第16話 オンケル氏の幸福な朝

 迷宮ゲートを出た左側で俺たちの講習会は今終わろうとしていた。

「今回の講習会で学んだことは冒険者として必要な知識のほんの一部に過ぎない。覚えなければならないことはまだまだたくさんあるし、覚えなければ迷宮に自分の骸を晒すことになるだろう。皆にはこれからも精進を続けてもらいぜひ一角ひとかどの冒険者になってもらいたい。まずはベテランのポーターをしながら冒険者としての基礎を覚え、やがて自分のパーティーを組んでいくことをお勧めする。私からは以上だ。最後にロットさんお願いします」

クライドに促されてロットさんが口を開く。

「全員よく死ななかった。解散!」


 一緒に講習会を受けた新人や、教官たちに挨拶をして、俺も帰路についた。

はじめは年上ということで浮いていたが、終わってみれば新人たちとは一つの戦いを共に乗り越えた連帯感みたいなものが生まれていた。

迷宮に潜っていればまた近いうちに会うだろう。

一緒に探索をする機会もあるかもしれない。

そんな話をしながら俺たちは別れた。


 サンガリアホテルへ帰ると、フロントでメッセージカードを手渡された。

今朝チェリコーク子爵家から使者が来たそうだ。

差出人はパティーではなくチェリコーク子爵自身からだった。

メッセージには至急お会いしたいと書かれている。

無下にもできないので「いつでも伺います」と書いた返事を届けてもらうことにした。

スマートフォンの無い世界は面倒だ。


 すっかり自分の部屋と化した502号室に帰り、風呂に入って寛いでいると扉がノックされた。

なんとチェリコーク家から迎えの馬車がもうついたというのだ。

何か緊急事態でも起こったのだろうか? 

不安になったが服を身に着け、一応護身用にハンドガンを上着の下に装備した。

普段着の布のマントを羽織れば武器を身に着けているようには見えない。

ドキドキしながらチェリコーク子爵邸にむかった。


 室内に通された俺をチェリコーク子爵は諸手をあげて歓迎してくれた。

場所は応接室ではなく子爵の書斎だ。

パティーは外出中とのことだった。

きっと迷宮を探索中なのだろう。

しかし、いったい俺に何の用だというのだろう。

お茶を置いたメイドが下がってしまうと、俺と子爵の二人だけになった。

「ミヤタ殿、実は貴殿に相談したいことがあってな」

「どうぞ遠慮なくおっしゃってください子爵」

「先日貴殿から買い受けた薬なんだがな…」

やばい。へんな副作用でもでたか?

「なにか不都合な点でもございましたか?」

「いやいや、薬の性能は素晴らしかったと聞いている。そのなんだ…バイアッポイ・スペシャルだな…、私には必要ない薬だったので、寄り親のコーク侯爵に差し上げたのだよ」

必要ないって言った時、子爵さん少し胸を張ったよ。

元気なんですね、わかりますよ。

「それでな、侯爵が使ったところ素晴らしい効果があったそうだ。これは良い品だということで国王陛下に4本を献上したらしい」

「はあ……」

「陛下にあられましては、いたくお気に召されてな、もったいなくも追加の品をご所望になっておるそうだ」

ぶっちゃけちゃうと、「ED治療薬をもっとくれ」ってことだな。

「ミヤタ殿、あの秘薬の在庫はもうないのだろうか?」

どうしよう。

でも相手が国王や貴族ならいい商売ができると思う。

「子爵。ここだけの話にしておいて欲しいのですが、私は旅人ですが薬剤師でもあるのです。珍しい薬剤を探すというのも私の旅の目的の一つです。さてバイアッポイ・スペシャルですが作成することは可能です」

「おお! できるか!」

「ただし、材料を集めるのも困難であり、精製するのに多少の時間がかかるのです。前回は子爵とお近づきになれた嬉しさから1本1万リムという破格の値段でお譲りしましたが……」

ここは値段を吊り上げるために大げさに言っておこう。

本当のことを言えば、素材は朝市で売ってた野菜とその辺に生えてた雑草、アルコール、ハーブの一種なんだけどね。

「うむ。月に15本用意してくれれば、300万リム支払うということだ。これでなんとかならんかね?」

わお! 濡れ手に粟の大儲けだ。

このコネクションを使えばいつか高ランクの魔石が手に入るかもしれない。

ここは恩を売っておくべきだろう。

「わかりました。ほかならぬ子爵様の頼みですし、恐れ多くも陛下にご服用いただけるのは光栄の極み。このイッペイ・ミヤタ謹んでご用意いたしましょう」

「そうか、やってくれるか。いや助かった。コーク侯爵からもなるべく早く薬を持ってくるように言われて困っていたのだ」

「幸い作りかけが何本かあります。明日には仕上がりますのでお屋敷に持参しましょう」

 馬車で送ってくれるという子爵の申し出を断り、俺は材料となる雑草を引っこ抜いたり、野菜を買ったりしてホテルに帰った。


 部屋に帰ると早速集めた素材でバイアッポイ・スペシャルを錬成した。

10分もかからずに完了したので、ついでに紅カス茸で発毛剤も錬成する。

これは大切な仕事だ。

今は大丈夫だが将来を見据えて慎重に開発すべきなのがこの発毛剤なのだ。

俺の大好きな爺ちゃんはつるっぱげなのだよ。

そして俺は爺ちゃんによく似ているのだ。

隔世遺伝の恐怖も今日でさよならだ。


 バイアッポイ・スペシャルは17本。発毛剤は25本もできた。

初心者講習会で疲れていたのか出かける気にはならず、夕飯は部屋にローストビーフのサンドイッチと小エビとアボカドのサラダを運んでもらって、ワインと共に食べた。

食べ終わると異様に眠くなりそのままベッドに潜って眠ってしまった。


 翌日はスッキリと目覚めた。

早く寝たおかげだろう。

今朝は子爵と朝食を共にする約束をしているので割といい服を着た。

そうして出来上がったポーションをカバンに詰めていると部屋がノックされ迎えが来たことが知らされた。


 子爵家の朝ご飯は豪華でボリューム満点だ。

俺は飲み物にカプチーノをもらった。

パンは焼きたての丸パンで、バターや各種ジャムが横に並んでいる。

肉類はベーコンを選択し、卵はポーチドエッグにしてもらった。

この他にサラダやフライドトマト、編茸というキノコのソテーなどが添えられている。

フルーツもリンゴやナシ、ブドウ、キウイなどが大皿に盛られていて、食べたいものをメイドさんが皮をむいて切ってくれた。

残念ながらパティーは迷宮に潜っていて今朝もいない。

子爵は諦めたような表情でパティーのことを話す。

「あれは何をいってもいうことを聞かない子でな。私も好きにやらせることにした」

「親の苦労、子知らず、というやつですな。私も耳が痛いですが」

「なになに、ミヤタ殿は立派にやられているではないか」

といった社交辞令を交わしながら朝ご飯を食べた。

 朝食が終わるとお抱え鑑定士のオンケルさんが呼ばれた。

俺の持ち込んだポーションを鑑定の魔法で確認するためだ。

オンケルさんは前頭部から頭頂部にかけて剥げていて、メタボな体型をしているが、彫が深く濃い顔をしている。

「間違いありません。すべて本物です」

オンケルさんのお墨付きも貰えて納品は無事に完了した。

子爵家を去る前に執事さんにオンケルさんを呼び出して事前に用意しておいた紙袋を渡した。

「ミヤタ様これは?」

「前にオンケルさんが欲しがってたものですよ。今回は2本だけ余分にできたからプレゼントです」

「まさかっ?!」

「もう1本、違う薬が入っていますが効能はオンケルさんなら鑑定でわかるでしょう。 必要なら使ってみて下さい」

「しかし、このような高価な薬、私には…」

「いいから、いいから。でも内緒ですよ」

俺はオンケルさんにサムズアップして見せた。

深々と俺に礼をするオンケルさんに見送られて俺はチェリコーク子爵家を後にした。


□□□□□


 オンケル氏は爽快な朝を迎えていた。

このような充実した気持ちで目覚めたのは本当に久しぶりだった。

ベッドの横には妻のエバが肌をツヤツヤさせて静かな寝息をたてている。

幸せそうな寝顔だ。

昨晩は充分満足してくれたようだ。

寝る間際のエバの瞳とキスがいつもより情熱的だった。

オンケル氏は大きなあくびを一つすると、いつもの癖で額から頭を撫で上げた。

ジョリ。

手に髭を触ったような感触があった。

だが彼が触ったのは顎ではなく頭だ。

まさか? 

オンケル氏は慌てて鏡のところへかけていく。

まさか? まさか!?

「っ!!!!」

昨晩まで何もなかった自分の額に、短くかたい毛がびっしりと生えている。

「エバ! エバ! 見てくれっ!」

夫婦の寝室にオンケル氏の嬉しそうな絶叫が響いた。

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