6-10『祭りの後の祭り』1
「――
などと宣った男の隣で、俺は何を答えるでもなく漫然と、屋上からの景色を眺めた。
ただ秋の風が音もなく踊る静かな場所で、男ふたり無言で並んでいた。
気まずさはない。あまりにもいろいろなことがありすぎて、単に頭が回っていないだけかもしれなかったが、だとすればこれは、そういうタイミングだったということだ。
それならば、少なくとも何かを言わなければならないという義務感はない。
「あんま、ヒトをモノみたいに言うのはよくないんじゃないか」
なんて――そんなことを言ったのも、だから別に意味があったわけではなく。
横目に見る勝司は呆れたとばかりに肩を竦め、片目だけ見開くような表情で俺を見て。
「お前、……さんざ溜めた挙句に言うこと、それかよ」
「そりゃお互い様だろ。なんだよ、さっきのらしくもない挑発は」
「…………」
「……だって、ないだろ、理由。勝司がわざわざ俺に喧嘩を売ってくるような。それでも言うなら、俺だって裏を勘繰るっての。そこまで感情だけで生きてねえよ」
「そりゃ意外だ」
「今のは普通にムカつくな……」
「――は」
勝司は乾いた笑いを零した。それから続ける。
「考えなかったのか? 実は俺が、前からずっと叶ちゃんのこと好きだったとかは」
「そうなのか?」
「さて。質問に質問で返されて答えてやると思われるほど、オレの評価は高かったかよ」
「今、盛大に下がってんぞ、たぶん」
「そりゃ残念。やっぱサボりはよくねえな」
煙に巻くような言葉。
答えがあると期待して訊いたのか、訊く前から答えがないとわかっていて訊いたのか、もはや自分でもわからなかった。
この会話には、たぶん今のところ意味がない。
「……
それでも、気づけば俺はそんな風に訊ねてしまっていた。
言った瞬間に訊いたことを後悔するような問いだ。今も辛うじて残っていた主役理論者としての矜持が、悪いほうに発露されたという気がしてならない。
そして、そんな問いに限って勝司は答える。
「オレは葵を高く買うぜ。少なくともお前が思ってるよりは遥かに評価してる」
「なんだよ、それ」
「言葉通りだよ。別に他意はねえ。あいつはいい奴だからな。嫌う理由ねえだろ」
「だったら――」
「――だからこそ半端できねえだろ。相手がそれをよしとしない以上、下手に期待させたままにするほうが不義理だとオレは思うね。少なくとも、……お前にゃ言われたくねえ」
確かに、と思わず納得してしまいそうになる。
耳が痛すぎて、感覚が麻痺し始めてきたということだろうか。俺は首を振った。
「だから振ったってことか」
「別に振ってねえよ。そもそも告白されてねえんだから」
「そうなのか……? いや、どっちにしろ同じだろ、わかってんだから」
「違うね。言葉にするとしないじゃ大きく違う」
知らず俺は目を細めていた。
「……わかんないな。そこまで考えてんなら、ちゃんと振ってやればいいだろ」
「なんで」
「なんでって――」
「なぜオレがそんなことを求められなくちゃならない?」
咄嗟に、返答に詰まった。実際そもそも、俺に言えた義理はない。
喉の奥で空気を転がす俺を横目に、勝司は平坦に、報道原稿を読むような淡白さで。
「そこまで俺が斟酌してやる理由がない。それともお前は、自分に好意を向ける人間には全員残らず忖度するってか? いやはや済まない、君がオレに好意を抱いていることなら知っているが、君からそれを伝える前にこちらからお断りさせていただくよ、って?」
「おい、何も俺はそんなこと言ってるわけじゃ、」
「オレは葵が好きだ。向こうが気楽に、試しに付き合ってみたいってくらいだったら別に断らなかったさ。でもそういうんじゃねえだろ。だからだ。何か問題があるか?」
「……それは……、」
「言葉にされていないことを、こっちから掘り起こすほうがどうかしてる」
「…………」
きっと本心を言えば、俺は勝司の言葉に納得していたのだと思う。
勝司の理屈が、少なくとも一概に間違いだと切り捨てられるものではないのだと頭ではわかっていた――わかってしまっていた。
俺の心は、完全に論破されていたのだ。
それでも、そんな冷静な理解なんてどこかに捨て去ったかのように、心が勝手に反駁を形に変えてしまう。
「それ、で……いいのかよ。試しに付き合うとか、そういう考えで――」
「なんだそりゃ? そりゃあれか? 誰かと付き合うなら本気で真剣じゃなきゃダメですみたいなことが言いたいわけか?
「な、にも……そこまでは、言わねえけど」
「そうかよ。そこまで言えんなら一意見として聞いてやってもよかったのにな。違うなら最初から言葉にすんな。普通に不愉快だぜ。自分ですら信じてねえ理屈を押しつけんな」
「っ……」
その通りだった。何ひとつ言い返せる言葉がない。
勝司を責める権利など俺にはないし、そもそも勝司は充分に真摯だ。
少なくとも、俺よりは遥かに。
「……悪い」
「別に怒っちゃねえよ。こんなもんただの八つ当たりだ。隣の芝生は青いからな」
そう言って勝司は静かに首を振った。
そして薄く笑う。
「そう、むしろオレはお前が羨ましいよ。別に皮肉じゃなく、な」
「俺が……?」
「ああ。だってそうだろ? もっと上手い立ち回りならいくらでもあった。お前はもっと上手くやれたし、それに気づかないほど馬鹿でもない。それでも今のやり方を選んだってことは、お前にはそうまでして欲しいものがあったってことだろ?」
どこか力なく紡がれた言葉が、秋風に溶けて流される。
俺には何も言えなかった。勝司は言葉を続けたが、もはやそれが本当に俺に向けられたものなのかもわからない。
ただ吐き出すことで、空気に溶かしていくかのように。
「オレには、それが羨ましい」
「……」
「お前ら見ててそう思ったんだよ。
――だけど、そんなものはどこにもなかった。
勝司は何も言わなかったが、続く言葉は明白だった。
だとすれば今の俺は、ずいぶんと期待外れに映るだろう。
自分がいったい、何を欲していたのかさえわからなくなってしまったのだ。とても羨むべき立場ではなかった。
軽く首を振り、それから俺は言った。
「思いのほかロマンチストだな」
「そういう未那はペシミストに鞍替えか? やめとけ、才能ねえよ」
「んなつもりねえよ……」
「そうか。暗い顔してるから、てっきりそうかと思ったぜ」
「……勝司の癖して、意外と鋭い皮肉ばっか言うのな、今日は」
「ああ、まったくその通りだな。今日のお前には、オレですら口で勝てて驚きだよ」
何を言ってもドツボとはこのことだろう。
軽く首を振る。こうまで叩きのめされたというのに、それでむしろ気が楽になっている辺り、俺もなかなか重症だ。
一周回って、もはや笑えてきてしまう。
「で? どうすんだよ、お前は。オレと葵のこと気にしてる余裕なんかねえだろ」
横目にそんなことを問う友人は、けれどこちらではなく屋上の外に目を向けていた。
答える言葉を探すように、俺はその視線を追って秋の空で視界を埋める。
もちろん、何が見つけられるはずもない。
探すべきものはいつだって、目には映らないどこかにあるものだから。
――欲しいものがあったんだろうと勝司は言った。
それは間違っていない。
手にするべきものは確かにあって、だから彼方に手を伸ばそうと俺は誓った。
主役理論とはそのためのもので、今日までそれに殉じてきたのだ。
俺は、何も間違えたりはしなかった。
そのはずだったのだ。
「――わからねえよ」
気づけば、腹に溜め込んだものを絞り出すみたいにそんな言葉を吐いていた。
けれどそれが本心だ。もう認めざるを得ない率直な本音。
「そんなこと俺にわかるわけねえだろ。わかってたらこんな風になってるかよ」
「違うだろ」
勝司は即座に、切り捨てるように言う。
「わかってないわけじゃない。いや、わかってないのは事実だろうが、それはそういうことじゃない」
「……どういう意味だよ」
「いや、だってそうだろ? 心が決まってれば、本当は迷う必要もないんだ」
「――――…………」
なんだか頭がくらくらする。
何か、聞いてはいけないことを聞いているような、そんな気がして。
「そこが決まってれば迷う余地はない。オレと同じようにすればいいんだからな」
「お前と同じにって、……そんな話じゃないだろ。立場が違う」
それとも勝司がそうしたように、今からでも叶を振りに行けということだろうか。
いや、勝司はそもそも告白すらさせなかったという話だ。もうその時点で俺とは違う。
あんな血を吐かせるような真似を叶にさせてしまった俺とは、何もかも。
あんな言葉を吐かせて、あんな顔をさせて、あんな風に全てを台なしにさせてしまった俺とは――。
「同じだよ。関係ねえ。立場の話なんてオレはしてねえんだ」
だが勝司は断言するように言った。
思えばそれも珍しい姿だ。
普段の勝司が、こうまで断定口調で話すことは実は少ない。
「未那は考えてねえだけだろ。気づかない振りをしてる、ただそれだけだ」
「……だから何が言いたいんだよ」
「はあ? 別に言いたくて言ってるわけじゃねえよ。お前が勝手に来たんだろ。聞きたくないならそれでいい。そこまで首を突っ込む義理は――まあ、なくはないが、言わなきゃいけないってわけでもねえ。お前がいらねえっつーなら、それまでだ」
それはそれで、確かにその通りなのだろう。
そもそもなんでこんな話になっているのかもわからなかった。
友人として勝司の真意を確かめに来た、くらいのつもりで最初はいた気がするが、今の俺は確かにそれどころじゃないし、そんな権利もないし、なんなら今となっては逆に俺が説教されている気分だ。
無論、勝司に言わせれば、そんなつもりもないだろうが。
「ならなんでそんな話しかけたんだよ?」
結局、言おうとした内容ではなく、その理由を俺は訊ねた。
勝司は軽く肩を竦めて、それから小さく息をつくと。
「言ったろ、義理はなくもない、って。さなかは一応ダチだからな。肩入れしてもいいと思っただけだ――とはいえ、義理立てする義務まではないからな」
「……」
「そんだけだ。言ってやろうかと思ったが、面倒になったからやっぱりやめた、ってな」
適当なことを言っているようで、実のところ勝司の言動は一貫している。
少なくとも何かしら、勝司の中での筋は通っている。そう思った。
たぶん、
自分の中に確固とした尺度を持っていて、その独自の基準に従って行動している。
ある意味で俺や叶に似ているが、勝司の場合はおそらく徹底して判断に情を挟まない。
いや、より正確には――情を挟むかどうかさえ勝司は理屈で決めているのだと思う。
捉え方によっては冷酷とさえ映りかねない価値基準への徹底が、宍戸勝司の本質なのだ。
決して残酷なわけではない。
むしろ逆だ。ただその徹底した公平さを、冷たさと見紛ってしまうだけで。
あるいは今の俺に必要な真摯さの、見事な手本とさえ言えるだろう。
そんなことに今さら気がつく辺り、俺もなかなか人を見ていなかったわけだ。
「勝司ってさ、好きな奴とかいないの?」
ふと気になって、俺はいつかもしたような問いを思わず繰り返す。
なんとなく今なら、答えが聞けるような気がしたのだ。
「いねえよ」
だが勝司はこちらを見ないままそう答えた。俺は問いを重ねる。
「誰なんだ?」
「……話聞いてねえのかよ」
「聞いてて訊いてる」
「…………」
「俺の知ってる奴か?」
「……いいや。お前の知らない奴だ。今後知ることもねえよ」
「そう、なのか」
「済んだ話ってヤツだ。とっくに切れてる。単に忘れるのを待ってるだけでな」
――そんなところなのかもしれない、とどこかで想像できていた。
だから驚くことなどない。
俺の知らないところにだって、物語はいくらでもあるというだけの、それは酷く当たり前の現実だったから。
かつて叶が犯したという失敗を、今も聞いていないのと同じように。
さなかが此香との問題に、どう決着したのかを知らないように。
望くんが何を考えて、俺と叶を引き合わせたのかがわからないように。
秋良には今、俺とは違う世界で過ごす日常があるのと変わらないように。
「で」
と、言葉を返すように勝司は切り出す。
勝司もまた同じように、俺の事情を知るはずもないと言わんばかりに。
「お前は今、どうなんだよ」
――その問いに、俺は――。
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