第124話 ロック ユー

 砂ばかりの大地を進んでいたが、ところどころ灌木や下草が目につくようになっている。

先行しているススム君のカメラは既にバスマの街を捕らえていた。

かなり大きな街だ。

ラーサ砂漠には二つの街道がある。

一つは現在俺たちが旅をしている東から西へと続く中央街道。

もう一つは南北に延びるパリダカ街道だ。

そしてこのバスマは二本の街道が交差する重要な交易都市であった。

水資源と耕作可能面積が狭いせいで定住人口はワルザドに劣るが、常に旅人が行き交う賑やかな街だ。

 街が近づくにつれ羊の群れや畑などがあらわれた。

バスマは交易の街らしく、大通には様々な商品が溢れている。

だが何よりも印象的なのは街が香辛料の香りで包まれていることだった。



 誰かが私の部屋のドアを叩いている。

「パティー、起きなさい」

いつまでも寝ている私をジェニーが起こしに来たようだ。

気だるい身体に鞭をうってなんとかベッドから這い出すことができた。

太陽はもう大分高い位置にある。

昨日、このバスマの宿にたどり着いて夕飯も食べずに眠り込んでしまった。

知らない内に旅の疲労が蓄積していたのだろう。

「パティー、大丈夫なの?」

髪はぐしゃぐしゃで、服もシャツを一枚着ただけの姿だ。

取り急ぎ肩かけをはおり、髪を手櫛で整えてから扉を開けた。

さすがはジェニーだ。

服にも髪形にも一部の隙もない。

「その様子じゃ起きたばかりね? もうすぐお昼よ」

随分と寝ていたものだ。

時間を意識したせいか急に空腹を感じた。

「午後からラクダを買いに行く予定だったでしょう? 早く準備してね」

すっかり忘れていた。

2日前、イッペイに作ってもらったテーラーの一台がサンドワームの襲撃で壊れてしまったのだ。

幸いメンバーの被害は軽傷だけで済んだが、多くの荷物を失うことになった。

無事な方のテーラーやラクダに積み替えたのだがすべての荷物を運ぶのは無理だったのだ。

失われた輸送手段を取り戻すためにもラクダを買い足さなければならなかった。


 ジェニーと二人で市場へと向かう。

何も食べていないので途中で食事をしよう。

昼時ということもあって立ち並ぶ屋台から美味しそうな匂いが漂ってくる。

しばらくイッペイの料理を食べていないな。

食べ物の匂いをかいで恋人のことを思い出すなんて少し恥ずかしい。

でもイッペイの作る料理は最高なんだもん。

「ねえパティー、ラクダを買ったら服を買いに行かない?」

「そうね。食料を優先したから替えの服はほとんど置いてきてしまったものね」

「実は大きな声じゃ言えないけど……うっかり下着類も鞄の中にいれたまま置いてきてしまったのよ」

ジェニーが顔を赤らめている。

「だったら服を先にしましょう。明日探索に出るわけじゃないし、ラクダはそこまで急がなくていいでしょう」

「助かるわ……替えの下着がなくて困っていたの」

「もしかして貴女、履いてないの……?」

「聞かないでよ」

そっか、ジェニーは今、履いてないんだ……。

可笑しくて吹き出してしまった。

「なによパティー、笑うことないじゃない」

「だって、こんなことを経験する伯爵令嬢なんて貴女しかいないわよ」

笑いが止まらない。

社交界でネピアの真珠と称えられたユージェニー・アンバサ嬢が砂漠の街で下着も履かずにラクダを買いに行こうとしていたのだ。

「ちょっとパティー、笑いすぎよ!」

「ごめんなさい。だってこんなことを貴女に求婚した貴公子たちが知ったら、どう思うかしら? 想像したら可笑しくって」

ジェニーも困ったように苦笑している。

「さあどうかしら? こんな逸話を聞いても変わらずに求婚してくる殿方ならお付き合いを考えてもいいわ。もちろん一緒に七層を探索できる方に限りますけどね」

ネピアの貴族にそんな男はいないだろう。

そんな男がいなかったからこそ私たちは社交界をドロップアウトしてしまったのだから。


 立ち並ぶ屋台の中からランチを見繕う。

屋台の近くにはテーブルや椅子が置いてあり、食べ物を買った人は自由に使っていいことになっている。

メインはヤギ肉の煮込みを買った。

香辛料がきいていてヤギ独特の臭みはない。

食べると肉がプルプルと溶けていく。

更に揚げ茄子をペーストにしたものを挟んだパンを食べた。

でも、それだけでは足りなくて豆入りのハリランスープも頼んだら、屋台のおじさんに呆れ顔をされてしまった。

「お嬢ちゃんたち食べすぎじゃないかい?」

「ずっと砂漠を旅してきたのよ。お腹も空くってもんでしょう? この後デザートも食べるつもりよ」

おじさんは笑いながらスープを少し大盛にしてくれた。

ジェニーは柔らかい丸パンで出来た卵サンドを食べている。

ネピアの卵サンドはマヨネーズで和えてあるが、バスマのものは潰したゆで卵とチーズが挟んである。

「ジェニー、ラクダは何頭くらい買えばいいかな?」

「そうね、テーラーの代わりに荷物を運ばせるわけだから五頭はいるのじゃないかしら」

ラクダは一頭45000ディルから120000ディルくらいする。

体力のあるオスの方が値段は高い。

50万ディルあればお金は足りそうだ。

私は大雑把な性格をしているのでお金のことはジェニーに任せてある。

「今、いくら残ってるの?」

「150万ディルくらいはまだあるわよ」

ラクダを仕入れるには充分ね。

ただし、この先は小さなオアシスしかない。

この街で手持ちの宝石や魔石を現地通貨のディルに変えておいた方がよいだろう。

 食事を終えた私たちは予定通り服を買いに移動した。

道すがら、下着専門店を見つけたので入ってみた。

飾り気のない小さな入り口をくぐると、綿、シルク、サテン、レザー、レース、羅紗と様々な素材の下着が店一面に飾られている。

色も様々だ。

ジェニーは商品のことで店の人と話し込んでいる。

私も壁に掛けられている商品を眺めていた。

イッペイはどんなのが好みだろう? 

……来たる日のために、私も一着気合の入った下着を購入しておいた方がいいのかな? 

家に帰ればそれなりのランジェリーはあるのだが、わざわざ迷宮に勝負下着は持ってきてない。

私とイッペイの間にはまだ肉体関係はない。

もし二人の恋愛関係を疑われて、審問官(神殿のシスター)が私の身体を調べた時、私が処女じゃなかったらイッペイの死刑が決まる。

それを避けるために最後の一線は越えないできた。

だけど、本当にそれでいいのだろうか。

私たちは今迷宮にいる。

今日死んでも決しておかしくない場所にいるのだ。

だったら、二人の関係に線を引くことなんて無駄なことにしか思えない。

死に直面する毎日を過ごして生物としての本能が疼いているのだろうか。

私はめちゃくちゃにイッペイに抱かれ、かつイッペイを抱きたかった。

「そこの……レースのついた……シロ」

「ボニー!」

イッペイのことを考えてぼんやりしていたせいもあるが、私に気配を悟らせず背後にまわるとは相変わらずボニーの隠密はすごい。

「イッペイの……好み」

ウェディングドレスに似合いそうなガーター付きの白い上下をボニーは指さしている。

「なんで貴女がここにいるの?」

「下着……大好きだから」

「そ、そうなの。イッペイはどこ?」

「外でみんなと……ご飯食べてる」

私はすぐに駆けていこうとして思いとどまった。

店の鏡で姿をチェックする。

髪が少し乱れているのを直す。

うん、大丈夫だ。

今度こそと思ってまた思いとどまる。

「ねえ、ボニー。本当にあれがイッペイの好み?」

「間違い……ない」

私の肌は褐色だ。

黒なんかよりも白の方が映えるかもしれない。

私はそのランジェリーを購入した。

これで夜の戦闘服は問題ない。

後はいつも通りの成り行き任せだ! 

はやる心を抑えるため少しだけ深呼吸してから店を出た。


「イッペイ!」

イッペイが食べかけのパンを皿において立ち上がる。

少し照れているみたいだ。

「パティー、やっと君に追いついたよ」

今すぐにでもキスしてしまいたい衝動をぐっと抑え込んだ。

「イッペイと二人で七層にいるなんて夢みたいね」

「そうだね。でも俺としてはここからだよ。ようやくパティーと同じラインに立てたここからなんだ」

「うん……。そうだ! イッペイごめん! 貴男に作ってもらったテーラーなんだけど――」

「それなら砂漠で見つけたから持ってきたよ」

彼の指さす方を見ると、綺麗になったテーラーが停まっていて、私たちの遺棄した荷物がちゃんと搭載されていた。

「持ってきてくれたんだね……」

「そりゃそうだよ。俺は運び屋ポーターだぜ」

恰好つけているつもりかしら? 

全然格好良くない! 

それでも私は今すぐにでもイッペイを抱きしめたかった。

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