6-08『わたしの舞台』3

「うはは……なんかごめん、お見苦しいお顔をお見せしました」


 しばらくして。泣き止んだわたしの親友は、笑顔を作ってそう言った。

 それが強がりなのは、たぶんわたしじゃなくてもわかったけれど、それでも強がれないよりはきっといい。

 いつもの葵に、少しだけ戻ったような……そんな力強い笑みだった。


「こういうときはお互い様だよ。むしろ、ちょっと得した気分?」

「えー。ちょっと何それ?」

「葵の弱いトコ見られることなんて、なかなかないし?」

「……まあ確かにね。普段は見られる側だもんね、さなかは」

「なんですとっ」


 そういう意味で言ったのではなかったのに、あっという間に立場が逆転していた。

 それは……そう言われれば、そうかもしれないけど。釈然としない。

 むすっと頬を膨らませるわたしを見て、葵はくすくすと笑っていた。その顔でわたしも噴き出してしまう。

 ……ならまあ、それに越したことも、ないのかもしれない。


「まったく。なんか、今日のさなかはカッコいいなあ」


 葵の言葉に、わたしは小さく息をついて。


「そうかな? そういうふうに、見えたかな」

「……どうかした?」

「んにゃー、どうかってわけじゃないけど。そう見えてたならよかったな、っていう」


 別に、格好よく見られたいとか、そういう話ではなくて。


 あの日。あの公園で未那と誓った自分に――ほんの少しでも近づけているのなら。

 偽物でも見栄でも、届かせたいところに手を伸ばせていたのなら、それは嬉しいと思うのだ。


 わたしは、ここで、友達の助けになれる自分を、誇りに思える自分でいたい。

 自分に胸を張れる自分で、ありたい。


「……かっちょいいぜ」

 と葵は肩を竦めて。

「あーあ! 未那なんかに渡すんじゃなかったなあ! もうちょっとくらいは、さなかをあたしのものにしておきたかったのに」

「葵のものだったことはないけど!?」

「いやいや。さなかの魅力が世界にバレたみたいな感覚だね」

「わたしの魅力って……」

「まず巨乳」

「最初がそこなの!?」

「……まだ未那に触らせてないだろうな?」

「せくはら! せくはらだよぅ! 答えないよっ!!」

「さなかが隠せるわけないし」

「や、やめろぉ!」

「いっそ無垢なうちにあたしが手ぇつけておくべきなんじゃないか……?」


 とんでもないことを言って、わきわき手を動かす葵から、身を捩って逃げた。

 秋良といい、わたしの周りの女の子は同性なのに油断できなくて困る。


「……てか実際、さなかはどうなん?」


 ふと。葵はそんなふうに言った。


「わたしが、って……?」

「未那とのこと。上手くいってるの?」


 わざわざ聞いてくること自体、葵なりの気遣いなのかもしれない。

 告白に失敗した葵の前で、わたしが自分の恋人について話すのも憚られる。それを意図的に訊いてくるのは、たぶん大丈夫だと示すためだ。葵らしいと思う。


「……どうかなあ」


 少し迷って、わたしはそう言った。葵は驚きもせずに、


「そっちも複雑そうだね」

「ん……未那と、上手くいってないってことはないんだと思うけど」

「傍から見てても正直、いいカップルだとは思うよ。初心すぎて微笑ましいくらい」

「あはは……」

「まあでも、ままならないことって、あるか」


 小さく葵は言って、それから。

 ほんの少し真面目な表情を見せながら、わたしに向き直る。


「……叶ってさ」

「うん」

「未那のこと、好きだよね」


 わたしは、肯定も否定もしない。

 たとえそれが真実で、葵が的確に見抜いているのだとしても、彼女が秘している感情をわざわざ表沙汰にする気は、わたしにはなかった。

 彼女が秘している限りは、という注釈つきで。


 まっすぐ前を見るわたしに、葵は言う。


「……言っておくけどさ、さなか」

「うん」

「叶に遠慮して、譲ろうとか――そういうの絶対にしちゃダメだからね」

「…………」

「さなかは優しすぎるところあるから。それもいいところだとは思うけど、でもラインはあると思う。その一線は、踏み越えていいところじゃないよ」

「そんなつもりないよ」


 わたしは答えた。本心だった。

 それは、誰に対しても最低の行いだ。それくらい、いくらわたしでもわかっている。


 ――だって。


「わたしは欲しいものを諦めない。そうするって、未那と決めたんだ」

「……」

「届かないかもしれないとか、そもそもどこにもないのかもとか。そういう考えで諦めるなんて、たぶん間違ってるんだと思う。わたしはさ、――それはしたく、ないんだ」

「……さなか……」

「わたし、きっと葵が――みんなが思ってるより、ずっとわがままでズルい性格してると思う。だって知ってたもん。たぶん誰より、叶ちゃん自身よりも、わたしのほうが先に」


 ――彼女が、同じ相手を好きになった女なのだと。


 きっと誰よりも早く、わたしがそのことに気づいていた。

 知ってて、それでも遠慮しなかったのだ。わたしは自分を優先して、未那を手に入れるために行動を起こした。その結果として今がある。


「それを悪いとも思ってないし。初めから負けるつもりなんて、わたしにはなかったよ」

「……そっか」

「うん。――それでね。その上でわたしは、たぶん――」


 ――わたしの、友達のことを思う。

 友利叶はわたしの友達だ。わたしは、彼女のことが好きだった。だから、




「叶ちゃんに、怒ってる」




 今、胸の中に燻る思いを、いちばん綺麗に表せる言葉は、きっとそれだった。

 もちろん、そんな単純な思いばかりじゃない。

 言葉にはできないような、もやもやとかぐにゃぐにゃとか、そういうのをひとつにひっくるめて、無理に言語化してみただけ。


「譲るとかっていうなら、むしろ向こうでしょ。叶ちゃん、ずっとわたしに遠慮してる」

「……、でも」

「気に喰わないよね。だってそれ、そうしなかったら、まるで自分が勝てるって言ってるみたいじゃん?」


 もちろん、叶ちゃんがそんなふうに考えているとは思わないけれど。

 というかこれだって、向こうにしてみれば、どの口でって話にしかならないはずで。


「叶ちゃんは、ずっと自分を縛ってる。苦しんでる。そういうのは、見てたくない」

「……今、未那と付き合ってるのは、さなかなのに?」

「うーん……そういう、どっちが先か、みたいな話になるのが嫌なのかも。もっと言うとたぶん、――んだよね、そういうこと」

「ど、どうでもいい、って……」

「だって、そんなコト関係なくってさ。わたしは自信持って言えるもん」


 どちらが先に好きになったとか、どちらが先に付き合ったとか。

 そういう些末で、自分の行動を変えるのはおかしい。わたしはそれに納得できない。

 そんな状況なんか放り去っても――はっきり言えることが、わたしにはあるから。


「――わたしのほうが、絶対に、叶ちゃんより未那のことが好き」

「……!」

「絶対、負けない。絶対にわたしが勝ってる。――わたしは、そう思ってる」


 それを、わたしはあの子に伝えたい。

 ならばこれは、きっと、湯森さなかからの宣戦布告なのだろう。


「知ってる? 今日、叶ちゃん誕生日なんだよ」

「え? あ、そうなんだ……」

「――なのにあいつ、学校サボった。わたしたちから、逃げたんだよ」

「…………」

「ぜったい、ゆるさん。ひっ捕まえて、泣くまで祝う」


 そんでついでに、言ってやるのだ。


 ――文句があるなら、かかってこいって。


 わたしのスマホが鳴ったのは、ちょうどそのタイミングで。


「うわ。……相変わらずタイミングいいなあ。どっかで聞いてるみたい」

「……誰から?」


 きょとんとする葵に、わたしは答える。


「秋良。ごめん、ちょっと出るね。――もしもし」


 着信に応じると、電話口からは聞き慣れた友達の声。


『や、さなか。今は平気かい?』

「うん、大丈夫。そっちは?」

『問題ないよ。脇役気取りのお姫様は無事に確保済みだ。――いいんだね?』

「いいよ。うん、わかった。今から会えるよね?」

『ああ。もう学校までは来ている。何か伝えておくかい?』

「言いたいことは、直接会って話すから大丈夫。――あ、でも、わたしが行くってことは言っておいて」

『おや、いいのかな?』

「秋良なら逃がさないでおけるでしょ。ふんじばってでも連れてきて」

『ふんじばってって。はは、了解。ところで、蚊帳の外の主役はどうしたのかな?』

「未那は未那で、たぶん別のことやってると思う。都合いいよ」

『……こっちの姫は強いね。了解、じゃあ校舎の屋上で落ち合おう。ちょっと時間がいるだろうから――そうだね、後夜祭が始まる頃でどうだろう?』

「わかった。私たちも片づけとかまだあるし、じゃあ、そのくらいで」


 通話を切って、わたしは葵に向き直る。


「ん。というわけで、ちょっと叶ちゃんに会ってくる」

「……なんというかなあ」


 小さく、葵はぼやくように呟き。

 わたしの顔を見つめながら、こんなことを言うのだった。


「いつの間にやら、立派になっちゃって」


 わたしは、それにこう答えた。


「葵だって知ってるでしょ。――恋する女の子は、無敵なんだから」




     ※




 そうしてわたしは、約束の屋上へと辿り着く。


「今日はね。ケンカを、売りに来たんだよ」


 わたしの言葉に、叶ちゃんはびくっと両肩を震わせて、怯えるように身を竦めた。

 ……もう少し穏当な言い方をする予定だったのだ、やっぱりダメかもしれない。


「何、それ?」


 わたしは言う。叶ちゃんは、泣きそうな顔でわたしを見つめながら。


「な、何……って、その」

「――こっち見て話してよ」

「っ……」

「ねえ。わたしの用件、わかってるよね?」

「わ……わたし、は」

「……ッ!」


 こんなに弱々しい姿、初めて会った頃はまるで想像もしていなかった。

 わたしはそれを愛おしく思うし、その一方で腹立たしくも思う。怯える叶ちゃんの姿に対してでもあったし、そうさせてしまうほかない自分に対してでもあった。

 秋良は、少し離れたところに立っている。この会話に入ってこない配慮だろうが、逆に何かあれば秋良が止めてくれるはず。――ならいいや、って思った。


 すう、と息を吸って。

 それから。


「まず聞かせて、叶ちゃん」

「……何を?」

「叶ちゃん、――未那のことが、好きなんだよね?」


 わたしは訊ねた。

 何よりもまず、彼女の口からそれを聞かないことには、何も始まらない。


 それでも。

 それなのに。


 ほんのわずかな空白のあと、叶ちゃんは。




「っ。何、言ってるの? そんなわけないじゃん、――あんな奴のこと」




 ぶちん、という音が聞こえた気がした。


 嘘だ。

 そんな音はしていない。

 ただわたしはそう錯覚するくらい、ああもう本当に血管百本纏めて切れたんじゃないかってくらいに――あっそう。

 そうですか。


「悪いけど、それに関してはさなかの男の趣味が悪いと思うんだよね。わたしはもう少し相手は選ぶよ。いやうん、だから別に、さなかが気にするようなことはなくて――」


 叶ちゃんが何か言っているが、もう耳にも届かない。


 この期に及んで。

 まだ、わたしに――そんなことを。


 ……本っ当に、頭きた。


「てか話って、それ? もう後夜祭が始まるんだよ? そろそろ下に降りない?」


 まだ向き合ってくれない。

 わたしを見ていない。


 わたしは、叶ちゃんの視界に、一度だって入ったことがない。


 そんなお為ごかしに意味なんてないのに。

 誤魔化せるわけがないのに。

 それでも、まだ叶ちゃんはそんなことをわたしに言う。

 舐めてる。舐めやがって。

 舐めやがって!


 わたしは、もう、叶ちゃんに目を逸らされなきゃいけないほど弱くない。




 ぜったいゆるさん。




「叶ちゃん」

「何? まだ何か、」


 直後。わたしはずかずかと叶ちゃんの目の前まで行く。

 驚きに目を見開く叶ちゃんの正面で、わたしは思いっきり片手を振り被って。


「――歯、食い縛って」

「え、ちょ……っ」




「――ふざっ、けんな、ばかっ!」




 冷静な思考なんて吹き飛ばして。

 その横っ面を、思いっきり引っぱたいた。


「こっちを――わたしを、ちゃんと、見ろ……っ!!」

「……っ」


 頬を叩かれた叶ちゃんは、呆然とした様子でわたしを見上げる。

 ああ。やっぱり、慣れないことはするものじゃない。叩いたわたしの手が痛い。


「なんで……」


 小さく、叶ちゃんがそう零す。

 わたしは歯を食い縛り、とけて消えそうな言葉をなんとか吐き出す。


「なんでって、……わたしはっ!」

「なんで……さなかが、泣いてるの……?」


 そんなこと。




 そんなこと、わたしにだって、わからない。

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