6-09『わたしの舞台』4

 わからないけど涙が出る。出ているらしいと今、気づいた。

 悲しいから……ではないと思う。

 いや、それともわたしは悲しいのか。だとすれば何を悲しんでいるのか。気持ちが一瞬でぐちゃぐちゃになって、頭が回らなくなっていた。

 でも、それでも少なくとも、怒っていることは間違いなくて。


「……なんで嘘つくの」


 何を話したかったのか覚えていない。

 ただ離したくないものがあることだけを覚えている。

 流れるものを、わたしは強引に袖で拭き取って前を向く。

 視界を滲ませたくない。

 目に映るものを見逃したくないから――涙なんて邪魔なのだ。


「この期に及んで、そんな言葉、聞きたくない。まだわたしとは話せないの?」


 ただ感情に任せて零れていく言葉は、自分でもその出どころがわからない。

 驚いた顔をしていた叶ちゃんは、その言葉に目を細めた。鋭い視線がわたしを射抜く。


「……何、それ」


 わたしは笑った。


「へえ、やっとこっち見たんだ? 目が合ったじゃん」

「……っ」


 さすがに叶ちゃんも不愉快になってきたらしい。わたしを睨む目が鋭くなる。

 ……それはそうだろう。そもそもなぜわたしは叶ちゃんを煽っているというのか。意味不明だ。わたしはそんなことをするためにここへ来たのか? 絶対違うのに。

 もう止められない。


「ねえ――ちゃんと言ってよ。目を見て話してよ。なんでそうやって隠そうとするの?」

「……なんで……?」

「そうだよ。だってそうじゃん! そんなことしたってなんの意味も――」

「――!!」


 強く。

 泣きたくなるほどに脆そうな瞳が、心が、わたしに刺さる。


「勝手なことを……勝手なことばかり言うなっ! なんの権利があってわたしに意見するつもりなんだ! あんたには何も関係ない! わたしの心を、勝手に決めるな!!」

「だったら言ってよ! だから言ってって言ってるんじゃん! わたしは聞いてない! 叶ちゃんがどうしたいのか、叶ちゃんの口から聞いてない! なんにも!!」

「だからそれが勝手だって言ってるんだ!」

「っ、わたしは――」

「うるさい、知らない! 意味がないなんて言わせない、言わせるもんか! そんなことない、意味ならある! ――!!」


 綺麗な――透明で濁りのない、尊くさえ感じられるほど澄んだ雫が、叶ちゃんの瞳から零れていた。

 それに、自分で気がついているのだろうか。


「意味がないなんて言わせない……。そんなことは絶対にない、あって堪るか……っ」

「……っ」

「わたしはこれでいい。これがいいってわたしが選んだんだ。文句は言わせない。さなかにも秋良にも、意見なんかさせてやらないっ。これは、わたしの選んだ、哲学だ……!」


 叶ちゃんは――わたしの友達は、強い言葉でそう言い切った。

 それが自分の選んだ道だと。意見される謂れも、それを聞く道理もないのだと。


「このままでいい。わたしの気持ちなんて誰も知らなくていい……! それに意味がないなんて、わたしは絶対に思わない。そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃダメなんだ!」

「……なんで、そんなに……」

「だって――だってっ!」


 それは、あまりにも弱々しく、今にも崩れ去ってしまいそうなほど脆い姿で。

 きっと誰もが、今すぐにでも駆け寄って、手を差し伸べてあげたいと願わずにはいられないほど――そうしなければ、瞬きのあとには彼女が消えているのではと恐れるほどに、小さくて、か弱い、ひとりきりの女の子の姿で。




「――だって、じゃないと、わたしは自分を許せない……っ!」




 それでもなお立とうとする彼女を、どうして弱いだなどと言えるだろう。

 自身の弱さを、知った上で飲み込み足掻けることを、強さと呼ばないはずがない。


 ――誰に否定されようと、わたしは、湯森さなかはそう思う。


「嫌なんだ……もう、もう嫌なんだ、わたしは……っ」

「叶、ちゃん……」

「もう、誰のことも邪魔したくない。だってがんばってた、わたしは見てた! 未那が、みんなが……必死に掴んだものの価値を。わたしのせいで、無駄にできない……っ!」


 だからこれでいいのだと。

 だからこれがいいのだと言う。


「もう二度と、わたしのわがままで……ともだちを、傷つけたく……ないんだよ……っ」


 鼻の奥がツンと痛む。啜り上げる音は、誰からのものだろう。

 それは決して単純な遠慮や配慮ではなかった。

 気を遣っているわけじゃない。

 自己犠牲なんて安易な言葉で、片づけていいもののはずがないのだ。


 だって、彼女は信じている。

 自身の決意を、その価値を――ほかでもないわたしたちが証明するのだと疑いなく。


 ――


 そうだ。その通りだ。彼女が言う通りでなければならない。

 同じだからだ。そんなのわたしだって変わらない。そんなこと誰にも言わせない。

 わたしが与えてもらったたくさんのものを、その価値を――絶対に貶めてなるものか。


 だから。

 だけど。


「……そんなの、嫌だ……!」

「――――っ」


 口をついて出たのは、まるで駄々を捏ねる子どものように頭の悪い言葉。

 そうだ。わたしはとても身勝手だ。叶ちゃんの言ったことは何ひとつ間違っていない。

 だけど――だからこそ、わたしはそれを言葉に変える。


「そんなの嫌だ、許さない。わたしは、最初から、そう言ってる」


 わたしはとっくに涙声で、思っているほど強くはあれない。

 だけどそれでも構わなかった。

 きっとわたしは、そのためにここへ来たはずだから。

 離したくないものが、あるはずだから。


「ねえ、叶ちゃん。わたしは、手を伸ばしたよ……?」

「……っ!」

「ばかで、よわっちくて、ただなんとなくへらへら笑ってるだけだったけど。それでも、わたしは変わったと思ってる。欲しいものを、欲しいって言える、強さを貰った」


 ――あるいはわたしがしていることは、多くに責められるべき悪徳かもしれない。

 同じ男の子を好きになった友達に、付き合っている側が、本当に身勝手なことを言っているのものだと。

 自分でも笑えてきてしまうほど、わたしは滅茶苦茶を言っている。


 でも――そうすると決めた。


 今なら理解できる。

 あの春の頃、本当に一瞬の隙に、あり得ないほど仲よくなっていたふたりを見て、わたしは嫉妬したし、憧れたし――たぶん、わかっていなかった。

 それでいいんだ。

 誰に理解されなくてもいい。

 伝えたいことは、伝えたい相手にさえ伝わればよかった。


 今ここで、ようやくわたしは――あの春の日のふたりに追いついた。


 変わり者なのに親しみやすくて、自分で決めた目標にどこまでもまっすぐで、ときどき暴走するほど趣味人なのに、なんでか不器用に、周りを大事にしてくれる。

 そんな姿に憧れた。

 その隣に立つのに不足のない、誇れる自分になろうと、決めた。


 ――だからわたしは、ふたりが好きだ。

 心の底から、びっくりするほど、このふたりのことが大好きなんだ。


「だから、言葉を返すよ。わたしの価値は、わたしが決める。叶ちゃんに言われる筋合いなんて、ない。そんなことをされなきゃいけないほど、もうわたしは……、弱くない」

「……そう、いう……話、じゃ」

「だから言ったじゃん、宣戦布告だって。向かってきてくれなきゃ張り合いがない。この先ずっと、何があっても――わたしは、叶ちゃんには絶対負けない。負けたくない」


 そうでなければ、わたしだって憧れた甲斐がない。

 大好きな友達だからこそ、いつまでだって、嫌になるくらいの強敵でいてほしい。


「だから、そのためにずっと友達でいてよ。このままじゃ、それはきっと手に入らない」

「さ、なか……」

「なんでもいいよ、なんだって。どっちが美味しいお店を知ってるとか、そんな下らないことでいい。手を伸ばさなき掴めないものを、わたしたちはずっと追っていくんだ」


 そのたび何度も挫折して、勝ったり負けたり、届いたり届かなかったりを繰り返して。

 そうして、できればいつまでも、楽しかったねと笑い合えるような。

 そうだ。

 それがわたしの――湯森さなかからの宣戦布告。




「友達になろうよ」




 何度逃げられようと、何度負かされようと、わたしは絶対に友利叶を諦めない。

 当然だ。こんなに最高の女の子、絶対に離してなんてやるものか。


「だから聞かせてほしい。どうしたいのか。私は友達だから、そうなるって決めたから、口も出すし聞き出そうとするし、身勝手でもなんでも文句なんて言わせない。そうしたいってわたしが決めた。――だから次は、そっちの番だ」


 呆然としたような視線が、わたしを貫いていた。

 かもしれない。わたしだって、めちゃくちゃなことを言っているのはわかっている。

 だから言おう――だからどうした。


「勝手、すぎるよ……そんなの」


 叶ちゃんは目を伏せて言う。わたしは笑った。


「そうだけど?」

「ひらっ、……開き直るしさあ。本当、さなかがそんなに性格悪いの、知らなかった」

「女の子なんだから当たり前だよ、この程度。言っておくけど――もちろん負ける気とかさらさらないから」

「最悪だ、こいつ……」


 そう面と向かって言われると、それはそれで傷つくけれど。

 でも構わない。言いたいことをわたしは言った。だから今度は、向こうの番。


「ねえ。聞かせて――叶」


 わたしがそう呼んだことに、叶は驚いたように目を見開いた。

 だけど私は、やっぱり聞きたい。何ひとつとしてわたしは諦めないために。

 わかりきった意地悪な、性格の悪い質問をぶつける。




「叶は、未那のこと、好きなんだよね?」




 そして、わたしの大好きな女の子は。

 困ったような顔で、恥ずかしそうに俯きながら。




「……うん。わたしは、未那が、好きだ」




 それが、わたしと親友との、たぶん初めてのケンカだった。

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