第54話 コーデリアという女

 どんよりとした冬の空は私を不機嫌にさせる。

この新しい任地、コンブウォール鉱山はなんともつまらない場所だった。

私の名前はコーデリア・ルートピア。この地の新しい代官だ。


 代官として3年の任期の間に私がしなければならないことは一つだけ。

ひたすら蓄財に励むことだ。

ここには華やかな社交界もなければ、色恋の駆け引きもない。

失恋の痛手から一切の恋を忘れて上級官僚を目指した私にはふさわしい場所だと言えるが、心の慰めは欲しかった。

この地に赴いた当初、私は素晴らしい素材に巡り合えた。

その男は囚人であったが、理知的であり、教養もあるようだった。

私の屈辱的な命令に反抗し、それに耐え、折れることがなかった。

私はすぐにその男が欲しくなった。

だが、その男は既に人のものだった。

その男の下着がそれを証明していた。

私は彼の貞操帯を破壊し、彼を開放し、私のものにしようとした。

だが彼は私の元から脱走という形でいなくなった。

普段の私なら激高していただろう。

だが不思議なことに彼が逃げたことを聞いてもそれほどの怒りは湧いてこなかった。

いつもの私は一度腹が立つと、怒りの感情が強すぎて自分でも持て余すほどだ。

だがあの日はなぜか激怒せず、ただただ悲しかった。

だから私は彼を追跡せず、私から解放することで心の平穏を取り戻そうとしたのだった。


「コーデリア様。ネピアのチェリコーク子爵家の次女、パトリシア様がご面会を求めていらっしゃっています」

執事のアーロンが珍しい客の来訪を告げてきたのはイッペイが私の元から逃げ出して11日目の午前中のことだった。

ネピアのチェリコーク家のことは知っていたが、パトリシアという娘のことは何も知らない。

いったいどのような要件があるのか想像も出来なかった。

「客間にお通ししろ」

なんの用かはわからないが、この退屈を紛らわせてくれるならそれでいい。

私は暇つぶし程度と考えてパトリシア・チェリコークと対面することにした。


 一目見ただけで天啓のようにこの女がイッペイのご主人様、あるいはパートナーだとわかった。

勝気な眼、下品に盛り上がった胸、引き締まった四肢。

いかにもあの男の気を引きそうな性格と体つきをしている。

それぞれ挨拶を済ませると、やはり私の予想は当たっていたことがわかった。

「この度、私がこちらに参りましたのはある友人を探してのことです」

「ほう、友人ですか」

白々しい、どうせ情夫なのだろうが。

「はい。イッペイ・ミヤタという囚人です」

やはりそうか。

「彼は冤罪でこの鉱山に収監されました。ネピアでは既に彼の無罪は証明されています」

「ほう」

「ただ、こちらの事務官に問い合わせたところ、イッペイ・ミヤタは既に死亡したとの回答が寄せられました」

「それは残念でしたな…」

ふん、小娘の癖に怖い眼で睨みつけてくる。

「代官殿はイッペイ・ミヤタという囚人についてなにかご存じありませんか?」

「さて、私もすべての囚人を把握しているわけではありませんからね…。文官が死んだというのならそうなのでしょう」

「イッペイ・ミヤタが脱獄したなどの事実もないのですね」

「脱獄があれば私の耳にも入ります。私が着任してまだ10日程ですが脱獄囚は出ていません」

ふん、こちらの心を見透かすような目をして、生意気な娘ね。

この娘がいけないのだ、私の中で意地悪な心がむくりと鎌首をもたげた。

「そういえば…」

「なんでしょう」

「着任初日に何人かの囚人と面会をしましたね。これも代官の仕事ですが、収容所の施設内がどうなっているか、彼らの健康状態がどうかというのを確認する必要があるのですよ」

「はい」

「労働環境については一人一人と面接をして、そのあと健康状態のチェックをしました。その中にイッペイという囚人がいた様な気がします」

「!」

「まずは頭髪を調べるのです。虫などがいる場合が多いのです。そうそう彼は綺麗な黒髪をしていましたね。まるで囚人じゃないみたいにサラサラでした」

私はまるでそこにイッペイがいるかのように髪を撫でるしぐさをする。

「代官殿が触ったのですか?」

「ええ。仕事ですから」

ふふふ、少し驚いているようね。

あら? 怒っているのかしら。

「その後に服をすべて脱がせましてね……隅々までみました。ん? どうされました震えていらっしゃるようだが」

「いえ。それでイッペイに何をしたのですか?」

ふふ、ちょっと声まで震えてるわよ。

なんて気持ちがいいのかしら。

「健康状態のチェックですよ。傷などがないか、不当な暴力を受けていないかなども入念に確かめました。…ええ念入りにね」

「それで、…その時まで問題はなかったのですね」

「ええ。私が見る限りなにも異常はありませんでした。それこそ全てをつぶさに見、触れもしましたからね、断言できます」

「…ではなぜイッペイは死んでしまったのでしょう」

「さあ、健康診断の後、彼がどうなったかは知りません」

チェリコークが怒りに震えるほど、私の身と心は潤うように息づく。

自分の気に入っている玩具を勝手に使われるのは腹が立つものよね。

久しぶりに楽しい時間だ。

その後、二三の雑談をしてパトリシア・チェリコークは帰っていった。

部屋に残った私は卓上の鈴を鳴らして執事のアーロンを読んだ。

「いかがされましたかコーデリア様」

「湯浴ゆあみの用意を」

「ただいますぐに」

アーロンは去って行った。

さて、少し風呂に入って気持ちを落ち着けよう。

午後はまた、つまらない仕事がまっているのだ。

その前にこの濡れた身体を綺麗にしなくてはなるまい。



 代官との面談を終えて帰ってきたパティーの顔を見てジャンとクロが怯えた。

「やべえ肉食獣の顔だ」

「オーガでも逃げますよ」

二人でひそひそと話し合っていると、パティーが思いっきり叫ぶのが聞こえてきた。

「うああああああああああああああああああああっっっ!!!!! あのくそ婆、絶対何か知ってて隠してるわ!」

「クロ、何があったか聞いてこい」

「切り込み隊長はジャンさんじゃないですか!」

「お前の方が俺より可愛がられてるだろう! お前の中の眠れるオーガを呼び覚ませ!」

ジャンに背中を押されておずおずとクロが前にでる。

「やはりイッペイさんは生きてるんですね」

「ええ。代官は絶対にイッペイについて何かを知っているわ! ただそれをこちらに言う気はなさそうね。ああムカつく!!」

怒りに燃えるパティーをどう扱っていいかと怯える少年たちの元に救いの神があらわれた。

3日前から別行動をしていたメグが帰ってきたのだ。

「それらしい手がかりを見つけたわ。ここから北東に80キロほどいったところにマチア村というところがあるの」

「おっさんがそこを通ったのか?」

「おそらくね。10日以上前だけど、その村に一人の天使があらわれて死にかけていた老人を治療したということなの。本人やそのお孫さんにも会って確かめてきたわ」

「天使~?」

訝いぶかるジャンを脇に押しのけてパティーが聞く。

「その天使がイッペイなの?」

「天使は黒髪で銀の鳥と猿を連れていたそうよ。それから…平たい顔をしてたとルウという孫が言ってたの。だから…ね」

「平たい顔はわかるけど、サルってなんだよ?」

不死鳥の団のおサルさんが聞くが、ジョージ君のことは誰も知らない。

「サルのことはわからないけど、イッペイに間違いなさそうね。ボニーももうすぐ戻ってくるはずだから彼女が合流し次第追いかけるわよ」

パティーの瞳からいつの間にか怒りが消えていた。今はそんな些細なことよりイッペイの消息を追うことの方が大事だった。

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