4-10『Q/これはラブコメですか2』

 約一時間二十分ほどかけて電車を終点まで北上し、そこから乗り換え。さらに三十分を電車に揺られたのち、今度はバスで三十分。

 長く楽しい旅路の果て、俺たちは目的地へと到着する。


 そこなるが、群馬県は伊香保温泉郷。


 鼻をくすぐる温泉の匂い。これを嗅ぐだけでテンションが上がってしまうのだが、温泉好きとしては仕方のないところだと思う。夏休みだけあってか、賑わいのある観光地だ。


「……おおぉ、すげえ。いい。いいぞ、これは。はー……いやあ、いいなあ……!」


 振り切れたテンションはもはや留まるところを知らず。

 ボキャブラリーの貧困っぷりがコンテンポラリーなイシューとして取り沙汰される点はさておくとしても(意味不明だし)、出てくる感想が「いい」だけってヤバいかな。


 今、視界の正面には階段が上へ上へと続いている。

 これが有名な伊香保の石段、ということなのだそうで。こいつは旅行前にネット検索で急造した知識だったが、いざ目の前にすると確かに名高いだけはある。


「なるほど。文学の香りがするね」

「……うん? 何言ってんの、未那?」


 隣のさなかにツッコまれてしまった。俺だって何言ってんのかなんてわかりませんよ。

 もはや自分でも一高校生として恥じたほうがいいと思えてくるほど頭の悪い感想。

 けれど、やはり纏う雰囲気は人間の精神に作用するものらしい。後ろを振り返りみんなの様子を確認してみれば、一様に顔が綻んでいた。

 うん、やっぱいいなあ。


「これは、確かにいい景色だな……ちょっと舐めてた気がする」

「や、だねー。改めてだけど、ありがとね、秋良。ご招待してもらっちゃって」

「いやいや。ぼくとしても同行してもらえて嬉しいんだから。ぜひ楽しんでほしいな。といっても、ぼくだって来るのは初めてなんだが」


 口々に感想を零している。なんか、こう、言わないといけない気分になるのだ。

 そいつは日本人のDNAに刻まれた本能なのかもしれない。

 だとすれば、さきほどから終始無言の叶は、そこだけ見ると日本人ではないということになってしまうが――。


「……、……、……いい」


 初めて放った言葉がそれかい? ちょっと語彙力足りてないのでは?


 叶はおもむろにスマホを取り出すと、ぱしゃり、と階段の写真を撮り始める。

 ほくほく顔で、傍から見ているだけでもハイテンションなのが丸わかりだった。面白い奴だ。


 ……俺も撮ろっと。


 ポケットからスマホを取り出し、辺りの光景を写真の中へと乱獲していく。思い出を心だけに刻み込んでおくのも乙ではあるが、見返せるものがあったっていい。

 しばしデータを増やしていたところ、背後からぽん、と肩を叩かれた。勝司だ。


「景色を撮るのもいいけどよ、その前に記念撮影といこうぜ」

「……おぉ」


 なんてクールな提案をするのだろう。不覚にも俺は感動を覚えた。

 場所を撮るのも確かにいいが、せっかくみんなで来たのだ、人も撮っておきたい。その発想がナチュラルに自分の中になかったことに、むしろ驚いてしまうレベル。


「……そういうとこに、こう、未那の悲しい過去の習性が垣間見えるよな……」

「やめろ。そんな憐みの瞳で同情しないでくれ。お願い!」


 写真には人間を収めるべきではない、という前提が俺を支配していた。

 ほら、いっしょに写ろうなんて友達はいなかったからね。むしろ撮るとき画面に他人が入り込まないよう、気を遣っていたくらいだからね。仕方ない部分あるよね。ね?


 勝司は通りすがりの観光客に、「すみません、一枚頼んでもいいですかー?」と持参したらしいデジタルカメラをあっさり手渡した。通行人も笑顔で引き受けてくれる。

 なんだろう。こういうところに、こう、《我喜屋》が出てるのかな……。


 何この気分。


 遠い目で空を見上げた俺に、スマホを仕舞い込んだ叶が細い目を向けてきた。


「単独行動の精神が、もう、魂に刻み込まれちゃってるんだね……」

「そういう言い方するの本当にやめて……」

「大丈夫、気にしなくていいよ。それが脇役の第一歩だ。さすがだね、我喜屋くん」

「ここぞとばかりに苗字で呼ばないでもらえますか?」


 とっても楽しそうな叶ちゃんであったとさ。






 記念撮影を終えたあとは、さっそく観光となるわけだが。

 脇役哲学者は言う。


「今日中に、回れるところは全て回っておこう。この一日で全てを堪能するんだ」


 その言葉に俺は頷き、俺以外の全員が首を傾げていた。


「え? 別に明日もあるんだし、そんなに急がなくてもいいんじゃ?」


 さなかが言う。日程は二泊三日の予定で、つまり明日は丸一日空く。

 頷いた首をさっと横にずらすことで、ぜんぜん同意とかしてませんよ感を演出する俺。

 そうですよ。明日もあるんですよ。そんなに急がず、ゆっくり見て回りましょうよ。


 だが脇役哲学者は、ちっちっち――とばかりに指を振った。

 こいつ、結構こういう大袈裟な身振りが好きだよなあ。どうでもいいけど。


「ダメだよ、さなか。そいつは甘い」

「え、ええ!? そうかなあ……」

「わたしたちはいったいどこへ来たのか。何をしに来たのか。その辺、きっちり理解しておかないと、貴重な時間なんてすぐに過ぎてっちゃう。――わかるでしょ?」

「……ええと……」

「あれ、わかんない? つまりわたしたちは、温泉に来たの。観光に来たわけじゃない」


 それは同じことではないだろうか、と全員の意見が一致しているのがわかる。

 俺がその《全員》に含まれていない点については、この際だ。黙っておくとしよう。


「――温泉に来たんだから、温泉を最高に楽しまなくちゃ失礼ってもんでしょう!」


 叶はもはや、拳を握り締めていた。


「いや、それは、そのつもりだけど……」

「さなか。温泉ってのは一回二回入ってハイ満足、なんてものじゃないんだよ。繰り返し何度も入浴するのが礼儀ってもの。入って、休んで、また入る。入りたいと思ったまさにそのときこそが、最も温泉を楽しめるタイミングなんだから」

「温泉にかける熱意が強すぎるよ!?」

「さなかが温いんだ!」

「わたしが温いんだ!?」

「言っておこう。わたしは、明日、一度も、一歩たりとも、宿から出る気がないっ!」

「……叶ちゃんって、本当に趣味が老けてるよね……」

「うん。……え、あれ、老けてる? これ、老けてるのかな……」


 ツッコむさなかと、顔を引き攣らせる叶。最近は見慣れた光景だ。

 このふたり、力関係で言えば意外とさなかに分があった。


 とはいえ叶の発言に、勝司と葵も「あー……」という表情になっている。

 叶なら、そういうことも言い出すだろうと、とっくに認識されているらしい。

 なお秋良は笑っていた。


「まあ、言いたいことはわかるな」


 くつくつと笑って勝司が言う。


「枯れてるっつーかなんつーかだけど、実際それも悪くはないんだよな。それはそれで楽しいだろうし」


 友達と旅行に来ているというより、あくまでも温泉に浸かりに来ているのが叶だ。

 そしてこれまでの叶なら、きっとこんなことはあえて言い出さなかった。叶がそれなりにも、わがままを見せる相手なんて限られている。


「言っといてなんだけど、別にわざわざわたしに付き合ってくれなくても……」


 そしてやっぱり、土壇場になると相手を気遣うのが叶らしい。

 彼女は温泉が大好きで、そこにこだわるが、かといって無理に付き合わせようとまでは思わないわけだ。それでもそう言ったのは、きっと、どこかに甘えがあったから。

 もっと上手いこと運べたはずでも。それでも、以前より不器用でも、いっしょに楽しみたいという思いを持っていた。

 たぶん、今のやり取りはそういう意味だ。


「……とゆーか、未那が思いっきり頷いてたしね。誤魔化してたけど、見えてたから」


 目敏く言ったのは葵だ。誤魔化したつもりだったが、あっさりバレていたらしい。

 まあ、こういう部分で俺と叶の趣味が合わないわけもないのだ。


 観光を目的に来たなら俺だってそちらを楽しみまくる。

 けれど今回はせっかく温泉郷に来たのだ。楽しむなら温泉を楽しむために全霊を費やしたくなってしまう。

 それが青春らしいかと問われても、俺は充分にらしいと言える。

 あるいは俺らしいと言うべきか。夏といえば祭りに花火、キャンプや海水浴といろいろあるが、その中に温泉でダラダラするってのを含めてもいいじゃないか。楽しければ。


「いんじゃない? 今回は……なんだっけ、そう、湯治に来たってことで。旅館で贅沢にダラダラしてるってのもいいと思うよー。普段は逆に、なかなかやろうってならないし」


 同じことは葵も思ったらしい。笑顔を作ってみんなに言う。


「まあ、なにせタダだからね宿泊費は。たまには贅沢するのもいいじゃないか」


 宿泊券の提供者である秋良が頷けば、結論はもう決まりだろう。


「よーし、そしたら今日はいろいろ見て回って、明日はゴロゴロすることにしよう!」


 さなかの言葉に、俺は「おー」と続けて。

 いやまったく高校生らしくない楽しみ方だと自分で思う。それでも、そいつをひとつの楽しみとして共有できる友達がいるのは、きっと幸せなことだった。

 ならば俺は自分を肯定できる。それは俺の信じる、主役らしい生き方だと胸を張れる。


 たとえ同じことをやるのだとしても。

 それでも今までの俺では、きっと今のようには楽しめなかったはずだから。

 ならばこの環境は間違いなく、俺が努力で掴んだもの。そいつを否定するつもりなんてない。


「てか実際、一日あればだいたい見て回れそうだよな、この辺は」

「だね。ちょっと出れば見るものもありそうだけど、足がないと大変かも。まあバスとか出てるはずだけど……よし、いいや。とりあえず階段登ってから考えよっか!」


 勝司の言葉をさなかが受けて。葵も秋良もそこに交ざる。


「てかすごくない? ほら、見てさなか。温泉! 温泉流れてる!」

「さすが有名な石段街だね……ところで、なぜこうなってるか知ってるかい?」

「え、知らないけど。さすが秋良、そういうの詳しいんだ?」

「いや、ぼくも知らない」

「じゃあなんで知ってるみたいに言ったの……?」


 そんな四人の様子を、叶はどこか呆然としたような瞳で見ていた。

 俺はそっと彼女の横に近づき、けれど視線は向けずに、小さく告げる。


「何ぼっとしてんだ。ほら、行こうぜ、叶。観るとこたくさんありそうじゃん」

「……うっさい、ばか」


 そんな言葉も照れ隠しだとわかるから。

 俺は何も言わずに歩き出す。

 その後ろから届いた声に、気づかなかった振りをして。


「……ありがと」

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