5-08『少しずつ変化していく日常は、4』
てっきりほのか屋か、この辺りのお店にでも入るかと思っていたのだが。
意外にも、俺たちは電車に乗って駅前まで出ることになった。
この段階でようやく俺の思考が、あれコレ結構な異常事態なのでは? というところまで回ってくる。
もちろん瑠璃さんは、そんな俺の内心の動揺になど、まるで気がつく様子もなく。
「ふふ。こうやって未那くんとふたりでお出かけなんて、初めてだから嬉しいな」
「え。あ、はい。そうですね……」
可憐な笑みでそう言われてしまっては、借りてきた猫――いやそれは叶だとするなら、いわば狩られる寸前の鼠――のように大人しくならざるを得ない。
窮鼠が猫を噛むかどうかも、これは性格によるということなのだろう。
――やっべ、むっちゃ緊張してきたんだけど。
今さら。
いや本当に今さらだわ。なんで来る前にそういうこと考えないの俺は?
我喜屋くんだからです(模範解答)。
いや、それは違う。
俺が俺であるという時点で逃れられない軛など認めて堪るものか。
「~~♪」
隣を見る。ローカル線に乗った瑠璃さんは、どこから見ても上機嫌。
座席に腰を下ろしたまま目を細め、反対側の窓の外を見ながら、子どものように笑顔で揺られている。鼻唄こそ音にしていないものの、休日の外出を喜ぶ小学生のよう。
……本当に歳いくつなんだろ、瑠璃さん。
「未那くん」
「すみませんでした!」
「え?」
年齢のことを考えた瞬間に声をかけられたため、反射的に誤ってしまう俺だった。もう本当にさっきから何してんだろうね、俺ね?
もちろん、別に瑠璃さんが俺の思考を読んだはずもない。きょとん、と小首を傾げて、けれど気にしないことにしたのか続けて言った。
「やー、未那くんにはずっと訊きたいことがあってさー」
「訊きたいこと、ですか?」
「それは向こうに着いてからね。ふっふ、今日はお姉さんの奢りだぞー?」
「……あはは。ありがとう、ございます……」
なぜだか間が持たない。
たぶん、普段話しているのと違い、強くふたりきりを意識させられるからだろう。
女子とふたりっきりって緊張しませんか? しますよね? しろ。
さなかとだって、実際ほとんどふたりっきりになることはないというのに。
むしろ今年いちばん多いのは叶とかそういうレベルだし、遡れば歴代一位は秋良という始末。
どちらも女子にはカウントされない。
仕方なく、俺はなんとなしにスマホを取り出し、アプリを起動した。
『これから瑠璃さんとデートに行ってくるんだけどなんか間が持たない助けて』
そんな文字列を送信する。
既読は、ちょうど電車を降りる頃についた。同時に返信も。
『みなにはムリだとおもうなー』
――さなかさん、それはおかしくないですかい?
理解ある彼女を持てて幸せだなあ、と思いながら電車を降り、街に繰り出した。
※
訪れたのは居酒屋だった。
昼は蕎麦屋として営業しているとのことだが、夜になると蕎麦料理と酒を提供する。
……らしい。なんでも瑠璃さんの行きつけなのだとか。
結構お高そうなお店で、いや知らないけど、少なくとも高校生が友達とくるような感じではなく戦々恐々。
なんだろう。何がどうなってこうなったんだっけ。
「――未那くんはまだアルコール駄目だし、ソフトドリンクねー」
「あ、はい」
「うふふ。楽しみだな。ね、ね、お酒が飲める年になったらいっしょに飲もうねー」
一切の邪気なくそう言ってもらえることが嬉しい。
もちろん俺は一も二もなく頷いて笑う。
「ええ。そのときには、ぜひ」
「叶ちゃんも呼びたいね。真矢ちゃんや義姉さんたちも呼ぼっか」
「いいですね。楽しみに待ってます」
美しい未来予想図に顔が歪む。
関係が、この先も続くことを疑わない。そんな間柄には憧れがあった。
素敵なことだと思う。
主役って奴は、やっぱりそうじゃないといけない。
瑠璃さんに適当に料理を注文してもらう。並んでいるメニューの意味も、こういうとき何を選ぶべきなのかもさっぱりわからないため全て任せてしまった。
先んじて生ビールと、俺の注文したウーロン茶が運ばれてきたところで、
「じゃ、乾杯しよっか、未那くん」
「あ、はい」
グラスを持って前に出すと、「いえーい」と瑠璃さんが笑ってジョッキをぶつける。
ごくごくと酷く美味しそうにジョッキを呷る瑠璃さん。意外に豪快だった。
「ひゃー、うめ~っ!」
この人が言うと、こんなオッサンじみた台詞でさえかわいいので卑怯だと思う。
俺もなんとなくお茶を飲みながら喉を潤す。
うーん……そろそろ俺としても落ち着いてきた感じだ。むしろ緊張する要素ないよね。
「ところで未那くん」
「へ? あ、はい、なんでしょ?」
「彼女できたんだって?」
「ぶえっふぉ!?」
我喜屋くんは茶ぁ噎せるなどした(客観視)。
いやいやいや。まさかそんなこと訊かれるとは思ってなかったよ。
いや、ていうかその話は前にしたと思うというか。もしかして訊きたかったことってそれ? みたいな。
「な、なんですか急に。そんな、なんか去年同じクラスだった仲はよかったけど別に付き合ってはいなかった女友達が突然の報せにいきなり押しかけて来た的テンション……」
「……え、ごめん、どゆこと?」
「すみません今の聞かなかったことにしてください」
おほん。
たとえ話が通じなかったのを咳払いで誤魔化し、強引に会話を仕切り直す。
「で、でもいや、なんでそんなことに急に興味出たんですか……?」
「えー、別に急にじゃないよー。最初っから、わたしは興味津々だったぞーぅ?」
やっぱりなんだか同級生の女子みたいなノリの瑠璃さんだった。
若々しいなあ。というか実際どう見ても若いんだけど。
いや、かといってこんな風に、言ってはなんだが俗っぽい感じで、色恋沙汰に首を突っ込んでくるとは正直、思っていなかった。似合わない、とまでは言わないにせよ。
「……別に、そんなに面白いこと、特にないですけど……?」
「えー、そんなことないよー。未那くんの
ドキドキしちゃうからそういうこと言わないでほしい。
びっくりする。もし同級生だったら一瞬で失恋していたかもしれない。
違った。
惚れてしまったかもしれない。
「ほら、あるでしょ? どっちから告白したとか、どんな台詞を言ったのかとか」
「あー……そういう。いやでも、別に普通でしたけど……」
「そうやって隠さないでよー。いいじゃん、教えて? それとも本当に言いたくない?」
「……それじゃあ」
こういうとき、お酒が嗜める年齢だったら、酔いに任せて喋れたのだろうか。
生憎、未成年の俺にはわからない。だから素面のまま、なんやかやとこれまでのことを洗い浚い聞き出されてしまう。
酔ってもないのに吐かされるとは、これ如何に、だ。
けれど確かに、悪い気分はしなかった。
瑠璃さんがそれだけ聞き上手だったのかもしれないし、あるいは俺もこうして衒いなく恋人のことを自慢できる機会が嬉しかったのかもしれない。
恋バナとか、思えばそういうことを、誰かとした経験がほとんどなかった。
やってみれば、なんだろう。意外と楽しいものではないかと思う。
まあ、それこそ夏の熱気に浮かされているだけかもしれない。
暦が九月に入ろうとも、茹だるような暑さはむしろ勢いを増すばかりだから。
「なるほど、なるほど。いい惚気話を聞かせてもらったよー」
ひと通りの話を聞き出した瑠璃さんは、ほにゃほにゃとした柔らかい笑みだった。
酔っているわけではなく、この人の場合はいつもそう。ていうか、さきほどから結構なハイペースで杯を空けているのに、意識にも肌の色にもまるで変化がない。
母親がなにせうわばみだから、幼い頃から外食というと居酒屋みたいな店が多かった。少なくとも、親父だったらとっくに潰れているだろう酒量だ。
「いや、まあ、なんというか……どうも」
「うふふ。いいねえ、青春だねえ」
軽く右肘をテーブルに突き、手で顔を押さえて小首を傾げる微笑の瑠璃さん。
妙に色っぽくて困る。
「なんだか、おねえさんもちょーっと、酔ってきちゃったな」
あとだからそういうこと言わないでください本当に。
「見た目じゃわかんないですけど、本当に結構、酔ってんじゃないですか、瑠璃さん?」
ちょっと心配になって訊ねてみた俺に、瑠璃さんは軽く肩を揺らして言った。
「そうだね。大人になると、ときどき酔いたくなっちゃうのさ」
「……そうですね。大人はみんな、そういうことを言う」
「あはは! 相変わらず捻くれてるところは捻くれてるよね、未那くんは。そういうとこ愛しいって思うけど、おねえさんは」
「微妙に喜びづらい文脈だなあ」
「今日は未那くんから、面白いお話がいっぱい聞けたからねー。こういうこと、あんまり人に言わないでしょう? 未那くんは」
「……こんな惚気話を、嬉しそうに聞いてくれるの、瑠璃さんだけですよ。そもそも」
「そんなことはないと思うけど。ほら実際、聞き出しておいてほしいって頼まれたから、わたしもやってるわけだしー?」
「――……え? 今、なんか聞き捨てならないことを――」
「あ、これ言っちゃダメなヤツだったかな。あはは、聞かなかったことにしといてねー」
「…………」
本当に、まったく酔ってないな、瑠璃さん。
酔っ払って口を滑らせた風を装っているけれど、今のはたぶん、わざとバラした。
特に根拠もなく、俺はそう直感した。
これ以上何を訊いても、瑠璃さんが決して口を割らないということも含めて。
「……大人ですよね、瑠璃さんは」
「そうだよー」
俺の言葉に、瑠璃さんは微笑む。
「未那くんだって、誰だって。そのうち、みーんな、大人になってしまうのさー」
「想像できませんね、そんな未来」
「そうかな? そうかもね。だけど、想像できないから大人になっちゃうんだよ。いくらなりたくないって叫んだって、これはきっと、避けられないことなんじゃないのかな?」
「…………」
「誰だって大人になる。なっちゃうんだよ。それは成長とか自立とか、そういうこととは無関係に。子どものままじゃいられなくなるところに、気づけば放り出されちゃうの」
大人になるとはどういうことか。
二十歳を越えることか。仕事をして、自分でお金を稼ぐことか。それで生きることか。誰からも大人と認められる振る舞いをすることか。不条理を呑み込めるということか。
俺にはわからない。
あるいはその全てで、なお足りないのかもしれない。
今の俺にわかったことは、おそらく瑠璃さんが、そのどれもと違う話をしているのだということだけ。
「ふふ。だからね、おねえさんは未那くんが好きなんだよー?」
もう俺は、その言葉に照れを感じることはなかった。
「それは、どうしてですか?」
「子どもだから。大人は、子どもが愛しいのさ」
いくら俺が子どもだからといって。
瑠璃さんのその言葉に、子ども扱いだと反骨できるほどには幼くあれない。
「だからわたしは、そのために管理人さんをやっているのだよ」
「……繋がってますか、それ?」
「繋がってるよ。全部が繋がってる。わたしはね、未那くん。わたしのアパートに、あのかんな荘に住んでるみんなが、楽しい青春を過ごしてくれれば嬉しいの」
――まったく、敵わないなあ。
そう、思わされる。
きっと俺が思うより、大人って連中は大人なんだろう。
俺たち子どもなんかより、ずっと多くの場所に手が届くんだ。
それでも届かないものはきっとある。だけど意外と、場合によっちゃ、子どものほうが近い場所なんてのもあったりするんだろう。
これはたぶん、それだけの話なのだ。
「あはは。ダメだね、お酒が入ると。なんだか説教臭くなっちゃうよ」
「俺は、そんな風には思いませんでしたよ。来てよかったです。……楽しかった」
「……そっか! なら、それはとってもよかったよ」
あくまでも、これは、それだけのお話。ここで幕が閉じるだけの物語。
俺はそこから何かの教訓を得たりしないし、俺という人間が変わることもない。
だけどそれでよかったのだ。
そういう、なんでもない何かの積み重ねというものが、きっと――俺にとっては大事なものだと思えるから。
そういうものが欲しいから、俺はこうしてここにいる。
やっぱり俺は、主役になりたいのだと。
そんなことを再認識した。
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