4-19『A/ご覧の通りです5』
宿に戻ってみんなと合流し、それから夕食になった。
誰かに、何かを問われるということはなかった。
温泉に浸かって、勝司と下らない話をし、再びさなかの風呂上がりの姿にドギマギして、そいつを秋良に気づかれて笑われ、誤魔化すように葵を笑わせ、部屋に集まってゲームで遊んだ。眠気も消え、食い下がってくる叶と全力で戦い、ふたり揃って敗北した。
明日はチェックアウトがある。
十時には全て片づけて部屋を出ないといけないから、そんなに遅くまでは起きていられない。零時頃に解散して、それから俺は、最後にもう一度だけ温泉に入りに行った。
――やはりいい。
夜中の大浴場は貸し切り状態で、伸び伸びとお湯を楽しめた。
この旅館は、昼間の清掃時間以外は、いつだって何度でも風呂に入れる。
とはいえ、どうせ明日も早起きはできそうにない。
これが入り納めになるだろう。
夜空の月と星を見る。
そういえば、どこぞに一度、月の女神を自称した奴がいたっけか。
祈る対象としては不適格だから、別に頼みはしないけれど。それでもまあ、月や星に見守られていると思えば、やる気も出てくるというもの。
――隣で、きちんと見ているから。
そんな約束で、力をあげられたことがある。
――いつだって、きっとわたしはそこにいるから。
そう言ってくれた奴が、力を貸してくれたこともあった。だったらそれを裏切れない。
この日がどういう風に終わろうと、だって、仕舞い込んだ思い出は霞まないから。
俺は、ことのほか落ち着いた気持ちで風呂を上がった。
スマホを出して、さなかに連絡する。返事はすぐに来て、『一階のロビーにいるよ』とのこと。
ちょうど温泉からの帰り道だ。たぶん、昨日のあのベンチのところにいると思う。
俺はその場所に向かった。
さなかは、予想通り昨日と同じ場所に座って待っていた。
その手には二本の缶コーヒーを持っており、綺麗な表情で笑いながら、もう片方をこちらに投げてきた。
「ほい!」
「――おっと」
咄嗟に受け取ると、さなかが笑って。
「昨日のお返し」
「……なら、遠慮なく。ありがと」
「どうたしましてー。……座ろっか?」
頷き、俺とさなかは並んで椅子に腰を下ろす。
なんだか妙な雰囲気だった。
いつも通りのような、いつもと違うような。どちらにせよ色っぽい感じはない。
ただ、そんな抜けっぷりも俺らしいと、今では肯定できる気分だ。別に開き直っているわけじゃないが、だからって苦に思う必要もないだろう。ありのままでいい。
「……どっちから話す?」
「それじゃ、俺から」
さなかに問われて、考えもせずにそう返した。
どう言おうかなんて決めちゃいない。だけどそいつは俺から言いたい。単なる見栄でしかないけれど、見栄くらいはせめて張りたいところ。
少しだけ迷ってから、もう、素直にそのまま告げると決めた。
主役理論、第七条――《青春は、恥ずかしいくらいでちょうどいい》。
「――言ったかな。入学式の日に、さなかが最初に、俺に声をかけてくれたって」
「うん」
「そっか。じゃあ繰り返して言うけど、あれ、本当に嬉しかった。ありがとう。あのときは不安だったけど、さなかが声をかけてくれたおかげで、仲間に入れてくれたお陰で、今があるんだと思ってる」
「……うん。どういたしまして」
「まあ、だからってわけじゃないんだけど。そっから仲よくなって、いろいろ遊んだりして。家に呼んだりとか、出かけたり、あと望くんと会ったり」
「いろいろあったねー……」
「そっから図書室で泣かせたりもしたしね」
「あ、それ言う?」
「そのあと家に押しかけたり、公園で恥ずかしい話したり……まあ、何が特別とか、こうだからって理由があるわけじゃないんだけど。だけど見ているうちに、ずっと、さなかを尊敬してたんだって気づいたんだ」
さなかは、決して特別な人間ではない。
どこにでもいる、ごく普通の女の子だった。
そんな彼女が、けれどどこを探してもいない、自分にとっての特別だと本気で自覚するようになったのは――果たして、いつの頃だっただろうか。
「まあ、そんな風にいろいろ理由を探してもさ。結局、これってのはあんまりなくて」
「何それ?」
「さあ。でもそうだったから。そうだったんだけど、それでも、やっぱり気がついたら」
特別なきっかけなんていらなかった。
運命的な結びつきとか、劇的なイベントなんて必要じゃない。
それでも。
「俺は――さなかのことが好きになってた」
俺は、そう言ってから隣を見た。
さなかはまっすぐにこちらを見ている。いつのも素直に恥じらうような、赤い顔のさなかはそこにいない。
彼女の瞳は潤んで揺れて、それでも逸らさず俺を見ている。
「まあ……そういう感じ。俺は、湯森さなかさんのことが、好きです」
「……うん」
「言いたかったことはそれ。……はあ、緊張した……」
ふう、と息をつくように体の力を抜いた。
するとさなかは、なぜかこちらをじとっとした目で見つめていて。
「……え、それだけ?」
「それだけ、って……え?」
「あ。えといや、それだけならいいけど……」
「何が――え、あっ」
そこで俺は気がついた。
肝心なことを言っていないということに。
「あっ、違う。あれだ、それだけじゃない! えっと、そう――付き合ってください!」
さなかは、何かものすごく残念なものを見る目でこちらを見つめていた。
「……………………そこ、普通忘れる?」
俺は目を逸らした。
なんだこれ。締まらないにも限度ってものがあるのでは。
「まったく、もう……しょうがないなあ、未那は」
どうしてこうなるんだろう、と凹む俺を見て、さなかは肩の力を抜いた。
それから言う。
「ん。じゃ、答える前に、次はわたしの言いたいこと言うね」
「……はい」
「最初に会ったとき、わたし、未那のこと実は嫌いだったんだよね」
「え」
衝撃発言だった。もうすでに心が折れかけている。
だが、さなかはこちらに構わずに。
「だってわたしと同じなのに、わたしと違うことやってたから。まあ実はそれ初対面じゃなかったんだけど、そのときは未那だってわかんなかったからね。そんで逆恨みしてたんだけど、途中で考え直したの。未那みたいに、わたしもがんばってみたいな、って」
「……がんばってみたい、か……」
「だから、その意味で、未那はわたしにとってお手本だった。だから最初に声かけたし、仲よくなりたいなって思ってた。そういう下心で声かけたんだけど――そんなの、本当に最初の数日だけでさ。途中からもう、そんなこと関係なしに、未那のこと目で追ってた」
「…………」
「わたしも、だから未那といっしょだよ。特別なことなんて何もない。叶ちゃんみたいに、未那と通じ合ってるわけじゃないし、運命的なことはひとつも持ってない。いや、そりゃあとで初恋だったことはわかったけど……そんなこと、わたしにとってはどうでもいい。だってわたしは、もう、とっくに――未那のことが好きになってたから」
だから、それで構わないと、さなかは言う。
「それでいいんだ。特別で、劇的なことがあったから未那を好きになったんじゃない。わたしは単に、ちょっと見かけたことのある同級生と、同じクラスでいっしょに過ごすうちに、ただ普通に好きになった。――そのことが、わたしにとっての、特別だから」
うん、そっか。と、俺は答えた。
胸が詰まるような感覚だ。気の利いたことなど言えやしない。
それでもさなかは、ごく普通に、その特別を口にする。
「だからわたしは、我喜屋未那くんのことが好きです。わたしと、付き合ってください」
お互いに、言いたいことを口にした。
欲しいものを欲しいと言った。
そのことが、きっと必要だったから。
思いは言葉にして、初めて共有できるのだと、さなかは俺にそう言った。
ならば今、お互いが言葉に変えた思いは、きっとどこかで繋がっているのだろう。
だから俺たちは、ふたりで顔を見合わせて。
それから小さく笑みを零して、ふたり同時にこう答える。
「――喜んで」
旅の終わりの、最初の思い出。
暗い旅館の片隅で、缶コーヒー片手に椅子に座ったまま、なんのロマンチックさもないありふれた告白を俺たちはした。そのことが、何より大切な思い出になる。
しばらくたってから、どちらともなくコーヒーを開けた。
「……あ、ども」
「え、ああ、はい。じゃあ、乾杯とか……」
「ああ、はい……えと、それじゃあ」
そしてグダった。
かちんと缶をぶつけ合わせて、それからお互い力を抜いて笑う。
「なんか……思ってたのとだいぶ違ったなあ」
「それはこっちのセリフだよ」
怒るでもなく笑顔のさなか。
「というか、先に言われるとは思ってなかった」
「思ってなかったんだ……え? 思ってなかったの? なんで!? なら何を言われると思ってたの!?」
「わかんない……」
「えー……」
「だ、だって未那、わたしのこと好きかどうかぜんぜんわかんないし……」
「いやいやいやいや、それこっちのセリフなんだけど!?」
「えぇ!? だ、だって未那、わたしがアプローチしてもぜんぜん反応しないし……!」
「だからそれ俺のセリフだって!」
「未那は別にそんなことしてなかったでしょ!?」
「さなかこそ、まさかトーストくわえて突進してくることがそうだったとでも!?」
「そうだよっ!!」
「そうか! ……あ、そうなんだ。じゃあ気づいてなかったわ、ごめん……」
「……いや、わたしのほうこそ不器用でごめんなさい……」
こんなんだから、恋愛情緒小学生男などと言われてしまうのだろう。
なんだか、やっぱり無駄に遠回りした気分だ。
これも俺たちらしいよね! という便利な言い訳も、そろそろ使えそうにない。
だが、かといってすぐに成長する兆しもなく。
まあ、ゆっくり歩くしかないのだろう。
それでよかった。
何を見逃すこともなく、ふたりで同じもの見られるのなら、それで。
しばらく、何を話すこともなくコーヒーを傾ける。
無言が苦になるわけでもないが、しかし改めて付き合うことになったと言っても、何がどう変わったのか、いまいち自覚がなかった。本当ならもっと嬉しさに悶えるくらいするかと自分で予想していたのだが、どうにもそういう気分じゃない。
ただ、ぽわぽわとして実体のない、温かい何かに包まれているかのような。
それもまあ、変にぎくしゃくしてしまうよりは、きっといいのだろう。
「……明日早いし、そろそろ寝よっか?」
コーヒーを飲み干したところで、さなかがそう言った。
俺は頷いて、それから訊く。
「えーと……言う? これ、みんなに?」
「あ、うーん……まあ言わなくてもみんな気づきそうなものだけど」
「……まあ確かに」
というか隠し通せる気がしない。
「ま、まあ気づかれる感じなら言おっか。その……できれば帰ってから……」
「……そ、そうね。旅行中に、あんまあの、言う気しないしね……」
そういう話だけをして、それからふたりで立ち上がる。
勝司はとっくに眠っているだろうか。そんなことを考えながら階段を目指す。
「――あれ? 未那と……さなか?」
声をかけられたのはそのときだった。
ちょうど下から階段を上ってくる人影があったのだ。地下にはあるのは大浴場だから、この時間まで入っていたのだろう。
「何してんの? てか、まだ寝てなかったんだ?」
「お、おう……叶」
「どしたの、変な顔して? ……あ、未那も入ってたんだ?」
「あ、うん……そんな感じ。んで、ちょっとコーヒー飲んでた」
髪を見て判断したのか、叶はあっさり「なるほどねー」と言って軽く表情を緩めた。
「いやー、明日は入れるかわかんないからさ。朝は得意じゃないし。だから入り納めっていうか、最後に味わっておこうかと。夜はいいよねー、ひとりで貸し切りなんだもん」
「確かに男湯も俺ひとりだったわ」
「でしょーね。ん、いい旅行だったよホント」
「……早く寝ないと、秋良に寝起きを見られるんじゃねえの?」
「あー……でもまあ秋良だしなあ。もうそこは未那といっしょで諦めてるっていうか……てか、どしたん? まだ部屋戻んないの?」
きょとんと首を傾げている叶に、何か勘づいた様子はない。
……まあ。ほかの誰よりまず最初に、少なくとも叶には最初に伝えなければならないことだろう。とはいえこの分なら、帰ってからでもよさそうだ。
「いや、もう戻るとこ」
「ういー。……ふわあぁ……っ」
大欠伸をする叶。
俺たちはそのまま三人で部屋まで戻り、それぞれ別の部屋へと入った。
――楽しかった三日間が、終わりを迎えようとしている。
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