4-20『エピローグ/別解』

「――っだー、たっだいまーっ!」


 鍵を開けて部屋に入る。そう長い時間を離れていたわけでもないのに、かんな荘がずいぶん久し振りに思えた。後ろからは秋良も、そして叶も続いた。

 今日のところは、もうどこから入るかなんて気にしないことにしたらしい。


 最終日も、ずいぶん濃密な時間を過ごしてきた。

 チェックアウトしたあとは、お土産屋に寄ってから電車に乗る。そのあとで途中下車をして、帰り道の途中でも観光に寄ってきたのだ。


 結局、家についた現在時刻が午後八時過ぎ。

 オブジェ前で勝司・葵と、ついさっき家の前でさなかと別れて、三人で帰宅した。

 旅の荷物をその辺に放り投げ、三人揃って部屋の中に寝っ転がる。


「……いや。楽しかったね」


 まず初めに秋良が言った。叶がそれに頷いて、


「うん、楽しかった。……ありがとね、秋良。誘ってくれて」

「何。君とぼくはもう友達だろう? こっちこそ、いっしょに来てくれてありがとうさ」

「……ったく。様になるなあ、秋良は。もう」


 わずかに苦笑する叶。秋良のキャラにも慣れたのだろう。

 しかし疲れた。温泉で疲れを癒やしても、それ以上の疲労を持ち帰ってきているのだから、あんまり意味がないような気もする。

 けどまあ、そこは考えるところじゃない。


「もうこのまま、明日までずっと寝てたい……」


 俺は小さく呟いた。

 すると、秋良がそれに待ったをかける。


「おや、それは残念」

「……何が?」

「ぼくは明日の朝には帰るからね。最後の夜を楽しみたいところだったんだが」

「はあ。……え、明日!?」

「しかも朝!?」


 同時に驚きの声を上げた俺と叶に、秋良は常と変わらない決まった微笑で。


「まあ、かなり長居したしね。実は旅行前に隣は片づけて、鍵を返してあるのさ。だからこのまま荷物を持って、ぼくは帰ることができる」

「また根回しのいい……」

「ああ、瑠璃さんへの土産は未那と叶から渡しておいてほしい。これも言ってある」


 引き留める余地はないようだった。


 ……ああ。なんだ、それはそれで少し寂しい。

 が、かといって口にはしづらい。


 俺と秋良はあくまで旧友同士。秋良にも、きっと向こうに友達がいる。

 むしろ夏休みの、こんなに長い時間を付き合わせてしまったのだ。感謝はあれど、それ以上を求めるのは話が違う。

 ……とはいえ。そんな旧友を、ただで返すというのも主役理論者の名折れ。


「そっか。仕方ねえ、今日はとことん飲もうじゃねえの」


 せめて明るく俺は言った。

 この思い出を、またいつだって綺麗なものとして取り出せるように。

 そんな祈りを込めて、最後を彩ってやりたかった。

 もちろん、飲むと言ってもソフトドリンクだが、まあこういうのは雰囲気だ。


「おや。付き合ってくれるかい?」


 楽しそうに――それは本当に心から――笑う秋良に対し、俺もまた同じ笑みを返す。


「もちろん。寝たいっつっても寝かしてやんねえよ。叶も付き合うだろ?」

「……しゃーないな。今夜だけ、秋良のために特別だからね?」


 そんな風に言いながら、けれど叶の表情も笑顔だった。

 まったくどこまでも素直じゃない同居人は、こんなときだって言い回しが面倒臭い。


 だけど、それでも、こいつはきっと最後まで付き合ってくれる。


 それを知っていたから、俺はさっそく土産に買ってきた菓子類と、冷蔵庫に入っている未開封のペットボトルを取り出して、宴会の準備を始めた。

 夏休みの旅行の最後を飾る、ほんのちょっとした打ち上げパーティー。

 話す内容も雑多に。もちろん旅行の思い出だったり、たとえば秋良がこちらに来た日のことや、買い出しの思い出まで。あるいは中学時代の失敗談や、高校に入ってからどんな風に過ごしてきたか、ほかの三人のこと、そしてそれ以外の下らなく素敵な全て。


 秋良を見送るための宴会は、明け方までずっと続いた。



     ※



 気づいたときには、もう夕方近かった。


 宴会の途中、疲れからそのまま寝落ちしてしまっていたらしい。

 すぐ傍には叶も眠っていて、けれどとっくに秋良の姿はない。

 卓袱台の上に、一枚のメモ用紙が乗せられていた。そこには秋良の字で、



『未那へ。――世話になった、ありがとう。次に会える日を楽しみにしている。

 また近いうちに。皆にもよろしく。親愛なる君の旧友より。


 叶へ。――ぼくは君と友達になったつもりでいる。

 ついてはぼくの連絡先を残して行くから、ぜひ登録してほしい。

 何かあったら、いつでも連絡してくれ。秋良ちゃんより。』



「ったく、相変わらず気取ってるよ……」


 親愛なるの使い方がおかしいと思うんだよなあ。

 なんて苦笑も、相手が秋良だから出てくるものなのだろう。

 悪い気はしないし、むしろあのどこまでも格好いい旧友と、友達であれることを幸せに思う。


「それ、秋良から?」

「うおっ!?」


 いきなり背後から声をかけられ、思わず跳び上がりそうになった。

 叶が、顔の横から手紙を覗き込んでいたのだ。


「なんだ……起きてたのか」

「未那が起きる少し前にくらいにねー。もぞってる間に未那が起きた感じ」

「もぞってるて」


 ――目が覚めてもすぐには動けないので布団でもぞもぞしている、の意。叶語だ。


「ほい」


 と俺は、秋良からの手紙を叶に渡した。

 連絡先が書かれているから、叶が持っていたほうがいいだろう。


「ん」


 と叶は紙を受け取り、それから大きく伸びをした。

 しばらく猫のようにうでーっとしている。


 そういえば、と俺は思った。

 日付が回っているのだから、もういいだろう。


「なあ、ちょっと言っときたいことがあるんだけど」

「んー……何? 言っとくけど、今日はわたし、料理とかしたくないからね……?」

「確かに腹も減ったけど、別にそういう話じゃない。ちょっと報告」

「報告?」

「俺、さなかと付き合うことになった」


 そこで叶は、初めて重要な話だと気づいたようにこちらを振り返った。


「……え?」

「いや、そんな驚く? お前も一応、気づいてはいたんだろ」


 今にして思えば、叶は俺というよりも、さなかの気持ちに気づいていた節がある。ときどき彼女を後押しするように動いていたのだから、たぶん間違いないだろう。


「ああ……そっか。そうなんだ」

「うん。まあ、そう。だからって別になんだってないけど、まあ言っておこうかと」

「……いや、そういうわけにもいかんでしょ。同じ部屋に暮らしてたら、さすがにさなかだっていい気はしないよ」

「まあ……そうな」

「そっか。まあ了解。したら、この生活もそろそろ終わりかー。壁、戻さないとだね」

「……悪いな。いや別に急がなくていいんだけど――」

「だからそうもいかないって。最初からそういう約束だし、謝る必要もない」

「……おう」

「つか、先に言っとくべきだったね。……おめでと、未那。そんでまあ、楽しかったよ」

「それは、俺もだ」

「ん――なら、よかった」


 そこで初めて、叶はほのかに笑みを見せた。

 目を細め、首を傾げて、口を閉じたまま叶は微笑む。


「あ、そうだ。未那、これからご飯食べるんでしょ? どうせなら、ほのか屋行ってきてほしいんだけど」


 それから、そう言った。


「別にいいけど……なんで?」

「いや、だってお土産渡さないとだし。未那だって買ったでしょ?」

「買ったけど、何、お前は来ないの?」

「わたしはもうちょい寝るから。だから頼んでんでしょーに」

「おっけ、わかった」

「よろしくー。あ、わたしの分はそこのカバン中。勝手に出して持ってってー。んじゃ」


 ひらひらと手を振りながら、そのまま叶はいつもの調子で隣の部屋に引っ込んだ。

 この壁の穴からお互いの部屋へ、果たしてあと何度、行き来することがあるだろうか。

 そんなことを考えてから、俺はふたり分のお土産を手に取る。

 靴を履いた。叶の分の靴も今、こちらの部屋の玄関に置かれている。向こうに移しておこうかと、一瞬だけ考えて、けれどやめた。自分でやるだろう。

 部屋を出てから、扉を閉める。それから鍵をかける。



 ――この先の三年間、俺はまだまだこの光景を、何度だって見ることになる。



 けれど、いったいなぜだろう。

 どうしてか、辺りがいつもとは違う景色に思えてしまった。

 自ら選んだこととはいえ、この生活が終わることに、寂しさがないと言えば嘘になるからだろう――当然だ。


 だとしても、それは言葉に変えることじゃないはずで。

 ほのか屋へと続く、通い慣れた道を歩き出す。

 そいつは確かに、日常へと戻るはずの第一歩であり。




 けれど確かに、日常から離れる一歩だった。

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