6-13『祭りの後の祭り』4
そうして――後夜祭が始まった。
校舎は薄暗い。けれど校庭の真ん中には大きな炎が焚かれていて温かみがあった。
その雰囲気は、通い慣れた学校でさえどこか日常から剥離した印象で、少しだけ心が騒ぐ。
同じ学校に通う生徒たちが、各々に光へ集っていた。
もちろん中にはあえて暗いところを選ぶ生徒たちもいたし、中にはもう帰った奴もいるだろう。
さて、中学までの俺だったら、いったいどういう風にしていたことか。
なにせ秋良がいたから、まっすぐ帰ったりはしなかった気がする。
もっとも中学時代は後夜祭なんて文化自体なかったから、学校に残りもしなかったか。
じゃあ何をしたのか? たった一年前のことすら、俺はほとんど覚えていない。
主役理論を実行する前の俺にとっては結局、文化祭なんてその程度のイベントだったということだ。
特別、日常から乖離するほどの思い入れがない、過ぎ去るだけの一日。
「いや……それは違うか」
たとえ他愛もない日常だって、高校に入ってからの日々はよく思い出せる。
いろいろと毎日、考えながら行動していたお陰だろう。いいこと悪いこと平等に、印象が強かった。
それも単に、忘れるほど昔ではないというだけなのか。
やがては埋もれて、記憶の彼方に消えていくだけのものなのか。
かもしれない。
でもそうは思わないし、思いたくなかった。
俺は、俺の努力と行動と考え方で日常を変えた。
そうするために主役理論に則った。
それだけは否定できない。
してはならないことだと思う。
冬休みから始まり、初めて《ほのか屋》に行って真矢さんに会った日から。
かんな荘に入居して瑠璃さんと知り合い、入学の朝に教室で叶を初めて目にして、同じ日にさなかや葵、勝司たちと知り合い、叶とは同じバイト先だということまでわかって、その日の終わりにはかんな荘の壁を突き破ってしまうまでやらかし倒した。
だけど、それが特別な日だったというわけじゃない。
それを《特別》で済ませないことこそ、主役理論のあるべき形だ。
以降も俺は、叶と敵対しながら主役理論を実行し続けた。図書室に通って小春と話し、教室で笑って泰孝と過ごした。
なんなら学校外でも、おでん屋台では此香と出会った。
細かいひとつひとつの思い出を、今でも俺は鮮明に思い出すことができる。
嬉しかった。これまで色をつけることをサボっていた日常という名の塗り絵は、自分で彩ることで初めて心に残るのだと思い知った。
その工程が、俺はこの上なく楽しかった。
それだけは嘘じゃない。
俺は何も間違っていなかったはずで、たとえこの数か月をやり直せるとしても、きっとまた同じ過程を踏めるはずだと自信を持って言い切れる。
そうでなければならない。
だって、俺は確かに――欲しかったはずのものを手に入れたのだから。
「何か言った、未那?」
隣に腰を下ろしているさなかが、ふとそう言った。
俺たちはキャンプファイアーから少し離れて、校庭の隅にふたりで座っている。
視線の先では、準備が整ったのか炎を囲んでのダンスが始まっていた。
「いや。リア充極まりないイベントだな、って」
苦笑しながら俺は言う。さなかはきょとんと首を傾げて、
「え、そうかな。割とメジャーなイベントって感じするけど」
「…………」
お互いの認識が異文化すぎて話が噛み合っていない件。
いや、いいんだよ。
文化祭に対して斜に構え散らしていたかつての俺が悪いんだよ。
「何? だったら踊ってくれないの、未那?」
少し意地悪に笑った、さなかに訊かれる。
もちろん、俺の答えは決まっていた。
「まさか。主役理論者がこんなイベントを逃そうはずがない」
「あっはは」
「今この視界に見える全員と一度はペアになるくらいのモチベがあるね」
「想像より乗り気だ!?」
「社交ダンスにしたのが悪いんだ。盆踊りならこうはならなかった」
「……いや、あれを社交ダンスとして認識はしないと思うけど」
「え、嘘……社交するのに?」
「キャンプファイアー周辺を社交の場と認識してるの、たぶん未那だけだよ」
そうなのか……。
ペアで踊ってればだいたい社交ダンスだと聞いた気がするのだが。
これまでのダンス経験が盆踊り程度しかない凡人なんてその程度の認識なんすよ……。
「てかわたし、そういう意味で言ってないんだよなー」
微妙に落ち込む俺を、さなかがジト目で睨んだ。
「え?」
「わ、た、し、と! まずちゃんと踊ってもらうからねって意味だから!」
ぴしりと向けられる右の指先。
知らない間に信用が底辺まで落ち込んでいる俺であった。
「だいじょうぶ。エスコートはちゃんとしてあげるから」
「立場がないなあ……」
「そんなものでしょ。未那にその辺の期待、最初っからしてないよ」
「ひっで!」
「あはははっ! まあまあ、足さえ踏まないでくれれば、それでいいからさ」
「おいおい、あんまり舐めんなよ。これでも運動神経は悪くないんだ」
「それはそうだね。じゃあちょっとだけ、期待してあげよっかな」
「もちろん、任せてほしいね」
顔を見合わせてふたりで笑う。
薄暗い校舎の隅で、けれど遠くの炎の明かりを受けて、湯森さなかが照らされている。
俺は軽く肩手を伸ばし、ちょこんと腰を下ろす彼女に手を差し伸べて。
「それじゃあ。俺といっしょに、踊っていただいても?」
「……、よっと!」
言うなりぴょんっ、と跳ねるように立ち上がり。
さなかは俺を越えて先に進むと、それから振り返ってこちらに手を伸ばした。
「最初に誘ったのはわたしでしょ! そこだけカッコつけても、締まらないんだから」
「……手厳しいなあ」
「行こ? いっしょに。仕方ないから、連れてってあげる」
差し伸べられた手を取った。
柔らかく暖かい、触れるだけでドキドキするような女の子の手が、今は頼もしい。
ふたりで手を繋いで、温かいほうへと足を進めた。
炎を囲む人の輪に飛び込んでいく。
見える人数は多いのに、あまりそんな気はしない。
どころかなんだか、ふたりきりのような感覚があった。
「で、えーと……どうするの?」
「簡単だよ。一定のリズムで足を動かすだけ。隣とか見てれば大丈夫」
「お……おう。なんか緊張するな……」
とは言ったものの、確かに周りを見てみれば動き自体は簡単だ。
そもそも考えてみれば、そんなに難易度の高い動きを要求されるはずもない。
ちょっと想像の中だけでハードルを上げすぎていたようだ。
「――こうか」
「わ、さすが上手いね」
「慣れればね。こっからはエスコートもしよう、と言いたいけど、……やることないか」
「あはは。これを機にダンス覚えてみる?」
「おお、いいかもね。俺がブレイクしてさなかをエスコートしてみるのも」
「そこまで行ったらついてけないよ!?」
「じゃあ、あとなんだろ……あとわかるのタップダンスとコサックダンスくらいかも」
「未那の《ダンス》に対する解像度、なんか面白……」
「……、そういうこと言ってるとコサックするよ?」
「予想だにしない角度の脅しがきた!」
「あっ……膝が、曲がって……」
「ストップ! コサックストップ!!」
「――ウィ――ン――、ガシャ」
「ロボットダンスだ――! それ途中で『もうひとつ知ってるダンスあったな』って思い出しただけでしょ!? ていうか口で言ってるだけだし! 本当はよくわかってないな!?」
「……最近、さなかの俺に対する解像度が上がりすぎてて怖い」
「未那は意外とわかりやすいんだよ!」
益体もない雑談。どうでもいい話でも、身内で盛り上がる分にはいい肴だ。
踊りそのものよりも、そうやって話ができることが楽しかった。
「この音楽、放送委員管轄だよな。後で乗っ取ってこよう」
「なんか急に不穏なこと言い出したね……」
「いや、知り合いいるから。ちょっとリクエストでもしようかなって」
「相変わらず顔広いなあ……でもいいね、それ」
なんでもない時間が、きっと日常として過ぎていく。
全てが特別で、けれどそれを特別にしない在り方を目指してここまできたから。
そして――それを叶えてきたから。
だからこそ、この時間が特別であることを、強く記憶に刻み込める。いつでも何度でも当たり前のようにある特別の、ひとつひとつを忘れないように。
ふたり、日常の最中を、手を取って踊る。
時間はゆったりと、けれど気づかぬほどの速さで流れた。
楽しい時が過ぎるのは一瞬だ。人間の時間感覚はそういう風にできている。
後夜祭は、あっという間に過ぎようとしていた。
――その先に、まだ続く夜を秘めて。
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