5-15『そのせいで、失ってしまったものの大切さに、3』
その言葉に少しだけ考えてから、俺は答える。
「……それ、ヤバいか?」
「んー。まあ元はここまで繁盛するなんて想定してなかったからねえ」
言った葵も考えてはいたのだろう、少し眉根を寄せつつ苦笑した。
まあ要するに俺たちは、食材が切れたら、別にそこで終わりでいいということ。
協力は求めるにせよ、初めから少人数で店を回すことを考えていたのだ。
食材が切れた段階で、あるいはもういいかと満足した段階で、閉店にしてしまうことは考えていた。
でなければ、屋台にかかりきりで文化祭を巡ることができなくなってしまう。
「確かにこんだけ売れてるとなあ」
勝司も頷いて。
「どっか適当なとこで切り上げるつもりだったわけだが、目当てに来てくれた人には申し訳なくなってくる」
俺も応じる。
「まあ、そこだよな。たぶんこの勢いは、午後になる前に終わると思うんだけど……なあ葵、仮に続けるとしたら、どのくらい買い込むべきだと思う?」
「どっちにしろ量は買えないよ。クレープの材料は、ほとんど保存に冷蔵庫がいるから」
「学校のと、屋台のほうのクーラーボックスを合わせても、そんなには入んないね」
さなかもそう続けた。
学校の冷蔵庫を使うのは俺たちだけじゃない。そもそもの話、食材をそこまで保存しておけないのだ。
俺たちの場合、それもある意味で都合がいいとクレープを選んだのだが。
しばし考えてから、俺は調理室の中を見る。
手伝いに来てくれているクラスの女子たちが、視線に気づくとピースを投げてくれた。俺もそれにピースを返して、苦笑しながらみんなに告げる。
「……しゃーない。ちょっと買い足しに行くか!」
みんなも、仕方ないという笑みでそれに応えてくれる。
なんだかんだ、こうして屋台を回すことを楽しんでくれているのだと思う。とりあえず俺は葵に向き直って、
「買い出しには俺がひとっ走り行ってくるよ。駅前すぐだし。小春に連絡して何を買うかだけあとでメール貰えるように言っといてもらえるか?」
「ん、わかった」
「勝司は引き続き調理室と屋台の連絡係頼むわ。ついでに此香と泰孝にも教えといて」
「おう、任せろ。――にしても、手はひとつで足りんのか?」
「どうだろね。何買うか次第ではあるけど……」
「あ。そしたらさ」
と、ここで葵が。
「――これを持っていくといいよ」
なんてことを言いながら、ぽん、とさなかの背中を前に押した。
「えっ、わ、わたし!?」
目を白黒させるさなか。彼女の親友は、そんなさなかに悪戯っぽい笑みを向けて。
「こっちはみんなのお陰で手、足りてるから。回転は充分。買い出し要員出すなら調理場からでしょ? ほかから出したらそれこそ回んなくなる」
まあ、言っていることは正しかろう。
とはいえ葵だけではなく、女子陣全員から「行ってきなよ!」なんてさなかが言われている辺り、理由はそれだけじゃないと思う。……なんだかなあ。
悪い気分ではない。そりゃ気恥ずかしいとは思うけれど、それも青春の醍醐味だ。
「え、い、いいけど……うん、わかった。未那ひとりじゃ大変かもだしね!」
「そうそう、そうだよ! ちゃんと手伝ってあげるんだよー?」
「う、うん……もちろん……?」
そして結局、押されて引き受けたさなかは、みんながニヤニヤしている意味を理解していないようだった。そういうところが俺は好きですよ。ええ。
俺もわかっていない振りをしながら、さなかに告げる。
「ほんじゃ、さなか。また昇降口んとこで待ち合わせにしよう。先行ってるわ」
「あ、――うん、わかった! ちょっと待ってて」
それだけ告げると、そそくさ逃亡を決め込む。
去りしな、背後から聞こえてきた「ふたりっきりだねえ」「え……あ、ああ!? 謀ったなあっ!?」という会話は、うん。
聞こえなかったことにしておこう。
さなかと連れ立って、ひとっ走り駅前のスーパーへ向かった。
実際には走らず歩いたのだが、それはともかく。小春にリストを送ってもらい、持ってきた予算の残りを使って買えるだけ、というか持てるだけの品を買った。
そしてすぐさま引き返す。
残念ながら急ぎ足だったため、さなかとふたりきりであることが何か面白いイベントを起こしたりはしなかった。
これも青春と思えば、俺としてはもちろん楽しいのだが。
「さすが運動部。体力あるね」
校門まで戻ってきたところで、さなかに言った。
一応、重たい荷物は格好つけて俺が持つようにしたのだが、それなりに速度を重視した俺に、さなかは普通について来ている。ていうか俺より余裕そうだった。
バイトもあれば体育の授業だってあるのだ、そこまで衰えたとは思わないのだが、この分だと中学時代より体力は落ちているかもしれない。
結構疲れた。
「ふふん! 帰宅部には負けないよー」
自慢げに微笑むさなか。かわいい。俺の彼女がかわいい。
胸中で、誰にともなく惚気る。俺の人生、最近ほんと楽しいことしかねえな?
「俺だってまだまだ。やるときはやるさ」
「あんまり未那に運動得意ってイメージないけどな。そりゃ苦手ってほどでもないけど」
「いや……それはアレだよ。ほら、帰宅部には帰宅部のフィールドがあるから」
「えー、何それ?」
「帰宅部員は、家に帰る速度なら運動部員は決して負けない」
「それはただほかの人より早く帰ってるだけだよ!? 学校出るのが早いだけだよ!」
「バレたか」
「バレバレだあっ!」
キレのいいツッコミをして、自分でご満悦になるさなかが超かわいいです。
「まあ結局、大した量は買ってこられなかったけど……」
小春からの連絡によれば、あまり気にしなくてもいい程度らしい。
実際、客足はかなり捌け始めているとのこと。三時前くらいには、さっさと閉めてもよさそうだ。
校庭の喧噪の中を、買い物袋を提げながらさなかと歩く。
すごい活気だ。校庭がこんなに人で埋まっているところは初めて見る。
これでも昼近くになって人波はだいぶ減っている。午後からはステージイベントも多くなるし、どこかで落ち着いて昼食にする人も増え始めるからだ。
調理室を目指して歩いていると、ふと背後から「あれ?」という呟きが聞こえた。
振り返ってみると、さなかもまたこちらではなく、背後に視線をやっている。ちょうどすれ違った人の背中を、首を傾げて見ているようだった。
「どしたの?」
「や、なんでもないんだけど……なんか、どっかで見たことある子がいた気がして」
生憎と俺は、すれ違った人の顔を見ていなかった。
去っていく背中は私服姿の女子。それを見るに、おそらく遊びにきた他校の女子生徒といったところか。すぐに人並みの中へ消えていってしまう。
「なんだろ。中学んときの知り合い、とか?」
訊ねた俺に、さなかはやはり何かが引っかかるとばかりに。
「うーん……一瞬しか見えなかったけど、仲よかった子なら気づくと思うんだよね」
「……気になる?」
「なんか引っかかった。けど、まあいいや。ごめん、引き留めちゃって」
「……まあ、知り合いならまたどっかで会えるかもしんないよ?」
「ん、そだね!」
さなかは前を向いて、笑顔を作った。
「行こっか。みんなを待たせてる」
そこで俺は言った。
「――さなか、確か二時までで終わりだよね?」
「え? ああうん、今日はそうだね」
「そしたらそのあとは、ふたりでちょっと見て回ろうぜ?」
明日は昼頃にデートの時間を作ってもらっている。
だが、何もその前に遊んじゃいけない、ということはあるまい。
さなかは少しだけ驚いたように目を見開くと、
「……えへ、へ」
「あー……どうかした?」
「んーん、どうも。嬉しかっただけだよ」
そう言って、さなかは買い物袋を持つ手に再び力を込め、俺を抜き去って歩き出す。
そしてこちらに振り返り、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、けれど歯を見せて綺麗に微笑んだ。
「わたしからも、同じこと言おうと思ってたから! ――両想い、だね?」
そんなちょっとした、偶然とも呼べない程度のものを。
まるで何物にも代えがたい宝であるかのように、さなかは心から楽しんでくれている。
再び前を向いてさなかは歩き出していく。それで、助かった。
ああ、本当に。
いつもはあたふたテンパって、狙ってみせてもどこかずれてしまう彼女の――こういう不意の一撃が、俺には効果抜群なのだから。
赤くなった顔が見られずに済んで、助かった。
※
――けれど結局。
その約束が果たされることは、なかった。
※
午後もとても忙しかったが、それ以上に楽しかった。
此香が休憩に入り、店にさなかが立つ。
文化祭を回るだけでなく、こうしていっしょに店番するだけでも充分に楽しめるものだったし、知り合いだって顔を見せてくれた。
「よう、未那! 来たぜー」
「真矢さん! ああ、マスターたちも。いらっしゃいませ!」
ほのか屋のメンバー、プラスかんな荘の人たちが遊びに来てくれた。
真矢さんに、彰吾さんと望海さんの宇川ご夫妻。加えて。
「あームリムリムリムリムリ、高校生眩しい青春威力高い溶ける溶ける溶けるフゥー!」
「あっはっは。雪丸ちゃんは今日も絶不調にハイテンションだなあ」
かんな荘の住人である
このふたりもときどき、ほのか屋を訪れる常連だ。
「どうも。なんかお久し振りですね」
と、俺は声をかける。
かんな荘の二階に住んでいるこのおふたりだが、瑠璃さんと同じで何をやっているのかさっぱりわからないことでお馴染みだ。それは馴染んでいるというのだろうか。
一応、同じ建物の中に住んでいるのだが、片や松沼さんはだいたい不在という理由で、片や雪丸さんはだいたい引き籠もっているという理由で、ほとんど顔を合わせない。
ただふたりとも気のいいお人なので、俺は年の離れた友人のように思っていた。
「いやあ。やっぱりお日様の下はつらいね。溶けちゃうよ、あたし。太陽の子だからさ」
「今日も何言ってるかわかりませんね、雪丸さんは」
笑顔で俺は言った。それは逆ではなかろうか、なんてツッコんだりしない。
相変わらずかんな荘の住人はみんなヘンな人だなあ、と思うだけだ。
みんなにクレープを渡し、しばらく雑談に興じた。五分ほどで、
「ほんじゃ見学がてら、かなっち探してくるねー。またね、みなっち!」
なんてことを言う雪丸さん。松沼さんも、
「おっと、待ってくれよ雪丸ちゃん! 雪丸ちゃんといっしょじゃなけりゃあ、せっかく合法的に高校生を眺められるってのに通報されちまうぜ」
「よーし! されるときはいっしょだぞぅ!」
「されたくないんだけど!?」
などと話して。そのまま揃って校内へと消えていった。
別に付き合っているわけでもなければ、そもそも話が噛み合っているようにも見えないふたりなのに、どうしてか馬は合っているらしい。
よくわからん人たちだった。
なんか世界観が違うような気がしてくる。
俺は宇川ご夫妻とも話をした。
「マスターたちは、店は大丈夫なんですか?」
宇川家ご令嬢の優花ちゃんは今、瑠璃さんが見ているということらしい。ふたりもすぐ帰るそうだ。わざわざ顔を見せてくれたことに礼を告げる。
「いやあ、せっかくだからね。松沼くんじゃないけれど、近しい若い子たちの近況を見ることは、僕にとっても楽しいものだよ」
「そういうものですか」
訊ねた俺に、マスターは笑って。
「うん。エネルギーを分けてもらえる気分さ。僕もまだまだ、がんばらないとだからね」
「そうですね。お父さんには、がんばってもらわないといけませんね」
マスターの言葉に、嫋やかに微笑んで望海さんが言う。
仲睦まじい夫婦の惚気を、聞かせてもらったような気分。聞いているこっちこそ幸せをお裾分けしてもらった気がして、なんだか嬉しくなってしまう。
「……なんか、いいね。こういうの。憧れちゃう」
それはさなかも同じようで、どこか羨ましがるようにそう呟いていた。
「そうだね……そう思う」
と俺も答える。
自分の未来なんて想像もつかない。マスターのように夢を叶えた大人や、同年代でも、此香のように将来の目標を明確に見据えた人間が、俺にはとても眩しく映った。
もともと失敗の反省から始まっている主役理論者は、
これから先、自分はどうしているのだろう。
大学に進学して、就職して、やがて結婚して子どもを育てて……漠然とした幸せの予想図が、形として目の前にあっても、いざ自分に当て嵌めるとイメージが湧かない。
年齢を重ねるだけでは大人になれない、なんて人は言う。
けれど、ならばどうすればなれるのだろう。誰がそれを教えてくれるのか。それとも、自分自身の力で見つけ出さなければいけないのか。
そんなことを、少しだけ考えた。
けれど、このときそんなことを考えている余裕など俺にはなかったのだ。
未来を考えることが悪いわけではない、むしろするべきだとしても、それは今と地続きのものだ。
まずは目の前の問題に向き合う必要がある。
そして問題は、どうしたって、向こうから勝手にやって来るものであった。
「――おうおう未那! 楽しそうにやってんじゃねえの、なあ?」
という声で俺はびしりと硬直した。
幸せの反動が、ここに現れたとでもいうように。
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