4-07『見えないところで着々と3』

 そうして完成したものは、ふたつの乾いた遺体だった。

 まあ痛いですからね。仕方ないですよね。ですよねじゃないんだよ畜生。


「……ひどいよぅ、はずかしめだよぅ、つらいよぅ……」


 もう顔も上げられないとテーブルに突っ伏し、辞世の句を読んだのはさなかだ。


 気持ちは実によくわかる。

 何も考えず、ただ面白そうだという理由だけで突っ込んだのは確かに俺だが、だからといってここまでの目に遭うなどと想像できるだろうか?


 今、俺たちはまだ、ほのか屋の店内にいる。

 といっても目の前の人間は変わって、こちらの席に秋良と叶が移動してきていた。

 あのぽやぽやした様子からは想像もつかない暴虐の限りを尽くした遼子お母様は、満足したということですでにお帰りになられたのだ。


 そら、あれだけ暴れればそうでしょうよ……。


 無敵と言わんばかりの母上殿。普段の学校でのさなかの様子を訊かれた俺は、とにかくさなかを褒め称えることで対応した。対応できなかった、と言うべきかもしれないが、かといってほかにどうしろって話だろう。

 親の目の前で娘を貶せないっつーの。

 明るいとか優しいとか人気者だとか気が利くだとかモテるはずだとか、果ては俺だって叶うことなら付き合いたいとまで言わされたのを覚えている。できれば忘れたいが。


 何が恥ずかしいって、ほとんど本心だったことがいちばん恥ずかしかった。

 言われた側のさなかも真っ赤っかだったが、言った側の俺だって相当アレだったのだ。


 かつて望くんの前で似たようなことはやったけれど。

 あのときは一応、騙しているという自覚があったし、何より見ている人間がいなかったからまだセーフというか。

 とにかく大量に体力と精神力とを消費した感覚だ。


「では、私はこの辺りでお暇します。ありがとうございました、未那くん。お金は、私が出しておきますね」


 と言ってほくほく去っていくお母様に、遠慮することすらできなかった始末である。


「おかぁさんのばかぁ……」


 超小さい声で、そんな風に呟いたさなかにも当然、フォローすることができなかった。


 ……なんだかなあ。

 やっぱり、さなかに対しての脈のなさが悲しい今日この頃だ。例の公園の一件で、俺といっしょにがんばってくれるという言葉は貰ったけれど。

 その分だけ恋愛対象とかなんだとか、そういうポジションからは外れてしまっているらしい。


 ――正直、だいぶキツかった。

 一方で絶好調にノリノリになった奴もいて。


「いやあ、面白いものを見せてもらった。ここまで未那がされるがままになっているのも珍しい。君はなにせ、基本的には反撃しないと気が済まない人間だからね?」


 言うまでもなく宮代秋良だ。

 こっちに言わせれば、ここまであからさまに楽しそうなお前も実は珍しいんじゃないのという気分。割と感情が駄々洩れの叶と違い、秋良はそれを隠すタイプだから。

 反論する勝ち目も意味もなく、かといって言われっ放しは癪で。

 結局、ただ楽しそうな秋良に、じとっとした不満の視線を向けるしかない。畜生、この野郎、と。

 それを見て、けれど秋良はますます笑う。


「ほら、そういうところさ。意味がないと知っていても反撃は怠らないだろう?」

「……うるさいな。お前相手に遠慮する意味なんかないってだけだ」

「主役理論」


 と、いきなり秋良は言った。


「ほら、主役理論だよ。全六条。言ってみ?」


 なんだろう、急に。いや、秋良のやることの多くは一般に唐突ではあるけれど。

 実はひとつ追加されて全七条になっていることは、そういえば秋良にも言っていない。知らないわけだ。……別に言う気もないけれど、あんまり。


 不意打ちじみた秋良の言葉に、無言だった叶も、へたっていたさなかも顔を上げる。

 ……なんか、聞きたそうにしていた。とはいえ今さら、恥も何もない、か。


「まあ、別にいいけど……」


 第一条――《機会を待つな、自らの手と足で奪い取れ》。

 第二条――《人間関係こそ青春の鍵。知人は数を、友人には質を妥協するな》。

 第三条――《人を呼ぶには自分を磨け。明るい笑顔は基本の一歩、常に視線を意識せよ》。

 第四条――《行動してこそチャンスが舞い込む。それを掴み取る握力こそ、青春に最も必要な武器》。

 第五条――《情けは人の為ならず。楽しむという行為が独りではできないことを忘れるな》。

 第六条――《言わなくてもいい皮肉は仕舞い込めるようになれ、無闇に敵を作っても得することはない》。


 その全てを俺は、三人に向かって開陳する。そういえば叶にもさなかにも、こうやって言葉にして中身を伝えたことはなかったような気がした。

 それらを聞くと、秋良はなぜか噴き出すように小さく笑う。

 一方、叶とさなかは何やら変な顔だった。


「……それって」

「あ、やっぱ叶ちゃんも思った? 違和感あるよね」

「え……?」


 そんなことを言われても困るというものだ。ふたりが、なぜ首を傾げているのかわからない。俺は確かにこの通りに、この高校生活を進めてきたと思うのだが……。

 そんなに、何か俺はおかしなことを言っただろうか。


「……なんていうか、未那っぽくない気がする」


 さなかは言う。それからすぐ首を振って、彼女はこう続けた。


「いや、確かに未那がやってることはそうなんだろうけど。でも、なんて言うんだろ……言い回しの問題なのかな。うん、そんな感じだ。表現が未那っぽくないんだよ」

「……確かにね」


 叶まで頷いて言う。


「未那って理論型のくせに根本では感覚先行じゃん? たとえば、えーと、第二条だっけ? 未那ってさ、知人と友人を理屈で分けないでしょ。感覚的にはともかく、言葉にしてどうこうできるタイプじゃないじゃん、あんた」

「……あれ?」

「だいたい第六条とか、何? 未那って絶対、負けっ放しじゃ放っとかないじゃん。絶対皮肉返すもん、わたしに。ぜんぜん守ってないじゃんか」

「それは叶だから特別というか……いや、でも……んん?」


 言われてみれば確かに。ん……おお? こいつはどういうことだ?

 首を傾げる俺。叶はといえば、そんな俺を見ず視線は秋良に向けていた。さなかもだ。


「どうもこうもないでしょ」


 叶は言う。


「――下手人なら、そこにいるんだから」

「……いやあ。別に君らが思っていることとは違うと思うけれどね」


 下手人として挙げられた秋良は。

 けれど、やはりいつものように楽しそうに笑っている。


「まあでも、正解だ。受験前の冬休みだったかな。ぼくは未那から相談を受けたんだ」


 それは俺もよく覚えていた。

 これから先は、もっと違った生き方をしようとの決意を、俺は秋良に話したのだ。


「――見過ごしてきたものに手を伸ばしたい、と。未那にそう言われて、ならばとぼくは答えたのさ。それなら、自分がどうするべきかの理論を作ればいい、って。だから未那は第一条を考えた。それが未那の、考えの根幹だったから。そいつを言葉にした」


 手を伸ばそうと。足を運ぼうと。それが、今も変わらない俺の考え。

 だけど――と秋良は言う。


「それだけじゃ足りないとぼくは思った。だから、そのために必要だと思われるアドバイスを、ぼくは未那に贈ったんだ。それが第二条から六条――つまり」


 ひと息。

 そして秋良は言う。




「――




「え……そうだったっけ?」


 思い出そうとする俺に、秋良は軽く肩を揺らす。


「まあ出どころを言えばという話だ。ふたりで考えたというのは事実だよ。別に、ぼくが未那をコントロールした、なんてことじゃないぜ。ていうかできねーよ、こんな奴」

「こんな奴……」

「褒めたつもりだけれどね。まあともかくそういう話さ。未那はこれで我が強いし、そう最初から上手くもできないだろう、と。実際、君もちゃんと同意している」


 まあ言われてみれば、という話ではそうかもしれない。

 こういう風にしたほうがいいと秋良に言われ、確かにそうだと納得して入れた。細かいことを言えば、そういう流れだったことは事実だろう。

 俺ではできないのだから、できる奴にアドバイスを貰いに行った。言ってみればそれだけのことでしかない。


 それがどうしたというのか。そんなことは前提で、別に今さらどうという話ではないと思うのだが……と流しかけたところで、俺はふたりの様子に気づく。

 もちろん叶とさなかのことだ。

 ふたりは揃って、なぜか頭を抱えていたのである。……なんで?


「……この男は、本当に、もう」

「そうかー、そういうことだったかー……わ、うわ今すーごい納得した……」

「ねえ、なんなのそのリアクション? おかしくない?」

「「うるさいバカ」」

「なんで息ぴったりなんだよ……」


 いったいふたりが何に納得し、なぜ頭を抱えて、その上で俺を罵倒しているのか。

 ちょっとどころではなく意味がわからない。

 このふたり最近、俺に対する扱いが杜撰すぎでしょう。なんだってんだ。

 困り果てた俺は助けを求めるべく、秋良を見た。

 秋良はさっと視線を逸らした。


「おーい?」


 ツッコミを入れた俺に、重ねるようにして秋良が言う。


「おーい」

「おい」

「こっちだよーっ! 今日はいきなり呼び出してごめんね? 来てくれてありがとっ!」


 秋良の唐突なキャラ変は、落差で言うなら叶より激しいものがある。

 けれど、どうやら誰かが来たらしいということは察した。俺は背中側を振り向く、と。


「――おっす、秋良ちゃん。それにみんなも」

「ごめんね、遅くなっちゃったかな? で、えーと……」


 現れたのは勝司まさしあおいだった。どうやら秋良が呼び出したらしい。


「ううん、こっちこそ急に呼び出してごめんね? 来てくれてありがとう!」


 どちらかと言うとこちらの顔が、普段の秋良には近い。勝司はくく、と笑っていた。


「なんだ秋良ちゃん、こないだとなんかキャラが違わねーか?」

「そっちが吉永葵さんだよね? 初めまして、未那の友人の宮代秋良です!」

「無視だ!?」


 大仰に呻く勝司の横で、葵が驚きつつも秋良に答える。


「あっ、はいっ、こちらこそ初めましてっ。えっと、今回はお招き、いただき?」

「あははっ、そんなに畏まらないでよ。別に何もしてないし。私のことは秋良でいいよ。どうぞよろしくね、葵!」

「……うん、わかった。こちらこそ! それじゃ、秋良って呼ばせてもらうね」

「もちろん!」

「……ところで秋良って、その、ご職業は……」

「嫌だな。あはは! 普通の高校生だよ」


 普通ではねえだろお前はよ、というツッコミはさておき。

 俺にとってはお馴染みのやり取りを傍目に、秋良の横の叶に視線を遣った。驚いているさなかと違い、こちらは了承済みの案件とばかりに静かだったからだ。


「……叶?」

「面子でわかんでしょー」

「それで来たのか」

「じゃなきゃ家で寝てるっつの」


 肩を竦める叶。でなくてもこいつは来たと思うが、まあその辺は叶さん一流のツンデレとかなのだろうと雑に納得しておいた。


「……何その顔?」

「別に」

「うっせばかうっせ」

「なんも言ってないだろ」

「顔が言ってる」


 不機嫌そうな叶であった。でもちょっと顔が赤いし、たぶん照れているのだろう。


「はー。相変わらず会話のスピードが速いね、ふたりは」


 話し終わったらしい葵が、こちらに近づいてくるとそう言った。

 さなかはまだ「え、どゆこと?」と首を傾げている。それに勝司が言う。


「秋良ちゃんに呼ばれてな。旅行の準備ってことで、みんなで買い物行こうって話」

「あ、ああ……なるほど。そっか、それで叶ちゃんも外に出てきたんだ……」

「……いや、そんな出不精みたいに言われるのもアレだけど……」


 面倒臭い奴がまた面倒臭いところを気にしていたが、その辺はもはや全員が流した。


「つっても買い物なら、勝司はわざわざこっち来ないほうが楽だったんじゃ?」


 と、俺はそこで勝司に言った。

 勝司の駅は例の謎オブジェ駅を挟んで逆側だ。その辺りで買い物をするのなら、あえてこちらに出てくる必要もないだろうに。

 そう告げたところで、勝司は軽く笑って答えた。


「いや。なんか面白い事態になってるって聞いたからな。間に合わなかったみたいだが」

「お前そのためにわざわざ!? てか言ったんかい、秋良!」

「冗談だよ。部活関係で学校に用事があったほうが理由の六割だ」

「ほぼ半分こっちじゃねえかよ理由」


 遼子お母様が早めに帰ってくださって本当によかった。見られずに済んだ。

 ちょっと立ち直れなくなるところだったわ。……いやすでに致命傷な気もするけど。


「わかった。それじゃ行こっか? 今日はもう楽しまないといけない日だよ!」


 さなかが言って、伝票を持って立ち上がる。

 それに続いて俺たちも席を立つ。その途中で秋良がぽん、と俺の背を叩き。


「さて、未那。これはどのくらいの青春濃度だい?」

「……まあ高いだろうな。80は譲らない」

「なるほど。なら未那、ぼくに何か言うことがあると思うんだが」

「うるせえこの野郎ありがとう」

「どういたしまして、だぜ」


 こいつ、いつまでこっちにいるんだろう。

 そんなことを思いながら、それでも感謝はしつつ歩く俺。


 その後ろでは、葵がものすごく驚いた顔をしながら勝司と秋良を交互に見ている。


「!? ……! …………!?」

「落ち着け、葵。言っただろ? 秋良は未那の友達だぞ?」

「なるほど……そっか、確かにね。道理で変わってると思ったけど、うん。なら納得だ」


 ――いや、それで納得するのは絶対におかしいと思うんですけども。

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