4-11『Q/これはラブコメですか3』

 その後は六人で、ぞろぞろと観光して回った。


 まずは目の前の石段街を上に登っていく。

 人の数は決して少なくないが、それでも風情ある街並みを眺めるだけで楽しめた。スマホの画像フォルダがどんどん埋まっていく。

 途中のお店で玉こんにゃくを購入して食べてみたり。


「わふぁっ、かりゃっ!?」


 思いのほか容赦なく塗られたからしの威力で、涙目になるさなかが面白かった。

 いつも本当に、いいリアクションを見せてくれる子だ。俺だけではなく、辺りの観光客まで含めたその場の全員を笑顔にする、そんな魅力が彼女にはある。


「……うぅ。容赦なく笑いすぎだよぉ……」

「だってさなかがフラグ立てるから」

「ええ?」

「自分で言ったんじゃん。『お店の人がつけたんだから大丈夫だよ』って」

「そうだけどぉ!」

「どうしたの。今日はフラグ系ヒロインなの?」

「……生きて戻ったら、わたし、こんにゃくを食べるんだ……?」

「うん。違う。さなか違う。そうじゃない」


 フラグという言葉の意味を、どうやら微妙に理解していないようだった。


「だってだいじょぶとおもったもん……しかたないもん……」


 ついに拗ね始めたさなか(かわいい)。若干、幼児退行していた。

 さすが、大丈夫だと思って自ら壁に頭を打ちつけた過去を持つ奴は違うぜ。そんなことを思い出しながら、俺は彼女を宥めるために言葉を作った。


「まあまあ、いいじゃん。美味しかったし」

「……そうだけど」

「あ、そうだ。なんなら笑ったお詫びに何か奢るよ。何がいいかな?」

「えっ!? いや、そんな、別にそこまで怒ってるわけじゃ――」

「うーん、あんまり見当たらないね。からいもの」

「からかってるでしょっ!? ねえ、わたしのことからかってるよね、未那っ!?」

からいだけに」

つらい!」


 見事にオチまで運びきってくれた辺りに、さなかの成長が見えているね。

 うん。

 何が?

 やってる自分たちだけが楽しいコントを挟みながら進む。お次は道中に見つけた射的の店に入ってみた。

 弓を借りて、矢が当たって落とせば商品を貰えるとのこと。

 店に入ったところで、叶と勝司がニヤリ、と笑みを浮かべて俺を誘う。


「ひと勝負と行こうじゃねえか。なあ未那さんよ?」


 なるほど。ここでまた勝負を持ちかけてくるわけだ。叶だけではなく、勝司までこうも挑戦的な様子なのは珍しい。これも旅行によってテンションが上がった一環か。

 いずれにせよ断ることはしない。

 さなかたちも含めて六人で勝負することが決まった。


 ――結果は、これはさなかの勝利だった。


「……ば、ばかな……」

「俺が、さなかに……負ける? そんな、ことが……!?」


 愕然とする叶と勝司。射的は意外と難易度が高く、大物狙いで全ミスした俺たちを尻目に、ただひとり無難に駄菓子を射抜いたさなかが勝利を飾った形だ。

 俺は目を細めて、ぱちぱちと握手をした。


「おめでとう。さなかの勝ちだ」

「え、あ、うん……どうもありがとう……」


 勝司が続けて。


「でもひとつだけ聞きたい。これで、君は果たして満足かい?」

「負けたけど、わたしたちは満足だよ。だって、そこには挑戦があったから」


 なんと叶まで乗った。これはもう俺も続くしかない。


「確かに試合には負けた。だけど僕らは、勝負に挑んだ。そこには、価値があったよ」

「ねえ、おかしくない!? 何これ!? なんか勝ったのに釈然としないんだけど!?」


 どこまでも大人げない俺たちを横目に、葵が「よしよし」とさなかを抱き締めていた。なかなか絵になる光景だ。眼福眼福。


 ――なお、秋良は腹を抱えて大笑いしていた。こいつのツボもよくわからない。






 とまあ、そういった遊びを挟みながらも、ゆっくり頂上まで登っていった。

 そこに位置するのが伊香保神社。

 ここまで辿り着いたら、ひとまず目的は達したと言っていい。


「ここは温泉と医療の神様を祀っている神社でね」


 当たり前みたいに語り始めたのは秋良だ。

 ただこいつは、さももっともらしい顔で大嘘をつくことがあるため油断できない。


「祭神は大己貴命オオナムチノミコト少彦名命スクナビコナノミコトだそうだね。創建は天長二年――西暦八二五年のことだ」

「説明書きを見る前に解説が入った……」

「ていうか、それ、本当?」


 驚くさなかに疑う葵。

 そのふたりに笑顔を見せて、これは本当さ、と秋良は続けた。


「大己貴命は大国主命オオクニヌシノミコトともいう。こちらほうが通りはいいかな。ほら、《因幡の白兎》の話くらいなら知っているんじゃないか?」

「……えっと、サメの背中をウサギが順々に跳ぶ話……だよね?」


 葵が思い出しながら言って、それにさなかが首を傾げた。


「それ、サメだっけ? 確かワニだったような気がするんだけど……」

「そうだっけ? え、でも昔の日本にワニとかいたの?」

「……あれ? ワニは日本にはいないっけ……いないよね?」

「どっちもある意味あってるよ」


 と、そう答えたのはなぜか叶だった。


「もともと日本神話でいう《和邇わに》ってのは要するに神話上の生き物だから、実在はしないんだけどね。でもこれに実在の生物がモデルだったかもしれないって話があって、それにワニ説とサメ説があるってこと。確かウミヘビって説もあるってどっかで聞いたことあったかな……」

「へえ。詳しいんだね、叶ちゃん。秋良もだけど」


 感心したように呟くさなかだったが、俺は別のことが気になっていた。

 同じ感想を抱いたのだろう、こっそり俺に耳打ちするよう、勝司が小さく呟いた。


「なあ未那、お前、そんなこと知ってたか?」

「いや、まったく。そもそも因幡の白兎の話もうろ覚えだ」

「俺もぜんぜん知らねえ。叶ちゃん、意外とそういう知識多いんだな」


 俺は行く前に知識を積んでおくより、行った先で実体験とともに知識を重ねたいと思うタイプだ。

 だからこれといって前情報を調べたりしないのだが、叶は違うのか。いや。


「……違うんじゃね?」


 軽く肩を竦め、それから俺は笑って。


「たぶん、もともと知ってたわけじゃないと思うぜ、あいつ。普通に調べたんだろ。旅行に来るってなってから」

「それは……なるほどな」


 それを聞いて、勝司もまたわずかに苦笑した。


「なんというか、実に叶ちゃんらしい話じゃねえの。そういや、今日も寝不足だったみたいだし」

「なんだかんだで、観光も楽しみにしてたんだろうなあ」


 そう思えば微笑ましいものだと思う。

 叶も変わった。あるいは単に戻ったのか、それとも初めからこうだったのか。


 たぶん――というだけの、これは想像でしかないのだけれど。

 おそらく叶は、旅行に付き合ってくれる勝司やさなかたちのために、せめて旅先で披露できる知識くらいは備えておいて、観光の助けになろうとでも考えたのだと思う。

 そいつは実に回りくどく、おそらく普通なら誰も気づかないだろう遠回しな心遣い。相変わらず面倒で、どこまでもわかりにくい――けれど叶らしい配慮だった。


 もちろん純粋に、自分自身が楽しみたい、という野望が前提にあることも間違いない。

 だけど叶は、それをそのまま他人と共有することには酷く臆病だ。


 その気持ちはよくわかる。叶は、少なくとも俺に対してはそれを徹底すると決意してはくれたけれど、だからって俺以外の誰かにまで同じことができるわけじゃない。

 それでもこうして、ほんのわずかでも、自分が尊いと思う何かを、ほかの誰かと共有しようとできるなら。共有したいと願えるのなら。

 そいつは、きっと素敵なことだ。


「なんか、嬉しそうな顔してんな?」


 勝司が小さくそう言った。

 俺の視線の先には、蓄えてきた知識を訥々と披露する叶の姿。


「――そもそもこれは大国主の国づくりの前の物語で、皮を剥がれて苦しんでいたウサギに大国主が対処法を教えるっていう――」


 もう神社の話では完全になくなっていて、俺は思わず笑ってしまう。


「せっかく調べてきたことを披露して、どや顔できる場面だしな。そりゃ楽しいだろ」


 そう答えた俺に、勝司は皮肉っぽく肩を竦めた。


「今のはお前のことを言ったんだよ」

「……うるせえよ」


 こちらを見てニヤつく勝司から視線を切り、再び女子四人のほうを見た。

 別にこんなこと昔から知ってましたけど普通ですー、みたいな表情で澄ましている叶の言葉を受けて、秋良が続けるように語っている。


「大国主は国づくりの際、まあいろいろと妨害を受けることがあってね」


 秋良の口から、噛み砕いた状態で伝えられる神話は興味深いところがあった。

 ……しかし叶と違い、こいつの場合は本当に調べるまでもなく最初から知っていた可能性が否定できない。少なくとも、そんな風に思わせるようなキャラをしている。


「その点で、この神社に祀られている大国主と少彦名はいいコンビだったというわけさ。ふたりで国を作った名コンビだ。もしかしたら、親友同士だったのかもしれないね」

「へえぇー……そう聞くと、なんか神様も身近に感じられるね」

「確かにね」


 素直なリアクションのさなかに、秋良は頷いてこう言った。


「大国主には妻が多かったということだけれど、もしかしたら少彦名といっしょにいるときがいちばん楽しかったのかもしれない。まあ有名な大国主と違って、少彦名のほうは謎が多い神なんだが」

「謎?」

「背が小さかったとか悪戯好きな性格だったらしいとか、実は女性神として扱われていることもあったりするんだけれどね。まあ、伝わっている話も様々ということさ」


 ふむ、なるほど。日本の神様はしかし総じて、こう、なんとなく親近感が湧く。

 なんて言っては神様に対して失礼なのかもしれないのだが。

 ここらで、ひとつこの国を作り給うた神様にお礼を捧げるべく、きっちりお参りしておくとしようではないか。


 ――楽しい世界を、本当にありがとうございます、と。


「ちなみに伊香保神社は、恋愛成就、縁結びにも効き目があるという話だぜ?」


 さすが大国主命。ご利益に与りたく思います。



     ※



 石段街を堪能したあとは、その後はバスでロープウェーに向かい、展望台を楽しんだ。見晴らしのいい山頂からの絶景を満喫したり、その後は名物の水沢うどんを頂いたり。


 すっかり楽しんでから、再びバスに乗って宿を目指した。時刻は午後の四時前だ。

 割と早めのチェックインになるだろうか。

 まだまだ見るべきところもあったと思うが、テンションを上げすぎて体力のほうが保たなかった感じだ。結構歩いたことだし。


 フロントで三部屋分の鍵を受け取り、とりあえず荷物を置くために解散。

 部屋割りはそれぞれ、俺と勝司、叶と秋良、さなかと葵、という形になっている。まあ順当だろう。


「いやー、なかなか疲れたなあ、未那?」


 部屋につくと、よっせと荷物を置いた勝司が肩を回しながら言った。

 重い荷物はコインロッカーに預けておいたのだが、それでも歩き回ったり登ったりと、なかなか足を酷使している。


「だな。もうちょい体力あると思ってたけど、こういうのは旅行のテンションがね」

「それな。移動も長かったし、いやー、もう俺らも歳かもしれんぜ?」

「何言ってんだ。――ちょっと茶でも淹れるかね」


 俺の提案に、勝司は頷いて座った。


「お、いいねえ、旅館って感じで。女子のほうは時間かかるだろうし、ちょっとゆっくりしてるとするかー」


 勝司はリモコンで、いそいそとテレビを起動した。

 地方ローカル特有のCMが流れる。こういうのが俺は意外と好きだったりして。


「俺、実はCMってかなり好きなんだよなあ」

「は? 何、CM?」

「そう、CM。コマーシャルメッセージ。ローカルでしか流れないヤツとか、古くて粗い画質のCMとか、そういうの見てると時間が潰せる。最近の推しはバブル期のCMだ」

「いや知らねえよ」


 アホを見る目の勝司だった。


「お前の趣味は年寄り臭いと思ってたが、あれは訂正しよう。単に変わってるだけだ」

「なんでそこまで言われなくちゃなんないんですかねえ……?」


 河原で雑炊を作ってる女子高生よりマシだろ、と言おうとして、そっちのほうが遥かに健康的だと気づいた。

 ……もしかして、俺の趣味って変わってるんだろうか……?


 いや、誰しもひとつくらい自分だけの趣味を持っているものだろう。たぶん。

 備えつけのポットでほうじ茶を淹れて、勝司に渡す。


「お、サンキュー。さすが喫茶店員、手際がいいじゃねえの」

「こんなん誰が作っても同じだっつの」

「おいおい。褒めてんだから素直に受け取ってくれていいんだぜー?」


 相変わらず適当なことばかり言う勝司だった。

 勝司は勝司で、意外と本心の読めない奴だと思う。叶や秋良とはまた違った意味で。

 しばらく落ち着いていると、ふとテレビ画面を眺めながら勝司が呟いた。


「しかし、なんだ。楽しかったな」

「どうした、急に?」


 俺は軽く肩を竦めて答える。


「まだあと三日残ってんぞ」

「まあ一学期も含めてだよ。お前だって楽しかっただろ?」

「そりゃな」

「いや正直、こんな風に夏休みに、みんなで旅行なんかできると思ってなかったからさ。その辺りはお前にも、こうして礼を言っておこうと思ったわけよ」

「……言ってねえじゃねーかよ礼を」


 勝司は軽く肩を揺らした。

 本気でお礼を求めたわけでもなく、俺も黙って茶を啜る。


 しばし、そのまま無言が続いた。

 旅館の中は静かだ。隣の部屋には叶と秋良がいるはずだが、当たり前ながら音が響いてくることもない。いっしょに旅行に来ているのに、壁があるだけ離れた感じだ。そのことが少しだけおかしく思える。今のほうが、むしろ普通みたいで。

 無言が苦になるわけでもない。

 だけど、なんだか不思議な気分だった。

 いつもと違うところにいるからかもしれないし、相手が勝司だからかもしれない。この男はきっと、何か俺に話すことがあったんじゃないかと、そんな予想があった。

 けれども勝司は何も言わない。

 だから俺からも何も訊かない。

 別に、それでいいと今は思っていた。俺にだって、そういうタイミングはあると思う。

 黙りこくって茶を啜っていると、部屋にノックの音が響いた。


「お。誰か来たな?」

「出てくるよ」


 そう告げて立ち上がり、扉を開けに行く。その先にいたのはさなかだった。


「お待たせっ!」


 びしっと敬礼したさなかに、同じジェスチャーを返して笑った。


「ういっす。葵は?」

「隣呼び行ったよ。――探検しようぜ!」

「了解でありますよ、隊長」

「うむ。いい返事だぞ、隊員!」


 そう言って破顔したさなかを追って、俺も部屋から出た。勝司もやって来る。


 まだまだ、今日は終わらない。

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