいイチャラブセックスを夜から昼までやったという次第だ。

そして俺は回復魔法とスキャンの新たな使い道を開眼した。

パティーもすごく悦んでくれたと思う。

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