5-06『少しずつ変化していく日常は、2』

 そして、を、俺たちは終えた。


 粛々と――なんて表現するには少しばかり騒がしかったかもわからない。

 俺も、叶も、それを笑顔で行ったことだけは間違いないけれど。どうだろう。どうなんだろうか。


 楽しんでいたの、だとは思う。

 楽しむべきことなのかどうかはわからない。ただ少なくとも俺たちが、それを楽しんで行うべきだったことは間違いないだろう。

 だからそのようにしたとも言えるし、単に俺が叶とふたりで出かけることを、楽しめないわけがなかっただけかもしれない。

 それを終えたあとは、ご飯でも食べて帰ろうか、とふたりでファミレスに入った。


「ここ、実は望くんとも一度来たんだよ」


 席について、そんなことを俺は叶に言った。

 あのときと同じ店。だけれど、あのときと同じ席ではない。やはり劇的ではなかった。

 こんなところが劇的であられても困る気はするけれど。弱運は伊達じゃない。


「望と? ふぅん……わたしの知らないところで、望と何をやってんだか」


 ――そうだよな、なんて風に思った。


 俺だって、叶の全てを何もかも知っているわけじゃない。過去を知らないとか、考えが読めないとか、そんな当たり前の話ではなく。

 いっしょに暮らしているからといって、常にいっしょにいるわけじゃないという話だ。


 それも、考えるまでもなく当たり前のことだけれど。

 印象としていっしょにいるイメージが強いから。

 俺の見ていないところで、叶が自分の時間を楽しく過ごしていると知っていても、そういう実感が湧かなかったのだろう。

 元よりそういう、脇役哲学者であることは知っていたはずなのに。


「お前、最近は何してんの?」


 なんて叶に聞いたことを、だから、だとは言わないけれど。

 ふわっとした中身のない問い。

 叶は目を細め、「は?」とばかりに首を傾げた。


「や、なんか趣味とか、最近ハマってることとかさ。叶パイセンなら何かあるかなって」

「……なんだよ、その呼び方。別にわたし、未那の先輩じゃないんだけど」

「自分の趣味に生きる、という意味合いでは先輩だろ、ある意味。まあいいじゃん。何かあるなら、俺にも教えてくれよ。そういや前は、アウトドアに興味出してたっぽいけど」

「ああ。わたし、夏の間にも結構ひとりで旅行とか行ってたよ」

「え、いつの間に?」

「まあいろいろ。全部日帰りだし、ちょっと出かけてご飯作って食べて帰るだけだけど」

「外ご飯か……いいよな。そういうこと、俺もやっとけばよかった」

「お金かかるけどねー。まあわたしはバイトで結構稼いでっから、それを趣味に回してるだけだけど」

「……お前は俺より仕送り貰ってるもんな」

「あっはは! こっちはかわいい女の子だからねー?」


 けらけらと叶は笑う。

 楽しい――楽しい会話だった。


「そだ、未那。今度、真矢さんの大学の文化祭があるって話、聞いた?」

「そういや連絡貰ってたな。歓迎するって」

「わたしも呼ばれてるんだけど、それならいっしょに行かない?」

「ああ、いいぞ。真矢さんが何やってるのかも見たいし。てか叶はいいのか?」

「何それ。別にいいけどー? ほら、未那とならわたしも気楽だし?」

「……気を遣わなくていいって意味で言ってる?」

「あっはは! ばーか、ほかにどんな意味があるんだっつーの」

「へっ。まあ別にいいけどな」

「ん、未那ならそう言うと思ってた」


 にへら、と気の抜けた――いつもと何も変わらない――様子で叶は微笑む。

 微笑んでいた。


「わたしもさすがに大学の学園祭は見たことないからね。楽しみだなー」

「……ま、それは俺もだ。真矢さんも何かやるって話だったよな」

「未那みたいなことはしないと思うけど」

「なんで俺を引き合いに出すの?」

「いやあ……文化祭ではしゃいじゃうとこ、かわいいなって」

「うるせえ、喧しい。お前、知ってんだろ俺のかつての諸々のヘル」

「なーに、減るもんじゃないって」

「減ってくんだよ。こう……なんだろ。言うなれば青春適性みたいなものが」

「青春適性て」

「そういうもんなんだよ。お前みたいに逆チューニングしてる奴にはわからないかもしれないけどな。俺たちみたいなのは、とにかく自分を青春ナイズドしてがんばってんだ」

「は、何言ってんだか。ばかじゃないの?」

「うるせっつの」


 下らない話をしながら、ふたりで笑い合う。

 やがて食事が運ばれてきて、俺たちは分け合いながらそれを食べる。


「ねえ。未那のパスタ、ひと口ちょうだいよ」

「いいけど。ならお前のシーフードグラタンと交換な」

「未那ってペペロンチーノ系好きだよね」

「あー、まあ否定できんな。ていうかニンニク好きなんだよな俺」

「わかる」

「でもお前、ナポリタン系が好きじゃなかったっけ。ほのか屋の賄いで食べてたろ結構」

「アレは雰囲気も込みだからさー。やっぱ喫茶店で食べるならってとこあるでしょ」

「正直わかる」

「あっはは。……むぅ、しかしこれ結構ニンニク効いてるな」

「叶はそういうとこ気にしねえよなあ」

「いや今、気にしたでしょが。女の子といるのにこんなもん頼むほうがどうかしてるよ」

「でも食べるんだな?」

「それはそれー。ていうか未那相手に今さら気にするようなとこじゃないし」

「俺からしてもそれは言えるんだよなあ……」

「普段から気にしてないだけでしょ、未那の場合は。そういうとこぜんぜん慣れてないんだし。さなかとデートしてるときとか気をつけろよー? 嫌われるぞ?」

「お前に言われることじゃねえよ」


 食べ物の話をしたり。


「ほら、二年から文理で別れるじゃん? 未那はどっち選ぶん?」

「そうだなー。分離するなあ。……文理だけに」

「うっわ」

「なんだその顔。うっぜえ。顔が喧しいわ、お前」

「顔が喧しいってどういう意味だコラ」

「葵からなら最高の笑いが取れるひとネタだぞ」

「それは葵が変わってるんでしょ」

「酷いこと言うなお前。事実だけに否定できんが」

「未那もさらっと酷いこと言ったよね」

「で、なんだっけ。選択だっけ。まあ文系選択かな俺は。今んとこだけど」

「……そっか。未那は、文系にするんだ」

「お前は? 意外と理系だったりするのか? 確かになんか似合う気もするけど」

「どういうこと……? や、そうだな。わたしも、今んとこは文系かな」

「ほーん。したら、来年も同じクラスになりそうだな。成績も加味されるらしいし」

「あー……それは嫌だなあ」

「どういう意味?」


 学校の話をしたり。


「で、どうなん文化祭の進捗は?」

「今んとこ問題ない感じだぞ。つってもまだ大したことやってねえんだけど。とりあえず申請は済ませたし、どうとでもなるんじゃねえの」

「へえ。……何やんの?」

「校庭を申請したから、通れば屋台やるぞ。せっかく此香を呼んだんだし」

「おでんやんの?」

「それは申し訳ないのでやんない。宣伝はするけど、秘伝の味つけって話だしな。申請はとりあえず《飲食》でぶち込んどけば済むし、追々ってとこだな」

「そこいちばん大事な気がするんだけど……まあ、やれりゃいいってのも未那らしいか」

「お前の言う俺らしいって、基本的に褒め言葉じゃないんだよなあ……」

「えー? べっつにそんなことないけどー」

「心が籠もっておりませんねえ?」


 文化祭の話をしたり。

 友達の話をしたり。


 ――いろいろな話をずっとしていた。


 それだけだ。この一日を、普段と変わりない楽しい日常として過ごすために。

 俺たちはいつも通りに笑い合う。

 そうしていられることが、何よりのさいわいだと知るように。


 それだけだった。

 それ以上の話は何もしない。

 そのまま一日を、俺たちは終える。


 まるで、決定的な会話を最後まで避け続けるかのように。

 終わりが訪れることから目を背けるかのように。


 いつものままでいることを良しとした。

 それでいいのだと思い込んでいた。



     ※



 ――それが俺たちにとって、最悪の間違いだとは知らなかったから。

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