5-12『いつか望んだ奇跡だったから、3』
そのあとしばらく仕事をして、休憩に入ってから叶に連絡を送った。
既読の表示がすぐにつき、しばらくして連絡が送られてくる。
『いま一貫部校舎への渡り廊下向かってるトコ』
『ごめん、それどこ?』
『ばかたれ』
端的な四文字で罵倒されてしまった。
高等部だけならともかく、中高一貫部まで含めるとこの学校は相当広い。また高等部の中でも類が分けられているため、普段過ごしていてまったく立ち寄らない箇所が結構存在する。
普段使う高等部の校舎内から、直通で一貫部校舎まで行けるとは知らなかった。
というか一貫部の校舎になんて入ったことがない。
『いまどこ』
どうするか考えていると、叶から追撃のメッセージが届いた。返事を打つ。
『昇降口戻って上履き履いたとこ』
『迎え行く』『からしばらく待ってて』
わざわざ来てくれるらしい。それは少し悪い気がする。
『予定あるんだろ?』『先行ってていいぞ。次どこかだけ教えてくれれば』
今度もすぐ既読はついたものの、返事は送られてこなかった。
三分もしないうちに、叶本人が姿を見せる。
「別にそこまでタイトなスケジュール組んでないから。時間が決まってる演し物系にだけ間に合わせれば、ほかはどうとでもなるよ」
「……ああ、さっきの返事なのね」
文章で送るより口で言ったほうが早いと判断したのだろう。
なら言わなくていいのに、わざわざ開口一番、返事から始めるところが実に叶らしい。
俺は笑った。
「オッケ、ならサンキューってことで」
「おう。んじゃ行くぞ」
踵を返して歩き出した叶。
その隣に駆け寄って、並びながら問いかける。
「そんで次は、どこに行く予定なんだ?」
「一貫部でやってるオリエンテーリングに行く予定」
「……何それ?」
「スタンプラリーみたいなヤツ。チェックポイントを回って課題をこなして戻ってくる、みたいなのでしょ。まあ詳しい内容までは、行ってみなきゃわかんないけど」
「あー……なるほど。それはちょっと面白そうだな」
「でしょ?」
にっと楽しそうに笑って、叶はこちらを見上げる。
「どういう形式かは知らんけど、どうせなら競争しようぜー。どっちが先にクリアできるかさ」
思えばこんな風に学校で話すことはほとんどない。横に並んで歩いていると、意外にも叶は背が低いとわかる。
いや意外ということもないのだが、家にいると立っているよりも座っているとか寝転がっていることが多いから、ちょっと印象が違ってくる気がした。
あるいは普段の性格から受ける、ふてぶてしい我が道ウォーカーなイメージのせいか。
だがこうして横で歩いていると、それがあくまで性格の印象でしかないとわかる。
実際の叶は、そこまで背が高くないし体格も華奢だ。それもあくまで外見の印象でしかないが、ギャップのせいか、なんだか酷く脆くて弱々しく見えてしまう。
さなかのほうが元気というか、バイタリティに溢れた印象を受けるだろう。
いや。
というか、これは……。
「どしたん?」
数秒の無言を作ってしまった俺に、叶が怪訝そうに首を傾げてみせた。
脳内を占めていた妙な違和感を振り払って、俺は話題を戻すように答える。
「いや――いいね。受けるよ。負けたほうはどうする?」
「ま、オーソドックスに何か奢るってことでいいんじゃないかな。未那、お昼は?」
「さっきまで働いてたし、まだだよ」
「だよね。わたしもちょこちょこ間食はしてたけど、ちゃんとは食べてないし。そしたら負けたほうが、勝ったほうに昼奢りってことで」
ふふん、とばかりに笑う叶。負けるつもりはないという意思表示だろう。
であればもちろん受けて立つのが俺という男。
脇役哲学の信条通りに文化祭を楽しんでいる叶に対して、思うところのあろうはずがないのだ。
やはり叶は全力で今を楽しんでいる。
そのはずだったし、それ以外には見えない。楽しんでいないはずないではないか。誰に憚ることもなく、欲しいものを全力で追い求める姿勢は何も変わっていない。
だから、勘違いに決まっている。
どうしてか叶の姿が、
ほんの少しだけ、
無理をしているように見えただなんて――。
※
「冒険者ギルド《ヒバリーヒルズ》へようこそ!」
ギルド受付嬢のお姉さんが言った。
俺は叶と並んで説明を受けている。
「冒険者登録、ありがとうございました! 善意あるあなたたちは、これから悪の魔王を封印するために必要な七つの秘宝を集めることになります! 各秘宝は
――という設定であるようだ。
要するに、校舎の中に指定された各チェックポイントをひとつずつ巡り、そこにいるであろう魔王の部下役の七幹部の出す課題をクリア、秘宝を貰って帰ってこいということ。
「ではおふたりに、この《秘宝の地図》をお渡ししますね!」
受付のお姉さんこと雲雀高校中高一貫部二年の先輩に用紙を貰う。
この分だと、ふたり揃っての挑戦になりそうだ。
ちら、と叶に視線を流すと、彼女も仕方ないと苦笑していた。
この空気で、いや別々にやるからもう一枚くれ、などと世界観を破壊する台詞を吐くのはちょっと忍びない。
「最初のチェックポイントはダンジョン一階! では、力を合わせてがんばってくださいね! 行ってらっしゃいませ」
「ありがとうございまーす」
軽く答えて俺たちはスタートした。
まず手元の用紙を確認する。……なるほど。
しばし眺めていると、横からひょこひょこ首を動かして覗き込もうとする叶が、
「ねえ……ねえ、ちょっと。見えないんだけど?」
「……んー。ほら、これ。見てみろよ」
「あん? ……あっ」
用紙を手渡すと、それを見た叶がフリーズした。
なぜならこの用紙には《カップル用》という文字が記載されていたからである。
どうも挑戦者の人数や組み合わせに応じて、ちょっとした差異があるらしかった。難易度やシナリオの兼ね合いがあった、ということなのだろう。
まあどうでもいい。
割と設定が凝っていて、すでにテンションが上がってきている俺。用紙を見たまま固まっている叶の上から俺も再び覗き込んで、方針を考える。
「この地図には最初のチェックポイントしか載ってないから、二番目以降は解いたあとで解放されていくって感じかね? とりあえず一階まで降りようぜ」
「…………」
だが返事がない。俺は首を傾げて問う。
「叶? どうしたん?」
「え――?」
ぱっと顔を上げた叶。その表情を見た俺は、二の句も告げられずに絶句した。
見たこともない顔で俺を見上げる叶がそこにいたからだ。
照れているような、悲しんでいるような。どうとも言い難い複雑な表情。顔が少しだけ朱に染まっており、けれどどうしてか泣き出す寸前のようにも見えて。
わけがわからず硬直した俺に、え、あ、と何ごとかを呻いてから叶は顔を背けて。
「あ……えと、ごめん。これ……交換してもらってくるね」
「え? あ……ああ、いやいいよ、これで。そんな気にすることでもないだろ」
「……でも」
どうやら叶は、こちらの事情を汲んでくれているようだった。
前から思っていたことだが、この辺り叶は結構、敏感な気がする。
いや、過敏と言ってもいいかもしれない。
それは、おそらく叶の過去に起因することなのだと思う。
秋良にも似たようなことがあったからわかるのだ。
下らない嫌疑や、嫉妬に起因する悪感情を理不尽にぶつけられて、余計な面倒を背負わされるなんてままある話だった。
だけど、そんなことは叶が気にするようなことじゃない。
脇役哲学のことを考えてもそうだ。それを嫌って今の道を選択した叶に、今さら余計な配慮を俺がさせてしまうなんて心苦しい――というか絶対に嫌だ。
だってそれこそ、叶に対する裏切りだろう。
「いいって。今から戻ったらまた時間かかるぞ? このオリエンテーリングにどれくらい取られるかわかんないし、それで予定狂ったらお前も困るだろ?」
「で、でも……えっと、ほら……さなかに悪いし」
「さなかがそんなこと気にすると思うか?」
「……わかんないじゃん」
「わかるよ。絶対なんも気にしない。むしろ喜ぶよ。帰ったら教えてやろうぜ?」
「…………」
「別に、お前が嫌じゃなきゃいいっての。そんなことまでお前が気にしなくていいんだ」
それ以外に、ここで正しい返答などないはずだった。
俺たちは誓ったのだから。
あの日、あの夜に、あの公園で。
背中合わせに違う方向へ進む俺たちが、けれどいつだって同じ場所にいて、同じものをいっしょに見られるように――と。
お互いに余計な配慮はせずに、ただ自らが望む通りに振る舞って、それでも友達でいられたら最高じゃないか、って。
そう、思ったから。
それも含めて俺のエゴだろう。
だけどやっぱり、少なくとも叶にだけは、俺に対して余計な配慮をさせたくなかった。
そんな風にしなくても、俺だけは絶対にいなくならないから。
いつまでだって、お前の隣にいるから、と――。
言葉にはせずとも、そう、態度くらいは示してやりたいと思う。
「ま、お前がどうしても嫌だっつーなら考えるけど。でも冷静に考えたら、それって割とさなかに対しても失礼じゃない? 仮にも彼氏なんだし、俺」
さなかのことは、それこそ俺が自分でどうにかすること。
だから俺は、せめてこれくらいは言ってやりたかった。
優しくて臆病な叶が、それでも望んでくれたものを、俺が嘘にするわけにはいかない。何があろうと絶対に、だ。
だから俺は一切、何も気にしていないという表情で笑いかける。
叶も、だから笑ってくれた。
「……いや、普通に嫌だけどね? 噂とか立ったらどう責任取ってくれるわけ?」
「そういえばそんな時期もありましたね、昔……」
「…………思い出させるなよ」
「言い出したの叶だろ。つーかどうせ立たねえっつの。一貫部に知り合いとかいないし、向こうだって挑戦者……ていうか冒険者? の顔いちいち覚えてないって」
「……まったく」
と、叶はわずかに微笑んで。
こう言った。
「せっかく人が気を遣ってやったってのに。甲斐のない奴だよ」
だから俺も笑って答える。
「うっせ。お前相手に俺がそんなもん今さら求めるかよ。つか、こんなんただの表記だろ」
「……そうだね。事実とは……違う。ただの、表記だ。気にすることじゃ――ない」
「妙なところで気ぃ遣ってんじゃねえよ……バカ」
「……本当。ばかなこと、言ったね。わたし」
軽く肩を竦めて、それから俺は話題をオリエンテーリングに戻す。
「んじゃさっさと行こうぜ。無駄に時間使っちまった」
「おう。――この程度、余裕でクリアしてやろうぜ、未那」
「もちろん」
叶はいつも通りの笑顔に戻った。
俺たちは早足で歩き出す。俺と叶なら、そこそこいいスコアが出せると思った。
その後は何ごともなく続々と課題をこなしている。
チェックポイントの魔王の手下たちが軒並み面白くて少し笑ってしまったが、クイズも脚本もなかなかに楽しめた。というか、かなり出来がいい。
カップル用の用紙を貰ってしまったせいか、魔王の手下たちが倒されるたびに「ぬおぉなんと強い愛の力だグワ~やられた~」とラブを強調してくるのは、もはやギャグだった気がするが。
まあ文化祭だしそんなもんだろう。いかにもって感じで嫌いじゃない。
「やっぱりわたしより、さなかと来ればよかったんじゃない?」
全てのチェックポイントを通過してスタート地点へと戻るとき、叶がそんな風に言う。
俺は答えた。
「いや、知らなかったし……でもまあ、来てても無理だっただろうなあ」
「……謎解きだしね。さなか、確かに苦手そうか」
「そうじゃなくて」
「うん?」
「……たぶん、愛の力とか言われるたびに、照れて使い物にならなくなると思う」
そして照れるさなかを見て俺まで照れるというループが完成するだろう。
そんな俺の予想に、小さく笑って、叶はこう言った。
「なるほど。……確かに、それはわかるなあ」
およそ誰もが予想する通りのリアクションをしてくれるところが、さなかのいいところだと俺は思った。
反面、予想外だったのはこのシナリオのオチであり。
スタートの教室まで戻ってくると、中にどうぞと
「――フハハ騙されたな冒険者ども! のこのこ秘宝を集めてくれて感謝するぞぉ!」
「どうする叶、ギルドが汚染されていた」
「それは予想してなかったね」
「……。実はこのわたし受付のお姉さんが魔王だったのだ! ギルドは乗っ取ったぞ!」
俺は乗った。
「くっ、どうしてなんだお姉さん! あんなに親切にしてくれたのに!」
叶も乗った。
「正気を取り戻してお姉さん! 元の優しいお姉さんに戻って!」
喜んでもらえた。
「フハハ、いい反応ありがとうございます! ……おほん、だがギルドの事務仕事に明け暮れて出逢いがなくいい男が見つからなかったお姉さんの恨みはカップルの説得では晴れないのだ!」
そんな理由で魔王にならないでほしかった。
しかもこっちがカップルではない始末。言わないでおこう……。
「だが君たちにもチャンスをやろう! さあ私が出す最後の問いに答えるがいい! だが果たして解けるかな! ホントは彼氏を作って文化祭とか回りたかった私の恨みを、らぶらぶカップル如きが越えられるかなー!? ちくしょう……彼氏欲しい……」
中の人の怨念まで籠もっているようなメタい台詞ののち、最後の問題を解いて俺たちはクリアを果たした。
マントを取って正気に戻った(?)受付の先輩が拍手をくれる。
「おめでとうございます、クリアです! やりましたね!」
俺は笑顔で答えた。
「ありがとうございました! いやあ、面白かったです。すごい出来ですね」
「えへへ、どうもどうも。あっ、よければ記念写真を撮っていってくださいねー。クリア記念としてプレゼントいたしますので。さあさあ並んでくださいっ」
「それじゃあ」
と、やたら面白い先輩が構えたポロライドカメラで、記念写真を撮ってもらう。
叶と並んで立つと、先輩は笑顔で。
「いやー、カップル用でクリアしたお客さんは初めてだよー」
「これ難しいんですか?」
「ソロ用もグループ用も難易度はいっしょだよー。でもカップルで来る人たち、だいたい途中で飽きちゃうんだよね、みんな。――さあ、それより寄って寄って。撮るよー!」
一度だけ叶と目を合わせる。
どうしよう。迷っていると受付の先輩が囃すように。
「ほら、もっと近くにくっついて! 腕を組むくらいまでなら許すよ!」
「……それはちょっと……」
「いいんだ! 見せつけていけ! 私の代わりに幸せになれっ! こんちくしょーう!」
キャラ立ちの激しい先輩であった。
「なんだこの人……」
叶はちょっと引いていたが、俺は笑う。
「面白い先輩だ……友達になりたい」
「すぐそういうこと言う。……仕方ない。腕は組めないけど、これくらいならいいか」
「うおっ」
「もっと下がれし」
叶の腕が首元に伸びてきて、強引に姿勢を下げらえる。
結果として俺たちは、肩を組んだ状態で写真に撮られることとなった。ちょっと意味がわからないが、まあ俺と叶ならこんなものだろう。
肩を組み、空いた手でピースサインを作った笑顔の写真は――なるほど確かに、俺たちらしいと思える一枚だった。
面白い先輩と別れて、俺たちは教室を出る。
出てから思ったのだが、せっかくカップル用のコースを選んだのだし、どうせなら二枚くれてもよかったのではないだろうか。
初クリアだから忘れられたのかもしれない。
叶はしばらく無言で写真を眺めていた。それから言う。
「ねえ、未那。――この写真、わたしが貰ってもいいかな?」
「ん、ああ、別にいいぞ。お前に連れてきてもらったわけだしな」
本当は俺も欲しかったけれど。
それは言わなかった。
「そっか。じゃあ貰っとく。……記念に、ね」
しばらく叶は、その写真を無言で見つめていた。
やがて再び顔を上げると、半笑いでこちらに視線を流して。
「ヘンな顔。写真写り悪いね、未那は」
「……うっせえな。そんなとこにまで文句あんのかよ。いきなり肩組むからだろ」
「あっはは――浮気の証拠写真ですなあ? どーすんだ未那さん?」
「お前まさかそのために肩組んだの? そのために欲しいとか言ったわけ?」
「バカ。冗談に決まってんでしょ。――ただの気紛れ」
ポロライド写真の右側、俺が写っているところをピンと指で弾いて。
叶は言った。
「……ありがとね。付き合ってもらっちゃって」
「ん? ……どうした急に」
「や、ほら。さすがのわたしも、今のをひとりでやるのはキツかったかもだし?」
「そっか。こっちこそ付き合ってくれてありがとな。お陰で楽しめたよ」
「……そろそろ時間?」
「そうだな……まだ少し余裕はあるけど、だいぶ今ので時間喰ったからな。早めに戻ったほうがいいかも」
「じゃ、解散にしよっか」
「お前は向こう戻らないのか?」
「わたしはまだこっちで行きたいとこあるから。――ひとりで、だいじょうぶ」
「……ああ、そう?」
「うん、そう。――ほら、こんなにいいモノも貰ったしね?」
ひらひらと写真を振って、叶は言った。
こいつに渡したのは間違いだったかもしれない。脅しの材料にでもされそうだ。
そんなことを思いつつ、俺は片手を上げて。
「んじゃ俺は先に戻ってるわ」
「おう。……本当に、楽しかったよ」
叶と別れて、ひと足先に元の校舎へ戻る。
――文化祭の一日目は、そのようにして過ぎていった。
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