6-03『それは舞台の裏側で』2

 文化祭期間も一応、出欠の確認は取られている。

 とはいえ出展なり出店なりをしている者は朝から忙しい場合もあるため、普段より緩い方式だ。

 教室で担任に来たことを伝えたあとは、早々に朝の準備に取りかかった。


 果たして叶は今日、ここに来るのだろうか。

 それをここで待って確認することは怖かったし、そんな余裕も実際なかった。


「おいっす、おふたりさん!」


 屋台のところへ行くと、入校許可証をつけた此香このかがもう到着していた。

 制服こそ着ていないものの、この期間はクラスTシャツなんかの装いも多いし、何よりもともと同年代だ。此香はすっかり学校の光景に溶け込んでいた。


「なんだ、朝から連れ立ってきたのか? お熱いねえ」


 くつくつとからかうように此香は笑った。

 いとこ同士の関係性が、なんとなく見えるような気がする。


「そうだね」


 と。だがこのとき、さなかは此香の言葉を正面から受け止めて笑った。


「ラブラブなんだ、わたしたち。羨ましいでしょ?」


 そう言って、さなかはほとんど抱き着いてくるみたいな形で俺の腕を取る。

 ぶっちゃけさなかの豊満なアレが腕に当たって、なんかもう柔らかいしいい匂いするしヤバかった。

 真っ赤になる俺。

 そんなこちらを見て、此香は呆れた様子で息をついた。


「……見せつけられたもんだ」

「見せつけてるからねっ」

 さなかは微塵も狼狽えない。

「此香も早く彼氏作ったら?」

「うわ、うっざあ!」

「あははっ。いつもからかわれてるお返しだよ!」

「う……くそぉ。あたしだって店の修行さえなかったら、別にモテないわけじゃ……」


 さなかが此香をやり込めている光景は、それなりに珍しい気がする。

 いや。でも此香は此香で割と乙女チックな部分があるし、案外そうでもない気もした。


 俺はふと隣のさなかを見る。

 ……なんだかんだ、やっているさなかも耳が赤いのだから、少し笑えた。


「悪いな。なんか三日もこうして来てもらっちゃって。や、まあ今さらだけどさ」


 今日は特に店を開けがちになる予定だ。

 その辺りは昨日までの働きで穴埋めしておく予定だったのだが、結局のところいろいろあって、昨日も出払っていることが少なくなかった。申し訳ない気分にもなる。


「別にいいよ。あたしも好きでやってるし、文化祭とか正直そんな興味もないんだ。それよりは実際、店に出てるほうが楽しいし、性にも合ってる。別に嘘じゃねえぞ?」

「そう言ってもらえると助かるけど。俺は一応、発案者だしさ」

「だったら発案したことが、そのまま未那の功績だろ。てか別に、そうじゃなくても誰もサボってたとか思ってないって。んなこといいから、さなかをちゃんと楽しませろよ」

「当然」


 即答した。それだけは、絶対に果たすべき俺だけの役目けんりだ。

 謝罪ばかり続けるのも情けないため、俺も切り替えて準備に移る。


「みんなは見たか?」

「ほかの連中か? 小春こはる泰孝やすたかならさっき会ったな。あおい宍戸ししどの奴はまだだけど」


 みんなを名前で呼ぶくらい打ち解けてきた此香が、地味に勝司まさしだけは苗字で呼び続けている悲しい事実に苦笑しつつ、俺は頷く。


「了解。とりあえず調理室と実行委員のほう顔出してくるわ。こっちは平気か?」

「いや別にやることないし」

「それもそうだ。さなかはどうする?」

「ここにいてもだしね。わたしも未那と行くよ」

「オッケ。そんじゃまたあとでな、此香」


 実際のところ、朝にやることなんて仕込み以外にはほとんどないのだ。

 責任者だから、俺だけは諸々の事務作業も必要だったが、それも顔出して「今日もやります、よろしくお願いします」とか言っとけば終わりみたいなもの。

 屋台に立っていること自体が好きらしい此香と別れ、その場を後にした。


「小春が先に来てると心苦しいんだよな……」


 調理室へと向かいながら呟いた俺に、さなかが首を傾げる。


「え、なんで?」

「いやほら、なんか俺の仕事、先に終わらせちゃってそうなとこあるじゃん?」

「まあ事務的なことは、ほとんど未那と小春ちゃんがやってたしねー」


 あとは泰孝にも少し手伝ってもらったが、大半は俺と小春の領分だった。

 というか。


「厳密なことを言えば、そもそも俺が全部やるべきなんだけど」

「……未那、その辺りちょっと気にしすぎじゃない?」


 俺の漏らした言葉にさなかが突っ込む。


「そうかな?」

「そうだよ。たぶん未那、根本的に集団作業をわかってないよね。経験ないでしょ」

「……ぐ」


 その通りだった。

 でも、それは仕方なくないかな……。入れてもらえなかったものはどうしようも……。


「たぶん未那、任された仕事を自分の作業って区切ってたんだよね。自分に割り振られた分は自分で、って形に慣れすぎてるんだと思う。……誰も手伝ってくれなかったから」

「いきなりドンピシャで抉ってくるのなんで……?」


 しかし言われてみれば納得だ。

 確かに。自分に割り当てられた作業をやらないということは、イコールでめちゃくちゃ責められることと同義だと思っている。


「分担って、別にそういう意味じゃないよ。未那、ちょっと気にしすぎ」

「……ごめん」

「別に謝ることないけど。責めてるわけじゃないし」


 さなかは苦笑した。

 それから、ちょっと悪戯っぽく笑って。


「でも今日だけは、そういうこと忘れてほしいから。わたしの都合で言っただけだよ」

「……なんか、今日のさなかは、いつもよりグイグイ来るよね」


 俺もまた冗談めかして答えてみたが、そこでさなかは唇をつんと尖らせる。


「そうでもしないとー、どこかの彼氏さんにー、約束をすっぽかされそうなのでー」

「しないから今日は絶対に! 大丈夫! 何があろうとデート優先!」

「あっはは!」


 そう言い募った俺に、さなかは楽しそうに笑って。

 それから、ふっと顔を逸らして言った。


「……あれ? なんか今の、ちょっと前振りっぽくなかった?」

「そういうこと言わないほうがいいと思うな!」


 本当にフラグになっちゃうから。マジで。



     ※



 そんなこんなのうちに、文化祭三日目――最終日が幕を開けた。


 朝のうちに、俺とさなかで屋台に出る。

 この辺りはもう、あらかじめ《いっしょにいたいから》と開き直って告げていた。そのわがままを、笑って受け入れてもらえるのだから、俺は友人に恵まれている。

 昼になるより少し前に、交代役の勝司がやって来た。


「ほれ、代わるぜ。今日はオレが働いてやるよ」


 予定より少し早かったが、その辺りは勝司が気を利かせてくれたのだと思う。

 それにいちいち言及するのも、これは野暮ってものだろう。


「じゃあ、あと任せたわ」


 言った俺に、勝司は軽く肩を竦めて。


「あ、昨日見たけど、バンド演奏かなりよかったぜ。割とオススメ」

「ああ、見に行ってたのか」

「そうそう。葵とな。デートには最適だぜ? このオレが保証してやろう、初心者くん」

「ほほう。その心は?」


 訊ねた俺に、勝司はニヤリと笑って。


「なにせ会場が暗いし、しかも爆音が響いてる。つまり証拠は残らねえ」

「――なるほど、いいことを聞いた」

「その会話、わたしが聞いてるところでするやつかなあ!?」


 さなかのツッコミが入ったところでオチもついて、俺たちは屋台を離脱した。


 しばらくふたりで歩く。

 さきほどの話を意識しているのか、さなかの耳は赤かった。


「実際のところ、どうかね?」


 俺がそう問うと、さなかは肩をびくりと震わせ。


「なな、何がかなっ? このわたしになんのご用事かなっ!?」


 やっぱりテンパるさなかだったが、それがやっぱりかわいいのだから、ずるい。

 だから俺も、自分が心から彼女を好きでいるのだと、そう再確認できる。


「……いや、勝司と葵の話な」

「あ、そっちか。びっくりした。――え、未那がそれを気にする……?」

「どういう意味!?」

「あ、ごめん。いやほら、未那って割とそういうの、疎そうだし?」

「さなかには言われたくない」

「どういう意味!?」


 お互い様という意味だろう。

 俺は続ける。


「いや、葵って……その、勝司のこと――」

「未那でも気づくんだ?」


 ばかにしすぎちゃう?

 ねえばかにしすぎちゃう?


「……ということは、さなかも気づいてたってわけか。意外にも。意外にもね」

「……そうだね。そりゃあ親友のことだし、わたし女子だし。男子よりは敏感だよねー」

「まあ、あのさなかでも気づくって辺り、葵がわかりやすいのかもね」

「かもねー。なにせ、にぶちんの未那でもわかるんだから、葵も乙女だよねー」

「……俺、さなかよりはマシだと思うんだけど」

「……わたしがずっと好きだったの、ぜんぜん気づかなかったくせに」

「ぐ。さ、さなかもそうでしょ。俺だってずっと好きだったし、超アピってたから」

「あ、……ん。そっか……、えへへへ。なんか照れちゃうね」


 ――いやそこは照れんのかーい!


 くっそ、かわいい。俺の彼女がかわいい……。

 俺の彼女めっちゃかわいいな。

 あまりにかわいすぎてベタベタのツッコミ出たわ。

 どうしよう。

 ねえ、俺の彼女かわいくない?


 じゃなくて。

 俺は咳払いをして、話の軌道を戻す。


「ん、んんっ! まあとにかく、その辺ちょっと気になってるっていうか。実際のとこ、どうなんだろうと思って」

「まあ、文化祭だしねー。これ終わったら、あとは冬休みまで大きなイベントないし」

「てことは」

「葵だってその辺は考えてるんじゃないかな?」

「マジか」


 となると場合によっては、この文化祭で勝司と葵がくっつく可能性もあるわけか。

 そうしたら、これは……どうなんだ。

 この先、あるいは俺は世に聞くところの《ダブルデート》なるイベントを、体験できるかもしれないわけか。

 それは……それは、今までと何が違うんだかわかんねえな……。


 やっぱり俺の恋愛偏差値は、さなかに威張れるほど高くないらしい。


「上手くいくといいな」

「そうだねー。まあ勝司だし大丈夫そうな気はするけど」

「――そう、」だな。


 と、言いかけた言葉が止まったのは、果たしてなぜだっただろう。

 たぶん、断言できるほど自分が勝司を知っているという自信がなかったからだ。


「未那?」


 いきなり立ち止まった俺に、さなかが首を傾げる。

 俺はかぶりを振って、なんでもないと伝える意味で言った。


「それより、まずどうしよっか。――勝司にオススメされたし、バント観に行く?」

「……何する気?」


 さなかは自分の体を引いて、ジト目を向けてきた。

 おい。勝司のせいで妙な誤解されてんだが。俺も乗ったけどさ。


「冗談だよ。まずは昼にしよう。適当に見て回って、何食べるか考えようぜ」


 その提案に、さなかも小さく微笑んで。


「わたしも冗談。別に、未那だったらまあ、いいよ」

「……いいって何が?」

「え、ええっ!? それ訊くかなあっ」

「どうもにぶちんなものでして」

「うっ、また都合のいいときだけ拾って……」

「で、何がいいの?」


 あくまでいじわるをするつもりで言った俺に、けれどさなかは答える。

 こういうとき、意を決したさなかはなかなか大胆なのだ。


「だから、触れてもいいってコト!」

「……それなら、お許しも出たということで」


 俺はさなかに手を差し伸べる。

 なにせ今日は文化祭だ。これくらいは、周囲も大目に見てくれるだろう。


「行こう、さなか。今日はいっしょだ」

「……うん! ちゃんとエスコートしてね、未那!」


 さなかの手を握り締める。

 繋がれたそれが離れないよう、しっかりと手に意志を込めた。

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