4-17『A/ご覧の通りです3』
結局、ぐだぐだしている間に、出発は昼過ぎまで繰り下がった。
それも自由な旅行の醍醐味と言えばそうかもしれない。ツアーや修学旅行ではなかなかこうもいかないけれど、たまにはノープランで飛び込む旅も乙なものだろう。
ツアーで旅行なんて行ったことないけど。
俺とさなかは、温泉街のほうから昨日訪れた石段街まで足を運んでいた。
どう巡るにせよ、この辺りを拠点とするのが最も楽だろう、という判断だった。つまり何も考えていないというか、さてどこに行こう、となると意外と難しいのだ。
観光案内をチェックし、そこで考えた末に向かった先は――
「初日に俺が言った『文学の香りがする』という表現。あながち間違いでもなかった気がしない?」
「うーん、そうだね。まあ、そういう見方もあるかもだよね」
「しないならしないって言っていいよ……」
「じゃあしない」
けらけらと笑うさなかだった。
楽しそうで何より、と強がっておくとしよう。
ともあれ、デートで向かうには少しばかり堅苦しい感じのスポットかもしれないけれど。
結構、俺たちはそこそこ楽しめた。
「さなかは徳冨蘆花、知ってる?」
「まあ名前は知ってるよ。前に大河ドラマに出てきた」
「そうなの? 俺はそれ観てないな……徳冨蘆花の話だったの?」
「いや、どっちかっていうと脇役だったけど」
「あ、そうなんだ……」
「未那はどう? 未那って結構、本は読むよね? わたしはそこそこだし」
「まあ、俺もぶっちゃけ読んだことない……」
「……なんで来たんだろうね」
「あったからかな……」
歩いていける距離だったんです。すみません。
とはいえ、そんな俺でもさすがに名前と代表作くらいは知っているというものだ。
明治時代、国民新聞に掲載され、のちに当時の大ベストセラーとなった作品――『不如帰』。
その作者が徳冨蘆花先生だ。
俺もそれなりに読書はするほうだったが、読んだことがないというのは痛恨事だ。
この反省を活かし、次はきちんと読んでおくことにしよう。
「というか、そういう意味では、こういうところで作品に触れられるのっていいよね。昔の作品に触れるきっかけになるわけだし」
「あー、確かに。わたし、こういう機会でもないと読まないかもだしね」
「こういう機会があっても読まないよりいいでしょ」
蘆花は伊香保を好んでおり、ついには死の間際にわざわざ訪れ、伊香保で亡くなったという。さすが明治の大文豪だけあって、その生き方さえ実に劇的であった。
作品に触れることはあっても、その生涯にまで触れることはそうそうない。それこそ、現代文の授業で習うことがあればせいぜい、というくらいだ。
けれど俺は、その手のことが結構好きなのだった。
「やっぱり主役理論者としては、先人に倣いたい部分ってのは多いからね」
「見方が独特すぎるよ……」
「いや、でもちょっと憧れない? ほら、なんだろ。小説家っていうと、やっぱり小説を書いているひとってイメージじゃん」
「そりゃそうでしょー。だってその通りじゃん」
「でも、これを文豪って言うと、なんか生き様からして常人を超えてる感じしない?」
「……ああ。それ、確かにちょっとわかる気がする。なんかカッコいいよね。カッコいい職業ランキングのトップに入りそう」
「わかる。詩人とか歌人もそんな感じしない?」
「だよね……なんかこう、人里から離れたところにいそう。あと陶芸家とか彫刻家とか」
「やっぱ芸術家ってパワーあるよな……」
話がどんどん下らない方向に流れていく。
だけど、それもまた楽しかった。
「でも、そういう意味だと、それこそ宇川さんとかもカッコいいよね」
「めっちゃわかる。正直もはや憧れがあるよ。喫茶店のマスター。字面からしてイケてる感が半端じゃないよね。あとバーテンダーとか。此香もそうかな」
「此香も?」
「うん。だってほら、屋台の店主だぜ。超格好いい」
「確かに! でもそういう意味だと、わたしは瑠璃さんとかだいぶ謎だなあ……」
「あの人は俺にも謎なんだよ……何してんだろ、本当……」
「実は宇川家と繋がりあったしね」
「普段、何してんのかな……。どう考えても管理人だけじゃ食べてけないだろうし……というかその話すると、かんな荘はそもそも何してんのかわかんない人ばっかなんだよね」
もしかして、と思ったまさにそのことを、さなかがしれっと言った。
「……かんな荘って変な人しか住んでないんじゃない?」
「いや、そんなまさか……ていうか、俺が住んでるじゃないですか、ほら」
「かんな荘って変な人しか住んでないんじゃない?」
「遠回しに俺を変な人って言うのやめて……」
これ大丈夫? 本当にこれ告白とかできますか?
好きな女の子から俺への評価、《変な人》で固定されてるみたいなんですけど。
「あはは。冗談冗談!」
ぺしぺしと俺の肩を叩くさなかだった。
かなりマジっぽく聞こえたのは、どうやら俺の勘違いだったらしい。よかった。
「…………」
しかし、まあ、なんだ。
――今日のさなかは、ずいぶんとかわいらしかった。
もちろん普段からかわいいけれど。
そういう意味ではなく、なんというか、いつもより装いに気合いが入っている感じがするのだ。もともとオシャレではあるのだけれど。
ああ、ダメだ。語彙が乏しくて感覚を言葉で表せない。
出かけ際、さなかを連れ出してきた葵が、こちらに親指を立てるのを見た。
葵の手によって、さなかがコーディネートされているということだ。
デートなんだから気合いを入れろ、とかなんとか、てきぱき動いてくれたらしい。
ありがとう葵様。
もちろん、いくら俺がその手の経験値に欠けるとはいえ、おめかししている女の子には告げる言葉が相応にあることくらいは理解している。いるのだが。
『そ、それじゃそ、それ、行こうか。えと、うん。あれ、ど、どこ行くんだっけ!?』
部屋から出てくるなりそんな様子だったさなかには、何も言うことができなかった。
――ああ、今日はさなかが残念なほうの日だ……。
みたいな諦めすら抱いたほどだ。
幸い、すぐに落ち着いてくれたけれど。
「……未那? どしたの?」
ぼうっとしていると、さなかにそう問われてしまう。俺はかぶりを振って答えた。
「なんでもない。ちょっとぼうっとしてただけ」
「むぅ……そう?」
不満そうなさなか。
デート中に意識がそぞろとはいかがなものか、というご様子。
……今なら言えるだろうか。
いや違う、言うんだ。ここで日和るんじゃない。
「いや、ほら、なんだ。……今日、さなか、かわいいな、と思って。少し、見惚れた」
俺は片言になった。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
そしてさなかは無言になった。
外しちゃったかなあ。途端に不安になってくる。
「……ほら。次行こ、未那」
さなかはそのままそっぽを向き、すたすた歩き始めてしまった。
けれど数歩を進むとすぐに立ち止まる。前を向いたまま、小さな声でさなかは言った。
「未那」
「……なんでしょう?」
「その……ありがと」
「あ、うん」
「未那も、カッコいいと、思うよ」
「……おう。あ、ありがと……」
「うん……」
前を向いているさなかの顔は見えない。だけど耳まで真っ赤になっていることは、後ろからでもわかるのだ。
できればさなかの恥じらう顔も、正面から見てみたいところだけれど。
残念ながらそれはできない。むしろ前を向いてくれていて助かったくらいだ。
なぜなら俺の顔だって、きっとさなかに負けないほど、真っ赤に染まったはずだから。
――くそ、なんだこれ嬉しすぎる。
誰にも見られていないのに、それでもにやける口元が照れ臭くて、思わず片手を当てて隠してしまった。
ああ、本当に、誰も見ていなくてよかった。
こんな単純なことでここまで舞い上がってしまう辺り、どうにも俺はちょろいらしい。
展示をひと通り見て回ったあと、俺たちはそのまま喫茶店のコーナーに向かった。
不如帰――という、まんまの名前の休憩場所。そこでひと息をつく。
店はガラス張りになっており、外の景色がよく見えた。説明を受けたところによると、季節によって野鳥が観測できることもあるらしい。
「ふぅ。あはは……ちょっと疲れちゃった」
さなかが言う。
正面ではにかむさなかの顔を、まっすぐ見ることが難しい。
俺は話題を変えるように、
「でも面白かったね。蘆花の名前の由来とか、なかなか興味深かったよ」
「《蘆の花は見所とてもなく》――だよね。清少納言。わたしもドラマで観たけど」
「へえ、知ってたんだ?」
「そうだね……ちょっと印象に残ってたなあ。お兄さんと仲が悪かったって話だったよ」
見どころのない蘆の花。けれど、そんな花を自分は愛する――。
そういった意味合いを込めて、徳冨蘆花は自らの号を決めたのだという。
そこには優秀だった兄への劣等感、その兄が国家主義へ傾倒していくことへの確執など様々な意味合いが込められているという話だった。
けれど俺は単純に、その言葉の意味合いが気に入った。
「どんなものにも見どころはあるっていうかさ。そういう視点、俺は好きだな」
「なんか未那らしいね、それ」
「や、それをやってなかったから、って話なんだけどね」
斜に構えて、冷笑して。そうやって見落としてきたものに気がついたとき、俺が抱いた感情は後悔だった。
上手くやっているつもりで、俺は何ひとつ努力してこなかった。
「さなかにはどこまで話したっけ、中学のときのこと。……秋良から聞いてるかな?」
「……そうだね。ちょっとだけ聞いてる」
「なんか、いろいろ、失敗ばっかりだったからさ。秋良のことだってそうだし」
「庇ったんだっけ」
「庇ったっつーか……まあそうか。それがダメだったんだけどさ」
秋良は友達だったから。だから彼女が失敗したのなら、俺がフォローすることを当然だと思っていた。
そのほかの全員と比較しても、俺は秋良を大事だと思っていたから。
だから秋良には、たとえそれ以外に何もなくても、俺がいると示そうとした。
今でも、そのこと自体が、そう考えたことそのものが間違っていたとは思っていない。
俺が間違ったのは、やり方だ。
傲慢な考えだったから。捨てていいものなんて、何ひとつとしてなかったのに。ほかの全てを切り捨てても、秋良が残ればいいと、俺は思っていた。
――俺は、自分が目を向けてこなかったものの尊さを、知らなかったのだ。
「でも、未那ってそうだよね」
そんな言葉を聞いて、さなかはわずかに笑った。
これは露悪だ。あるいは懺悔。いずれにせよ過去の愚かしさを吐き出す行為であり、間違ってもこれから告白しようという男が、その相手に向けて言うことじゃない。
それでもさなかは、笑っている。笑って言う。
「そうって?」
「中身はあんまり、前と変わってないよねって話」
「……そう?」
「そうだよ。だって昔から、未那は自分が面白そうだと思うものには、なんでも突っ込んでいってたもん。――いっしょに行こうって、手を引っ張ってくれてたよ?」
そういえば、さなかは俺の昔の姿を知っているんだった。
なにせ、幼馴染みだ。お互い綺麗さっぱり忘れ去っていたとしても、それでも。
「わたしは引っ越し多かったし。あのときも、どうせすぐ転校しちゃうからってなかなか周りに溶け込めなかったんだけどさ」
「そうだったんだ……?」
「うん。だけどね、未那が最初に、わたしを誘ってくれたんだよ? いっしょに遊ぼうって、言ってくれたんだよ。……だから、初恋だったんだよ」
まっすぐな言葉。だから、顔を見られなくなるようなことを言わないでほしいと。
「……照れるんですけど」
「へへ。だって、それを狙ってるからねー」
だとしたら狙い通りだ。だけど、嫌な気分にはまったくならない。
けれど――それを言うなら、高校に入って最初に俺に声をかけてくれたのは、ほかでもない彼女なのだ。
過去のことが恩ならば、充分すぎるほどのものを返してもらっていた。
「だから納得したんだよね。ほら、ここに来る前、秋良が言ってたじゃん」
「えっと……主役理論の項目を考えたのが秋良って話?」
「そうそう。あれは、結局のところ未那のやりたいことが先にあって、そのために上手く動くにはどうすればいいのかっていう部分を、秋良が詰めたものってことでしょ」
「……まあ、そうかな」
「なら、結局のところ昔から、未那のやりたいこと自体は、たぶん変わってないのかなって」
ただ、やり方を変えただけで。
俺という人間は、そもそも変わってはいないのだと、さなかは言う。
当たり前な気もしたし、意外なような気もした。
自分のことを自分ではわかっていないというだけのことなのかもしれないし、目を逸らしていたのかもしれない。
見逃していたものは見てこなかったもの。だから当然、その価値を知らない。
けれど、もしも初めから見ていれば、それを俺はきっと好きになっていたのだろう。
「……かもしれないね」
小さく笑ってみせた俺に、さなかはこくりと頷いた。
「そうだよ、きっと。未那はずっと、そういう人だったんだと思う」
「まあ、バカだからな、俺は。そのせいで上手いやり方が、ずっとわかんなかったんだ」
「そんなの、わたしだってわかんないよ。何が正しくて、何が間違ってるかとか。そんなこと、簡単にわかるんだったら、誰も苦労しないと思うんだ」
――だけどね。
と、ヒロイン志望の少女は言う。
「それでもわたしは、やっぱり主役を目指していくよ」
そう断言するさなかの姿が。
俺には、もうとっくに――誰にだって誇れる
「さて! 飲み終わったら、お昼ご飯にしよっか」
「……だね。そろそろピークも過ぎるし、そんなに待たなくて済みそうだし。そのあとはどうする?」
「そだねー……そしたら、昨日と同じとこ回ってみようよ」
「同じとこ? ……で、いいの?」
「いいよ。だって、見逃してきたものを、ちゃんと見てこそ――でしょ? ふたりで行けば、昨日とはまた違ったものが見られると思うんだ」
快活に笑う、メインヒロインからのお誘いに。
「……それなら、喜んで」
俺は、恭しく頷くことで答えた。
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