4-13『Q/これはラブコメですか5』
さなかと顔を見合わせる。
それから頷き合って、勝司と葵のいるほうに足を向けた。
外巻きから見るに、どうやら単に会話をしているだけの様子だ。
別段、それ自体に不思議はない。何か険悪に言い争っているというわけでもないのだ。どちらかというと静かで、言葉もこちらには届いてこなかった。
ただなんとなく、普段よりどこか暗いような、そんな気がしているだけ。
特に葵だ。勝司の側はいつもと変わらない空気に見える。
だけどそれ自体が、普段の勝司とはやっぱり違う態度に見えてしまう。
あれで勝司は、読みすぎるほどに空気を読む奴だ。葵の変化に、気がついていないとは思えない。
そのまま言葉にしてみれば、それはほんの些細な違和感。
見逃してしまいかねないほどわずかな不和。あるかどうかもわからない、その程度の差。
「――ん、おお。未那にさなかか。どうしたんだ?」
少し近づいていくと、途中で勝司がこちらに気づいて声を上げた。
隠れる場所もないところだし、そもそも隠れる気もない。
俺もまた軽い態度を装って、片手を上げながら答える。
「そこの土産コーナー見てたとこ。そっちはどうしたんだ、こんなとこで?」
「んにゃ、なんでもねえよ」
勝司は笑顔だった。
「ちょっと雑談してただけさ。な、葵?」
「……うん、そう。そろそろお風呂にでも行こうかって。ふたりはどうするの?」
話を振られた葵も、これまたいつも通りの様子でそう返すだけ。
その様子にこれといった違和感はない。俺たちが考えすぎていただけだろうか。
……いや。
「よっしゃ! そしたら未那、一回部屋戻ろうぜ。未那もまた入るんだろ?」
勝司の提案に、俺は頷いて答えた。
「もちろん。いる間は何度だって入るのが温泉ってもんだろ。さっき行かなかった露天のほうも覗いてみたいしな」
「じゃ、みんなで部屋まで戻ろっか。わたしたちも行こ、葵」
「うん! 楽しみだなー」
葵とさなかも同意したことで、そのまま流れで部屋まで戻ることになる。
「なあ未那。やっぱりこういうときは女湯を覗くのが青春かね?」
「それはただの犯罪だろ、バカ」
下らないことを言う勝司に正論を返す。
勝司は肩を竦めて、確かにな、と笑っていた。
※
再び入浴の準備をして、浴場へ。
この旅館には大浴場のほかにもいくつか温泉があって、そこから好きなものを選ぶことができる。寝ながら浸かれる石造りの風呂だったり、狭い場所だと予約制の風呂もある。
俺たちは大浴場から少し離れた露天風呂へと向かった。
かなり手狭ではあるが、浴槽が檜でできており、星を眺めながらゆっくり浸かることができるという。
すでに浴衣姿で脱ぐのが楽だった俺は、勝司を置いて先に中へ入った。
まず身を清め、それから透き通るような外気の中へと躍り出る。
「おお……思ったより寒いな」
真夏とはいえ、全裸で外へ出れば当たり前だろうか。そこそこ山の上だろうし。
掛け湯をしてから足を突っ込む。
少しぬるめのお湯に歓迎されながら、全身をゆったり沈めていった。
「ああ、極楽……」
やはり温泉はいいものだ。今は運よく、俺以外の客の姿もない。
事実上の貸し切り状態ということ。
調子に乗って泳ぎたくなってくる気持ちがないでもないが、そこはぐっと堪えるのが作法だろう。静かに、そして上品に楽しむべきだ。
空には星が見えていた。
今の時間は、確か九時を回ったところだったか。
秋良は知り合いへの挨拶を終えたらしく部屋に戻っていた。さなかたちといっしょに、揃って大浴場へ向かったはずだ。
叶は、まだどこかの風呂にいるのだろうか。
澄んだ空気に輝く星々。地元で見るより、ずいぶん数が多いかのよう。
夜色の空がまるでスクリーンに思える。果たして今、同じ輝きをどれほどの人がともに見ているのだろう、と少し考えた。狭い露天風呂から、世界の広さを思う。
しばらくしたところで、背後に足音が響いた。
露天の貸し切りは終わりだと、そう告げた客はもちろん勝司。
「いやあ……いいなあ、こういうのも。いつもより長湯しちまいそうだ」
「ああ、いいよな」
「こういうのを風情って表現するわけだよな。確かに、わからんでもない気分だ」
隣に入ってきた勝司。
そちらを見ず、俺はそのまま星空を眺め続けた。
「高校生の夏休みだってのに。海にも祭りにも行かず、温泉と来たもんだ。どうなるもんかと思ってたが、案外こういうのも悪くねえ。青春って感じじゃねえの」
「なんだ。勝司もそういうのに憧れてたのか?」
「ていうか普通に思うだろ。水着が見たいとか浴衣が見たいとか」
「そっちかよ」
そのブレなささに苦笑する。
「いや、浴衣なら見られるだろ?」
「もちろん、そいつは風呂上がりの楽しみに取っといてあるさ。抜かりはねえよ?」
「……そうかい」
「ああ。……いや実際、風呂上がりの叶ちゃんは、あれ、えろかったろ。うなじとか」
「うるせえ喧しい見てねえよ」
「照れんな照れんな、ムッツリさんめ。その反応でだいたいわかるっつーの」
「何がだよ……」
実に下らない話だった。それは確かに、俺が望んだもののひとつ。
だけど今、俺がしたい話は、たぶんそういうことじゃない。
「なあ、勝司。ちょっと聞いていいか?」
訊ねた俺に対して、勝司はやはり軽い調子を崩さない。
それはきっと、あらかじめそう問われることを予期していたから。
「お、なんだよ? 俺とお前の仲だ、なんでも訊いてくれていいんだぜ?」
「じゃあ訊くけど――お前、好きな奴とかいんの?」
「修学旅行かよ」
勝司は笑った。聞き覚えのあるツッコミだ。
あれは確か、まだ春の頃。叶が壁を再建する前の日に、さなかも含めた四人で出かけたときだ。
微妙にぎくしゃくしていた叶とさなかをファミレスの席に残し、俺と勝司で連れ立ってトイレに向かったのだ。
そのとき、ちょうど勝司から同じようなことを訊かれた。
「旅行と言えば恋バナってヤツだろ。あんときは、そういやはぐらかされたしな」
そう告げた俺に、勝司は軽く肩を揺らして答える。
「別にはぐらかしたわけじゃねえけどよ。つーか、まさか未那からそんなこと訊かれるとはなあ」
「いや、どういう意味だよ」
「そのままの意味だよ。だいたい、んなこと訊いてどうするってんだ」
「それこそどうもしねえよ。ちょっと参考にするだけだ。裸の付き合いってヤツ」
「ったく……」
勝司は、どこかしかたないという風に苦笑した。
その意味はわからない。けれど勝司は、すぐにあっさり続けて言う。
「ああ。――いるぜ」
「……訊いておいてなんだけど、そんなあっさり答えるとは思ってなかった」
「お前といっしょにすんな。この恋愛情緒幼稚園児男」
「前に言われたヤツより若返ってんだけど!?」
そんなかな。そんなにかな、俺……。
「そりゃそうだろ」
だが勝司はやはり笑って。
「付き合いたい奴がいたら適当に声かけて、とりあえず付き合ってみりゃいいだけの話だろ。振られるなら早いほうが速く次に行けるしな。それが普通だ。好きかどうかなんざ、そのあとで初めて考えることだと思うね」
「……それは、それができる奴だから言えることじゃねえの」
「俺はお前にそれができないとは思わねえけどな。やってねえだけだろ、単に」
「…………」
「そんな重く考えるようなことじゃねえってだけの話だ。そんなもんが人生を左右したりするはずもねえし、されるとしても今だけだ。ならとりあえずでいい。それだけのこったろ。ま、別に俺は、お前にそうしろとまでは言わねえけど」
それは達観した考え方というわけではなく、単にそういうものというだけなのだろう。
正しいとか間違っているとか、そんな基準で競うことに意味はない。
ただ俺が、勝司が、何を選んだかというだけ。そこに違いがあったとしても、そんなことは当たり前。
だけど、ならば俺がいったい何に違和感を抱いているかといえば。
「……で? お前の好きな奴って誰?」
勝司が果たして、自分の言うような行動を取っているのか、という点だ。
俺の知る限り、少なくとも入学して以降、勝司にこれといった浮いた噂はない。それはもちろん、単に相手がいなかったから、と考えることもできるわけだが。
「またまっすぐ訊きやがる。そういうとこすげえよ、お前も。あとはさなかもだな」
「……はあ?」
「ところで俺は、これで実は結構モテるんだよ。なんせ顔がいいし運動もできるからな」
「なんで急に自慢が始まったんだよ」
「まあ聞け」
勝司は俺のツッコミをあっさりとスルーした。
「だからって別に、それだけが全部じゃねえだろ、普通に。それってのはつまり、なんだ、恋愛ごとってことか?」
「俺に訊かれてもな……」
「まあ、なんだ。結局そういうのって、どっかのラインでいきなり飽きるんだよな。俺はこんなことしてていいのかっつーか、もっとほかに何かやることあるんじゃねえかって。ふとしたときに、そういう意識高い系の悩みが浮かんできたりするわけだ」
全てを茶化すように語る勝司。
それが本心なのか、それともこれさえ建前なのか。俺に判断することはできない。
「ま、そんなもんだいたいすぐ忘れんだけどな。やっぱ楽しけりゃいいかって」
「おい……」
「だけど、それでもどっかには残る。忘れてても頭のどっかにこびりついてんだよ。で、そういうのはだいたい、それを思い出させてくる奴がいるから浮かんでくるんだ」
「…………」
「たとえばさなかとかがまさにそうだ。別に頭が悪いわけじゃない、いや、むしろ俺なんかよりずっと賢い奴だ。なのにあいつは、自分が考えてることを、剥き出しのまんま表に出せる。考えてることがすぐ顔に出るし、嘘とか建前とかほとんど使わない。仮に隠したってすぐバレる。それはあいつがバカなんじゃなくて、ただそれができるからだろ?」
なんとなく、わかるような気がした。
彼女はいつだって、ありのままの自分を隠すことがない。仮面を被らない。
欲しいものを欲しいと言い、全力でそちらに手を伸ばせる。
それは、尊敬すべきところだろう。
「つまり、勝司はそういうのが羨ましいと?」
「そうじゃねえな」
小さく、勝司は首を横に振った。
「羨ましいわけじゃねえ。真似はできねえし、すげえとは思うけどよ。だからって別に自分がそうしたいわけじゃねえんだ」
「なら……どう思うんだよ?」
「なんだろな。たぶん、俺なら――やろうとすれば、もっと上手くできる気がするんだ」
その言葉が耳に届くなり、ぱちゃり、という水音が横合いからした。
勝司が肩を揺らして、自嘲するように笑ったのだ。
「何言ってんだって笑ってくれていいんだぜ? やってもねえのに偉そうに、って」
「……そうは思わないけど」
「でもまあ、結局はそういうこった。もっと上手い、簡単で効率のいいやり方ならきっとあるはずで、だけどみんなそれを選ばない。だからときどき、俺じゃ手に入れられないものを手に入れたりする。……なら俺は? 俺は傲慢なんだ。自信過剰で、だいたいのことはやりゃあできると思ってる。けど別にやろうとは思わない。だから、俺がやってないことやってる奴見ると、俺もそうしたほうがいいのかなあ、とか。たまに思うわけ」
――それだけの話だよ、と勝司は言った。
そして続ける。
「そういう意味じゃお前も同じだぜ、未那」
「俺?」
「そうだよ。でなきゃこんな話わざわざしねーっつの。訊かれなきゃする気なかったんだけどな、こんな話……別に俺だって、難しいこと望んでるわけじゃねえのにな。ただ俺は、今を楽しく生きられればそれでいいんだ」
勝司が語ったことは結局、俺が訊ねたことからは少しズレていたような気がするけど。
いや、やっぱりそれは俺が訊いたことなのだろう。
勝司はそう思い、だからそのように答えたのだ。ならそれは、確かに俺が聞いておくべき言葉だった。
「つーか、そんなことよりお前はどうなんだよ、未那」
「俺?」
「そうだよ。こうして俺が腹を割って話したんだ、ならお前も答えるべきじゃねえの?」
「……そのために今の話したな、さては」
しかも結局、肝心な部分の答えは見事にはぐらかされてしまっている。
言ってしまえば、なんかそれっぽい話で誤魔化されただけだ。勝司のほうが、一枚上手だったということ。
敗北の恨みを込めて視線を向けた俺に、勝司はやはり笑みのままで訊ねる。
「お前にだって好きな奴いるんだろ? つーか、好きなんだろ。さなかのことが」
「……まあな」
誤魔化すことなく素直に答えた。
なにせ裸だ。隠すようなものは何もない。ならば嘘はつけない。
「だったら。だったらだ、未那」
勝司は続けた。
あるいは、それが彼の問うべき本題であったかのように。
「――叶ちゃんのことはどうすんだ?」
「叶……?」
「ああ。せっかくだ、聞かせろよ。――お前だって、このままでいいと思ってるわけじゃないんだろ?」
そう問われることを、正確に予期していたわけではなかった。
けれど、それはいずれにせよ、いつかは問題にしなければならないことだ。
別に互いの関係についてとやかく言うのではなく、要するに今の状況について。
俺と叶の生活は、初めから期間限定のもの。
今の状況のほうがおかしいのだ。
いつか必ず元のように、別れて暮らす日が訪れる。
――その日が思いのほか早く来るとして、俺は覚悟をしていなかったのか?
違う、と。
今の俺なら、迷うことなく答えられた。
「ま、実際そうだ。正直そろそろ、時間切れだとは思ってるんだよ」
「……そりゃ意外な答えだ」
俺ははっきり答えたことに、勝司は驚いたと目を瞠る。
けれど、そんなことは初めから前提だった。ただ先延ばしにしていただけで、もともと長続きすると考えていたわけじゃない。
そして今の俺は、それでいいとも思っている。
俺は、叶といっしょに暮せなくなることを嫌だと思ったことは一度もない。
そのせいで、俺たちの関係が切れてしまうことが嫌だったのだ。
そして今、俺たちの間にその心配はない。
どこにいようとも、どんな状況になろうとも、いつまでだって同じものを目指し続けると誓ったのだから。俺たちは形にこだわる必要がなくなった。
あの公園での誓いは、つまりがそういう意味なのだから。
ずっと友達でいよう、と。
そう誓ったということ自体が、この暮らしをやめようという了解を意味している。
――だって俺たちは、それでも友達でいられるはずだから。
「まあ、この旅行の結果次第ではあるんだけどな? 何も今すぐやめようとまで思ってるわけじゃない。いろいろ準備もいるし。……あいつといるのは、気楽で楽しいしな」
「……そうかい。ま、せいぜいがんばれ。いろいろとな」
「いろいろって」
「さなかに告んだろ。俺も手伝ってやったんだ、この期に及んでヘタレんじゃねえぞ?」
「うっせ。わーってるよ。……まあ、いろいろ助かったけどな、実際」
「ははは! まあ別に礼なんざいらねえさ」
軽く笑う勝司。
そうだ、こいつはいつだって笑っている。笑顔のままで、勝司は言う。
「――何も俺だって、別にお前のためだけに協力してるわけじゃねえんだから」
そんな風に語られた言葉の意味を、果たして俺はどこまで掴めているのだろう。
それを知るために。軽く答えた勝司に対して、俺は最後の問いを投げる。
「ところで。お前の言う好きな奴って――」
「そろそろ出ようぜ、未那。風呂上がりの女子を見逃すのは痛手だろ?」
「……あいよ」
結局。最後の最後まで、勝司の表情から笑みが消えることは一度もなかった。
勝司はいつだって、ずっと笑い続けている。素顔だろうと仮面だろうと、どちらも笑みでは変わりがない。
あるいはそんなこと、区別するようなことではないのかもしれない。
――けれどその姿は、まるで道化のようだった。
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