5-09『少しずつ変化していく日常は、5』

 そうして日々は、どこまでも目まぐるしく過ぎていった。


 これまでと何が違うと問われれば、どうだろう。考えてみれば言葉に詰まる。

 少なくとも印象の上ではそう。

 俺にとって《主役理論》とは反省の象徴だ。あくまでを条項に置いているのはそれが理由である。

 知った気になって斜に構えて、見過ごしてきた、棄ててきたものが多すぎるから。

 そんな自分と、決別しようと思って考え出した理論である。


 だけど、そいつは別段、これまでの自分を否定しようと思っているわけではないのだ。

 間違ったと思う過去は多い。失敗や挫折なら数えきれない。

 けれど、何もかも正解だけ選ぶことは不可能だし、そもそも何が正解かを決めきってしまうのもおかしな話だ。


 実際、これまでだって楽しいと思えることは確かにあったのだ。

 人生の全てに失敗したと思えるほど、卑屈にもなれなければ自惚れることもできない。

 ひとつの失敗だけを見て、ほかを丸ごと否定できるほど俺は自分が嫌いじゃなかった。


 たとえば宮代みやしろ秋良あきらがいる。

 幼馴染みと、そう言っていいほど付き合いのあった奴だ。今、俺はあいつを旧友と呼ぶけれど、そこに取り返しのつかない失敗はあるけれど。

 だとしても――あいつと出会えたことは確かに、俺にとって最高の幸運だった。

 そこまでは否定しないし、できない。

 するわけにはいかないことだ。


 ――そう。

 結局のところ、これまでだって俺は日々を楽しく生きてきた。その濃度が、少しばかり増したに過ぎないのだ。

 終わってみればあっという間、という経験はもちろんある。

 ただその期間が短くなっただけ。

 濃度が増したというのはそういう意味だ。


 気づけば文化祭までの期間も、残すところあと一週間に迫っていた。






「……いやあ。やればできるものなんだねえ……」


 という吉永よしながあおいの台詞は、簡単に響いたようで隠しきれない感動を滲ませている。

 俺たちの目の前にある《屋台》を見据えての台詞だった。

 久々に全員集合してのひと幕である。


「本当、驚いたぜ。手作りでもできるもんなんだな……」

「いやまあ、お手本がしっかりあったからな。アレより簡単な作りだし」


 赤垣あかがき此香このかの感嘆の台詞に、屋台製作の実質的な指揮者だった宍戸ししど勝司まさしが謙遜して呟く。

 もうひとりの男子、しき泰孝やすたかも、もちろん俺も、まだまだ上を目指せたとは思っているわけだ。

 初めは『これ無理じゃない?』と考えていた頃が懐かしいくらい。


「おお、すごい。しっかり動くねー」


 湯森ゆもりさなかが手を叩いて言った。

 屋台を引く泰孝は、軽い微笑みの中に苦労と達成感を滲ませて、


「あはは。最初は車輪なんて絶対作れないと思ったものだけど。木材を円形に切るなんて工具があっても難しい気がしたんだけどさ」


 俺も頷いて答えた。


「ホームセンターの店員さんが一瞬で全部やってくれました」


 勝司も応じて笑う。


「設計図さえできてれば、あとは切り出してもらった部品を組み立てるだけみたいなもんだったしなー。そういう意味では、作業自体は思ったほど難しくなかった」

「これなら初めから、もう少し凝ったもの考えてもよかったかもしれないよな」

「いやー、それはどうだろ。予算の都合もあるし、作業だって、結局ギリギリになってるしね。このくらいが限界だったと思うよ、僕は。……まあ気持ちはわかるけどさ」


 作業が終わったというのにまだグチグチ言う野郎どもであった。

 女子陣から突き刺さる、男の子ってこういうの好きねーみたいな視線がすごい。

 最初はできる気がしないとか言ってたくせに、いざ始めるとノリノリだったじゃん、的な。


「やーでも、やっぱなー。軸の部分がどうしても、こう、長持ちしそうにないんだよな。不安っつーか不安定っつーか……文化祭に使うだけなら問題ねえだろうけど」

「勝司はそればっか言うよな」

「うるせえ、未那。つーかお前が早々に秋良ちゃんに頼ったのが悪い」

「え? 秋良ちゃん?」


 さなかがきょとんと首を傾げる。やべ。

 俺は勝司を一度、じとっと睨んでから白状する。


「ん……まあちょっとだけね。アドバイスを貰ったりはしたかもしれないね」


 俺の嘘は秒でバレた。

 さなかは全てを察した表情でこちらをしらーっと見て。


「へえ、そうなんだー。……で、ちょっとって、どのくらい?」

「えーと。まあ、そうね。ちょーっと設計図を起こしてもらったくらい、かな?」

「ちょっとじゃない! ほぼ根幹っ!」


 スーパーバイザー宮代秋良氏。

 ノリで屋台を手造りしたいと言ったはいいもののどうすればいいかわからない、と泣きついた俺に、仕方ないから調べて簡単そうなのを描いてみたよ、と指示をくれていた。


 ……俺の手柄でないことがバレてしまった……。


 というより、秋良がなんでもできすぎる気もするが。

 なんて頼れるアキラえもん。


「未那ってそういうとこダサいよね」

「ぐふっ!? ……い、いや、ちゃんとクレジットには名前を入れる気でしたよ?」

「ないでしょそんなのー。格好つけて隠してすーぐバレるんだから」

「……そういう星の下に生まれてるんだよ」


 いやまあ、元から最後まで隠すつもりなどさらさらなかったが。

 軽く笑った俺に、さなかは「わかってるよ」という表情で肩を揺らしていた。どうやらそこまで含めてお見通し、ということらしい。敵わないものだ。

 そんなやり取りを見ていた野中のなか小春こはるが、こちらに向かって小声で言う。


「未那くんは、浮気とかできなさそうですよね。というか一瞬でバレそうです」

「そもそもしないけど!?」

「そうですねー」

「棒読みやめてくださいませんか」

「だそうですよ、湯森さん。よかったですね」


 小春は最近、しれっと俺をからかうようになっていた。さなかは腹を抱えている。

 どうもツボに入ったらしい。

 わかんないな。なんでか最近、さなかは俺が笑われていると楽しいみたいなんだよな。

 大丈夫? なんか俺に対して歪んだ愉しみを見出すようになってない? 平気?


「えー……まあともあれ、これで屋台班は仕事明け。そっちはどう?」


 彼女を信頼することにして流した俺に、彼女も答えて笑う。


「ばっちりだよー! ねー、みんな!」

「うん」

 葵も頷く。

「まあ正直、さなかがいちばん不安だったんだけど――」

「なんでえ!?」

「だって、あたしは普段から作ってるけど、さなかは違うでしょ? 女子力ないし」

「じょっ……いやいや! わたしだって料理くらいするよ!」

「此香に至っては本職の料理人だし、小春は性格的になんか上手そうだしね。……やっぱさなかがいちばん不安だって。そうでしょ男子?」


 さなかをからかって言った葵に、悪ノリして勝司が頷いた。


「まあ確かに」

「ひどっ!? ちょ、未那もなんか言って――あれ、めっちゃ笑ってる!?」


 彼女がからかわれていることに倒錯的な愉悦を見出す男がいるみたいですね。

 酷い奴だ。まったく許しがたい。


「はは……まあ、アタシだって別に菓子作りが得意ってわけじゃないけどさ」


 フォローするように此香が慰めを言った。

 とはいえ、やはり此香の手際がいちばんいいのではないかと思う。


 ――屋台で売る料理は、最終的にクレープと決まった。

 なんというか、まあ……無難なラインというか。

 いろいろ考えてはみたのだが、根本的問題として立ちはだかったのが、そもそも屋台で直接調理をすることが、現実として難しいということ。

 そんな機能的な屋台がまず造れない。

 ということは初めからわかっていたため、当初は屋台に調理器具を運び込むことで対応しようと考えていたのだが、ここにも問題が立ち塞がった。


 まず第一に、俺たちの造る屋台に持ち込める機材は限られるということ。それは屋台で販売する品物自体も限定されることに繋がる。

 そして第二に、――そもそもそんなもの用意できる予算がまったくないということだ。

 予算はクラス単位、あるいは部活単位で降りることになる。個人出展にはそもそも学校からお金が出ない。そのためクラス予算をグループで分け合うという対応になる。

 これは俺たち以外の出展者がもう一グループしかなかったため、半分ずつで折り合いがついたのだが……結局のところ、予算の大半は食材に使わなければお話にならない。


 この辺の試算は、此香のアドバイスを受けて小春と泰孝がやってくれたのだが、やはりなんでもというわけにはいかない、というのが誰でもわかる程度の金額だった。

 ちなみに第三の問題として、ほかのグループと被らないようにしたい、という点も。


 それらを総合した結果、俺たちはクレープ販売に踏み切った。

 調理室で下処理を済ませた食材を屋台に運び込み、屋台にはコンロを持ち込んで生地を焼いて、移動しながら売り捌くという形だ。屋台っぽさも合ってはいる。

 方向性がおでん屋台からはズレた気もするが、そこは此香の手腕に期待だ。

 もちろん、提供というか協力(?)として《赤垣おでん屋台》の宣伝チラシを刷るのも忘れてはいない。半周回って、本人は逆に恥ずかしそうにしていたが。

 さしたる宣伝効果もなかろうが、何。

 此香みたいな美少女と会えるおでん屋台なら、男子高校生くらい釣れるかもしれない。


「ともあれこれで、事前準備はおおむね完成しました。お疲れ様です」


 小春のそのひと言で、全員が実感を得たと思う。

 もちろん当日までにやることはまだ残っているが、ひとまずの形は完成している。


「あとは屋台を飾るのと、宣伝用のポスターとか看板とかだね」


 泰孝の言葉に、こくりと小春が頷き。


「ポスターはすでに吉永さんと湯森さんのデザイン画が完成していますから、スキャナで取り込んで刷るだけですね。それとも手描きで用意したいですか?」

「あー。いや、いいや。それより調理の完成度をもうちょっと高めておきたい感じかな」

「そうだね。まだ綺麗な形に生地を焼くの、微妙に上手くいかないし……」


 葵とさなかが口々に言った。

 俺たち男子陣も調理は手伝うことになっているのだが、それは基本的に裏方、調理室に引き籠もって果物を切ったり冷やした生クリームを屋台まで運んだりが主な役割だ。

 表に立って屋台で手腕を振るうのは、此香を筆頭とした女子陣。

 まあ端的に言えば邪魔だから引っ込んでいろとお達しを受けたわけだが、文化祭に来る客たちも、そりゃあ女子高生の手作りのほうが嬉しかろう。諦めることにしていた。


「あとは当日の動き次第だな」


 勝司の言葉に、葵が頷き。


「だね。この辺りは詰めてないっていうか、当番決めた以外はアドリブだし」

「せっかく屋台っつー地の利があるんだ、なるべく客が多いところに動きたいよな」

「それ地の利っていうー? 許可取ってない場所にまで乗り込まないでよ。屋台の移動は勝司の仕事なんだから」

「いや、それは未那もやるだろ?」

「未那はそういうことはしないでしょ。心配なのは勝司のほう」

「へいへい。ったく、オレにばっか厳しいよな、葵は」

「ふん。……そんなことないっての!」


 相変わらず、勝司と葵は仲がいい。

 ……というか、いや……どうしたものか。


 ともあれそんな感じで、今日のところは解散ということが決まった。

 今日は土曜日。

 せっかく集まったのだしこれから遊びにでも行こうか、という話も出始めていた。事務窓口に入校証を返しに行った此香を待ちながら、俺はさなかに声をかけた。


「なあ、さなか。当日はどーするよ?」

「え。どうするって何が?」


 きょとんと小首を傾げるさなか。

 まさか、これで伝わらないとは思わなかった俺である。


「や……えっと。その、当日どう回るか、みたいな話、なんすけど」


 改まって言わされるとやはり気恥ずかしい。

 さなかは大きく目を見開き、驚いたように口元へ手をやった。


「う、うぇえっ!? それいっしょに回るってこと!?」


 そう言ったし、ていうかさなか今うえって言いました?


「そんなに驚かれるようなこと言いましたかね、今、私は……」

「えぁ、あ、そだよね……そっか。ごめん、まさか未那から話してくれると思わなくて」


 我喜屋未那とはいったい。


「さなかが俺のことをどう認識しているのか一度しっかり確認したい気分」


 じとっとした目を向けると、ようやくさなかも笑顔になって。


「それは未那が悪いよー。普段そういう感じ、ぜんぜん出してくれないんだもん」

「や、それは……それはまた違う話だろ」

「あはは! まあ付き合ったからってあんまり変わらないのかもね。そのほうがわたしも嬉しいかもだし」

「そういうもんなの?」

「自然なのはいいことだと思うな。未那に変な気を遣われたら困っちゃうよ」


 だったら責められた意味がわからない、とか空気が読めないことは言わないでおこう。


 実際、それには同感だ。

 いつだったか此香に、そういえばそんなことを言われた気がする。

 気を遣うのと気遣うのでは、きっと意味が違うと思うから。

 それはどちらが優れているとかそういう話ではなく。

 単純に、俺とさなかとの関係に、何を理想とするかの話なのだと思う。


「だけど――」


 と。そこで少しだけ、さなかが声音を落とした。

 彼女は少しだけ位置をずれ、俺の隣まで歩いてくると、その唇を耳元に近づける。


「たまには、恋人らしいこともしたいかな」

「――――…………」

「えへへ。文化祭、楽しみにしてるね。デート、するの」


 背筋がぞわっとした。

 思わず俺は硬直してしまう。


 さなかはそれにまったく気づかず、今度は一歩を離れると、こちらを上目遣いに見つめながら、腰の後ろに手を回して楽しそうにはにかんだ。

 自然であることが理想ならば、その通り、これほど魅力的な笑顔もない。

 ちょっと照れながらも、それでも感情を隠すことなく、楽しそうに笑ってくれる。

 俺はさなかの、そんなところに惹かれたのだということを思い出していた。


「約束だよ、未那」

「……もちろん。俺も楽しみにしてる」


 そういえば、およそ恋人らしいこと、彼氏らしい振る舞いというものを、俺はきちんとできていない気がする。というか、果たしてどうすればいいのやら。

 優しいさなかは待っていてくれているし、逆に俺がそんな感じであることさえ楽しんでくれているけれど。

 だからって、それに甘えているのは男としてちょっと情けない。


 いや――あるいは、そういうことを楽しむのが、恋人というものなのかもしれない。


 知らず、自分から笑みが零れた。

 さなかもそれを見て静かに微笑む。

 そういうやり取りが、俺にとっては何よりも嬉しかった。




 ――あと周りの連中がこっち全部見てた。イヤぁ……。




 ともあれ、そんな感じで。

 文化祭が始まる(いい感じに話を纏めるアレ)。

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