第57話 狂人

 長い旅が続いている。

本当は苦しい状況なんだけど、魔法とスキルのお陰でそれほどの不自由を感じていない。

気ままなホテル暮らしもよかったが、自然の中にあるというのはもっと気ままだ。

自分でやらなきゃいけないことはたくさんあるんだけど、なんといっても社会に束縛されない解放感がよかった。

食に困らず、寝るところさえ作れる力があれば、人はこんなに自由になれるものなんだな。

まあ、普通はそんなことは無理だから社会に帰属するわけだ。

「神官さん、ホットエールが飲みたくないか?」

今俺の自由を奪うのはチェイサーだ。

だけどくそ寒い中でホットエールの単語を聞くと社会に戻りたくなる。

良くも悪くも俺は人間ということか。

「次の街で一杯やるか」

「いくら残ってる?」

「830リム」

「ギリギリじゃねぇか」

「ジョージ君が獲ってくれたカモを買ってくれないかな?」

「飲み屋の店主にでも頼んでみるか。買いたたかれるだろうけどな」

俺たちはギリギリの生活を、切迫感なく楽しんでいた。

人類社会に最低限しか接触しない逃避的な喜びがそこにはあった。

一言で言うと楽チンだったのだ。



 グリーバレルは小規模な町だったが、食堂を兼ねた宿屋や、雑貨屋などもあり住みやすそうな田舎町といった印象だった。

俺たちは食堂に入りさっそくホットエールを飲むことにした。

「いらっしゃいませ神官様」

「こんにちは。ホットエールを二つお願いします」

「すぐにお持ちしますよ。寒い日が続きますなあ」

 チェイサーが店主にカモの買取を交渉している。

俺はこの手の交渉事が苦手だ。

相場もあまりわからないし、あんまり高値だと悪い気がしてしまう。

そもそも俺が獲ったものじゃなくてジョージ君が獲ってきたものだからね。

俺はいつも何もしない。

カモは3羽で1000リムになった。

ちょっと安いようだが、その代わりホットエールの代金がただになった。

だったらそれでいいだろう。

「こんにちは神官様」

 俺は突然見知らぬ男に声をかけられた。

身なりは悪くない。

どこかの家の使用人のような風体だ。

「私はこの町の領主メコール家で働くベンと申します」

「ご丁寧に。旅の神官、レドブルです」

「つかぬことをお聞きしますが、レドブル様は回復魔法をお使いになれますか?」

「私は法術師ではなく祓魔師ふつましなので簡単なものしか使えませんよ」

なんとなく金儲けの匂いがする。

持ち金が底をつきそうなので少し稼いでおくか。

「それはありがたい! 当家の坊ちゃまが風邪で高熱を出されておるのですが、この町の治癒士がたまたま不在でして、戻ってくるのは1週間後なのです」

「それは難儀ですな」

「お手数ですが、これより当家へおいでいただけないでしょうか」

「わかりました。すぐに伺いましょう」

俺はいくばくかの収入を当て込んで、領主の館へとむかった。



 通された子供部屋は明るい壁紙と絨毯が敷かれ、おもちゃや本が部屋の隅に整然と並んでいた。

愛されて育っているのだろう。

部屋の主のアンドリュー坊ちゃまはベッドに寝かされて苦しそうにしていた。

年齢は7歳だそうだ。

スキャンしてみると熱が40度近くまで上がっている。

可哀想に、さぞ辛かっただろう。

 俺は早速治療を開始する。

評判が上がることなど望まないので、控えめに回復魔法をかけた。

熱は微熱くらいにまで下がり、体調はほぼ全快手前まで回復させる。

「さあ、これを飲んでください」

「お薬ですか?」

「いいえ、リンゴの搾り汁ですよ」

アンドリューに手を貸してリンゴジュースを飲ませると、嬉しそうに一気に飲み干した。

喉が渇いていたようだ。

「もう少し飲みますか? 欲しかったら構いませんよ」

「ください。喉も乾いてるし、なんだかお腹も空いてきてたまりません」

もう、大丈夫だろう。

後は自分の治癒力で充分治るはずだ。

「神官殿、おかげで助かりました!」

感極まったようにメコール騎士爵が俺の手を握ってきた。

奥方も隣で涙ぐみながら頭を下げている。

息子を溺愛できあいしているのだろう。

「もう心配はないでしょう。後は水分補給に気をつけて、経過を見守ってあげてください」

 俺が夫妻と話していると、廊下の方からガラスの割れる音と女中の悲鳴が響いてきた。

この世界のご婦人はネズミやゴキブリで悲鳴を上げるほど軟ではない。

何事かと耳を澄ましていると、やがて廊下から複数の足音が聞こえ、野卑な男たちが室内に乱入してきた。

「ちょいと失礼するぜ」

頭目らしい男が野太い声をかけてくる。

後ろには手下と思われる男たちが10名ほど控え、そのうちの何人かがこの館の使用人を人質にしていた。

「この館…いやグリーバレルの町は俺たちが占拠した。アンタの兵隊は全部始末したから無駄な抵抗はやめるこった」

「貴様…グレンか」

「ほう、覚えてくれていたようだな。もちろん俺はアンタのことを片時も忘れていなかったがな!」

メコールとこの男は顔見知りのようだ。

困ったことになった。

チェイサーの槍も俺の荷物も玄関ホールでコート共に使用人に預けてしまった。

服の下にハンドガンは身に着けているが、4発の銃弾ではどうにもならないだろう。

鞄の口があいていればジョージ君にハチドリ達を運んできてもらうのだが、鞄はしっかり閉じてある。

いくらジョージ君が器用でも中から開けることはできないだろう。

グレンと呼ばれた頭目はメコール騎士爵に近づき囁くように声をかける。

「落とし前はしっかりつけてもらうぜ。俺を嵌めてただで済むと思うな」

「それは逆恨みというものだ。貴様ら傭兵団が民間人に――ぐっ!」

メコールの言葉はグレンの拳で遮られた。

「少し黙ってろ。この後さんざん叫ぶことになるんだ」

「な、なにをする気だ」

「安心しなよ、俺とアンタの仲じゃないか。アンタのお陰で牢につながれ、とんでもねえ目にあったんだぜ。すぐに殺したりなんてしないさ」

グレンという男の顔は狂気に歪んでいる。

まともな人間にはとても見えない。

「どうしようかな。…うん。まずお前の妻を犯そう。お前とお前の息子が見ている前でだ。ひひひ、なかなかいい身体をしてるじゃないか。美味しそうだ」

グレンは舌なめずりをしながらメコール夫人の身体に視線を這わせた。

「その次はお前の息子と遊んでやろうか。坊や、おじさんと遊ぼう。楽しいぞ! 指を潰したり、目をくりぬいたり、舌を切ったり…ああ…あは、あははははは! たまんねぇ! 考えただけでイッちまいそうだぁ!」

「…頼む、私を殺すのは構わん。妻と息子には手を出さないでくれ!」

「もちろんアンタは殺すさ。…俺が好きなだけ楽しんでから、最後の最後に殺してやるよぉぉぉ…」

とんでもない状況に巻き込まれたようだ。

「お頭、こいつらはどうしますか?」

部下の男が俺とチェイサーを指さして尋ねる。

「……殺せ」

グレンは俺たちに何の興味も示さず、そう指示した。

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