6-17『もしあの星には届かなくても』1
あたかもそれは恋ではなく、罪を告白するかのような。
懺悔をするような、赦しを請うような――そしてその全てを拒絶するような。
どこまでも、狂おしいほどに鮮烈な、身を切り心を刻む言葉だった。
何よりも胸を軋ませるのは、そんな言葉を、よりにもよって二度も吐かせた自分自身の愚かさだ。
だってそれは、俺が知っている友利叶ならば、死んでも言わないはずの言葉。
そう。知っている。
知らなかっただなんてとても言えない。
俺は彼女という人間を知っている。
自信を持ってそう断言できる。
そのはずだ。
そのつもりだった――そうでなければ、いけなかったから。
そうだ。でなければ俺たちの関係は、初めから成立すらしなかった。
こうなるとことが決してないからと、初めて話したあの日、打ち破った部屋の壁を直さないままにした。
我喜屋未那は友利叶を好きにはならないし。
友利叶は我喜屋未那に恋をすることはない。
そいつは、俺と叶にとっては、疑うことすらあってはならない関係の前提。
だというのにこの始末だ。
俺は、あのとき、あの屋上に至るまで、叶がそんなことで苦しんでいるのだと、ただの一度も想像したことがなかった。
知っているからと、その状態に満足して目を曇らせた。
当たり前のことだったのに。
どんな人間だって、もちろん叶だって、変わっていくものがあるということくらい。
いや。
いや違う。
それを言うなら――だって、俺は最初から――。
最初から?
「ごめん」
と、叶は言う。それ以上はもう、何かを考えることすら難しくなった。
「やめろ」
だからただそう言った。幼い子どもの癇癪のような、あまりに拙い感情の発露。
「やめてくれ。謝らないでくれ。もうそれ以上は」
「困らせちゃった? まあそうだよね。ほとんどそのために言ってるようなもんだし」
「違う! ……違う、そうじゃない。そういうことが言いたいわけじゃないんだ」
「……じゃあ何?」
「だから――それは、だって! お前は別に、……何も、悪くないだろ!?」
そんなことを。
この期に及んでなお、縋るように言うことしかできない自分に、嫌気が差した。
「お前が悪いわけじゃない! なのに謝られたって、そんなの――」
「……ねえ。ねえ未那。違うよ。違う。ていうか、いくらなんでも……それは酷いよ」
「――――――――」
「今のは聞きたくなかった。聞きたく……なかった。本当に。わたしは……ねえ、未那。わたしは、悪いよ。これはわたしが悪い。わたしは確かに未那を裏切ったんだから」
息が、詰まる。心臓が痛む。
俺には彼女が何を言いたいのかがわかってしまうから。
「それをさ……それを悪くなかったなんて言われちゃったら、必死に守ってた今までが、嘘になっちゃうじゃん。でしょ……? だからさ、それだけはさ……言わないでよ」
「俺は、――だから、そうじゃなくて……!」
「そうだよね? だって、未那はずっと守ってくれてた。わたしとの約束を。あのときの言葉を……未那だって、大切だと思ってくれてたよね? そこを疑ったことは、ないよ」
――ずっと友達でいよう、なんて。
安くて下らなくてバカみたいで痛くて恥ずかしくて今どき子どもだって言わないような凡庸でありふれていてどこにもない――だからこそ大事だった、そんな誓いを。
嘘にしてほしくはないから。
裏切ってもいいと、破っても悪くはないと、責めないことは欺瞞だった。
わかっている。俺たちはそもそも初めからわかっていた。
そんな約束は成立していないと。たとえ裏切られたって責めないようにと、そもそもの前提で決めていたはずだ。
ただその破綻に、この形を露ほども予想していなかっただけ。
だからこそ責めるべきだったのだ。
たとえいつか、それには届かないという当たり前の事実を思い知る日が来るのだとしても。
それはきっと、こんな形ではないはずだから。こんな最後ではないはずだったから。
「違う?」
静かに、念を押すように、叶が俺に問う。
「……違わない」
と。そう答えることしか俺にはできなくて。
「よかった」
と。壊れそうな笑みで零す少女に、何を言えばいいのかわからない。
叶は笑顔だった。
泣き終わって涙も涸れたかのように、ただ透き通るほどの綺麗な瞳で俺をまっすぐ見つめている。
――嫌になるほど美しく、だからこそ見たくない表情で。
「――あ、」と。
だからそこで、ようやく思った。
呆然とする。自分がどれほど間抜けだったのか、ようやく自分で理解ができた。
なぜそんなことに気づかないでいられたのか、もはや自分でもわからない。
あまりにも馬鹿らしくて酷く下らなくて、自分でも最低だとしか言いようのない、最初の間違い。
だって、そうだ。
俺は叶のこんな顔は見たくないのだ。だから――
「……ごめん」
気づけば、謝罪が口から零れた。それ以外に言う言葉を見つけられなかった。
瞬間、叶の表情が堪え切れないとばかりにくしゃりと歪んだ。
「なんで……っ! ……なんで、未那が謝るの?」
それも違うのに。違う。違うんだよ叶。
俺はお前に、そんな顔をしてほしくないんだ。
だから答える。
だって答えなんてもちろん、俺たちの間にはひとつしかない。
「俺の、番だからだ」
「――――っ」
「そうだろ? だから違う。違うんだよ、叶。やっぱり、これはお前のせいじゃない」
「み、な……だからっ!」
「――だって!」
息を吸う。少しの間が空く。
これから言う言葉は、きっと誰に対しても最低の裏切りに違いないけれど。
「だって俺は、初めて会ったときからお前のことが好きだった」
「は? は……――はあ!?」
驚いたように、怒ったように、ぼうっと顔を赤らめて叶が叫んだ。
それがいい。その顔ならいい――そういう顔が見ていたかったと心から思う。
傲慢でも何様でも、俺は、叶が悲しんでいる顔なんて一度だって見たくなかった。
「な、何を……な、何言って……っ!?」
「いや、……わからん」
「わからん!?」
「だって俺も今気づいたんだ。いや、叶のことが好きなのは少し前に自覚したんだが」
「――ぇあ」
「いつから好きだったのか冷静に考えたら……たぶん、入学式の朝に、初めて教室で顔を合わせたときから、という気が、その……してきた」
あの日。あの朝に見た、風に揺られる少女の横顔に。
ひと目惚れのような気持ちがなかったと、今はもう言い切ることができないでいる。
「ばっ! ば、ば――馬鹿じゃないの!?」
叶にそう罵られるが、まったく否定の言葉もなかった。
顔から火が出る思いでしかない。どうしようもなく俺は馬鹿だった。
「だから、まあ……なんだ。そうなると、むしろ先に裏切ったのは俺のほうっていうか、むしろ約束の前から裏切り終わっていたとなれば、お前が気に病むこともないというか」
「そ……それ本気で言ってるわけ?」
混乱するように訊ねる叶に、けれど俺はこんな言葉しか返せない。
「……本当のことを言えば、わからない」
「な、何それ……」
「いや、その、俺だって自覚してなかったっつーか……ただなんかまあ、今にして思えばお前のことは最初から好きだったわけだし。それを恋愛感情だと思ってなかっただけで」
「むぁ」
照れているのか、なんか変な声を出す叶だった。
ああ、くそ……認めるしかない。耳を赤くしてこっちを見るなよ。
だけどもう、言ってしまった以上は後戻りできない。
本当に、どうしようもなく最低なクズ野郎の発言でしかないことなら、誰より俺が自覚済みなんだけれど。
それならいっそ、これで幻滅してもらったほうが丸く収まるのかもしれないが。
「とにかく、先に裏切ったのは俺のほうだ。いや、なんなら俺はさなかまで裏切ってる。どっちが悪いかなんて言うまでもないし、お前は何ひとつ謝る必要はない」
「――――――――」
叶は、完全に絶句して固まっていた。
そんなことを俺が言い出すとは、本当に、まったく想像していなかったように。
しばらく、間があった。
やがて叶は再起動するみたいに息を吸うと、小さく首を振って言う。
「……一応訊くけど、それ冗談で言ってるわけじゃないんだよね?」
「これを冗談で言ってたら最低すぎるだろ俺」
「本気で言ってても最低だけど」
「…………そうですね」
いや本当に、今にして思えば。
――この事実を、さなかだけは最初から知っていたのだと思うと頭が上がらない。
よく捨てられなかったものだと本気で思う。殴られたほうがいい。マジで。
無言になる俺の目の前で、叶は小さく息を零して、それから。
「はあ……まあ、最低なのはわたしもいっしょか」
「叶?」
首を傾げる俺の前で叶は言う。
「……未那も、わたしのこと……そう思ってくれてたと思うと。……どうしよう」
困ったように。恥じらうように。
耳を赤くしながら、へにゃっとした気の抜けた表情で、彼女は言う。
「嬉しくなっちゃうの、止められないや」
俺のほうこそ。
そんなことを言われてしまっては、どうすればいいのかわからなくなる。
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