IF-1『友利叶(20)』

「……なんで、ついて来たんだよ」

「別に。あんたについて行ったつもり、ないけど」


 わたしが言ったその言葉は、たぶん誰が聞いても明らかな嘘だったけど。

 こいつは――我喜屋わきや未那みなはそれで納得した。

 納得はしていないのだとしても、誤魔化されてはくれている。


「……そうかよ」


 そんな様子に、わたしは「なんだ、意外と変わってないんじゃん」と言おうと思って――やめる。

 わたしの言えた義理じゃない。どの口が、ってヤツだろう。

 そもそも、未那だったらこう言えばそれ以上は追及してこない、と。そう確信して言った段階で有罪だ。


 ――今さら何をしているのだろう。


「まあ、なんだ。……久し振り、だな」


 そんなことを未那は言う。

 わたしは頷く。


「そうだね」

「あー……何年振り、だっけ?」

「卒業以来だから……あ、いや、そのあと一回だけほのか屋で会ったっけ」

「……あったな、そんなこと。あれは、でもまだ一年の頃だったろ」

「したら二年振りくらいか」

「だな」


 長いような、短いような。人生を八十年と仮定してみれば、ほんのわずかと言えるくらいか。

 今や、わたしも大学三年生ときた。

 そろそろ就活とか、とにかくいろいろ先のことを考えなくちゃいけない時期で。

 にもかかわらずこんなところで、過去に追いつかれてちゃ世話がない。


 たまたま選んだ居酒屋の、隣の部屋に未那がいるとか。

 そんな偶然、さすがに想像していなかった。

 ここはわたしの大学には近いけれど、未那が進学した大学には遠い。いや、でなくてもやっぱり予想できない。

 もちろん店だって、わたしが選んだわけじゃない。

 高校時代のわたしたちは、いろいろなことが被ったりしたけれど。これもその一環、と考えるのは難しい。


 ああいや、よりにもよって同じタイミングで廊下に出てしまうところは、わたしたちらしいかも――だけど。


 正直、心臓が止まったかと思った。

 はっきり言って、わたしはついに幻覚を見たんじゃないかとすら疑ったくらい。

 知らない振りをして、すぐ逃げられればよかったんだろうけど。

 突然の事態に、わたしの対応力がそこまで優れていないことが浮き彫りにされてしまったわけだ。


 とはいえ、驚いたのは未那も同じみたいで。

 いや、そりゃそうなんだけど。

 とにかくこうして、視線をぶつけて名前まで呼び合ってしまった以上、無視することも憚られたわけだし。

 あとは、そう。明らかに覚束ない足取りのまま、わたしを見なかったことにして去ろうとした未那が、ほんの少しだけ癪に障ったとか。

 そういう理由で、わたしはふらふら喫煙所にまで向かう未那を追いかけてしまった。


 それで出てきた言い訳が、最初のひと言なんだから。

 わたしときたら、ああもうなんだこれ。何も考えられていないじゃないか。


「…………」


 未那は実に居心地悪そうにしながら、壁に背を当てて所在なくしている。

 狭い喫煙所。この居酒屋は全席喫煙可だけれど、その上で煙草を吸う場所が用意されているところに時代を感じる。

 まあ、わたしだって好き好んで体に悪い煙を吸いたいとは、まったく思わないけれど。


 …………。


「吸うんだ、煙草」

「え?」


 突然言ったわたしに、未那がきょとんと目を見開く。

 遅れて言葉を咀嚼すると、なぜだか誤魔化すように言った。


「あー……ん、まあ、ときどきな。付き合いっつーかなんつーか」

「なんでそんな言い訳がましく……」

「……そんなつもりねえよ」

「吸えば? 煙草吸うためにここ来たんでしょ」


 喫煙所は細長い。正面に立つのも隣に立つのも変な気がして、わたしたちは斜め向かいに立っている。

 間には灰皿が置かれている。今はほかに誰もいないけど、見るに相応の活躍はしているらしい。


「お前は?」


 と。問われてわたしは、「え?」と思わず素で訊ね返してしまった。

 未那は怪訝に眉を顰めたが、そのまま言葉を続ける。


「煙草。吸うためにここ来たんじゃねえのかよ」


 わたしはここまで間抜けな女だったろうか。

 追ってきたわけじゃないと言った以上、喫煙する以外になんの理由があってここに来る。

 そして当然、わたしは煙草もライターも持っていない。葉巻と燐寸なら持っている、というオチも用意していない。


 迷った挙句にわたしは言った。


「……なら一本寄越せ」

「なんで」

「置いてきた」


 ……いやあ、これ、苦しいよなあ……。

 さすがにこの言い訳で騙される奴はいないだろうに。何してるんだろ、本当。

 もちろん未那は胡乱げだ。片眉を吊り上げ、それから軽く肩を竦めると、ポケットから取り出した煙草の箱をまじまじ見つめ、「ま、いいか。あとで返せば」と謎の言葉を呟く。そして取り出した一本をわたしに手渡した。

 わたしは素直にそれを受け取ってしまい、もはや後戻りはできない状況。


 吸ったことないんだよなあ。


 まあ、吸ってる振りでもしておけばバレないだろう。たぶん。知らんけど。

 勢いよく吸って咽る、なんてお約束みたいな失敗をしなければ大丈夫、なはず。


「ほら、火」


 言って未那が、100円ライターに火をつけて、こちらに手を伸ばす。

 その火を貰おうと手を伸ばしたわたしに、未那がごく小さな声で告げた。


「口。くわえろ」

「え?」

「煙草だけ火に当てても点かない。吸いながら火に当てるんだよ」

「――……」


 ……うぁ、くそ。恥ずぅ。


「そういうことは先に言えよ。……バカ」

「なんで俺が罵られてんだっつの」


 苦笑する未那。わたしはじとっと上目遣いで睨みつけるが、どうにも効果はない模様。

 もういい。改めて口に煙草をくわえて、今度は上体ごと未那側に倒す。未那もライターに火を点け直す。

 間違っても髪に火がつかないよう、空いているほうの手で髪を掻き上げた。


 すると、なぜか目の前で煙草の火が消えてしまった。


「……おい。からかってんのか」


 再び上目遣いで未那を睨む。


「あ、いや……すまん」


 なぜか未那は、わたしから視線を逸らしていた。

 なんだ? 一瞬だけ考え込み、そしてすぐに思い至る。


 ……ああ、そういうこと。


 なんだかわたしまで微妙な気分になってしまう。

 少し喜んでいる自分と、そんなことで喜んでしまう自分を大きく厭う自分。

 その対立は後者へ決定的に傾いた出来レースだった。


 ああ。本当に、度し難い。


 今度こそ火を貰って、恐る恐るゆっくりと吸う。

 感想としては、うん――なんだこれめちゃくちゃマズい。

 若干の吐き気すら込み上がってきた。こんなもの今すぐ法規制しろ、バカじゃないのか。

 目の前で煙草に火を点ける未那が、結構理解しがたく思える。

 慣れた様子で灰の中に煙を吸い込むと、大きく吐き出し、未那は言った。


「……まっず」


 わからない、という言葉は訂正したほうがいいかもしれない。

 少なくともバカだということはわかった。そういうところもわたしと似ている。


「ならなんで吸ってんの」


 当然の疑問をわたしは述べて、当然のように未那は返す。


「そういう気分になる日もあるってことだ。理由なんてそんなもんだろ」

「……かもね。ああ……それなら、わかる気がする」


 なんなんだろうね、この気持ちって。いったいどういう名前をつければいいのかな。

 未那も、それを知らないのかな。知っていたら教えてくれたかな。

 わからないから、こうして煙草を吸っているのかな。ねえ、どうなんだろ。


 浮かんだ疑問の全てを、けれど解消する問いが口からは出てこない。

 しばらくそのまま、ほかに誰もいない喫煙室で、わたしは未那と煙草を味わい続けた。

 控えめに言って拷問みたいな時間で、だからこそわたしには相応しい気がして。


「――どうにもなんねえもんだな」


 その時間は、未那がそう呟くまで続いた。

 あるいはそこから始まった。


「……何が?」

「いや……あー、うーん……何がだろうな?」

「何言ってんの」

「知るかよ。思ったこと言っただけだ。もしかしたら、どうにかなってるからこうなのかもしんねえし」

「……」

「……なんも、言わねえのかよ」

「……」


「なんもないのか? 怒るとか叫ぶとか殴るとか、お前にだって――」

「うるさいよ。わたしにいったい何を言えって言うんだよ」


「……」

「……何も、言うことなんてないよ」

「……」

「知らないよ。そんなことしようと思ったことない。むしろそれは未那がするべきことなんじゃないの」

「何言ってんだよ、お前」

「いいよ、別に。わからないなら。第一、今さらだと思わないの?」

「……そうだけど」


 わたしがしていることは、醜い八つ当たりでしかなかった。

 誰が悪かったのかと言われればわたしで、何が悪かったのかと言われれば全てだ。

 だけど、そんなこと、今さら否定のしようもない。

 ゼロのままならよかったとさえ、今のわたしにはもう願えない。そんな残酷に耐えられない。

 だけど全てが後の祭りで、わたしには正解も間違いもわからなくて。


 それならもう、こと以外に、できることなんて何もないんだ。


「それよりさ」


 押し黙ってしまった未那に、わたしはできる限りの笑顔を向けた。

 手酷い行為だ。けれど謝ることさえ許されないわたしには、もう悪役を張り続ける以外の道はない。

 脇役でも、もちろん主役でもない。それだけが、今のわたしに残された選択肢。


 でも、まあ、そんなものでしょ?

 お互い、いい大人なんだしさ。こんなところで、わざわざ雰囲気悪くすることもないよ。

 たまたま高校時代の友達と会ったんだし。ちょっと久闊を叙して、それで、さよならできたら、いいじゃんか。


「未那、最近どうなの?」

「は――いや、最近どうって……」

「いろいろあんでしょ。就活なりなんなりさ」

「……さあな。まだこれからだし、いろいろ考えちゃいるけど、考えてるだけって感じだ」

「そっか。実はわたしもそんな感じ。どうなるかなー。大変そうで、気が滅入るよね」

「ま、そういう時期だしな」

「そうだね。再来年には社会人かー……あはは、なんか想像つかないかも。上手く行けばなんだけどさ」

「……かもな。将来が決まってる奴もいるんだろうけど、周りも割とそんな感じじゃないし」

「……ねえ未那」

「なんだよ」


「――あの子は、元気?」


 たぶん、口が滑ったのだと思う。訊いてしまってから、なんで訊いているんだ、とわたしは思った。

 だけど仕方ない。訊いてしまった以上はもう、訊かなかったことにはできないのだ。ならばわたしにできることは、もう初めからそれが目的だったかのように振る舞うだけ。

 それがわたしの悪役計画、なんつって。


 土台、今ならばまだどうとでもなる問いだから。

 これが誰を指しているのか。それさえわたしたちは共有していない。なら誤魔化しが利く。

 たとえ明白だとしても、言葉にしていないことは真実じゃない。


 それくらいは、許してほしかった。


「……元気だよ」


 果たして、未那はそう答えた。

 誰のことを未那は答えのだろうか。

 誰でもいい、とわたしは思う。

 いずれにせよ、わたしの答えは決まっていたから。


「そっか」


 頷いて、わたしは笑う。

 ああ。わたしは本当に最低だ。

 そう思いながら。


「――なら、よかったよ」


 最低の悪役であることを、自分に強制し続ける。

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