6-05『閑話/三日目の朝を事実上すっ飛ばし昼へ』

 なにせ、おーないろんぐでぱーりたい、だったので。

 友利叶が目を覚ましたとき、時計の針は12どころか1を通り過ぎ2に至っていた。


「――んぉやべっ!?」


 目覚めた瞬間に見た壁掛け時計の針で、遅刻を自覚した叶が跳ね起きる。

 いや、もはや遅刻というか、完全に欠席扱いされているだろう時刻だ。


 跳ね起きた叶は辺りを見回す。

 見慣れない部屋。

 そこは《かんな荘》のすぐ裏手にある、管理人・神名かんな瑠璃るりの自宅だ。


 昨夜は宮代秋良とふたり、いっしょになって我が物顔で盛り上がっていた。

 仮にも他所様の家で、発揮していい体たらくではなかっただろう。思わず叶も冷や汗を感じた。


 すぐ傍を見れば、散らかった部屋の中、静かな寝息を立てる秋良が横向きに寝ている。

 開けたお菓子の袋が、ゴミ袋にしたコンビニのビニールに詰められていて、そんなものがすぐ脇に落っこちているというのに。眠る少女は、なぜか聖性さえ思わせる美しさで。


「ほんとずるいな、この女……」


 こっちは仰向けでへそを出して、涎垂らして寝ていたというのに。

 なんだこの差は。

 口元を拭いながら叶は思う。女として負けているとかではなく、もう人間として、いや存在として敗北している気がした。

 何? なんなの。

 つーか本当に顔いいな、こやつめ。


 無警戒に、すぅすぅ眠っている秋良。

 なんだか珍しくて、思わず叶も見惚れてしまう。ただ、ここが自分の家じゃないことを思い出しては放ってもおけない。

 そもそも、瑠璃さんは帰ってこなかったのだろうか。


 叶は秋良の肩を揺さぶり、小さく声をかける。


「秋良。ほら、起きて。ここ、片づけて出ないと……」

「……んぅ」


 小さな吐息が、瑞々しい唇から零れる。なんだかドキッとする気分。

 完全ノーメイクでこの美貌は、神様もちょっと贔屓が過ぎるだろうに。


 ――こんなのとずっと友達だった男は性癖が歪むに違いない。


「秋良、秋良っ。おはよう。もう朝……っていうか、もう昼だよ」


 ぱちり、と秋良が目を開いた。まっすぐに叶を見つめて。


「……天使?」

「ねえ何言ってんの?」


 皮肉なら張り倒してやるところだが、すでに倒れているのだから勘弁してやろう。

 寝起き一発目から、そんな冗談を入れ込まないでほしかった。何が嫌って、そんな冗談すら秋良に言われると妙に嬉しく感じてしまう。

 やだ、わたしなんかちょろくない?


「ああ、叶か。目が覚めた瞬間、美少女が見えたから――思わず天国かと思ったよ」

「……天使って、だいたい男でしょ」


 おはようを言う前に口説いてくるの始末が悪すぎる。狼狽えてしまって、ツッコミすら微妙に角度を間違ったものになった。

 眉根を寄せる叶に、寝起きから調子のいいらしい秋良は、にっこり笑みを見せて。


「やあ、おはよう」

「……ん。おはよ、秋良」

「朝チュンだね」

「違う」

「いや昨日は悪かった。なかなか寝かせてあげられなくてね」

「この流れで言うな」

「君と過ごす時間が終わってしまうのは、とても名残惜しかったものだから。でも、叶がかわいすぎるのも罪なんだぜ?」

「口説くな」

「……ところで、腰は大丈夫かい?」

「何を心配しているか! 腰を酷使するような真似はしていない!」

「そりゃ、こんなふうに床で寝ちゃってたらね。おや、何を想像してくれたのかな?」

「話の流れえっ!!」

「おりゃっ」

「え、――わっ」


 秋良を起こすために、叶はすぐ脇に屈み込む姿勢だった。

 伸びてきた腕を躱せなかったのはそのせいで、抵抗する間もなく抱き締められた叶は、そのまま秋良の横に倒されてしまう。


「いや、何すんのさ」

「んー? ふふ、狼の傍で油断している羊がどうなるかなんて、言うまでもない」

「おいこら、はーなーせーっ」


 じたじたと逆らってみるが、秋良の腕の力はことのほか強かった。


「どうせ寝坊だし。今日はぼくとふたり、自堕落に爛れてみるってのはどうだい?」

「いや、だから何言ってんのさ。まったくもう……」

「あははっ。もちろん、親愛を示す言葉を言っているのさ。そのために来たんだからね」


 整った秋良のかんばせが至近距離に見える。

 叶は思わず息を呑んだ。薄い笑みに込められた、蕩かすような優しさを見たからだ。


「言ったろ? ぼくは君の友達だ。だから今日は徹頭徹尾、君を甘やかして、大好きだと繰り返し伝えることに決めているんだ。今日の叶は、ぼくの女だぜっ☆」

「……うー。あー……」


 まっすぐに向けられる好意を、素直に受け取るのが叶は下手だ。

 それがわかっていて、だから秋良は何度だって同じことを繰り返す。自分にできることを知っているから。

 目の前で真っ赤に恥じらう少女が、だって秋良は、とても愛しいのだ。


 やがて観念したように、ぽそりと叶は小さく呟く。


「……もう好きにして」

「ん? 今なんでもしていいって」

「言ってない!!」


 やっぱ離せとじたじたする叶を、今度は秋良も素直に離した。

 笑みが零れる。彼女が元気を取り戻してくれたことを、ただ純粋に喜んで。


 まあ、もっとも――。


「ったく、もう……バカ言ってないで起きなよ。後片づけするよ」


 再び立ち上がって言う叶を仰向けに見つめながら、秋良は口角を上げて。


「なんというか叶は、あれだね」

「何さ」

「反応が童貞っぽい」

「どっどどど!?」


 純粋に、叶をからかっていることもたぶん間違いなくて。

 要するにこれは、友人同士の他愛ないじゃれあいということなのだ。


「さすがのわたしも、人生でそんなこと言われる羽目になるとは思ってなかったわ……」

「いやあ。だってリアクションが、未那とそっくりだったものだからね」

「あの。……それはここまでのやり取りと同じようなことを、マジで未那相手にもやっていたという衝撃カミングアウトなのでは」

「あははは」

「笑って誤魔化せると思うなよ!?」


 と、まあそんな感じで。

 友利叶の、十六歳の誕生日は始まった。

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