第五章

5-00『プロローグ/何も、悪くなかったのなら』

 ――この世界は、しあわせだ。


 きっとそれは尊くて、とても素晴らしいなんだろう。

 そういうものが、いつだって周りを包み込むようにして守ってくれている。

 きれいなものが、見られるようにと。


 その内側にいる限り、傷つけられることなんてない。

 世界がもたらす、温泉みたいにぬるま湯い優しさを享受する気楽さったらなかった。


 でも。いつかきっと、それだけじゃ満足できなくなるときがくる。

 どこか遠くへ手を伸ばしてでも、求める何かを手に入れたくなることがあるんだろう。外側へと自ら足を運んで、足掻いて進んで、あの輝かしい何かを掴もうとする。


 それはたとえば、夜の公園で見上げる星空のような、胸が詰まるほどに美しいもの。

 そんな何かの存在を、今だって、バカみたいに、無垢を装って信じている。


 たぶん誰もがそうやって、星のように綺麗で遠い何かを求めている。

 それが何かなんてわからない。きっと関係がないんだと思う。

 欲しいと願うのは、欲しいからでしかない。


 主役だって、脇役だって――つまりがこの世の誰だって。


 まずは光を目にするんだ。

 それを美しいと思うから、その温もりに触れてみたいと願うから。

 幼く純真な祈りをはじまりに、足を踏み出し、手を伸ばした。


 どこかで諦めることになるのかもしれない。

 目指していたものと、違う光へと導かれることもあるだろう。


 だとしても、始まりの想いだけはきっと、否定されるべきことじゃないはずだった。

 そう、信じたいと思っている。


 ――だけどそれなら。

 それなら、どうしてこの道を歩くことが嫌になってしまったんだろう。


 願っていたことのはずで。たとえ手に入れられなかったとしても、いっしょになって目指せること――それだけでいいと思ったはずだ。

 それが、できると信じたはずだ。


 誰に邪魔されたわけでもない。

 理解されたいとすら考えなかった。

 間違ったことも、悪いことも、なんにもしていなかったはずなのに。

 世界が思うよりも優しかったと、学んだはずではなかったのか。

 なのに、どうして苦しんでいる?

 胸を裂く痛みに。裏切りの罪悪感に。気づいてしまった胸の裡に。

 心を握り潰し全身を悪寒のように包む負の感情に――どうしてこんなにも苛まれる?


 目指したことさえ間違いだったというのだろうか。

 間違っていないつもりで、ずっと正しくない道を歩いてきてしまったのだろうか。


 だとすれば、いったい何が悪かった?


 何も悪くなかった、なんてお題目にはそれこそ救いがない。

 それは、だって、どうしようもなかったということだ。

 こうなるしかなかったという意味だ。


 それは嫌だと、思ってしまっても仕方がない。

 何かが悪くなければならなかった。

 何も悪くなかった、なんて考えるわけにはいかなかった。


 そして。それを認められない以上、自らの外側には求められない以上。

 選べる選択肢はもう、ひとつしかない。

 仕方がない。

 仕方がなかった。




 ――もしも何も、誰も、悪くなかったというのなら。

 責められるべきが、自分以外にないと、思い知るほかになかったのだ――。

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