5-24『エピローグC/弱くて、強い』

 ――いやあ。


 というのが率直な感想なのだった。

 と言うと嘘でこれは乙女フィルターによりとっくに検閲もとい省略済みのモノ、ということでじゃあ実際には何を思ったかというと、まあ、その、なんというか、ええと――いやあ。

 思ってたよりは平気な気もするし、思ってたよりもキツい気もする、というか……よくわからない。

 なんというかなんとなくモヤモヤするものを感じちゃうのはホントだけど、それはわたしにとって、いつかそうなるってわかってたことなんだとも思う。

 みたいな、そんな気分だ。


 いや。

 ホント言えば完全に強がりで、いつかこうなるんじゃないか、と思っていたとはいえ、だからってショックが何ひとつないなんて言ったらさすがに嘘なのだけれど。


 ――あー、うん。ダメだ強がるのやめるか。


 ものすっごいキッツい。

 何がキツいってそう、わたしは誰も責められない、というのがいちばんキツいのだ。誰も悪いことなんてしていなくて、ただそうなるべくしてなった、というだけのことだからキツい。

 ここが海なら、波に向かって叫んでやるところだ。


 正直、さっきまでちょっと泣きそうだった――泣かなかったけど。

 ていうかわたし自身、なんで泣きそうだったのかも、あんまりわかんなかったし。


「……ええと。そろそろ戻るか」


 未那がわたしに言う。


 ――あー。

 なーにが厳しいって、未那の態度を目の当たりにしたから、なのかなあ。


 果たしてわたしは、それを上手く隠すことができていただろうか?

 ちょっと無理やり明日の予定を取りつけたりとか、……キスを迫ってみたりだとかしちゃったけど。

 あの辺はもう、わたし的にも完全に暴走状態。

 もうちょっと上手く立ち回るつもりではいたんだけど、なんというか……それくらいしないとガマンできなかった。


「うん!」


 とわたしは笑顔で頷いて、まだちょっと様子がおかしい未那の背中を見つめる。

 未那は完全に調子を崩していた。

 これは何も、わたしがいきなり唇を奪ったから……だけじゃないと思う。

 思うっていうか、まあ、ここまであからさまだと気づかないほうが難しい。そして、その内容だって、こう言ってはなんだが予想がつくというものだ。

 かといって、これで何も思わない未那も予想できないし。

 そんなの未那じゃないし。


 別に、わたしが何かされたわけでもない。むしろ未那にも叶ちゃんにも、思い切り気を遣ってもらっちゃっている。

 それこそ痛いくらいに。

 痛々しいくらいに。


 ――たぶん、自分の気持ちに気づいちゃったんだろうなあ、叶ちゃん。


 自分のほうがキツいくせして、どーしてこのふたりはそーなんだろうなあ、って。

 わたしはあんな風に追い詰められて、何かに怯えながら身を震わせる泣き顔の叶ちゃんなんて初めて見た。そんな様子は想像だってしたことがないと言ってもいい。

 確かに、付き合ってみれば意外と抜けているというか、かわいいところもあることには気がつくけれど、それでもわたしなんかより、ずっとしっかりしているというか、自分というものをちゃんと持っている女の子――というのが叶ちゃんに対するわたしのイメージだ。

 きっとクラスのみんなだって、叶ちゃんのことは芯のある子だと思っているはず。


 ――ああ。でも。

 それだけじゃないっていうことはわたしも知っていた。


 あの日。逃げ出してしまったことを知っている。

 それはイメージが間違っていたとか、勝手な思い込みだったとか、そういうことじゃなくて。

 たぶんだけど、誰だって、きっとと思う。

 どんなに強いひとにだって、弱点のひとつやふたつはあるもの。

 だったらこれは普通のことだ。

 叶ちゃんだって弱さを当たり前に持っている。


 だからわたしは、せめて友達のことくらい、一面だけではなくいろんな角度から、見てあげられたらいいなと思う。


 だけど。

 いや、だからこそ。


 きっと今の叶ちゃんは、昔の友達に責められたくらいじゃ折れないと思ったのだ。


 初めはそうなのかもしれないと思った。

 すごく酷いことを言われて、だとしたらそれは許せないなって怒ったけど……たぶん叶ちゃんは、それだけじゃこんな風にはならない。

 ここまで追い詰められたりしない。

 だとしたら。

 叶ちゃんがあそこまで追い詰められているのなら、その原因はきっと未那なんだろうな、と思ったのだ。


 いや、別に未那が悪いって言いたいわけじゃなくて。

 よくも悪くも叶ちゃんに、あそこまで影響できるひとがほかに思いつかなかったのだ。


 現に叶ちゃんは、あのあと逃げ出した。

 そう。あれは確かに逃走だった。誰かに助けを求めたくて、誰にもそれが言えなくて、ほかに何をしたらいいのかわからなくなって――逃げる場所もないのに逃げてしまう。

 その気持ちだったら、わたしにだって覚えがあった。

 叶ちゃんは、わたしから逃げ出したのだ。そう思ったから、あえてわたしは叶ちゃんを追いかけるのではなく、それとは逆、彼女がやって来た上の方向を目指したのだ。そして予想通り、その先の屋上で、未那を見つけたというお話。


 ――だけど。

 そこで、逃げたら、ダメなんだ。


「…………」


 なんて余裕ぶっていられる立場ではあんまりないと思うのだけれど。

 でも、遅かれ早かれではあった。

 だってわたしは、叶ちゃんが未那のことを好きだって知っていたのだから。

 あるいは叶ちゃん本人よりも早く、わたしのほうが先に気がついていたかもだ。初めはそうではなかったみたいだけど、あるときわたしは確信した。

 別に、男女間の友情がどーだとか、どー見たってそーだとか言いたいわけじゃない。

 ふたりともいつも否定していたことだし、それは嘘ではなかったと思う。

 勘繰るひとがいたとしても、本当の意味で気づいていたのはわたしくらいじゃないだろうか、なんて、自惚れではなしに思っている。

 だってそんなこと、未那を見る叶ちゃんの目を見れば、一目瞭然だったのだから。文字通りに。


 夏休み。その途中から、叶ちゃんが未那に向ける視線は明らかに変わった。

 こんな風に言うのもなんだけど――それは、わたしが未那に向ける目と同じ色だったと思えたのだ。

 ていうか、わたしは未那をこんな目で見ていたのかと、なんかもう逆に恥ずかしくなってくるくらい明確に、その、なんですか。

 恋する乙女の表情だった。


 いやまあなんか、それに気づいたわたしは、ああそっか、そうなのかー、とか、そんなことを思った。

 要するに何も思わなかったというか、いやそれは嘘なんだけど、とにかく少なくとも驚きはしなかったと思う。


 実際、最初から警戒してはいたのだから。

 まだ春の頃、なんて強敵が現れたのかと目を回したことを覚えている。

 その勘違いが現実になっただけ、という感じ。


 ただ、それが春、いきなりではなかったことだけが、わたしにとってのアドバンテージだったわけだ。

 もしも最初から叶ちゃんが本気で向かって来たら、わたしは戦うことすらできずに負けを認めてしまったかもしれない。


 だけどわたしは未那に出会って、未那と話して、仲よくなって――そして、自分の望むことに対して真摯に、全力で振る舞えるわたしへと変わることができた。

 だからこれからだぞというか、早くがんばらないとというか、まあそんなことを思って自分なりに攻めてみたりとかしたわけで。

 それは葵や勝司たちに言わせればぜんぜんなのかもしれなかったけど、わたしなりにできることはやってきたつもりでいる。


 その結果が今なのだから、わたしはそれを誇ってもいいはずだった。


 けど、まあ。

 それでもやっぱり、思うところがないわけじゃない。


「ね、未那」


 とわたしは後ろから声をかけてみる。

 未那はこちらに振り向いて、ちょっとぎこちない笑顔で答えた。


「ん、何?」

「いや、……えーと」


 言うか言うまいか少しだけ迷ってしまう。

 だけどやっぱり、言っておこう。そう思って、わたしは口を開いた。


「――屋上のジンクス、って知ってる?」

「屋上のジンクス……? いや、知らないけど」

「この学校、文化祭の間だけこっそり屋上が解放されるでしょ? それにまつわるお話というかね、……文化祭の最終日に屋上で告白したカップルは幸せになれるぞ! っていう伝説があるんだって」

「――――」


 未那は明らかに返答までに間を空けて。

 いかにも隠しきったという風に、平静を装ってこう言った。


「あ、そ、そうなんだ。それは知らなかったな」


 ――うわー。うー、わー……。

 怒るのも悲しむのも絶対に違うんだけど。うん、だからめげるつもりもないのだ。


「これってどうなんだろうね?」

 わたしは小首を傾げながら。

「もう付き合ってるカップルだと不成立になっちゃうのかな……どう思う?」

「……そもそも、どうしてそんな伝説があるんだってところからだよなー」


 あ、未那が話を逸らした。


「そりゃ、誰かが告白したんじゃない?」

「いやでも信憑性薄くないか? この学校ができてからどれくらい経ってるんだって話だし。幸せにとか言うんだったら生涯保障じゃないとおかしいけど、ここで成立した連中のその後を追うには、つまり数十年の時間がだな――」


 何かを誤魔化そうとばかりに否定を重ねる未那であった。

 だけど、今のわたしなら、未那に刺さる反撃だって思いつくのである。


「……未那」

「え?」

「ロマンがない」

「――――」


 ものすごく悲しそうな顔をする未那だった。……かわいっ。

 でも、そのお陰でちょっとだけ元気が出てきた。

 わたしはまだまだがんばれる。


「あ、ちょっと先行っててよ」


 わたしはそう言った。


「どうしたの、急に?」


 首を傾げる未那に、笑顔を向けて言う。


「電話するだけ。終わったら追いかけるから先行ってていいよ」

「あ、そう……? わかった、んじゃ先に戻ってる」

「うん。またあとでねっ!」


 未那を先に行かせて、わたしはひとりその場へと留まった。


 ――さーて、と少し考える。

 未那と叶ちゃんの関係はトクベツだ。

 たとえそれがこれまで恋愛感情ではなかったのだとしても、余人には立ち入れない何かがあるなんて見てれば誰にでもわかること。

 そんな中に割って入らなければならないと知ったときは、それはもうへこたれたもの。あとで違うとわかっても――それでも、あの関係が特別であることには違いがない。


 翻ってわたしには何もなかった。

 ただ恋人である、というだけのことでしかない。

 それだけ……だけど。



 それが、わたしにとっての特別なのだ。



 わたしはそれを誇れる。

 普通に同じクラスになって、普通に会話をして、それで普通に恋をした。

 たったそれだけの、どこにでもある普通が――わたしの誇る特別だから。

 誰に憚ることもないのだ。わたしは正々堂々、正面から、叶ちゃんを敵に回して戦おうと思う。

 そしてその上で、叶ちゃんとも友達であり続けてやるのだと決めている。


 中途半端なんて欲しくない。

 強欲であろう。わたしはわたしの欲しいもの全てを、最後までひとつだって諦めたりはしない。

 わがままに、馬鹿みたいに、笑顔で全部を求め続ける。


 それが、湯森さなかの主役理論。


 だから容赦なんてしない。

 叶ちゃんが何を考えているかなんてわからないけど、こんな風に迷っているのなら、その間にわたしが勝ってしまうだけのことだ。……といいな。

 いやいや。あそこで逃げ出す程度なら、やっぱり叶ちゃんなど敵ではないのだ。


 だからわたしは夏休みの間に告白したし、

 文化祭ではいっしょに過ごそうと約束したし、

 泣いていた叶ちゃんを追いかけることもしなかったし、

 それを知っていて、それでも未那に、いっしょにいてほしいと伝えた。

 屋上で、キスだってした。


 その全部がわたしのしたいことだったから。

 きちんと口に出して、欲しいと言った。


 そりゃなんかちょっとズルい気がしないでもないし、未那が明らかに動揺しているのを見ればわたしだってもやもやするし、ていうか泣いている叶ちゃんを見たらわたしがまず動揺しちゃうし、約束破られて怒ったのも嘘じゃないし、だけどそこで未那が叶ちゃんを放っておくわけないし、ていうかわたしだってそんなことしないのわかってるし、なんかもう全部がうわわーって感じでよくわかんなくなっちゃったりするけれど。


 それでもわたしは、迷うことだけは、もう――しない。

 その上で。


「えーと……あ、もしもし?」


 わたしは電話をかける。

 通話はワンコールより早く繋がり、びっくりするくらい嬉しそうな声が聞こえてくる。


「あ、あはは……まったくもう元気だなあ。――え? あ、うんそう。それでね、たぶんどっかにいると思うから。うん。そっちはお願いしよっかな、って思って。……まさか、そういうんじゃないよ。でも友達だからね。泣いてる友達は放っとけないじゃん? いやそんなこと言われたくないから、もうっ! ……うん。それじゃお願いね――ありがと」


 そこまで話して、わたしは通話を切った。


 これでいい。

 わたしは、わたしがやりたい通りのことを、わがままにやりきったのだ。

 未那のことで負けるつもりはない。

 だけど、わたしは泣いている友達をそのままにしておくのだって嫌だ。

 それとこれとは違う話。両立するお話である。だったらその両方を取っておこう。


 結局、わたしの行動の理由なんて、どこまでも単純なもの。

 わたしは、自分の唇に指を触れてみる。


「……ふへへ」


 なんだか変な笑いが出た。今になってちょっと恥ずかしくて、だけど、それ以上に胸がドキドキする。

 再確認ってわけじゃないけど、うん。やっぱりわたしは自信があった。



 ――だってあの日の約束の通り、未那は今もわたしを見てくれているのだから。



 それだけでわたしは、どこまでだって戦える。

 そりゃ迷うし、揺らぐし、厳しいし、キツいし、泣きたくなったりもするし、叫びたくなることもあるし、ホント厄介な人たちを好きになったもんだとも思うんだけど。

 それでもわたしは、やっぱりみんなが好きだから。

 これだけは誰にも――叶ちゃんにだって絶対に負けない。

 わたしは胸を張って、声高に叫ぶことができる。




 ――湯森さなかが、世界でいちばん、我喜屋未那を大好きなんだぞ、って。




 ほら。

 それって、特別じゃん?

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