5-04『二学期がはじまり、ふたりは終わる4』

 帰宅したところで、珍しいことに叶がいた。

 というのは、つまり俺の部屋の側にいたというのが珍しいという意味で。


 俺も叶も、もともとあまり相手の部屋の側にただただ行ったりすることはない。

 用事があれば遠慮なく入るが、なければお互いを尊重する――というか、まあ普通に自分の城というものは大事だろうって話。

 そんな叶が、なぜだろう、今日に限ってこちらの部屋で寛いでいる。


「――あ、お帰り、未那。上がらせてもらってるぜー」

「…………」


 いや、そんな昔馴染みの友達が勝手に飲みに来たみたいなことを言われても。


 気の抜けた様子の叶。卓袱台の横の座布団に座り、ひらひらとこちらに手を振った。

 逆の手にはグラスを持っている。本当にアルコールでも嗜んでいたみたいな風情だが、見れば卓袱台の上には炭酸飲料の2リットルボトル。

 結露して出た水滴が、テーブルの上に輪っかを作っている。


 本当に。

 いろんな意味で、気が抜けていた。


「何してんだ、お前。こんなところで、こんな格好で」

「こんなところって……ここ、未那の部屋でしょ」

「こんな格好、のほうにも答えろよ。どうした、風邪引くぞ?」


 さすがに下着姿ってわけじゃないが。

 叶はなんと半袖半ズボン。結ばれていない茶色の髪が、しっとり湿っている。

 おそらく風呂上がりなのだろう。首にはタオルを下げており、なんというか――、


「……オッサン?」

「えぇ……暑いから短パン引っ張り出してきただけで、そこまで言う?」

「まあ、残暑も、厳しいですから、ね……?」

「むしろ夏休みのときよりさらに暑い感じしない? 学校始まったからかなー」


 よっこらせ、とわざわざ言いながら、そこで叶が立ち上がった。

 あえてオッサンっぽさを演出してくれているノリのよさ、ちょっとわかんないな……。


「ほら。いつまでも立ってないで、座りなよ」


 洗った食器の中から俺の分のグラスを取り出してきて、叶がへにゃと笑う。

 俺も靴を脱いで中に入り、叶の正面、定位置に腰を下ろした。叶がグラスを持って、


「駆けつけ三杯といこうじゃない」

「腹パンパンなるわ」

「ちぇー、ノリの悪い。どうしたどうした、未那らしくないぞー?」


 今のお前にそれを言われるのも、なかなか釈然としないが。

 まあいい。促されたグラスを受け取り、注がれた炭酸を一気に喉へ流し込んだ。それが爽快感として、体の中に溶け込んでいくのがわかる。よく、冷えていた。

 それからしばらくあって。


「最近、なんか忙しそうにしてんね、未那」


 叶はそう言った。

 受け取って、そして、返す。


「まあな。学校始まればそうなるだろ。俺は主役理論者だからな」

「言う割に夏休みの間は、結構暇そうだったけど」

「やかましいな。俺は俺で俺なりに楽しんでたっつの。……お前だってそうだろ?」

「もちろん。それはね。でも、そっか。文化祭があるもんね」

「せっかくのイベントだからな、積極的に噛んでいくつもりだよ。俺は」

「うん、未那はそうだろね。そうじゃなきゃ、とも言える」

「……お前はどうするつもりなんだ? それなりに、考えてることとかあるんだろ?」

「それなりに、ねー」


 言って叶はグラスを煽った。ちびちびと、中身は一向に減りやしない。

 俺は二杯目を注ぎながら考える。

 叶はいったい、何を言うためにこの部屋にいるのだろう、と。


「楽しみだね、文化祭」


 と叶。


「聞いたけど、望も来たいって行ってたから、時間空いたら構ってやってよ。あいつなんでか、あんたに割と懐いてるっぽいし」

「なんでか、ね……」

「何、ご不満かしら?」

「いや。……本当になんでだろうな、と思って」

「……本当になんでだろうね? あいつ、あんま人に懐かないタイプなんだけど」

「お前の弟だしな」

「おーい。どういう意味だー?」

「別に他意はねえけど。ま、確かに文化祭は楽しみだなって話」

「いや話逸らしてんじゃんか。でもまあ、未那にとっては初めてみたいなもんだもんね、文化祭」

「誰にとっても初めてだろ、高校の文化祭は。なんだ、見学来たとかいう話か?」

「未那はこれまで実質参加してなかったようなもんなんだから、文化祭は初めてみたいなもんでしょ、って意味」

「ああ、まあそうだな。実際、いるもいないも変わらないみたいなもんだったのに、文化祭っていう枠組みがどうしても俺を逃がしてくれないから普段より目立ってなんかみんな微妙な空気にならざるを得な――ってオイなんでそんな話になってんだよ」

「……いや、未那が勝手に言ったと思うんですけど」

「うっせーな、はっ倒すぞ」

「うはは。できるもんなら倒してみろよー」


 挑発してくる叶だった。

 まさか俺をからかうために待ってたんじゃあるまいな?


 ……なわけない。


 この遠回りで核心に迫らない会話だって、きっと叶にとっては必要な儀式なのだろう。叶には、何か俺に言いたいことがあるのだということくらい、もちろんわかっている。

 その意味するところはわからなかった。

 もし悟ることができれば、少なくとも身構えておくことくらいはできるのに。

 いつもとなんら変わらない、変わらないことがどこかおかしい――そんな様子しか悟れない。


 だから、できることとして、俺は話を待っている。

 急がないし、急かさない。俺がわかっていることなら叶もわかっている。

 叶の準備が整うまで、いつまでだって付き合ってやろう。


「大丈夫? 文化祭の楽しみ方なんて、ちゃんと未那にわかるの?」

「お前、それは俺を舐めすぎだろ、完璧だわ」

「えー?」

「そりゃそうだろ。今まで、お前……どんだけ楽しくなかったと思ってんだよ。それでも参加しなきゃいけなかったんだよ。だったらもう、どんな些細な楽しみだって自分で発見していかなきゃいけないでしょ……じゃないと心がもたないでしょ……」

「……未那ってどこに闇抱えてるかわかんないっすよね……」

「や、作業してる間は楽なもんなんだぜ? やることが決まってりゃ達成感を自分の中に見出せるからな。――やったぞ、上手に看板が塗れたぞ、みたいな」

「もはや社畜の精神なんだけど」

「俺渾身の《今とても集中していますオーラ》が余計な会話を八十パーセントカット」

「そんなサングラスか何かのキャッチコピーみたいな。しかも二割漏れてる」

「問題は全体会議とかでな。……そう、アレは俺が中学二年のとき」

「なんか始まった!」

「毎週末、実行委員さん主催による《今週は作業がどこまで進みましたか報告会議です、各グループの班長さんは、進捗を報告してください》という強制トークイベント」

「待って待って。え、未那ってば班長だったの? 無理でしょ?」

「いや班長だったよ俺は」

「なんで? どうやって班員を纏めたの……?」

「おいおいバカにするなよ、叶」

「え、いや、そりゃ今の未那にだったらできるんだろうけど……でも」

「――班長だとは言ったが、班員がいたとは言っていない」

「わたしが悪かった」

「F班は、今週は、色塗りが終わりました。今は教室の飾り作りをしています」

「悪かったってば。ごめん、ごめんて」

「《Fはちょっと進捗が遅いので、もう少し早く終わらせるようにしてください。みんな、がんばっているんですよ》」

「もうやめて」

「《みなさん今週も一致団結してがんばりましょう》」

「助けて」

「《それでは会議を終わります。五つのグループの班長はそれぞれメンバーを集めて作業に戻ってください》」

「六つ目は! Fは! Fは纏める人がいないからか!?」

「《やあ未那、景気がよさそうだね。どうだい、文化祭の準備は楽しめているかい?》」

「あっきらぁー!!」

「――はっ。おっと危ねえ、うっかり黒歴史の全てを詳らかにするとこだった」

「いやもうしてたよ!? ……え、待って。嘘……ま、まだ、あるの?」

「聞きたい?」

「聞きたくない!」


 いやいやをするように頭を抱えて首を振る叶ちゃんであった。

 うん。……俺も、もう、あれは、嫌……。


 いやね、文化祭を仕切る実行委員の女子が仕切り屋でさ、ある種こうアンタッチャブル的だった俺にも容赦がなくて、むしろ俺に対してだけ恐ろしく容赦がなくて……。

 なんかこう、クラスの輪を乱す要因として目の敵にされてたんですよ。なんでかなあ。

 俺、何もしていないと思うんですが。

 むしろかなり作業に貢献したと思うんですが……。


「なんてーか、なんだろ……人に歴史あり?」


 そんなことを言う叶。


「いや。そんな必死のオブラートいらねえから。破れ破れ」

「わたしのところは、中二くらいまではみんな仲よくしてたけどなあ……」

「俺のところも仲よかったよ、みんな」

「あっさりと《みんな》から自分を外すなよ、悲しくなるだろ。その他大勢って柄か?」

「その他少数だった」

「そういうこと言ってない」

「その他少数精鋭だった」

「それで納得できるならいいけれども」

「いや……つーかお前だって、地味に中二くらい《まで》と不穏の種を残してるだろ」

「……みんな仲よくなんて、幻想だよね」

「どうしたの? さっき自分で言ったのに、急に何を悟ったの? 怖いよ?」

「そう、アレは中二の終わり頃でした」

「始まるの!?」

「いや、まあそんな話はもちろんしないんだけど」

「あ、しないんだ……しないんだ」

「だってそんなことより、もっと重要な話があるでしょーに」

「あるっけ? いやまあ重要な話ではないけど今の」

「そう。そんなことより未那、週末ちょっと空けてくれないかな?」

「なんだいきなり? 内容によるが」


 叶は言った。



「――デートしようぜ」

「ああ、いいぞ。んじゃ日曜は空けとくわ」



 そして俺は当然のようにそう答えた。

 言われた俺より、言った叶のほうが一瞬、驚いた表情を見せ。けれどすぐさま、それをじとっとした不満の色に変えると、彼女は言う。


「……あっさりかよ」

「用件なら、察しはついてるからな」

「いや、……だろうけどさ」


 何もいっしょに遊びに行こうというわけではあるまい。

 ていうか、そんなことを言われたら、それこそ本気で驚いてしまう。


「……あああもう! とにかくそういうことだから! わたしは寝る! じゃあねっ!!」


 それだけ叫ぶと、叶は立ち上がってグラスの中身を飲み干した。

 そして、それを持って立ち上がると、あっという間に暖簾の向こう側へ消えていく。


 去りしな、小さな呟きが聞こえた。


「――――…………」


 俺は顔を伏せ、静かに考える。これでよかったのだろうか、と。


 叶が俺に気を遣っていることは明白だ。

 用件は当然、今し方、叶が潜っていった壁についてのことなのだろう。これを塞ぐ、と叶は言っている。――そのことに、ある種の負い目を感じながら。

 でも、それは俺の責任だ。あいつが気にかけるようなことではまったくない。そのはずなのに――どうしてこういうことばかり不器用なのか。


「ったく……」


 小さくそう零し、それから俺も残ったグラスを勢いよく呷る。

 最後、あいつが小さく呟いた言葉。叶にそのつもりがなかったとしても、俺には完璧に聞こえていた。


「なーにが『少しくらいドキッとしろ』だっつの」




 ――しなかったわけ、ねえだろが。

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