5-14『そのせいで、失ってしまったものの大切さに、2』

 実際のところ文化祭の二日目である土曜日は波乱の幕開けとなった。


 まずは昨日のことから話そう。

 叶と別れて高等部校舎に戻った俺は、適当なところで昼飯を買う余裕もなく、そうこうしているうちに再び仕事の時間が戻ってきたため屋台に合流した。

 さすがに此香も休憩に入ったようで、店番はさなかに代わっての午後。

 特に屋台を動かすような機会もないままに、割と暇になった店番を駄弁りながら過ごすだけの時間。


「お昼、食べなかったって聞いたから」


 さなかに作ってもらったクレープを昼食代わりに食べる俺。気楽なものだった。

 ほのか屋での仕事だってそこまで厳しいとは俺も思わないけれど、店番しながら普通に食事するユルさは、さすがに文化祭と言ったところ。まあ俺はせいぜい注文を聞くくらいで、実際の調理にはまったく携わっていない。

 しばらくふたりで雑談を嗜みながら、午後の時間を楽しく過ごしていた。


「これも手料理っていうのかな?」


 訊ねた俺に、さなかは少し困ったように微笑みながら。


「えー……どうだろ? 全部わたしが作ったわけでもないしなあ」

「そういえば前、さなかの手料理を食べたことがあったっけ」

「……うっ、思い出されてしまった」

「そんな顔を顰めなくても。その節はお世話になりました。美味しかったよ」


 というのは夏休み、アホな事情から風邪を引いて、看病してもらったときの話。

 メニューはたまご雑炊だったか。


「えぇー。あのときは叶ちゃんのほうが上手とか言ったくせにー」


 むっと唇を尖らせて、さなかに指摘されてしまった。


「美味しかったって言ったでしょ、でも?」

「そうだけど」

「……ちょっと気恥ずかしかったし。茶化したかっただけ」


 正直にそう告げると、さなかは驚いた表情になった。


「そう、なの?」

「……そりゃ、まあ。あのときは風邪で弱ってたわけだし。それに――」

「それに?」

「……好きな女の子に看病してもらいながら、手料理を振る舞ってもらえば、まあ」


 言ってからまた恥ずかしくなって、俺はクレープを最後まで口の中へと押し込んだ。


 ――甘い、なあ。

 そんなことを思いながら、横目で屋台を窺ってみる。

 さなかはこちらを向いてはおらず、顔を伏せるように手元へ視線を落としていた。が、耳が真っ赤になっていることは横からでも充分に確認できてしまう。

 俺まで恥ずかしくなってくる。


「……ふ。ふいうち、だよぅ……ずるい」

「結構、前から意識してたし。それは言ったと思うけど」

「そ、そうだけど! そんなに改めて言われたらわたしだって恥ずかしいのっ!」

「言う俺だって恥ずかしいよ!」


 だけど。

 そういう気持ちは、やっぱり何度だって、伝えておくべきだと思ったから。


「恥ずかしいけど今後も言うから……だからまあ、早めに慣れてくれると、助かる」

「な、慣れてって言われてもっ」

「これまで怖がって言えなかったからさ。でもそういうのはあんまりよくないのでは、と思いますし。……どうも俺は、そういうのを伝えるのが下手みたいだから」


 そして受け取るのも得意ではないように思う。

 俺とさなかが両想いだということは、当の俺とさなかだけが気づいていなかったから。

 事実、俺のアプローチは、さなかにまったく届いていなかったと伊香保で聞いた。俺としては着実に距離を詰めていったつもりだったのだが、告白の際、告白されるとは思っていなかったと思いっきり言われてしまっている。

 好意を伝えるのが下手なのだから、せめてきちんと言葉にしておくべきなのだ。

 これもひとつの主役理論、ってことで。


「だからまあ、好きな人には好きだって……それくらいは、言ってかないと。みたいな」


 内心の照れを押し殺しながら俺は告げた。

 横目でさなかを再び窺う。

 エプロン姿のかわいらしい女の子は、今はこちらを向いていて、けれど肩を小さくしたまま、真っ赤な顔で震えて言った。


「な……な、慣れる、なんて……無理だよぉ」

「……恥ずかしがり屋だよね、本当に」

「だ、だって! ……何回言われたって、わたしは……嬉しいもんっ!」

「――――――――」

「そんなこと言われたら、わ、わたしは喜ぶんだから慣れないもんっ。無理だもんっ!」


 そう言われる、俺が嬉しくて恥ずかしくてどうしようかと思う。

 もはや赤面もできない。俺は完全に硬直した。

 幸せだ、と思う感情の量が制御の閾値を大幅に超えている。

 こんなにも素敵な子に好意を向けてもらえる事実が、なんだか疑わしく思えてくるほどだった。こんなに幸せなことが、あり得ていいのだろうかとすら思う。


 ――ああまったく、道理で誰もが恋人を欲しがるはずだ。

 目標として立てた割に、具体的なことは何も考えていなかった。恋人くらいできないと青春の全てを楽しめないのではないか、と初めはイメージで考えたに過ぎない。


 報われている、と思った。

 努力が。自分を律した理論が報われているのだと、素直に誇れる。


「わわ、わたしばっかり不公平だよっ!」


 自分の言っていることを、さなかは自分で理解できているのだろうか。

 たぶん、できていないのだろう。

 誰からも好かれる、俺からすればどう見たって主役力の高い彼女は、けれどその印象に反し、とても素直で恥ずかしがりの女の子だ。俺と同じくらい色恋沙汰に慣れておらず、些細なことで感情を動かす。

 そして、それらを全力で俺に伝えてくれている。

 さなかは言った。


「わ、わたしだって――未那のことが大好きなんだからっ!」


 いやあもう耐えらんないっすわムリムリ俺がムリ。

 俺は右手で口元を隠して、顔を背けた。勝手ににやける表情を悟られないように。

 その辺りで、さなかも自分の言ったことに理解が追いついたらしい。


「え、う――あっ、ち、違っ! あ、いや違わないけどっ、えとっ……うぅう!」


 誰もいない場所でよかった。

 いや、いたらそもそもやっていないというものだが。


「……呼び込み、行ってくるわ」


 誤魔化すようにそう告げるのが限度だった。

 自分でも、だいぶ恥ずかしいやり取りをしていた自覚はあるんだ。触れないでほしい。


「あ。あ、うん……そ、そうだよね。未那、行ってらっしゃい。うんっ」

「おう。……あと、あー……さなか?」

「な、何かなっ!?」

「明日から来客が増えるけど。代わりに人でも増えるから……昼過ぎくらいから、あの、俺とさなかが空くって……聞いてるから」

「う、うん……」

「――回りたいとこ、考えといて。俺も考えておくから。そんだけ」


 ああ、俺は青春をしているんだなあ、とか。

 そんなことを考えていた。


 ――この時点では翌日からの殺人的な忙しさを俺は知り得なかったからである。


 うんまあ、その辺りがオチでした、と言いますか。

 結局どうしても劇的にならないのが俺という人間だと言いますか。

 はっきり言って文化祭の活気を舐めていた。


 翌日。土曜日。文化祭二日目。

 一般客への開放が始まる祭の本番。

 我らがクレープ屋の忙しさは午前から常軌を逸していた。


「こんな来るぅ!?」


 並んだ客の列に目を剥いた俺が言うと、勝司もまた冷や汗を流しながら呻いた。


「……噂にゃ聞いちゃいたが、これほどとはな」

「えぇ。この高校って、そんな文化祭が派手な感じの校風だったっけ?」

「――あれ? もしかして、ふたりは知らなかったの?」


 ぼやいていたところに、小春の下で全体統括のサブリーダーをやっている泰孝が言う。


「え? 知らなかったって、何が?」

「うちの文化祭、結構な盛況だって評判なんだよ。そもそも三日間もやってることがまず珍しいと思わない?」


 当たり前のように言う泰孝に、こちらも目を見開いた。


「……あんまり、そんな空気でもなかったけど……」

「そりゃ僕らは一年だからね」

 軽く肩を竦め、泰孝はこう説明する。

「まあ、本当に人気があるのは一貫部のほう。ただお客さんは流れてくるからね。近辺の高校の中じゃ断トツで来校者数が多いって聞いたことがあるよ。それだけクオリティが高いって」

「ああ、確かに……昨日覗いた一貫部、すごかったな」

「で、高等部も当てられて二年以降はガチ勢が増えるんだって。てっきり知っててやろうって言い出したものかと思ってたよ」

「知りませんでしたっ!」

「まあ、僕と野中さんで手は打ってるし問題ないさ。……正直ここまでの盛況は、僕らも予想外だったけど。赤垣さん効果、だろうねえ」


 役立たずの言い出しっぺに比べて、我がグループの参謀ふたりはあまりに心強かった。

 ただ実際、行列ができてしまうほどの盛況っぷりは、来校者数が多いこと以上の理由がある。泰孝が言った通り、それは此香の手柄――というか存在だ。

 というのも我らがクレープ屋台は、客の年齢層が少し高めなのである。


「此香、顔が広いんだな……」


 小さな呟きに、勝司も心からの感心を表して。


「さすがにプロだわな。これは参ったわ」


 此香を誘うとき《宣伝になれば》というようなことを俺は言ったが、いやはや勘違いも甚だしい、どころか失礼だったと言うべきだろう。此香がここで店を出しているから、という理由で来てくれているらしい客が、朝から列をなして現れたのだから。

 そういえば此香の実家は、確かお高めの和食料亭だったはず。

 実際に行ったことはないけれど、そちらのお客さんも多く訪れている模様だ。


「いやあ、此香ちゃん。久し振りだね。修行は上手くいってるかい?」

「ああ、坂崎のおじさん! 修行はまだまだだよ、あたしは。今度、屋台のほうにも来てくれよな? 爺ちゃんのときの味、おでんはかなり再現できてるからさ」

「そうだなあ。仕事にひと段落がついたら、久々に寄らせてもらうよ。楽しみだ」

「うん、待ってる。ありがとな!」


 だとか、


「来たぜー、赤垣の嬢ちゃん。今日はかわいらしいカッコしてるじゃねえの」

「土曜の昼間っから、どこで聞きつけてきたんだよ……まあいいや、いらっしゃい」

「オッサン、時間に縛られない仕事でねえ。しかしいいねえ、若いって」

「んだよ、いつもよりオッサン臭えぞ? いや、遠野さんはいつもだっけ?」

「こりゃ酷ぇや――っと、まあ楽しんでるみたいで何よりだ。また店にも寄らせてもらうから、ご両親にもよろしくな。はは、んじゃ娘と嫁の分も合わせて三つ頼むぜ」

「毎度ありぃ!」


 だとか、


「どうもお嬢。伺わせてもらいましたよ」

「うわっ、西村さん!? 久し振り! ていうか、あれ? 東京の店は――」

「お陰様で軌道に乗ってますよ。これもお嬢のお父様から受けた教えのお陰です。今日は久々に顔を見せるついでに、こうして寄らせていただきました。あとでご実家のほうにもご挨拶に伺わせていただく予定です」

「だ、だからどっから情報手に入れてんだよ……爺ちゃんか? や、まあいいけど、それよりお嬢って呼び方もうやめてくれよ! なんか、ヤクザの娘みたいじゃねえか」

「ははは! いえ確かに、厨房での師匠はそれほどに厳しかった。お懐かしい話ですね。お嬢――失礼、此香さんも苦労なさっているのでは?」

「なんか西村さんに敬語使われっとムズムズすんな……いや、確かに大変だけどな。でも楽しんでやってるよ、最近は」

「それはよかった。どうです? いずれ私のお店に来ていただくというのは」

「……いや、あそこの厨房に立つ自信、今はまだありませんよ。評判はこっちまで届いてます。親父も喜んでました」

「何よりです。……ええ、はい。跡取りをスカウトしたと聞かれては久々に大目玉だ」

「あっはっはっ!」


 だとか。


 ……いやもうなんか世界が違うんですけども。

 文化祭で高校生がやってるクレープ屋で繰り広げられる物語じゃねえよ。


「元から、此香のことは尊敬してるつもりだったけど……足りてなかったかもな」


 小さく呟いた俺に、隣の勝司が「あ?」と問うた。

 俺は首を振り、軽く答える。


「いや。ほら、俺らと同じ年なのに、此香は将来のことしっかりと考えてるからさ。そのために必要な努力もちゃんとしてる――そういう意味で尊敬してたんだけど、実際にこうしてその成果を目で見ると、なんかビックリするわ。本当に、すげえんだなあ、って」


 我ながら、だいぶ頭の悪い感想ではあった。

 ただ勝司は馬鹿にするでもなく、むしろ神妙な表情で小さく頷くと。


「ま、……確かにな。は、俺もちょっとわかるぜ」

「……うん?」


 なんだか妙な言い回しに首を傾げると、勝司は肩を竦めて笑った。


「なんでもねえよ――っと、それより調理室から連絡だぜ。おらおら運搬行くぞー」

「え、あ、ああ、わかった。んじゃ泰孝、しばらく整理任すわ」

「了解。人が多いから、あんまり急ぎすぎないようにね」


 泰孝の忠告を受けて勝司と調理室へ向かう。

 屋台をすぐ傍まで移動させたこと、此香が知り合いとのトークで多少の時間を調整してくれていることなどにより、今のところなんとか回転させられている状況だ。この分なら捌ききること自体は問題ないはずであったが――。


 調理室へ回る。

 アルコールで手を消毒していたところへ、仕込み担当のさなかと葵(と、手伝いを引き受けてくれたクラスメイト数人)に声をかけると、葵が叫んだ。


「勝司、未那、……ヤバい」

「……なんかあった?」


 そう問い返すと、葵はさなかとアイコンタクトを交わし、それから言った。


「食材、足りなくなりそう」

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