6-12『祭りの後の祭り』3

 屋上を去ったあとは、サボっていたのを連れ出したという名目で勝司とふたり、屋台の場所まで戻って後片づけに従事する。ただその中に、さなかと葵の姿は見つからない。

 スマホにさなかから連絡が来ていたから、そっち関係で何かしているのだと思う。


 特に、誰も何も言わなかった。

 完全に外側にいる此香はともかく、小春と泰孝はもしかしたらある程度、事情を察しているのかもしれない。

 いや、その此香だって、俺たちが触れないことで何かは気づくか。


 どっちかって言うと、俺の様子がいちばん変なのかもしれない。

 黙って作業していると、どうしても余計なことを考えてしまう。そのせいで妙に意識が散漫になって、一度は屋台の車輪で自分の足を踏んでしまった。

 幸い怪我はしなかったが、どうかしたのかという視線を周りから突き刺された。


 一方、勝司はさすがというかなんというか、様子が普段と何も変わらない。

 さなかたちがいないことはむしろ勝司側の事情であって、俺はかなり関係ないところで調子を崩しているのだが、たぶん変なのは圧倒的に俺のほうだろう。


 ――ふたりの女の子を同時に好きになった。


 なんて、そんなふざけたことが自分の人生に起きるなんて想像していなかったのだ。

 ぶっちゃけ、さなかがいなくてちょっと安心してしまったくらいである。

 いずれ戻ってくるとは思うが、せめてさなかには俺の内心を気取られないようにしたいところだ。

 手伝ってくれているみんなには、ちょっと申しわけない気もしてくるけれど。


 まあ、形の上では発案者である俺が纏めておけば、最低限の格好はつく。

 やれるだけの片づけを済ませたあとは、打ち上げ代わりに此香とちょっとだけ遊んだ。

 店仕舞いをする別クラスの出店から、売れ残り品を安く買って振る舞っただけだが。


「未那って、意外と思い切った交渉すんのな……」


 売れ残りの焼きそばやドーナツを値切り倒す俺に、此香はちょっと引いていた。

 いや引くなや。いいだろ、どっちにとってもいいこと尽くめだし。


「言うほど意外だったか?」

「あー……そう言われるとわかんなくなるけど。でも、未那って割と陰タイプだろ」

「そんなソシャゲの属性みたいに言われてもな……何、さなかから聞いた?」

「それもなくはないけど、まあ、見ててなんとなくだな。中学んとき教室の隅で本ばっか読んでた男子と同じ感じのオーラしてる」

「おいおい、バカ言うなよ。陰はオーラを消す技術なんだぜ、此香」

「何言ってっかわかんねえけど、たぶんそういうとこだ」


 オーバーキルやめて。

 世の中には言っていいことと悪いことがある。


「はは。まあ確かに、行くときはグイグイ行けるタイプだもんな、未那。そういうのって簡単じゃないと思うんだけど。あたしは、これで意外とそういうの苦手だったりするし」

「意外ではないよ」

「あァ?」

「凄むなよ、怖えよ……。此香だって料理人志望とはいえ、客対応もあるだろ?」

「ん? あー、それはほら、客と店員って立場があるからどうにかなるんだ。ていうか、そっか。未那も確か喫茶店でバイトしてんだよな。じゃあ度胸つけたのはそこでか?」

「んー……昔から、別に誰かと話すこと自体は苦手ではなかったかな。俺ほら、目つきが原因で避けられてたから。最初はそれ流してたせいで浮いたのもあって、なるべく自然に表情を柔らかくできるようにちょっと訓練したことはあった」

「笑顔の練習、ってヤツか?」

「いや、明確に笑ってるとかじゃなくて、普通にしてる顔が怖くならないようにっていう訓練だな。真顔でもない自然体っていうか。なるべく眼を鋭くしないようにとか」

「ふぅん……」

「その甲斐もあって、中学の途中からは怖がられることも減り、ごく普通に嫌われている状況だけが見事に残ったよ。……だからね、ぼくは訓練をすぐにやめたのです……」

「予想外の角度から急に悲しい話になったなあ!?」

「冗談だよ。いやまあ実話だけど、別にそう大した話じゃない」


 少なくとも今の俺には、この手の自虐ネタで引かないでくれる友達がいるのだし。

 そう思うと、割と此香とも仲よくなったものだ。また屋台やらんかなー。


「…………」


 一瞬、会話がわずかに途切れる。

 誰かと話をしている間は問題ないのだが、それが少しでも止まると、頭の内側が途端に熱暴走する。

 それで何かを解決することなどできないのに、やめることができなかった。


「何を考え込んでんだ?」


 と、その一瞬を見た此香がそんな風に訊いてくる。


「……なんだ。気づいてても無視してくれてんのかと思ってたのに」


 冗談めかしてそう答えた俺に、此香はなんだか妙な顔をして。


「なんだ。話を聞いてくれってアピールかと思ったのに」

「俺、そんなにおかしかったか……?」

「片づけの間中ずっと変だったぞ、未那。まさか隠せないだけだったとはな」

「そうは言ってないだろ」

「そう言ったようなもんだろ」

「…………」


 どうにも上手くない。

 思わず押し黙る俺を此香は奇妙なものを見るように。


「な、なんだ、どうしたんだいったい。昼間は元気だったろ。何があったんだ?」

「や……別に何があったってわけじゃないんだけどさあ」


 説明しづらい。ていうか、あんなこと口が裂けても言えるわけなかった。

 いったい俺は何をやっているのだろう。

 どうせ説明できないのだから、せめて気合いを入れて隠していろという話だ。

 それすらできず、こうして此香に心配をかけている時点で、勝司の指摘はまったく正解だった。


 ――昨日から、叶の姿を見ていない。

 今、彼女はどこで、何をしているのだろう。

 どっちにしろ俺から会いに行くことなんてできないのだから、考えたところで意味などないが、気づけばそれを考えている。

 自分の感情を認識した時点でむしろ詰んだような気分だ。


 俺はさなかと付き合っているのだ。

 いったいどの口で「叶のことも好きになった」だなどと吐けるだろう。

 さなかに言えないという以前に、叶にだってそんなこと言えるわけがなかった。


 だいたい自覚していなかったことがそもそもの失態だ。

 叶が俺のことを好きになる、なんて一度だって想像したことはなかったし、だからこそその逆も俺はまったく考慮していなかった。

 そういう対象ではないと決めつけていた。


 ――叶がひとりで、ずっとそのことに苦悩していたなんて気がつきもしないで。


「づあぁあ……」


 叶といっしょに文化祭を回ったことを思い出す。

 俺が馬鹿みたいに楽しんでいる間、いったい叶はどんな気持ちで俺といたんだろう。


 彼女は選んだのだ。

 何もなかったことにすると――その想いを自分の中に閉じ込めておくのだと。

 なのにほかでもない俺が、それを無遠慮に引きずり出した。

 気づかないでと泣く少女の心を土足で踏み躙って、秘めた想いを暴き出した。

 しかも、自覚さえしないままで。

 こんなに最悪なことはないだろう。

 俺は、誰に、どうやって詫びればいいのか。

 何ひとつわからないままでいる。


 ――叶のことが好きだ。


 俺はあいつのことが好きだった。

 どうしようもないくらい友利叶のことが好きだ。


 ひとたび自覚してしまったその想いは、そうなると、なぜこれまで気づかなかったのか不思議なくらいに強く胸の中で根づいている。

 どうしてこの気持ちに蓋をしていられた?

 決まっている。

 そんなことよりもっと、この上なく、どうしようもないくらい大事な約束がそこにあると――そんな奇跡みたいな夢物語を心の底から信じていたからだ。


 だって、そういう意味では最初から、あいつのことはずっと好きだった。

 口が悪くて意地っ張りで、本当は優しくて寂しがりのくせに、いつもひとりでいようとする。だけど気を許した相手には甘いから、意外と押しには弱くって、あれこれと文句を言いながら、仕方ないなと微笑んで懐に入るのを許してくれる。それがなんだか、人間になびかない猫を手懐けたみたいな気分になれて、そんな時間が――好きだった。

 そういう全部が好きだった。


 ただそれを恋愛感情とは結びつけなかっただけだ。

 そんな名前をつけたくなかったから。

 きっと俺と叶なら、もっとずっと尊くて夢のような光に手が届くんだと信じたから。

 こんなお終いは、一度だって想像したことがないほどに。


 なんて間の抜けた破綻だ。どういう神経してればこんな羽目に陥るんだ。

 ――あいつは、今の俺なんかより、よほど苦しい思いを強いられていたのか。


「こりゃ重症だな……」


 小さく、此香がそう呟くのが聞こえた。

 俺のことなんてどうでもいい。ただ正解を知りたかった。

 しでかしたことを、償うことさえ自己満足なら、それ以外にどうすればいいんだろう。


 なんで好きになんてなったんだ。

 それだけは、俺だけはそれじゃいけなかったんじゃないのか。


「……」


 ――さなかはまだ、葵といっしょにいるんだろうか。

 そんなことをふと考えた。叶にもそうだが、さなかにも何を言えばいい?

 これで、実は俺が好きなのは叶で、さなかのことは好きじゃなかったんだとしたなら、まあ俺がどうしようもないクズなのは揺らがないが、それでもある意味マシだったのかもしれない。いや、何ひとつ擁護の余地はないが、それでもやることは明白だった。

 だが叶を好きだと自覚したところで、さなかへの想いが揺らいだわけではないのだ。


 俺は、間違いなくさなかのことだって好きだった。

 ちょっと抜けていて不器用で、だけどいつだって楽しそうに笑っていて。その柔らかな笑みをいつも揺るぎなく浮かべられることこそ、さなかの持つ強さの証明なのだ。それを俺に教えてくれた。本当はちょっと強欲で、望んだものを諦めないと、言葉に変えて実行し続けられる少女――その在り方は、いつだって俺の背中を支えてくれていたと思う。

 彼女に、好きだと伝えられたことが嬉しかった。

 彼女が、好きだと言ってくれたことが誇らしい。

 ならどうして、そんな彼女を傷つけるような想いを抱けてしまうというのだろう。


 ていうか俺は何を言っているんだ。


 本気で、別々の人間を同時に好きになったとか言ってるのか?

 なんだそれは。そんなもん通じるわけがないだろう。いったい何を考えてんだ。

 どうなってんだこのカス野郎。

 刺されたほうがいいんじゃないのか。

 昨日までの俺だったらそう思っていただろう。

 今日も正直、まだちょっと思っている。


「あ、さなか帰ってきた」


 そんなことを考えているときに此香が言ったもんだから、俺は思わず硬直した。

 息が止まったかと思った。

 どうしよう。

 どのツラ下げて彼女と話せばいいんだろう。


「ただいまー、此香、それと未那。ごめんね、片づけ任せちゃって」


 ――せめて気取られることだけはするな。

 それだけはやり抜け。

 そう自分に言い聞かせて、普段通りの我喜屋未那を再構築する。


「っと、お帰り、さなか。そっちはもう平気そう?」


 こうか。まあこんなもんだろう。

 我喜屋未那はこういう人間だったはずだ。もはやあまり自信はないが。


「うん、だいじょぶ。てか連絡した件はもう片づいてて、ちょっと別件だったんだ」

「そうなのか。売れ残り品いろいろ貰ってきたけど、さなか、なんか食べる?」

「んー……今は大丈夫かな。昼間、結構たくさん買い食いしちゃったしね。ありがとー」


 隣に立つ此香が、コイツ彼女が来た途端に現金だな、みたいな目を向けてきた。

 ……まあ気取られていないならそれでいい。むしろ好都合だろう。

 何か悩みがあったらしいが彼女と会った途端に忘れた浮かれ野郎。それでいこう。


「もうすぐ後夜祭だね、未那」


 近くまでやって来たさなかがそんなことを言った。

 そういえばそういうプログラムか。正直もう頭から飛んでしまっていた。

 たぶん、さなかには俺の内心を気取られていないと思う。

 彼女はいつも通りの様子で、自分の従姉妹に向かって声をかける。


「此香は後夜祭、見てかないんだっけ?」

「んにゃ、最初ちょっとだけ見る予定。まあ店の仕事とかあるからすぐ帰るけどな」

「大変だね修行もねー。三日間お疲れ様でしたー」

「はは、まあいい経験になったよ。親父もノリノリだったしな割と」

「そうなんだ? 今度また顔出しに行かないとだねー」

「ウチの家族、さなかにゃ甘いからなあ。きっと喜ぶだろ」


 ――罪悪感なんて幻覚だ。

 そんなちっぽけで安いものを解消することに、意味なんてどこを探してもない。


 もちろん、何もこのままで済むと思っているわけじゃなかった。

 俺がしでかしたことはいつか、何かの形で清算を迎えることになるだろう。

 それでも、今はまだ答えを出せていないのだから。

 今日という日のさなかの思い出を、俺の勝手で濁らせることだけはできないのだ。


「そろそろだっけ」


 と、俺はさなかに問う。

 彼女はこくりと、小さく頷き。


「うん。生徒会の解散挨拶があってから、流れでそのまま後夜祭。さっき見てきたけど、校庭にはもうキャンプファイアーの準備してあったよ」

「後夜祭なんて、身内向けのどんちゃん騒ぎだしな。そんなもんか」

「あはは! まあいいじゃん。青春、青春! 知ってる? キャンプファイアーの周りで生徒会主導のダンスやるんだよ、ダンス」

「まさに、って感じのイベントだな……中学のときなら近づきもしなかったと思う」

「いいじゃん。そういうの、未那は好きでしょ?」

「……、そうだったね」

「ふっふっふー。今日は付き合ってもらうって言ったから、逃がさないんだー。未那にもちゃんと、わたしと踊ってもらうんだから。エスコートしてくれるんだもんねー?」


 そんな予定を楽しそうに、さなかは笑顔で口にした。

 俺の答えは、もちろん初めから決まっている。だから俺も笑う。


「ダンスか……自信ないっていうか、普通にやり方わからないんだよな……」

「そこはわたしが教えてあげる」

「……それだと俺側がエスコートされてない?」

「ま、未那だからねー。未那にはそこまで期待してないよー」

「酷くね?」

「あははっ! 冗談冗談。それでいいの。――だって、言ったでしょ?」


 太陽は、徐々に沈み始めている。

 やがて薄暗さを増していく学校の敷地の中を、淡い炎が照らし出すのだろう。

 そんな光景を、俺は、こちらを見つめるさなかの瞳に幻視していた。




「今日は、わがままと、いじわるを、未那に言う日だから。遠慮なんて、しないんだ」

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