5-07『少しずつ変化していく日常は、3』

 週末が終わり、再び新しい日々が始まる。

 それは何も終わっていないし、何も始まってはいないということなのだろう。文化祭の準備に勤しみながら、俺はそんなことをつらつらと考えていた。


 何が終わろうと人生は続いていく。

 始まったばかりに見えるものの伏線は、とっくの昔から敷かれている。

 連続の過程に始点と終点を規定し、断続と見做すのは単なる認識だ。


「――屋台製作の進捗はどうですか?」


 この日の放課後には、そんなことを野中から問われた。放課後の教室である。

 彼女には全体の取り纏めを頼んでいる。

 性格的に向いているだろう、という程度の流れだったが、実際に野中の事務処理能力は優れていた。基本的に騒がしいメンバーたちも、野中がひと声かければ従ってくれる。

 週の頭には、こうして野中と進捗の確認、その週の目標などを話し合った。

 言うなればマネージャーをやってくれているって感じだろう。キャプテンが俺。


 ――企画の主催者は、あくまでも我喜屋くんですから。その辺りは噛みませんよ。


 いやまったく小春様の仰る通り。本当に頼れる友人であった。


「着手はぜんぜんまだだね。とりあえず、基本骨子っていうか設計図? を勝司と泰孝やすたかが考えてくれたから、あとはデザインって感じ。これに関してはみんなで話したいかな」

「それなら一度、全体で集まる時間を取ったほうがいいですね。部活組のスケジュールはひと通り聞いてありますから、……そうですね。水曜日の放課後がいいでしょうか」


 この有能っぷりたるや。

 全部任せたほうが機能すると思うのだが、あるいはそれを避けるためにわざわざ野中は俺に釘を差したのかもしれない。


「じゃあ明後日どっかで集まろうか。せっかくだし喫茶店でも行く?」

「いいんじゃないですか? 議題を出すだけならグループに流せば済みますけど、どうせなら顔を合わせてやったほうが効率上がりそうですし」

「ならマスターに頼んで……あー」


 そうか。水曜か。


「いや。どうせなら駅まで出よっか」


 いきなり前言を翻した俺に、当然ながら、野中はこくりと小首を傾げる。


「……? どうしてです?」

「えーと。や、大した理由は別にないんだけど……ほら。せっかくなら買い出しも兼ねたほうが効率的かな、とか。そういう?」

「放課後からですか? 水曜は六限ですし、話し合いを考えたら時間が……」

「……そうだね。ごめん、聞かなかったことにして」


 何を気にしているんだ俺は。

 叶がいるから、だからなんだっていうんだ。むしろ都合がいいくらいだろう。

 どうせ毎日のように、顔は合わせているのだから。


「――友利さん、ですか?」

「っ!」


 そんな俺の胸中に、野中の言葉がすっと差し込まれる。

 具体的なことは何も言われていない。いや、野中にだってそれはわからないだろう。

 だからこそ、刺さるでもなく染み入るようなひと言に逆らえない。


「んー……まあ、そう」


 俺が正直に吐露したのは、それが理由だろう。

 相手が野中だったから。きっと、それ以外の誰にも、俺は言わなかったと思う。


「いや別に喧嘩したとか仲悪くなったとか、そういうんじゃないんだけどさ」

「なかよしですもんね、我喜屋くんと友利さんは」

「そう言われるのもなんだけど……いや、でもそうかな。それはそう」


 なかよし、なんて表現をされてしまってはどうしようもない。

 躍起になって否定するほうが、たぶん子どもっぽくなってしまう。


「上手く言えないんだけど。……なんだろな。俺たち、なんていうか……別居することになって」

「面白い表現ですね」

「的確でしょ? ただそれは別に喧嘩したからとかじゃなくて、つまり、普通に戻るっていう選択をしたからみたいな話で、実際それが正しいに決まってるんだけど――」

「――納得いかない、ですか?」

「納得、は……してる。そもそもどっちかと言えば俺側の問題だからさ。ただまあ結局、単純な話、名残惜しいってだけなのかもしれない」

「私は」


 と、野中は言った。

 野中が自分の意見を言うのは、なんだろう。少し珍しい気がする。


 それは別に野中が主張をしないという意味ではなく、彼女の言葉はおおむね正論、一般論の類いであることが多い。それに、野中小春という人格が説得力を持たせているのだ。

 けれどこのとき、彼女はむしろ逆のことを言った。


「たぶん、我喜屋くんと、友利さんは、――間違えていると思います」

「間違ってる……かな。そんなに、間違ったことをしているとは思わないんだけど」

「それが間違えているんです」


 言って、それから野中は小さく首を横に振り。

 少しだけ言い回しを変えて、続けた。


「間違ったことをしている、と言いたいわけではありません。間違えているんです」

「…………」

「すみません。別に持って回ったことが言いたいわけじゃないんですけど、どうも上手に表現できなくて……」

「……いや。むしろありがたいよ。こんな話聞いてくれて」

「なら、よかったです」


 小さく微笑むと、野中はいきなり席を立った。

 机をくっつけて正面に座っていた野中は、それから俺にこんなことを言う。


「ちょっと歩きませんか?」

「……驚いた」

 実際、俺は目を瞬かせていただろう。

「野中からデートに誘われるとは」

「別にデートではありません。湯森さんに言いつけてしまいますよ?」

「……言いつけられて困るようなこと、野中はしないだろ」

「そうですね」

 と野中は笑って。

「初めて、我喜屋くんに一本取られました」


 そんな風に、珍しく、冗談めかして微笑んだ。



     ※



 実際のところ、俺たちは校内を少しばかり歩いたに過ぎない。

 月曜はみんなも予定が多い。叶はシフトがあるし、部活組はそちらに出ている。野中と俺だけがたまたま空いているから、進捗確認の日として設定しているだけ。


「何か飲む? 奢るよ」


 校内にいくつかある自販機エリアまで来ていた。

 椅子と机が設置されてはいるものの、この辺りは特に人が少ない場所である。その割にガラス張りの壁や天井から陽の光が入ってくるため、その明るさが俺は好きだった。

 とはいえ、さすがにこの季節は少し暑い。


「そうですね……では、お言葉に甘えることにします」


 控えめに微笑む野中の所作は、いちいち様になっている。

 決してクラスで目立つほうではなく、むしろ言い方は悪いが地味なほう。けれどそれは男の側に、きっと見る目がないのだろう。そんな風に思わせるクラスメイトだ。

 こういうのを、大人びているというのだろう。


「何がいい?」


 訊ねた俺に、野中は悪戯っぽく笑って。


「ここは、我喜屋くんのセンスにお任せしますね」

「それ、いちばん意地悪な返答だよな……野中も意外に性格が悪い」

「意外とは意外でした。女を見る目がありませんね、我喜屋くん。意外と」


 切り返しがあまりに上手すぎる。

 奇しくも野郎の見る目のなさを証明してしまった。

 センスの披露に挑戦するよりも、ここは無難さを優先しよう。アイスティーのボトルをふたつ購入して、片方を野中に差し出した。

 受け取る野中の笑みの意味は――わからないし、もう確認しなくていいや。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。このくらいは、まあ格好つけないとね」

「さすが。恋人のいる男の子は言うことが違います」

「…………」

「褒めたつもりですよ?」


 肩を揺らす野中は、たぶん俺をからかっていた。

 秋良、望くんに並ぶ《油断ならない人物リスト》に、もちろん俺は野中を入れる。

 テラス風の丸テーブル。その脇の椅子に腰を下ろして蓋を開けた。まだ陽が長いこともあるが、それにしたって眩しい場所。にもかかわらず、ひと気がなくて静かだ。


「……私は」


 と。少し経ったところで、野中は切り出した。

 かなり意外なことを。


「私は、――我喜屋くんのことが好きですよ」

「え……あ、えっと。……え?」

「好ましく思っている、という意味です」

「ああ、そういう……いやちょっと待って、補足になってなくない?」

「もちろん友利さんや湯森さんのことも、私は好きです」

「……手玉に取られてる気分だ」


 気分というか、実際にそうだった。

 それだけで自分が子どもだと思わされるほどに。

 いやまったく気分がいいね。逆に。


「我喜屋くんは違いますか?」


 そう、野中は俺に問う。

 どこか嫣然とした笑みを浮かべて。


「私のこと、嫌いですか?」

「……なわけないでしょ。もちろん好きだよ」

「でしょう?」


 微笑む野中。彼女はこう言っている。

 なら、ほかのみんなもそうだろう、と。


「私は自分にないものを持っている人が好きです」

「……自分にないもの、か」

「はい。好きの基準みたいな感じでしょうか。だから我喜屋くんを好ましく思いますし、憧れもします。羨ましいと思いますよ」

「……そう言ってもらえると、確かに嬉しいね。ありがとう」

「どういたしまして。――だからこれは、私から見たお話で、私が思うだけのことです。私は我喜屋くんや、友利さんや湯森さんが、ほかの皆さんが……きっと、私では選べないものを選べることを素敵だと思います。そうあってほしいとさえ、勝手に思います」


 両手でボトルを持って、小さな口で紅茶を飲む野中。

 喉を潤すと、それから彼女は再び口を開いて。


って選択だと思うんです、私」

「……選択」

「それが好きだから。そうしたいから選んできたものを、外から見てらしさって呼ぶんだと思うんです。別に縛られるものじゃなくって、単に発露の形じゃないかって」

「今の俺は俺らしくないってこと?」

「変わったのなら、それでもいいのかもしれません。結局、外から見ただけの話でもあります。――だけど我喜屋くん、やっぱり自分でもそう思ってるんじゃないですか」


 いつだっただろう。叶が言っていたことを、俺は思い出していた。

 叶は野中を評価していた。数少ない尊敬に値する人間とまで言っていた気がする。あの友利叶が、ほとんど入学した当初に、という時点で特筆すべきことだろう。

 そしてまったくその通りだ。


「私が言いたいのはそういうことです。我喜屋くんは、そのほうが見ていて面白いです」

「……参考になったよ。いや正直、よくわからなかった気もするんだけど」

「かもですね。私も上手く言えた気はしません」

「でも、なんでわざわざこんな話をしてくれたんだ?」


 そう訊ねると、野中は少しだけきょとんとして、それからわずかに眉根を寄せて。


「……それは、どうして文化祭に協力しているのかって訊くのと同じことです」

「え? えっと――」

「友達が悩んでいるんですから。話くらい、聞いてあげたいなって思うじゃないですか」

「……なるほど。そりゃ、参ったよ」


 降参、と俺は諸手を挙げた。これには勝てない。

 本当にいい友達を持ったものだと思う。これも主役理論のお陰だろうか。

 飲みかけのペットボトルを手に持って立ち上がり、俺は言う。


「――さて! 戻るか」

「ですね」

「まだやらなきゃいけないことも多いしな。これからもよろしく頼むな――小春」


 そう言った俺に。

 野中はちょっとだけ驚いた顔を見せ、それからおかしそうに口許へ手をやると。

 はにかみながらこう言った。


「はい。がんばりましょう、未那くん」



     ※



 仕事を終えて、小春と別れて帰路につく。

 時刻はすでに午後六時に差しかかっていたが、夏だけあってまだ陽が出ている。こうも暑いと、エチケットについてもいろいろ考えることが出てくるものだ。

 そういうのも含めて、主役理論と言うべきであろう。


 学校から自宅――かんな荘までは近い。

 もうとっくに慣れ親しんだ道を、少し早足で歩く。汗が噴き出すとまでは言わないが、早く帰ってクーラーを起動したいと思うのは今や自然の摂理だろう。

 温暖化がいつ頃から取り沙汰されていたのかなど知らないが、実感として年々、暑さが増している気がした。


 けれど。そんな帰り道で、俺は珍しい方と遭遇する。


「あれ……おーい、瑠璃さーん!」


 かんな荘管理人のお姉さん。神名瑠璃さん。

 会うこと自体はもちろんよくあるが、こうして帰り道ですれ違うのは珍しい。


「あ、未那くん、やっほー。お帰りなさい」

「どうも。ただいまです、瑠璃さん。お出かけですか?」


 さすがに竹箒装備は外している瑠璃さん。

 けれど、いつも胸に下げているキーケースは今日も装備済み。一種のアクセサリだ。


「ちょっとねー……っと、そうだ。未那くん時間ある?」

「これからですか? ええ、もう帰るだけですし……」

「そっかぁ。ならちょうどよしだねー」


 ぽん、と手を叩いて。

 太陽のように微笑みながら、こんなことを瑠璃さんは仰られるのだった。


「ね、未那くん。ちょっと、お姉さんとデートしようよ」

「喜んで」


 脊髄反射で誘いに乗る男がそこにはいた。

 これは浮気ではございません。

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