第119話 ジャスミンの花
砂嵐がやってきた。
「あれは黒い嵐です」
アースラが震えている。
「黒い嵐」とは砂嵐の中でも特に凶悪なものを指す。
最大風速は40mを越えている。
もうプロ野球のピッチャーが投げる剛速球レベルだ。
「マスター、砂嵐は時速42キロで接近中です。逆方向へ逃げたとしてもいずれは追い付かれます」
逃げるよりは乗り切る準備をした方がよさそうだ。
俺は荷物の中からゴーグルを出してアースラに装備させた。
無意識に作ってしまったメグとクロの分が役に立った。
マスクも予備の分をつけさせた。
「今から戻る。誰かラナに予備のゴーグルとマスクをつけてやってくれ。車両は岩陰に置いて、大至急で幌ほろを畳むんだ」
指示をだしてなるべく急いで砂丘を下った。
クリスタルロックから少し離れすぎている。
周囲に敵がいなかったので油断してしまったのだ。
「ドロシー、もういいから巻き込まれる前に戻ってこい」
風が強くなってきてドロシーから送られてくる映像がかなり揺れている。
このままでは遠からず風に飲み込まれてしまうだろう。
だが、ドロシーは帰還前にとんでもない情報を送ってくる。
それは俺たちに向かって真っすぐに進んでくる4匹のオブトルン・スコーピオンだった。
ドロシーの計算では3分後には接触してしまうと出ている。
クリスタルロックに戻れば嵐の中での戦闘になってしまう。
「アースラ、運転を代わってくれ。どうやらオブトルン・スコーピオンに捕捉されたようだ。俺は機銃で奴らを叩く」
オブトルン・スコーピオンならばドエム2の敵ではない。
だが砂嵐の中では俺たちに勝機は全くなくなってしまうだろう。
「ボニーさんたちはクリスタルロックで嵐をやり過ごしてくれ。俺たちは追撃と砂嵐を躱かわしながらサソリを倒してみる」
「了解……死ぬことは許さない」
俺だって死ぬ気はないさ。
北から砂嵐が来るので南へ逃げた。
逃げながら機銃を撃つが、動いてる車両の上なので普段よりも狙いが定まらない。
いくつかの砂丘を越えながら少しずつダメージを与え、砂嵐に飲み込まれる前に4匹のサソリを全て倒すことができた。
素材を回収している暇はとてもない。
「アースラ、よくやってくれた。助かったよ」
「お役に立てて何よりです」
「クリスタルロックに戻っている時間はないから、ここで砂嵐をやり過ごすよ」
「はい。私は何をすればいいでしょう?」
「荷台の幌を外すのを手伝ってくれ。」
二人で幌を外し、荷物に覆いをかけて固定した。
これで飛んでいくことはないだろう。
せりあがってくる巨大な砂煙が視界一杯に広がっている。
到達まで2分もかからなそうだ。
俺たちは風上に頭を向けてT-MUTTの陰で低い体勢をとった。
突然世界から太陽が消えた。
嵐の中は夜の様に暗い。
吹き飛ばされそうな砂塵の中でアースラが身体を寄せてくる。
はためく服を通して僅かな震えを感じ取れた。
きっと恐ろしいのだろう。
だって俺も怖いもん!
魔物が相手だと何とかしようという気概も湧くが、自然が相手だとどうしようもないね。
小さくなってやり過ごすしかない。
アースラがわずかに顔をあげてキョロキョロとあたりを見回していた。
ゴーグル越しの瞳が輝いて見える。
「どうしたの?」
「このゴーグルという物は凄いです。砂嵐の中の様子を初めてこんなにはっきり見ることができました」
声も弾むように嬉しそうだ。
きっと好奇心の強い娘なのだろう。
恐怖に好奇心が打ち勝っているようだ。
「砂嵐はどれくらい続くのかな?」
「わかりません。早い時は1時間でやむときもありますが、三日続くこともあります」
三日間この状態はきついな。
各車両には十分な水と食料が用意されているから、飢える心配はないが、トイレとかが困りそうだ。
風強い=飛び散る=全身にかかる、の公式が成り立ちそうで嫌だ。
「ボニーさん、そっちはどう?」
本隊との距離は3キロも離れていないので通信に問題はなかった。
「みんな……元気だ。後で洗浄……して」
砂が顔について気持ち悪いもんね。
嵐が止むまでその場で待機することを確認して通信を切った。
「ラナも無事でいるってさ」
「はい。あの子は芯の強い子ですからきっと大丈夫でしょう」
「ああ。向こうのメンバーの方が俺よりずっとタフだから何も心配はいらないよ」
風はびゅうびゅうと吹き付け、俺たちは茫然とその光景を眺めていた。
けれども人間は同じ状況が続くと慣れが出てくるものだ。
最初は恐怖ですくみ上っていたが、次第に緊張していた心も緩んでいく。
そうなると今度は砂嵐より沈黙が気になりだした。
「アースラは何歳なの?」
「17歳です。今月の終わりに18歳になります」
困った。
最後に18歳の女の子と喋ったのは、自分が高校生の時だ。
何を喋っていいかわからない。
メグは16歳だったけど迷宮と冒険という共通の話題があったから会話に困ることはなかった。
だが目の前にいる少女は冒険などには縁のない、砂漠の民のお嬢様だ。
ここは一つ異文化交流といきますか。
「……お茶飲まない?」
昭和的なナンパをしているわけではない。
確かにギリギリ昭和生まれだけどさ。
少し落ち着いて話をしたいと思っただけだ。
「お茶? この砂嵐の中でですか?」
「うん」
俺は自分たちの周囲半径2メートルにドーム状のマジックバリアを張った。
この張り方だと毎分350MPを消費するが俺の魔法力なら問題はない。
吹き荒れる嵐の中でお湯を沸かす。
外界から遮られたマジックドームの中でお湯が沸く音がシュンシュンと静かに響いている。
「……とても……不思議な感じです」
アースラが小さく呟く。
俺もそう思う。
全方位のマルチスクリーンに嵐の様子を映し出しているかのような非リアルさがある。
「お茶を飲みながら君たちの話を聞かせてくれないかな。俺はまだラーサ砂漠や砂漠に暮らす人たちのことをよく知らないんだ」
アースラが小さく首をかしげる。
彼女も異文化とのコミュニケーションなんて初めての経験だろう。
違う文化が存在することすら知らないかもしれない。
「俺はお茶うけの用意をするから、お茶をいれてくれないか」
途端にアースラの表情が固まる。
「す、すいません。お茶をいれた経験がありません」
うわお!
そこまでのお嬢様なのか。
パティーだって貴族の子女だけど出来るぞ。
あれ?
パティーの方がマイノリティなのかな?
深層の令嬢の癖に冒険者やってるくらいだからな。
「それじゃあ仕方がない、俺が――」
「やらせてください! ……やって……みたいです」
やはり好奇心旺盛な娘だ。
ひょっとすると今までやってみたくても出来なかったのかもしれない。
お茶の淹れ方を教えながら聞いてみる。
「ターヘラではお茶を淹れてはいけないの?」
「はい。エラク(支配階級)の娘が家事をすることは恥とされています」
少し緊張しながらアースラはポットに茶葉を入れている。
「そしたらゆっくりお湯を注いでね。こぼさないように口いっぱいまで入れるんだよ」
アースラがお茶を淹れている間に俺は買っておいたお菓子を出した。
ナベットというアーモンドの粉で作ったクッキーだ。
毛皮を買うついでに朝市で買っておいた。
皿にナベットを盛ってジャスミンの花を一枝飾った。
花と葉のお陰でお皿の見栄えが良くなったぞ。
我ながら心憎い演出だ。
そろそろお茶もいい感じに入ったころだろう。
「それじゃあカップにお茶を注いでみてね。蓋に指をあてないと蓋が落ちてしまうから気をつけてね」
慎重に、慎重にアースラはお茶を注いでいく。
少しつり目の美人なのだが、真剣な表情の中にそこはかとない愛嬌があって可愛らしい。
早速お茶を飲んでみたが美味しくはいっていた。
「美味しいよ」
そう褒めると、顔を赤くしながら喜んでいる。
「さあ、お茶うけも食べてね」
俺がナベットの入った皿を出すと、アースラの視線は皿の上で固まった。
ナベットが嫌いだったかな?
「……ジャスミンの花」
ん?
「ああ、朝市でナベットとかと一緒に買ってきたんだよ」
「……イッペイさん」
「どうしたの?」
「イッペイさんには私と妹の命を助けていただきました」
今さら何だろ?
「そればかりではなく、家宝の『月輪の腕輪』のみならず、氏族の財宝さえも取り返して頂いております」
「はあ……」
「私は……イッペイさんに嫁ぐ覚悟はできております」
はあ?
一体全体なんでそうなるの?
やっぱりもう少し異文化コミュニケーションが必要そうだった。
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