6-06『わたしの舞台』1

 思い返せば、目まぐるしい日々だったと思う。

 なにせたいていのコトは、その渦中にいる間は精いっぱいにいっぱいいっぱいだから、なんだか目まぐるしい日々だったなあ、なんてコトは基本的に終わってから思うもの。

 だからこそそんな現在いまだって、あとから思い返すときにはきっと、目まぐるしかったと笑っちゃうんだと思う。

 そうなればいいな、とわたしは願う。


 高校に入学してからというもの、わたし――湯森さなかの毎日は輝いている。


 別段、取り立てて大きな変化が環境に起きたわけではなかった。

 そりゃ、高校への進学だけでもオオゴトだけど、それがこれまでの日常の延長であることに変わりはない。

 急に海外へ引っ越すことになったとか、世界的な事件が起きたとか、そういう意味での環境変化はなかったのだから。


 では何が変わったのかといえば、それはほかでもなく、わたし自身なのだと思う。

 今は、そう思える。

 そう思える自分になれたというコトが、うん、変化なのだと胸を張れる。


 成長した、なんて言いきれるほど、わたしは世界を知らないけれど。

 かといって、今の自分を簡単に卑下するコトもできないのだ。するわけには、いかないのである。


 だって。

 それがわたしの、特別だから。

 だからこの変化を与えてくれたのが誰なのか、わたしがきちんと理解している限り。

 その、ほんの些細な特別が、ずっと胸で輝いている限り。


 ――わたしは、自分のつよさを肯定できる。


 だから。




「お話、しようよ。――叶ちゃん」




 わたしは迷うことなく告げる。

 それだけの言葉で、肩を震わせる友達を正面に。


 雲雀高校の屋上に吹く風は、どこか夏の残り香を思わせる温さといっしょに、これから訪れるであろう秋の肌寒さを含んでいる。

 正直に言えば、居心地はあまりよくなかった。

 もし屋上の端に寄って、柵の向こうの校庭を見下ろせば、キャンプファイヤーの火花が彩る後夜祭の様子が覗けるだろうに。まったく、何をしているのやら。


 けれどそんなものは、目の前で怯える友人と比べるなら考慮にも値しなかった。

 傍に立つ秋良は何も言わない。彼女は見届けに来ただけだ。


「……わ、たし、は……っ」


 叶ちゃんは何かを言いかけたけれど、すぐに言葉に詰まってしまう。

 それはもちろん、わたしの望むところではなかった。

 そもそも、どうしてわたしが怯えさせているみたいになっているのか。それは、さすがにちょっと失礼ではなかろうか。


 いや。でも、あるいはそれで、都合がいいのかもしれない。

 わたしは薄く笑った。

 せめて不敵に見えていれば格好も突くだろうけれど、生憎、その手の格好つけがわたしに似合った試しはない。叶ちゃんや秋良みたいにはいかないのだ。

 それでも。


「うん。ごめん、言い換えよっか。こんな言い方で済ませるの、今さらかもだし」

「……っ」


 息を呑む叶ちゃん。なんだか申し訳ない気分だ。

 わたしだって、本当はこんなことをするつもりはまったくなかったのだから。

 だけど、口にしてしまった言葉はもう、飲み込むことはできないから。

 一度でも針の振れたものは、もうゼロだった頃には戻れないから。


「話をしよう、叶ちゃん。だけどわたしは、別に仲よくお喋りしにきたわけじゃないよ」


 叶ちゃんはどう思っただろう。

 秋良は、どんな表情だろうか。

 大好きな友達のことを考えながら、わたしは――その大好きな友達に対して。




「今日はね。ケンカを、売りに来たんだよ」




 宣戦布告を、笑みで渡した。


 ――いやこれ早まっちゃったかもしれないなあ……。




     ※




 未那と体育館の演目を見に行ったあと、わたしたちは連れ立って屋台まで戻った。

 十五時前頃には食材を使い切り、完売として営業終了したと聞いていたけど。せっかく三日間、みんなでがんばったのだから。

 改めて祝おう、と連絡が来ていた。


「ごめんね、みんなー。最後、任せっきりになっちゃって!」


 合流したところでそう告げると、その言葉に薄っすらと此香このかが笑った。

 泰孝くんと小春ちゃんの姿もあったけれど、葵と勝司はこのときまだ来ていなかった。


「んにゃ、楽しかったし。むしろありがとな、誘ってくれて。――未那も」


 水を向けられ、未那が軽く肩を竦める。


「いや、こっちこそ助かったよ。お陰でいいクオリティになったし」

「別にクレープだしな。あたしじゃなくても、誰がやっても実際そんな大差ないだろ」

「そうでもない。《現役女子高生料理人》の看板はなかなか威力あったと思うぞ」

「いや、肩書きだけかよ! しかも女子高生じゃねえし!」


 未那の小ボケにツッコむ此香。けれど、その顔はとても楽しそうに見える。

 実際、この件に此香を巻き込んでくれたことが、わたしは嬉しかった。

 料理人を志して進学しなかった此香だけれど、たまにはこんなふうに、バカ騒ぎの機会があってもいい。

 少なくともわたしは、此香と遊べて嬉しかったし。


「お帰り、湯森さん。楽しめた?」


 と、そこで泰孝くんに声をかけられた。その後ろから小春ちゃんも歩いてくる。


「うん、とっても。結構盛り上がってたよー、体育館」

「それならよかった」


 緩やかに笑う泰孝くん。未那や勝司のようにあまり教室で目立つタイプじゃないけど、いつも落ち着いた様子で頼りになる男子だ。クラスの女子からも地味に人気がある。

 その割に浮いた噂とは無縁だけど、小春ちゃんといっしょにいるのをたまに見かける。ふたりとも冷静な性格だから、馬が合うのかもしれない。

 ふたりと仲よくなったのは未那経由だったけど、ときどき漏れ聞こえる未那の昔の話を聞くに、本来は物静かな人とのほうが未那も合うのかもしれない。


 まあ未那の場合、ずっと反則みたいな友達がいたわけで、いろいろアレだけれど。


「葵と勝司は?」


 この場にいないもうふたりについて訊くと、泰孝くんは首を振った。


「ん。僕は見かけてないけど……野中さん、知ってる?」

「交代のとき、ふたりで回ってくると聞きました。そのうち戻ってくると思いますよ」

「……ほ、ほほー」


 小春ちゃんからもたらされた情報に、思わず唸る。泰孝くんが首を傾げたから、慌ててなんでもないと笑ってみせたけど……なるほど。

 葵も、勝負に出たのかもしれない。


 葵が勝司のことを好きなのは、かなり前から聞いていた。

 未那と付き合う前は、だいぶ葵にいろいろ言われたものだけど。

 その葵も、強気なくせして意外と初心なところがあるのだから。まあ、それは葵の魅力でもあるけれど。


 ――ふたりにも、上手くいってほしいとわたしは思う。

 実際、少なくともわたしの見る限り、決してあり得ない関係ではないと思うのだ。

 もしふたりが付き合い始めたと聞かされても、疑問に思う人はクラスに誰もいないだろう。


「あとは後夜祭だけだな。その前に、先に片づけ始めとくかー」


 未那が言う。それから視線を小春ちゃんに向けて、


「あとなんかやることあったっけ?」

「売り上げの報告だけです。あ、計算はもう終わらせてありますよ」

「一位、狙えるかな?」

「充分に狙えると思いますよ。別に売り上げだけで全部が決まるわけじゃないですけど。部門賞とかもありますし。この分ならどこかには引っかかるかと思います」

「ま、わざわざ本気で狙いに行ってるとこも少ないだろうしね。打ち上げが楽しみだ」

「報告、行きますか?」


 小春ちゃんが訊くと、未那は少しだけ迷ってから。


「……そうだね。じゃあ少しの間、こっち任せてもいいかな? たぶん勝司たちも、もうすぐ戻ってくるだろうし。俺と小春でちょっと行ってくる」

「わかった。早く帰ってきてねー? 男手は多いほうがいいし」


 わたしはそう答えた。

 まあ、とは言っても実際のところ、そう力作業もない。

 屋台の解体くらいだろう。その辺りは、教室を飾りつけるよりも楽なところだ。


「そんじゃ。たぶん十分しないで戻ってくるから」

「行ってきますね」


 未那と小春ちゃんを見送って、片づけを開始した。

 しばらく作業を進めていたところで、ふと小声の此香に訊ねられた。


「……んで、どうだったんだよ?」

「え。どうって何が?」

「そりゃ……そりゃ決まってんだろ。デートだよ、デート」


 自分で言って、ちょっと顔を赤くする此香。かわいい。

 小さい頃、同じ漫画を読んだりしてきたけど、此香はわたし以上に少女趣味だ。友達の恋バナとか積極的に聞くタイプ。

 にもかかわらず、自分で訊いて自分で恥ずかしがる辺り、わたしの従妹って感じだ。


「楽しかったよ? 好きな人といっしょだもん」


 だからわたしは軽く答えた。

 それに驚いて、此香はちょっと目を見開いて呟く。


「お、おぉ……そんな真っ正直に言われるとは」

「別に今さらだしね」

「な、なんだよ、その、大人の女的な態度は……!?」


 言われて、昨日のことを咄嗟に思い出す。

 ……少し恥ずかしくなってしまった。


「いや……なんでもないけど」


 誤魔化すようにそう言ったが、そのせいで、むしろ此香は察してしまったらしい。


「……まさか」

「ま、まさかって何!? 別になんでもないけどっ!?」

「いや……そ、そうか……まあ付き合ってんだし、当然だよな……。でもそっか、ついにさなかも、そっちの仲間入りか……」

「そっちって!?」


 くぅ……せっかく珍しく、わたしのほうがイニシアチブを取れていた感じなのに。

 こんなにあっさり逆転されてしまうなんて。

 すぐ脇で作業していた泰孝くんが、そこで噴き出すように笑う。


「……ふふっ」

「あっ、き、聞こえてた!?」

「ごめんごめん。でも、この距離ならそりゃ聞こえるよ」

「だよね!? うぅ……恥ずかしいなあ」


 自分の顔が真っ赤になるのを自覚する。やっぱり、これは慣れる気がしない。

 だけど、そんなくすぐったさや気恥ずかしさも、贅沢な感情なのかもしれない。それはわたしにもわかっていた。たぶん、こういうのを青春って言うんだろう。


「泰孝くんって好きな子とかいないの?」


 試しにそう訊き返してみると、彼は少し目を丸くして。


「僕? あはは、まさか僕に矛先が向くとはね」


 緩やかに笑う泰孝くん。

 此香も興味を引かれたのか、わたしを援護するように言った。


「確かにそれ、あたしも気になるな。泰孝、結構モテるほうだろ?」

「そんなことないけど」


 否定する泰孝くん。

 せっかくだ、わたしも乗ろう。


「そんなことなくないよ。クラスにも結構、泰孝くんいいなって女子いるの聞くし」

「なんか泰孝は、将来安泰な感じあるもんなー」

「それ褒められてるのかなあ……?」


 苦笑する泰孝くん。

 けれど、それから男らしいことに、彼は言った。


「まあ好きな子はいるよ」

「え、ホントに!?」「マジでか!」


 わたしと此香が一斉に驚く。実際なかなか驚きのカミングアウトだった。

 そんな様子を、いつものゆったりした笑みで見て取って。


「誰かは教えられないけどねー」


 なんだか、子ども扱いされているみたいな気分だ。

 この手の話題で、わたしと此香が手玉を取れる未来は存在しないのかもしれない。


 ……なんか悲しくなってきた。


「あたしは出会いがないからなあ……。店の客なんてオッサンばっかだし」


 嘆くようにぼやく此香に、泰孝くんと目を合わせて苦笑した。

 まあ確かに、高級めの和風料亭で同年代の男の子を見つけるのは難しいだろう。


 ――うん。しかし、なかなか恋バナらしい恋バナではなかろうか。


「あれ。あそこにいるの、葵じゃないか?」

「え?」


 ふと此香が呟いたのはそんなときで、わたしは顔を上げて視線の方向を見る。


「ホントだ。……どうしたんだろう」


 泰孝くんの呟きが、耳朶を揺さぶった。

 けれどわたしはそれに答えられない。

 遠くにいる葵。俯くその表情を、ここから捉えるのは難しい。けれど。




 ――わたしには、葵が泣いているように見えたのだ。

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