5-03『二学期がはじまり、ふたりは終わる3』

 今日の帰りは徒歩だ。

 学校からそのまま来たというだけの話なのだが、正直これも狙いではあった。


 せっかくさなかとふたりきりになれるのだ、できればゆっくり帰りたい。


 結局、あの旅行のあと、さなかと会える機会もほとんどなかったわけで。そういう意味でも貴重な時間だ。

 ――いや一応、一回くらいはデートをしてみたりもしたんだけど。

 できれば、いっしょにいられる時間は長いほうが望ましいだろう。

 そう願ってしまうことは止められない。

 さなかも、同じ思いでいてくれたらいいな、と思う。


「楽しみだなー、文化祭」


 日の沈んだ夜の帰り道を、横に並んで歩きながら。そんな風に声をかけた。

 さなかは小さく頷き、それから苦笑交じりにこんなことを言う。


「そうだねー。こんな風に楽しみに思ったこと、今までなかった気がするんだけど」

「そうなの? ……なんか、嫌な思い出があったりとか?」


 ちなみに俺はある。

 言わない。


 さなかも首を横に振ったので、言わなくて正解だっただろう。


「あ、そうじゃないよ。そうじゃなくて単純に、普通そんなめっちゃ楽しみに思うものでもないでしょ、学校の文化祭って」

「あー、それはそうかもね」

「外からお客さんを呼んでやる文化祭は初めてだから、そういう意味では楽しみだけど」

「確かに。中学までは冷静に考えれば、別に大きなイベントじゃなかったな」


 この手の催しは、結局のところ身内で盛り上がること自体を楽しみとするものだ。

 純粋なイベントとしての質が高いわけではない。学校の文化祭より面白い場所なんて、それこそいくらだってあるだろう。

 焦点は、友人と――学校のクラスメイトたちとそれが行えるという部分にある。


「俺、友達いなかったからな……なんかはしゃいで準備してる女子とか、ぶーたれながら付き合ってる男子とかを、遠い目で見てた記憶があるわ。むしろその記憶しかない……」

「……未那は、文化祭が楽しくなかったんだね……」


 言わないつもりだったのに言ってしまった。

 しまった。せっかくの帰り道が、いきなりいたたまれない空気になっている。


「ち、違うんだよ。ただほら中学んときは、うちの学校、お金取っていいわけじゃなくてさ。だから飲食系は基本全滅で、教室に迷路とかお化け屋敷とか作るだけなわけね?」

「それは、わたしもそうだったけど……」

「で、そんなんもう準備段階からクラスの中心になってる奴らの独壇場じゃん? 俺もうやることない以前に、いるとこないのレベルじゃん。もちろん当日も当日でだいぶやるせないんだけど、何がキツいってやっぱり前日までの準備の時間でさ……」

「うん。キツかったんだね。じゃあ違わないよね……」

「いや違うんだよ本当に。というか気遣ったんだよ俺は。クラスでやるお化け屋敷のさ、内装作っててさ。俺が絵の具で色塗るわけさ……板に貼る紙をこう、黒く染めてたんだけど……同じ作業グループにいた男子がすげえやる気なくて、ひとりでやってて……」

「どうしよう、もう結構な限界に来てるよ」

「で、やってる間になんか別のグループの女子が来て。なんかそいつら、どうも男のほうがその女子のこと好きみたいで。女子のほうも半分わかってんのか『えー、めっちゃ大変じゃーん、手伝うー』とか言い出して。サボってた男子もなんかノリノリになって急に。だけどさ……ふたり組じゃん? つまるとこ、絵筆、二本しかないわけじゃん」

「……あっ。それは、……ああ」

「もうほとんど終わり際だったしさ。ほとんど俺が塗ったから。だからじゃあ、そんなんならあと頼むわって意味も含めて、空気読んでいなくなってさ。ほら、ふたりともなんか俺がいないほうがいいみたいな空気感めっちゃ出してたから、気を利かせたつもりだったのにさ。……次の日、作業サボってたって吊るし上げられたんだよね女子に……」


 さなかが口許に手を当てて、さっと俺から視線を逸らした。


「ううっ。シェイクスピアも大歓喜の悲劇だね……っ!」

「うん。……じゃあそれ喜劇だわ」

「大変だったね。大丈夫、未那は悪くないよ。未那にはわたしがついてるさー」


 首を横に振るさなかが、ぽん、と俺の背中に手を当てて言った。


 ……おかしいな。

 彼女とご飯食べた帰り道とかいう、空間青春濃度80オーバー、一流のリア充空間を築き上げたはずなのに。


 気づけばマジの慰めを受けている。


 どうしてこんなことになっているのだろう?

 無理に格好つける気はないけれど、だからって無闇に格好悪さを披露する必要もない。

 ていうか普通に嫌だ。

 俺は話題を変えるように言う。


「ま、俺は周りに結構怖がられてたからね。陰でひそひそ言われるほうが多かったから、こういう表立った糾弾みたいのはそんなになかったんだよ。だから平気平気」

「すごいね。……うん、今のを平気って文脈で言うとこがすごい……」

「どういう意味!?」


 さなかはしずしずと首を振った。

 ……いや、そんな手の施しようがありません、みたいな態度は心がメスで切開されるからやめてほしいんですが。


「ほら、えーと……そうそう。楽しいことだけ考えよっ? ね? 大丈夫?」

「そこまで言われることが大丈夫じゃなくなりそう」

「あははっ。冗談冗談」

「本当かな……まあいいけど」


 疑って細い視線を向ける俺を見て、さなかはおかしそうに肩を揺らした。


 明るい髪がわずかに揺れる。薄暗くなった夜道でも、その姿ははっきり目に映るような気がした。

 初めて会ったときから、さなかにはそういう存在感があったけれど。

 知っていくと、確かに見た目に似合わないポンコツなところもある。だけどさなかには、そんな一面さえ愛嬌だ。

 そういう在り方に、憧れもするし、――焦がれもする。


「まあでも確かに。主役理論者としては、過去のトラウマより未来のトラブルだよな」

「トラブルはあるんだね絶対……」

「弱運なもんで。おおむね、何かがまっすぐ上手くいったことが人生にないんだ」

「……むっ」


 そう言った途端、なぜかさなかは、不機嫌を示すみたいに唇を尖らせた。

 ちょっと視線を背けると、彼女は夜空を見上げるようにして。


「そんなことばっかりじゃないと、思うんだけどな」

「……そう?」

「そうだよ。まっすぐ上手くいくことだって、ちゃんとあるよ」

「たとえば?」


 こちらを見ないさなかに、訊ねてみる。

 やはりさなかは、俺のことを見ないままで答えた。


「……さっきも言ったじゃん」

「ん?」

「わたしは、いるし。……彼女とは、上手くいってるでしょ、未那も」


 ……俺は答えた。


「そうなの?」

「そうじゃなかったのっ!?」

「いや俺ほら、どう進むのが順調と言えるのかわかんないから……」

「そんな悲しい自信のなさいらないよ、もうっ! そういうとこだよ未那は本当にっ!!」

「……ははっ」


 冗談冗談、と告げて怒るさなかに笑顔を向ける。

 もちろん今のは、単なる照れ隠しに過ぎなかったのだ。

 恥ずかしがりながらでも、伝えるべきだと思ったことは言葉にできる。

 それがさなかの美徳なのだと思う。


「んー、まあ、そうだな……楽しいことがいっぱいあると思えば、過去は関係ないか」


 少なくとも今の自分を、俺は幸せだと思う。

 それらは自力で勝ち取ったものだという誇りもある。


 ……だからこそ、どこかで自分を押し留めようとする自分がいるのだろう。

 どこか高くから、俯瞰するように俺を見下ろす俺。


 失うのは怖いだろう、とそいつが告げる。

 それが簡単に、前触れなく壊れてしまうものだと知っているから。


 だけどそんな言葉より、もっと信じられるものも、俺は確かに知っているのだ。


 失うことを怖がるのはやめろと、俺に言ってくれた奴が確かにいた。

 そうして家を飛び出して、夜の公園まで何度も駆け出していたときの――馬鹿な自分のままでいいと。


「面子も揃えたことだしな。面白そうなことだけ考えてよう」

「お。また未那っぽいこと言い出したね」


 あとはもちろん、隣を歩く友達の――恋人のことも。

 そうだよな。文化祭だもんな。何か、もうちょっとこう、考えてみてもいいだろう。


「……あー、その……さなか?」

「うん、何?」

「いや……文化祭だけど。ほら、これから週末とかも忙しくなりそうじゃん?」

「あー、だよね。そういうのも楽しそうだけど」

「いやそのね? だからその……あれだ。その分の時間は、ちゃんと、別に取ろうと思いますので」

「へ?」

「……恋人なんだし。あの、何あるかまだわかんないけど。文化祭くらいは、いっしょに回ろうぜって話」

「そっか……うん! 楽しみにしてるね」


 にへら、とさなかはふにゃけた表情で微笑んだ。

 ならまあ正解を引いたのだと思う。

 どこまでなら進んでいいのか、俺にはまったくわからないけれど。

 気遣うのと恐れるのでは意味が違う。だったら少しくらい、積極的になってみてもいいはずだ。

 嫌われることを怖がって、遠慮するほうがさなかには怒られそうだし。


 というか。

 もったいつけて言ったが。

 いろいろと。

 長い時間をかけて。

 でも。


 結局のところ。


 俺はキスとかいつくらいからならやってもいいのかということが知りたいだけのチキンなのである。

 いやだって仕方ないじゃないですかそりゃそうじゃないですかでしょう?


「……ところで、さっきちょっと思ったんだけど」


 と、そこでさなかがそんな風に切り出した。

 心を読まれたかと思って一瞬狼狽えるも堪えて、問い返す。


「さっきってどの辺?」

「ああ、まだ此香のとこいたとき。――あのさ、割と不思議だったんだけど――」


 そんな風にさなかは切り出す。

 どう考えても、自明であるはずのことを。




「――叶ちゃんのことは、誘わないの?」




 その質問が正直、あまりにも予想外だったせいで。

 数秒、答えるまでに間が空いた。


「えっと。誘うって、文化祭の出し物の件だよな?」

「そうだけど」


 俺が困惑する一方、さなかも困った風に。


「なんか、変なこと訊いた?」

「あー……いや、そうじゃないけどさ。普通に断られるでしょ、叶には」

「……え、どうして」

「だって――あー……そっか。そういうことか」


 思えば叶の脇役哲学について、完全に詳しい部分まで皆は知らないわけだ。

 さきほどの此香の反応を思い出すに、あれは叶がいるものだと思い込んでいたのかもしれない。


 これをどう説明したものだろう。

 脇役哲学者だから、と言えば一発だと思うのだが。


「……あいつは、文化祭はそういう風に楽しむタイプじゃないと思うぞ」

「そういう、って……?」

「いや、普通に楽しみにしてるとは思うけど。それは客としてっていうか……なんだろ、つまり出し物を見て回ったり、食べ物を買い漁ったりはするだろうけど、逆に出店側には絶対に回りたがらないタイプだと思うよ? 当日の時間を削られかねないからな」


 それが脇役哲学者らしい文化祭の楽しみ方というものだ。

 誘う気がないというよりも、断られることがわかりきっていただけ。

 というか、下手に誘ったら叶のことだ、余計な気を回して自分の時間を削り始めるかもしれない。


 ――それは、さすがに申し訳ないってもんだろう。


「ああ、そっか……言われてみれば確かに、叶ちゃんはそうかも……」

「絶対言うって」


 友達だから誘う、なんて固まった考えのほうがあいつには失礼なのだと思う。

 叶の趣味はわかりきっているし、どうせひとりで当日の計画でも練るに違いない。俺も当日にいっしょになることはあるだろうが、さすがに負担はかけられない。


 ――ただでさえ、壁の件でいろいろあるときだってのに。

 いっしょにいなくたっていいんだ、別に。そういう約束を交わした以上は。


「言えば……いっしょにやってくれるかもしれないと思うけどな」


 さなかは呟くように言った。


「まあ、かもね。それは俺も思わなくもないけど」


 なんだかんだで付き合いのいい奴だ。俺も今さら、あいつを付き合わせること自体には抵抗感がない。

 だけど――だからこそ言わないほうがいいのだ。こういう場合は。


 叶は、自分を優先するべきなのだから。


 わかりづらくも優しいあいつが。自分の本当の望みを優先できるように。

 示せることはひとつだけ。

 どれほど自分を優先したって、戻ってくれば俺がいると――ただこの場所に、立っていることだけなのだ。


「俺は、あいつを、俺の事情に巻き込んでもいいと思ってるけど。でもそれは、あいつもいっしょに楽しめると思うからなんだよ」

「…………」

「今回は話が違う。あいつはほかにやることがある。それをこっちの都合で邪魔するのは嫌なんだ。――だから誘ってない、ってこと」


 さなかはまっすぐこちらを見ている。

 そして、こう言った。


「……

「え……」

「いや。未那がそう思うなら、そうなのかな……でも、わたしは――」


 そこまで言って、彼女は小さく首を振った。

 笑顔を見せて、俺に言う。


「ごめん。単にわたしが、叶ちゃんといっしょにやりたかっただけかも」

「……別に、さなかから誘うことは俺も止めないけど?」

「んー……未那は、そしたら、わたしにどうしてほしいと思う?」


 きょとんと小首を傾げたさなかに問われる。

 どうなのだろう。どう答えるのが正解なのかなんて、俺にわかるはずもない。

 だから、思ったことを、そのまま正直に答える。


「さなかがやりたいと思ったことを、そのままやってほしい――かな」

「……へへへ」


 その答えがお気に召したのか、さなかはこちらを見上げるみたいにして笑った。

 ふにゃりとした、蕩けたみたいな笑み。隙だらけで、だからこそ信頼されていることがわかるような。

 さなかのそんな表情が、俺は好きだった。


「未那ならそう言うと思ったよ」

「そう言うと思ってたのに訊いたんだ?」

「うん。だってわたしは、未那のそういうところを好きになったからね」


 珍しく、照れることもなくさなかは言った。

 だからだろうか。俺も、なぜか恥じらう気持ちは感じずに、彼女の言葉を聞く。




「――だけど、ちょっとだけ……ズルいって思っちゃいそうにもなるよ」




 その言葉の意味を、俺が確認することはできなかった。

 行こう、というさなかに頷きを返す。追及は、たぶん止められてしまったのだろう。


 再び並んで歩き出した。

 もう少し空気の澄んだ土地なら、きっと空には星が見えたのに。ここじゃ輝いているはずのものさえ、ほんのわずかにしか確認できない。

 けれど、たとえ見えなくても、空には確かに光はあるのだ。

 こちらが向こうを見られなくても、向こうにはきっとこちらが見えている。そんな風に考えることなんて、少なくとも、中学まではなかったともうけれど。


 無言のまま、静寂に包まれて歩く帰り道は――けれど決して悪いものではなかった。

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