第55話 チェイサーの槍

 俺とチェイサーは王都エリモアに向かっているのだが、現在は少しだけ寄り道をしている。

なんでもチェイサーはとある女に自分の槍を預けているというのだ。

過日かじつ、俺がチェイサーの槍を作ってやろうとしたらそう言って断られた。

どんな槍かは知らないが思い入れがあるのならば仕方がない。

王都へ行く前にとりに行くというので俺たちは女の住むチップハムという街を目指した。

「そういえばチェイサーって元騎士だったよな」

「…まあな」

チェイサーは言い淀んだがこれは事実だ。

以前「鑑定」で確かめている。

「なんで騎士を辞めたの?」

「言いたくない」

まあ、女関係だろうと予測している。

上司の女でも寝取ったか? 

それで首になったのかもしれないな。

「槍を預けてあるのって昔の女とか?」

「そんなもんだ」

チップハムが近づくにつれてチェイサーの顔から笑みが消えている気がする。

ひょっとして緊張しているのか?

「以前、旅行の資金にあてがあるって言ってたけど、その人に借りるのか?」

「…そのつもりだ」

「あ! そういえばお前、パン屋のツケを踏み倒したよな。1万リム以上あっただろう!」

「少し黙っててくれないか!」

かなりナーバスになっているようだ。

口を開けば喧嘩になりそうなので俺は黙ることにした。

「すまん神官さん…」

謝ってきたな。

まあこいつもいい歳した大人ということか。

「女というのは昔の女房だ」

「あんたバツイチか」

「ああ…」

よくわからんが元奥さんに槍を預けてあるわけね。

会いづらいのかな? 

このエロ中年が浮気をして追い出されたと見た。


チップハムは中規模の街だった。

街道からは外れているがそこそこ栄えているようだ。

「神官さんいくら持ってる?」

「酒でも飲むのか?」

度胸をつけるために一杯ひっかけていくのかと思ったら違った。

「手ぶらじゃ行きにくい。土産の一つも買いたい」

気持ちはわかるので俺は有り金の全てである3600リムをチェイサーに渡した。

「すまない恩に着る。…俺が槍を取り戻したら…俺の槍はア…いやなんでもない。この話はあとでしよう」

なんだかわからんが後でいいぞ。

チェイサーが土産を物色している間、俺は経典を読んで暇をつぶした。

最近することがない時は経典を読んでいる。

読み始めるとけっこう面白かったりする。

古代の神が三首のドラゴンと闘って倒すなんて話もあって、けっこうドラマチックだ。

石段に座って経典を読んでいたら見ず知らずのお婆ちゃんがいきなり大銅貨を1枚くれた。

俺が神官ぽくなっていたから? 

お礼に内緒で全身の悪い所を治しといたよ。

達者でねお婆ちゃん。

「待たせて悪い」

チェイサーが帰ってきて、俺たちは連れ立って元奥さんのところへ出かけて行った。


 チェイサーが連れてきた家はそこそこのお屋敷だった。

2階建ての大きな家で、庭も比較的広い。

「元女房の今の旦那の家だ」

「なるほど奥さんは再婚したのね。ちょっと待て」

門をくぐろうとするチェイサーを止めて、生活魔法の洗浄で身体と服を綺麗にする。

身だしなみは基本だよね。

自分にも魔法をかけて俺たちは門をくぐった。

「こんにちは。私は神官のロバート・レドブルと申します。奥様は御在宅でしょうか?」

出てきた女中さんに俺が挨拶する。

門前払いされないようにこうしてくれと、あらかじめチェイサーに頼まれていた。

 出てきた女の人は俺と同年代の品のいい感じの奥様だった。

「こんにちは神官様。今日はどういったごよ……チェイサー…」

「やあアルマ。元気そうだね」

「貴方も…少し痩せたかしら」

俺たちは玄関ホールに通された。

二人はぎこちない挨拶が続けている。

「それで? どうしてきたの?」

「俺の槍を受け取りに来たんだ。…それと金を少し貸してほしい」

アルマさんはその言葉を聞いて盛大にため息をつく。

「お金ですって? 今まで貴方に貸したお金が返ってきたことがあったかしら?」

「それは悪いと思っているし、今後返すつもりだ」

「信じられるわけないじゃない」

「信じてほしい。今度こそやり直したいんだ」

チェイサーの話を聞いて、いよいよ奥さんの感情が爆発しだす。

「そもそもあの槍だって迷惑なのよ! あの槍が私にとってごれだけ重荷になっていたかわかる?」

「槍を見るたびにロイドは自分の罪を思い出すか?」

「夫の悪口はやめて頂戴! ええそうよ、その通りよ! あの槍が何回夫婦の仲をかき回したか、貴方には想像もできないでしょうね!」

過去に何かあったな。

だが、今のはチェイサーが悪い。

「チェイサー、槍だけ受け取って早く行こう。奥さんの迷惑になる」

「神官さんは黙っててくれ!」

「そもそもなんで自分で持って行かなかったのよ。先祖から伝わる大切な槍なんでしょう?」

そんなもん奥さんに未練があったからだろ? 

それは聞いちゃだめだよ奥さん。

「俺だって好きでこんなことしてるんじゃないんだ!」

「もう帰ってよ! 槍ならすぐ持ってくるわよ!」

「パパ」

二人の喧騒を割って入ったのは、女の子の小さな声だった。

「ケイシー……」

見れば12歳くらいの女の子がこちらをじっと見つめていた。

両親が美男美女なのでこの子もなかなかの美少女だ。

震えるように少女に向かうチェイサーに少女はすっと抱きついた。

チェイサーは強く抱きしめることも出来ずに、ガラス細工を扱うようにそっと抱きしめている。

まったくもってバカな男だ。

一番恰好つけなければならない女の前で醜態をさらしやがって。

「もう…12歳か?」

「ええ。今年から学校に通ってるのよ」

「そうか、もうそんな時期か…」

チェイサーの視線は娘の頭上で彷徨さまよっていた。

彼女と共有することができなかった過去の時間を幻視げんししていたのかもしれない。

「すまなかったアルマ。槍を持ってきてくれないか…」

「ええ……そうね、すぐに持ってくるわ」

アルマさんが持ってきた槍は錆び一つ浮いておらず、きちんと手入れされていたことがわかった。

「ありがとう。長い間迷惑をかけたな」

チェイサーの言葉にアルマさんは無言で首を振る。

その場に残る家族の残り香のようなものが温かくも、寂しくもあり、俺は目礼だけして先に家をでた。

チェイサーの記憶に永遠に残るだろう場面で、俺は異物でしかない。

願わくばこの悲しくも優しい瞬間が彼の慰めになりますように。俺は柄にもなく神に祈った。

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