4-15『A/ご覧の通りです1』

「――ふっ」


 と、友利叶が笑う。


 それは実に腹立たしい、どこまでも人を小馬鹿にした不愉快な笑みだった。

 けれど、俺に逆らうことは許されない。彼女からの攻撃を甘んじて受け止めるべきなのだ。

 こうして結果が出た以上、全てを受け止めるのが、せめてもの俺の責任である。


 なぜなら、それは勝者の権利だから。


「…………!」


 つうっ――と、彼女の手が、俺の顔にまで伸ばされる。

 ほんのわずか、掠めるように、細く嫋やかな指先が俺の喉元を撫ぜた。

 正面に、少女の嗜虐的な笑みが見える。


「ねえ」


 叶は、言う。


「未那。ねえ……聞いてる? 教えてよ、ねえ」

「…………」

「答えないつもり? それとも何を答えればいいかわからないのかな……? そう、それなら仕方ない。うん、仕方ないよね。わたしが、ちゃんと言葉にして訊いてあげなきゃ」

「…………」

「ねえ。ねえ未那。今、どんな気持ち?」


 俺は――。

 その、問いに。




「――すっかり寝坊して、朝食を食べ逃した気持ちはどうって訊いてるんだけど?」

「ねちねちねちねち自慢しやがってテメエ、悔しいですけどコンチクショウ……!」




 うん。まあ、ちょっと夜更かししすぎた感がありましたよね。

 別に調子に乗っていたわけじゃないんだけど。単に目が冴えて寝つけなかっただけで。


「いやー、残念! 残念だなあ、未那。あんなに美味しかったのに。もったいない」


 どこまでも絶好調の叶さん。

 早寝した彼女はきちんと時間通りに起床し、朝から旅館のバイキングをすっかり楽しんだのであった。

 九時半まではやっていたらしいが、俺と勝司が目を覚ましたのは十時過ぎだ。とっくにバイキングは終わっており、野郎ふたりは旅館の朝食の機会を失っていた。

 起こしてくれてもよかったじゃないか――という当然の反論は、スマホに何度も連絡が来ていた上で爆睡し続けた俺たちが言えた義理じゃない。まったく気づかなかった。

 ほくほく顔で勝ち誇る叶に対し、もはや俺には、歯噛みをして悔しがる以外ないのだ。


「うぐ、ぐ、うぎ、ぎぎぎぎぎ……!」

「……そこまで悔しがる……?」


 血涙を流しかねないほど臍を噛む俺。

 一方で勝司は、割と軽いものだった。


「お前は、悔しくないのか……っ!?」

「まあそりゃ、残念だけどよ。そこまでじゃねえよ、さすがに……明日もあるし」

「んんんんんんん正論」


 もちろん旅館の朝食を逃したことも痛恨ではあるのだが、それ以上に勝ち誇る叶がただただムカつくという部分も大きい。むしろそちらが主題かもしれない。


 まあ、やっぱ俺たちって基本こうだよね、みたいな。

 そんな安心感もあったけれど。


 ――俺たちは今、旅館のロビーに隣接する喫茶店を訪れていた。

 朝食の時間を過ぎてしまったため、仕方なくこのコーナーで食事にしたのだ。きちんと起きた女子陣四人は、食後のコーヒーを注文して付き合ってくれている。

 俺と勝司の朝食はサンドイッチだった。


 ……いいけど。これも普通に美味しいんだけど。

 最近サンドイッチ多いなあ……。


「さて、今日はどうする?」


 食事がひと段落ついたところで秋良が言う。食べているのは男子組だから食事も早い。


「もう昼になっちゃってるしね」


 苦笑しながら葵。それに秋良が答えて、


「確かに。まあちょっと出れば見るところはあるだろうし、なんなら予定通りこの旅館にい続けてもいいしね。とりあえず適当に、自由行動ということにしておこうか」

「雑だなあ……まあでも別にいいか」


 苦笑しながら俺は答える。

 適当に時間を潰すということができる面子だし、考えてみれば秋良といるときなんて昔からだいたい《なんもしてないけど、なんとなくいっしょにいる》程度だった気がする。

 ……叶もまあそうか。


「じゃ、そんな感じにしようか。いっしょに温泉を巡るかい、叶?」

「いいね。実は今日は別の温泉もめぐってみようかと思ってて」

「えっ」


 旅館から出ないとか言ってませんでした? という顔の秋良だった。

 まあ、だって叶だし。そんなことだろうと俺は思っていた。


「この辺やっぱ温泉街だから、結構いろいろあるんだよ。財布だけ持って温泉巡りしようかなって思ってたんだけど、秋良も来る?」

「あ、うん……じゃあ、そんな、うん。感じで、いこうか……」


 ――これ言わなきゃよかったかもしれないなあ、という表情の秋良だった。


 なんか、叶と秋良とさなかって面白い力関係してるよなあ。

 学校じゃさなかが叶を引っ張ってるし、そのさなかは秋良に勝てないけど、叶は天然でときどき秋良を倒すし。

 叶がグーでさなかがパー、秋良がチョキみたいな関係性というか。そんな感じ。


「まあ叶といっしょなら楽しそうだし、いいだろう。君らはどうする?」


 秋良がこちらに訊かれ、勝司と葵は同時に頷いて言った。


「そうだな。俺たちもいっしょに行くか」

「ん、そうだねー。なんかゆっくりできそうだし。見て回るところもありそうだし。さなかたちも来るでしょ?」


 問われたさなかは、うーん、と迷うようなそぶりを見せて、それから言う。


「どうしよっか、未那?」

「……確かに魅力的な提案なんだけどな。ま、俺は遠慮しとくわ」

「えっ!? 未那が!?」


 なんか失礼な驚きを見せる葵。いや自分でも普段は行くと答えるだろうけれど。

 これには理由があった。割と看過できない結構な理由がだ。


「だって……温泉巡りなんだろ?」

「そうだけど。むしろ、そういうのこそ未那はノリノリで来るもんじゃないの?」

「いや、だって入浴になったら男女別れるじゃん。当然」

「はい?」


 つまりだ。


「――俺、この旅行のほとんどの時間を、勝司と過ごすことになっちゃうじゃん」

「あ。確かに、こっち来ていちばん話してるの未那だわ……」


 気づいた勝司が頭を抱えた。


 まあ、そういうこと。部屋もいっしょで風呂もいっしょ――それ自体は当然の話なのだが、だからってせっかくの旅行を野郎とばかり過ごすのはもったいなさすぎる。

 街を歩いて、勝司と風呂に入って、昼ご飯を食べて、勝司と風呂に入って。そしてまた観光して、それから勝司と風呂に入る。

 いや、さすがにほら、ちょっと……ねえ?

 この機会なのだから、別の誰かとも過ごしたいではないですか。女子とか。

 でしょう?


「よし、わかった。お前は来るな」


 あっさり掌を返し、こちらに向けて手を払う勝司。失礼な奴だった。


「最近のお前は叶ちゃん然り秋良ちゃん然り、美少女が周りにいすぎだからな。ちょっとこっちにもその運勢を分けてくれよ」


 釈然としない言われよう。とはいえ、事実ふたりとも外見だけなら文句のつけどころがないのは確かだ。

 いずれにせよ、こちらには特に否やはない。


「たまには俺も両手に余る花に囲まれたいってもんだぜ」

「……うーわ……」


 ドン引きの声を上げる葵に軽く肩を竦め、勝司はそれからこう続けた。


「で、さなかはどうするよ?」

「……そ、そうだね。わたしまでそっちに行っちゃたら、ほら、バランス悪いし。したらわたしは未那のほうにいよう、かな? そのほうが、自然だもんね? ね?」

「あ、うん……」

「そうだね……いいんじゃないかな……」

「なんかおかしくない!?」


 遠い目をした勝司と葵に、さなかが慌ててツッコんでいた。

 だが、たとえ言っていることは自然だとしても、言っているさなかの様子がまるで自然ではなかった。

 約束があるからこちらを選んでくれたんだろうけど、にしたってもう少し自然に振る舞えないものだろうか。……まあ、できないからこそさなかなんだろう。

 いや。俺も実際、そうなるように仕向けてはいたわけで。


「ま、なんだ、うん。そしたらそんな感じで行くか」

「そうだね。うん、そんな感じで行こう。さなかだしね」

「だからなんなのさ、その変な感じの空気……」


 勝司や葵、秋良は辺りはおおよそのことを今ので察しただろう。

 どうせ初めからバレていることだし、むしろ好都合かもしれない。そのまま甘えさせてもらうことにした。


 あとは俺が告白を成功させられるか、それとも失敗するか。その二者択一。


 勝算がないとは思わない。少なくともまったく目がないってことはないだろう。

 ない、はずだ。ときどき大ポカをやらかしていた気もするが、たぶん平気。だといいな……。


 思えば俺は、さなかに好きな相手がいるかどうかすらロクに確認したことがない。

 遼子お母様とのお話の中で、さなかの初恋の相手が俺だったという話を聞いたくらい。しかもそれは初恋で、今は違うというようなニュアンスのことも言われている。

 それが単に今までの話なのか、それとも今も継続していることなのか。

 俺が知る限り、さなかにそこまで親しい男子がほかにいるとは思えないし、唯一該当する勝司も、昨日の感じを見る限りそういうことはないだろう。たぶん。


 まあいい。言うと決めたことは言う。

 主役理論者として、そこは決して譲れない部分だと覚悟を決めた。


「んじゃまあ、お前らはお前らで楽しんできてくれ。帰ってきたら話聞かせてくれよ?」


 そう告げた俺に、叶はきょとんとした表情でこんなことを言う。


「あれ、じゃあ本当に未那たち、こっち来ないんだ? まあいいけど……なんか意外」

「……?」


 どうにも、ひとりだけ理解していない様子の叶。


 それは少し意外だった。

 春の頃にはとっくに気づいている風なことを言っていたのに、今日に限ってやけに察しが悪い。

 ……たぶん温泉が楽しみすぎて、珍しく頭が回っていないってところなのだろうが。

 こいつもこいつで、ときどきポンコツな部分が出るよなあ、と俺は思った。



     ※



 さて。その後の俺が何をしたかといえば。

 まず俺は風呂に入った。


 ……いや、だって温泉も楽しみにしてたわけだしね? うん。


 朝風呂の機会を逃してしまったとはいえ、別にいつ、何度入ったっていいものだ。

 さなかとは昼前に合流して、とりあえず昼食に行こうという話になっている。

 朝を食べたばかりだが、これを見越して量は抑えてある。旅館も昼は出ないし、どこか店に入って今日の予定を決めよう、という話だ。


 ――実際、どんな風に、何をしようかなんてまったく決めちゃいないのだ。

 というか俺の場合、どうせ決めていったところで意味がない。

 途中でテンパって余計なことを言い、作戦なんてどこかに吹き飛ぶのが関の山。その辺りはもう学習している。

 だからといって行き当たりばったりでぶつかるのも恐ろしい。


 要は風呂に入っている間に、ある程度の方針は定めておこうというわけだ。

 少しくらいインターバルを挟んでおかないと、緊張に押し潰されてしまう気がした。


「さなかのほうも、察してはいると思うんだけど……」


 話がある、と告げた俺に、同じ言葉を返してきた。

 だからって楽天的にはなれないけれど、多少は楽観していないと身が保たない。


「……うし! 上がるか!」


 覚悟を決めて、そう宣言した。

 どうせ俺にできることなど、その場を楽しむこと以外にない。ならば俺はまず、今日という一日を最高に楽しむことだけを目標にするべきだ。ほかのことはそのあとでいい。

 幸い、それだけは得意分野だった。


 ――今日は一日、さなかと遊び尽くすことを、まずは考えることにしよう。

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