4-21『接続章/決して、言葉にはできない』
未那が部屋を出たのを確認して。
それから、友利叶は自分の部屋の真ん中へと歩いていった。
とても楽しい旅行だった。
新しい友達ができて、これまでの友達と仲を深めて。自分の趣味さえ満足して。文句のつけようもない、それは最高の青春の形。きっと望んだ理想のひとつ。
――頭の中で声がする。
しかし、それにしても未那の宣言には驚いたものだ。
叶は小さく笑みを作った。
それを確かに、作れるはずだった。
――それに気づくな。
まったく急な話であるが、しかしめでたい話だと言えよう。
未那も、さなかも、叶にとっては大事な友達。そのふたりがようやくくっつくというのだから、ちゃんと祝ってやらないといけない。
――その想いを自覚するな。
自分は、だって、かなり早い段階から、さなかの想いに気づいていたのだ。
まったく面倒なふたりで、誰が見ても両想いなのに、本人たちだけそれに気づかない。仕方ないからと背中を押して、そういえば、マントをつけてやったこともあったっけ。
――そうなっては戻れなくなる。
さなかはいい子だ。自分なんかには、過ぎるくらいの友達だ。
わたしみたいな面倒臭い女、放っておけばいいのに。彼女はわたしを好きだと言う。
いつもくっついて構ってくる。
わたしはそれを、鬱陶しく振り払うふりをして、だけど本当は嬉しかった。
――それは裏切りだ。
それに、未那だってそう。
実に面倒な奴だ。それとも、これは同族嫌悪か。
まあ、なんにせよ、大事な友達だということは変わらない。
そうだ。友達だ。友達なんだ。
わたしと、未那は、いつまでだって友達だ。
――誓ったはずではなかったのか。
そうだ。約束した。
同じ理想を、いつまでだって目指し続けると。
たとえこの先どうなろうと、わたしは隣に在り続ける。それはお互いを信じることではない。むしろ我をぶつけ合って、わがままを許容するような殴り合い。
それでも、ずっと友達でいられると、わたしたちはそう信じたはずではなかったか。
――それをお前は嘘にするのか。
できない。そんなことできるはずがない。
それだけは絶対に嫌だ。そんなことをするくらいなら死んだって構わない。
いや、違う。そんな裏切り者、それこそ死んでしまえばいいんだ。
――ああ。
あの日、あの公園で、ふたりで交わした、大切な誓い。
わたしにとって、それより大事なものなんてない。あっちゃいけない。
そうだ。だって本当はそれが欲しくて、でも届かなくて、諦めようとして、それでも、逃げ出したって、諦めることができなかった、あの遠く遥かな尊い理想。
それをいっしょに追ってくれると。
いっしょに求めてくれると、ほかでもない――未那が、わたしに、言ってくれた。
――ほら。
何を迷うことがある。
何を苦しむ必要があるというんだ。
わたしはこれで構わない。
わたしたちにとって、同じ部屋で過ごすことなんて価値を持っていない。
ほら。
だからこんなの、単にちょっとした気の迷いだ。
ほんの一時の、感情の揺らめきでしかない。
これまでいっしょに過ごした友と、別れようというのだから。そりゃちょっとくらい、寂しく思ったって仕方ない。
――だから、それに、気づいてはいけない。
あの誓いだけは嘘にしてはいけないから。
わたしから頼み込んだのに。彼は、それでもいっしょに来てくれたのに。
それを、今度はわたしの勝手で裏切るというのか?
――誓いを裏切ってはならない。
ダメだ。できない。できないって言ってるんだ。だから黙ってくれ。頼むから。
お願いだから、これ以上もうやめてくれ。
それだけは本当に嫌なんだ。
ほかの何を失っても、わたしは、あの誓いだけは絶対に棄てたくないんだ。
あの日、あのとき。
あの場所へ、わたしの家に、未那が駆けつけてきてくれて。
わたしがどれほど嬉しかったと思う?
――嬉しかったんでしょう?
だからこそだ。だからこそ、あの宝石より眩い、大事な思い出を嘘にしたくない。
あれは、わたしの、たからものだから。
もうこんなことは考えたくない。別のことを考えよう。祝福する方法を。
ああ、なるほど。最後の夜、温泉上がりに会ったときの様子。
あのとき、そういうことになったのか。なんだ、気づかないとは鈍感なものだ。
――本当に気づかなかった?
気づかなかった。……気づかなかった?
本当に?
違うでしょう。
そんなはずがないでしょう。
ずっと前から知っていたのに、どうして旅行中だけなんにも気づかないでいられる?
むしろ、普段よりずっとわかりやすかったはずではないの?
それでも気づかなかったというなら、それは。
――気づかない振りをしていただけだ。
だって、それは裏切りだ。
自覚さえしなければ話は済むのだ。
あの誓いを嘘にせず、笑っていられるはずだった。
だけど。
だけど気づいてしまったら。
蓋をして、言葉にせず、見ない振りをして殺していた気持ちに。
もしも気がついてしまったのなら――。
――わたしは、未那を、最悪の形で裏切っている。
欲しいものが、あるはずだった。
それに、いっしょに、手を伸ばしてくれると。
そう誓ってくれた人がいた。
だというのに、そのわたしが、その相手を裏切るのか?
そんなことは許されない。
死ぬべきだ。そんなのは死んだほうがいい。
そんな気持ちは、殺してしまわなければいけない。
――できないくせに。
だができない。とうに手遅れだ。
気づいてしまった時点で、もはや裏切りは確定的。逃れるすべなどありはしない。
してはならなかった。絶対に気がついてはいけなかった。
たとえ、それが初めの一歩から、とうに誤った道だとしても。
それでも、誓った以上は嘘にできない。
あの日。あのとき。
自分を見つけてくれた彼を。
――もう、とっくに、好きになってしまっていたのだとしても。
ああ。だめだ。
認めてしまった。気づいてしまった。
その気持ちを自覚してしまった。
そいつは見事な裏切りだ。背中から斬りつけるに等しい最悪の暴挙。
だとしても、気づいてしまってはどうしようもない。
見ない振りをしていられたら。
気づかない振りをし続けることができたなら。
それでも、まだ救いがあっただろう。
「あ――あ……っ」
だけどもう、全てが遅い。
少女は、自らの気持ちを知った。
自分の中で叫んでいた声。気づかない振りで無視をしていた気持ち。
「……そっか……」
どうあっても言葉にできない、それはきっと、この世で最も醜悪な恋心。
何があっても、絶対に好きになってはならかったはずの相手に、募らせてしまった想い。
「わたし……もう、あのとき……とっくに」
狭い部屋の真ん中で、少女は力なく膝をついた。自らの両肩を力なく抱き締める。
寒かった。まだ夏なのに。住み慣れた部屋のはずなのに。
でも、そんなことは当然だった。
これは罰だ。最も大切な友人に対する、最悪の裏切りを行った自分への正当な、罰。
寄る辺のない少女はひとり、誰にも救われず、ひとりきりで震えている。
「……未那のことが、好きに……なってたんだ……っ」
――それは、恋など知らない少女が、初めて手にした淡い感情。
その気持ちに罪はない。本来ならそのはずだ。
けれど少女は、自分を許せない。それが何より手酷い裏切りだと知っているから。
――ゆえに。少女が生まれて初めて自覚した恋心は。
それと気づいたときにはもう、とっくに手遅れの想いだった――。
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