6-11『祭りの後の祭り』2

「わからねえ」


 そう、短く、あまりにも情けない言葉を伝えた。

 自分で言ってて笑えてきてしまう。

 というか自分で言って、正直な話ちょっと驚いた。


「わからねえ……と来たか。情けねえこと言うもんだ。オレの憧れた未那らしくねえ」

「……え、お前って俺に憧れてたの?」

「そんなわけねえだろ」

「お前なんなん……」

「悪いな、語彙のチョイスミスだ。お前に対する感情は言葉にしづらい」


 遠くを眺めたままそんなことを言う勝司に、俺としても言葉がない。

 というか俺、もしかして実は勝司とそんなに仲がいいわけじゃなかったんだろうか。

 若干、不安になりかける俺に、勝司は言った。


「ただの友達なら言葉にしなくてもよかったんだがな。お前が聞き出すのが悪い。いくら未那でも、友達ならなんでも話せとまでは思わないだろ?」

「言い方が気にかかるが……そりゃそんな風には俺だって思わねえよ」

「どうかね……」


 勝司は小さく鼻を鳴らす。それから、


「これは旅行のとき秋良ちゃんとも話したんだけどな。いや、教えてくれたのか」

「秋良と……?」

「顔もいいが、何より頭のいい人間だよな、秋良ちゃんは。他人と話してるときに、何もされてないのに怖いという理由で会話をやめたくなったのは、初めての経験だったぜ」

「…………」


 いったい何を話してたんだ。

 そういえば旅行中、秋良と勝司が話しているシーンは確かに見たが。


「――お前の言う友達という言葉は、重い」


 唐突に勝司は言った。

 いや、違うか。別に唐突だったわけではない。


「オレとは使い方が根本的に違ってる」

「……お前はどうなんだ?」

「ま、あえて露悪的に言うなら、明日から急に会わなくなっても別に困らない相手のことだろうな。別に、普段からそこまでドライに考えちゃないが。理屈の話だ」


 あくまでも理屈だけで考えるのなら。

 なるほど、それは別に間違ってはいない話なのだろう。


「ちょっと近しい他人に肩書きを貼るだけ。そんなもんいつだって剥がせる。ただの表示でしかないって話で、オレはそこに特別な意味を感じたことはないし、それが普通だとも思ってる。ただのシールだ。貼ろうが剥ごうが、それで当人が変わるわけじゃない」

「……ずいぶん冷たいこと言うんだな」

「そんなことはない。言ったろ、あえて露悪的に言えばの話だ。実際はそこまで考えちゃいねえんだよ。友達に定義なんてない。それは、ただそこにいる奴のことだ」

「…………」

「気が合えばつるむし、困ってりゃ話くらい聞く。意見が割れりゃ喧嘩にもなる。普通の話だ。お前と話さなきゃ考えもしなかったことを、無理に言葉にしてるだけ。そんなもんだろ? 貴方にとって友達とはなんですか、とか訊かれりゃ誰だってその場でそれなりの理屈は用意するさ。だけど、普段からそんなこと考えてねえだろ。これはそういう話だ」

「……そうなのかもしれないな」

「そうなんだよ。わざわざお前の青春喋り場に付き合ってやってんだぜ、自覚しろ」

「そら悪かったな……」


 結局、定義論なんて暇人の道楽でしかない、ということだろう。

 しない人間は、きっとあえてカテゴライズすることさえ本当はないのだ。

 話題になったときだけの評価でしかないのなら、確かにそれは、存在しないも同義かもしれない。


「でもお前は違うんだろ」


 勝司は言った。

 俺は何も答えなかった。


「お前は自分の中で明確にカテゴリーを作っている。そこが俺とは違う」

「……そう、秋良がお前に言ったのか」

「どうかね? そう言ったというよりは、そう気づくよう仕向けられたってほうが正しい気はするが……まあなんでもいい。重要なのは、お前が逆を求めないってことだよ」


 何を言い出すかと思えば、そんなのは当然の話でしかない。

 俺は目を細める。だが勝司は、だからわかっていないんだという表情で。


「ま、確かにそれが普通だ。お前が自分の基準を俺にまで押しつけてくる奴なら、たぶん俺はお前と親しくなることすらなかった。面倒だからな」

「……なら」

「要はスタンスの違いだ。ないとわかっているものを求めるか諦めるか。未那は他人には求めないくせに、本心ではそれを欲し続けている。まあそれ自体はお前の問題だよ。口に出しさえしなければ表面化しない。しないはずだったんだ。――わかるだろ?」

「…………」


 その相手は言うまでもない。

 叶だ。

 俺はこの世でただひとり、叶に対してだけ、自分と同じものを、求めた。


 ――だけど。


「ま、それがお互いの間だけで完結するなら、初めからオレが口挟むことじゃねえんだがな。お前の場合は、なまじ影響力だけありやがるから始末に負えねえよ」

「影響って……」

「その通りだろうが。叶ちゃん除いたって、さなかも葵も影響受けまくりだ。ほかの連中まで含めたって別にいい。ギスるならバレないところでやれ」

「……お前だって、葵とのことはあっただろ……」

「オレとは場合が違うね。オレは極力、影響を抑えたつもりだ。これ以下はない。未那の場合は起爆まで行っただろうが。オレが言わないで誰が言うんだよ。誰か言ったか?」


 ぐうの音も出ない。

 言い負けるとわかっていて反論してしまった。

 実際、じかに見ていたわけでもない勝司が全てを悟っているのだから。なら俺は盛大に失敗した挙句、その影響を周囲に振り撒きまくっているテロリストということになる。


「……俺と叶との話、勝司にしたことはなかったと思うんだがな……」

「まあ、見てればわかる、とはオレも言わねえよ。むしろ見ててもわからねえ。お前らのことはオレには何もわからねえよ。旅行で話さなきゃ、今もわかってなかったかもしれんが……いや、さなかがだいぶ変わったからな。結局は同じことだったか」


 秋良の存在もあったとはいえ、充分によく見ていると思う。

 あの公園でのことなど知るはずもないのに、ここまで事態を見抜いているのだから。


「全部が最悪の方向に噛み合ってんだよ、お前らは。どうなってんだ」

「……俺が知るか」

「開き直んじゃねえよ。だから訊いたのに、お前ときたら『わからねえ』だもんな」

「仕方ないだろ。だって、それが答えなんだから」

「…………」

「わからねえんだよ。今の俺にはもう、俺が欲しかったものがなんだったのかさえ――」


 それは、少なくともこんなものではなかったはずなのに。

 俺にはもうわからない。わからなくなったのか、初めからわかっていなかったのか。

 それさえわからないのだから、もはや末期症状かもしれない。


 主役理論も、こうなっては形なしだ。

 オールがあっても船がない。


「……わからねえのが、おかしいんだけどな……」


 小さく、零すように勝司はそう言った。

 横目に顔を見る俺に、こちらを見もせずにただ続ける。


「元に戻すだけなら単純だ。さっさと叶ちゃんを切ってやればいい」

「切るって……」

「なんだ、告られたんだと思ってたんだが違うのか。いや、違わねえよな。でもお前にはもうさなかがいるんだ。振ってやればいいだろ。それ以外のことはそのあとだろうが」

「そ、れは――」

「――オレが何か間違ったこと言ってるか? 言っちゃいないと思うんだがな」


 言われて、反論しようとして――そこで気づく。

 だってその通りだ。それ以外の方法を選ぶことのほうがおかしい。

 初めから迷う理由など、俺にはどこにもないはずだった。


「だ、だけど……さすがに、だって、それだけじゃ」


 それでも、なぜか反論を探す俺がいた。

 だけど何も言葉がなくて、言っている間に自分で止まる。


「ま、貰っていいか訊いた時点の顔でなんとなくわかってたけどな」


 溜息を零すかのように勝司は言った。


「な……なんだよ」

「お前は冷静に返したつもりかもしれんがな。顔、明らかにキレてたぜ未那。ま、反応が見たくてやったんだから、俺のほうが人でなしなんだろうが」

「……、お前」


 もしかして、勝司が言ったあの言葉は。

 お前が覚悟を決めるなら、フォローくらいはしてやるという意味だったのだろうか。


「なんで、そこまでするんだ?」


 俺はそう訊ねてみる。

 勝司の真意は、結局のところ俺にはわからない。

 ただ少なくとも言葉を聞く限り、勝司にはここで俺の、興味もない青春喋り場になんて付き合う義理はないはずだ。いつもの勝司なら適当に流して話を終えていた。

 勝司は言う。


「なんもしてねえだろ」

「話には、少なくとも付き合ってくれてるだろ」

「……別に大した理由はねえよ。オレは友達には優しいんだ」


 嘘ではないのだろう。友達になら多少の融通は利かせると本人が言っていた。

 でも、それが全てではないはずだ。目を見据える俺に、勝司は小さく吐息を零して。


「オレはモテるのさ」

「なんなんだよ急にお前……」

「最初は小学校の高学年で、相手はそのときもう高校生だった。ま、歳の差4つなら世間的には……どうなんだろうな? もともとの年齢が問題か?」

「――――」

「次はなんだったかな。中学上がった辺りから頻度が増えて、覚えてねえ。結局そういう付き合いはやめちまったが、まあ、オレにとっちゃその程度の価値だ。だから言ったろ? オレはそこまで欲しいもんがない。そんな熱くなれねえの。オレにとっちゃなんの意味もないもんに、でもお前らはいつも必死だからな。眩しく見えるときもあるさ」


 その、抽象的に語られる言葉が彼の全てだとは、俺も思わない。

 勝司に話す気はないのだろう。ここまで教えてくれた時点で譲歩されている。


 ――好きな相手がいる、と勝司は認めていた。

 本気になったことがないわけじゃない。聞くことは、たぶんそれで充分だ。


 きっと俺には、勝司の価値観を本当の意味で理解することはできない。

 勝司が、俺や叶を本当は理解できていなかったのと同じように。

 悪いことじゃない。


 それでも、俺たちは友達だった。


「で、どうする気だ?」


 勝司はそう言った。俺は笑って、


「だから、んなことわかんねえっての。でも、どうにかするさ。俺の責任だ」

「……そうかい。そりゃよかった」

「でも、お前には感謝しとく。お陰で……どうも認めるしかなくなったみたいだからな」

「なんか責められてるように聞こえるがな。まあ訊いてやろうか。何をだ?」


 静かに、俺は瞼を閉じた。

 それでも浮かび上がってくるものが確かにあった。

 その存在から目を背けることは、きっと俺にはできない。

 たとえ間違っていても、それが最低な発言であるのだとしても――あるいは何もかもを失ってしまう、その可能性があるのだとしても。


「俺は、さなかが好きだ」


 彼女の笑顔にいつも救われてきた。その強さがいつも支えてくれた。

 明るくて、優しくて、ちょっと抜けたところまで含めて心から愛おしいと思う。

 そんな少女に、好きだと伝えてもらえることが、いったいどれほど幸運か。

 さなかには笑っていてほしい。

 さなかを、笑わせてあげられる俺でいたい。


「――だけど」


 もう認めるしかなかった。

 そんな感情は存在しないと自分の心を踏み躙るのは、俺以外の心さえ無視している。


 なにせ、初めて顔を合わせたときからインパクトの強い奴だった。

 あの日――あの教室で窓枠に腰を下ろす少女に、俺は確かに見惚れてしまった。

 趣味は合うのに意見は合わない。

 馬は合うのに話は合わない。

 だけど、そんなズレたやり取りさえ、いつも楽しくて仕方がなかった。


 だから目指したのだ。

 本当は、心の底から欲しくて欲しくて仕方がないのに、そんなものはどこにもないと、諦めてしまっていた天の輝き。

 あの公園で見つけた、温かくて眩しい光に、彼女とならば手を伸ばせると、――そんなどうしようもない間違いを、ふたりで笑って犯したのだ。


 事実、俺たちはこうして見事に失敗した。

 欲しかったものに目が眩み、その強欲が――すでに手の中にあった、本当は大切だったはずのものを、知らず知らずのうちに見失わせていた。

 間の抜けた話だ。こんな言葉は、だってあまりにも今さらすぎる。

 俺は気づいていなかった。

 いつからか鏡の向こうを見ているのだと錯覚して、そこにいる少女から目を逸らした。

 それはきっと、お互い様の行為でしかなかったのだとは思うけれども。

 それでも、彼女は俺より早く気づき、俺より先に――ずっと苦悩し続けていた。


 ――そんなのは公平じゃない。

 彼女がそれを選んだなら、その次は俺のターンになる。

 俺たちは、いつだってそうしてきたのだから。今さら都合は変えられない。

 まずは認めろ。

 だって、心は変えられない。その先のことは態度で示せ。


 ――そうだ。

 あるいはきっと、あの公園で誓いを交わしたそのときからずっと――。




「――俺は、叶のことも、好きなんだ」




 零れるように吐き出された、そんな酷いクソ野郎の発言を。

 隣に立つ男は、心底から呆れたという表情で。


「やっぱそうなるのかー……本当、茨の道ばっか進みたがるアホだな、お前は」

「……最低かな俺」

「知るか。心の在り方を他人に責めさせようとするな。お前が最低かそうじゃないのか、決めるのはこの先どうするかで、判断は――それこそそのふたりに訊けよ」

「……そうだな。そうする」


 言って、俺は屋上から空を見上げて。

 それから頭を抱えてその場に座り込んで腹の痛みに蹲りながら、




「どうしよう何言ってんだ俺どうかしてるおかしいマジかなんでだろうなんだこれ……」

「締まらなすぎるだろ、未那」

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