4-05『見えないところで着々と1』
人生では往々にして、《どうしてこうなった》と嘆くべき事態が多々生ずる。
けれど俺は、その言葉を悲しみではなく喜びでもって使うことを身上としていた。
どうしてこうなった――そう思えるようなことならば、いつだって諸手を挙げて大歓迎だ。
今日のコレだって同じだろう。
つまり今、俺は湯森家の親子とともに喫茶ほのか屋へ来ている。ぶっちゃけ理由は不明だったが、せっかく誘っていただいたのだ。この機会を逃す俺ではない。
それをデートと称したのは、もちろんさなかのお母様――遼子さんの茶目っ気だろう。
冗談を真に受けてしまったのか、それとも母親と友人を自分の監視下にない場所で会わせること自体が嫌なのか。さなかは実に不機嫌そうに、それでもこちらについて来た。
あと、なぜか瑠璃さんもついて来た。
……これは本当になんでだろう……。
乾いた鈴の音が響き、開いた扉の先には
喫茶ほのか屋の店長だ。
「いらっしゃいませ。――おや、これはまた珍しい組み合わせだね」
朗らかに微笑む彰吾マスター。相変わらずのナイスミドルだ。
浪漫主義の俺としても、マスターみたいな年齢の重ね方はひとつの理想だと思う。なんなら将来、喫茶店の経営者を目指してみるのも悪くないような気がしていた。
今のところは、皮算用にすらならないけど。
「どうも、マスター。お邪魔します。昨日はすみませんでした」
風邪で倒れ、バイトを叶に代わってもらったことをまず謝っておく。ただでさえ夏休み期間は、あまりシフトを入れていない。
「気にしなくていいさ。体はもう大丈夫かな?」
「はい、お陰様で」
「何よりだ。食事はしていくかい?」
俺は頷いて答える。
マスターはグラスを拭く手を止めて笑った。「こういうのは、わざわざ格好つけで見せるためにやっているんだ」とかつてマスターが語ったのを思い出していた。
そして実際、格好いい。
格好いいのはいいことだから、真似していきたいところだ。
「やほー、
と、そこで背後から瑠璃さんが言う。
俺は思わず振り向いた。瑠璃さんは今、彰吾マスターを「にいさん」と呼んだか?
「いらっしゃい。
「起きてるならでいいよ? いや、むしろ私が姉さんところ行こっか」
……んん? なんか……なんだ? 会話にやたら違和感がある。
同じ疑問は、さなかも抱いたようだった。
なにせ母親がいるからか、道中は微妙に静かだった彼女は首を傾げて、瑠璃さんに訊ねる。
「あれ。瑠璃さんって、マスターさんたちとはどういう……?」
「どういうって……あ、あれ? もしかして言ったことなかったっけ?」
俺も会話に加わる。
「知り合いっぽいことは知ってましたけど……」
「知り合いというか、家族なんだよ」
瑠璃さんはあっさり言った。
「望海姉さん。今は宇川望海だけど、旧姓は神名望海。私の実のお姉ちゃん。だから彰吾さんは義理の兄」
「そ、そうだったんですか!?」
これにはさすがに驚いた。まったく知らなかったからだ。
思わず俺はマスターを見たが、マスターまで驚いた顔をしていた。
ということはたぶんマスターのほうは、俺が知らないとは思っていなかったということなのだろう。
「あれー、言ってなかったっけ? でも叶ちゃんにこの店を教えたのが私だよ? バイト探してるって話だから紹介したの。実は未那くんも口利きしたし」
そういえば、俺と叶が同居していることを、マスターや真矢さんはなぜか知っていた。
考えてみれば、その情報ソースなんて瑠璃さんくらいしかいないではないか。
いや、だからってまさか望海さんと瑠璃さんが姉妹とは……ぶっちゃけまったく似ていない。
「それじゃ、私は姉さんとこ行ってくるね。
ひらひらと手を振って、瑠璃さんはあっさり奥に消えてしまった。
ああ。そしたら彰吾さんと望海さんの娘である優花ちゃんは、瑠璃さんからしてみれば姪ってことなのか……いやはや。
しかしまさか就活まで助けていただいていたとは。
基本的に明るいお人なのに、どうしてこうムーヴが黒幕系なんだ、瑠璃さん。
いや、助けられていることに間違いはないのだけれど。
知っているところでも知らないところでも、恩というのは常に重なっている。
なら、気づけるだけいいことだろう。
「まあ世間ってのは、意外と思うより狭いものだよね」
フォローなのかなんなのか、そんなことを呟くマスターだった。まあ確かに。
「あ、すみません長々と。席に行きましょう」
いけない。長話をしてしまったと、俺は遼子お母様に向き直った。
今は仕事中じゃないけれど、さすがに関係ない話の間、立たせっ放しというのは不味かったか。
慌てて謝ると、お母様は嫋やかに微笑んで首を振った。
「いえいえ。興味深かったですよ」
「……ならよかった、です?」
よかったかな。むしろよくなかった気がしてくる反応なんだけど、まあいいか。
席に移って三人で座った。
正面にお母様。そして左隣にさなか。……なんか、記憶にあるようなポジションだ。
「いいお店ですねえ……。近所に、こんなお店があったなんて」
お母様が言う。いくら世間が狭いとはいえ、さすがにそこまでは繋がらないか。
店内にほかの客はいなかった。真矢さんもいないし、今はマスターがひとりの模様。
瑠璃さんのことは、とりあえず考えなくてもよさそうだ。
メニューを見てモーニングのセットを三人分、マスターに注文した。
ほのか屋で朝食を食べることは、そういえばほとんどない。楽しみにしておこう。
――なお注文が終わったタイミングで完全に会話がお詰まり申し上げました。
ザ・無言。
さなかは何も言わず母親を睨んでいるし、睨まれているお母様はもうどこを見ているのかもわからないぽやぽやした感じ。話があったのでは……?
ないならないで、俺から話を切り出してもいいのだが。
うーん、よくわからない。
ひとまず、俺は安全策としてさなかに声をかけた。
「そういや秋良は? あいつ朝強いはずだけど、まだ寝てんの?」
さなかは少しだけ、まだ不満そうにこちらを睨んだが、それでも答えてくれる。
こういうところがさなからしくて好ましい。叶も見習えばいいのに。
「……秋良ならあの部屋にいるよ。朝食べに行くって誘ったけど、なんかぼくはいいって断られちゃった。やることができたとか言ってたかな」
「何それ不吉……」
「不吉!?」
「秋良が知っててついて来ないとかあり得ねえよ。絶対なんか企んでるって……」
なにせあいつは、意図的に事態を引っ掻き回すのが大好きな生物だから。
悪意がない代わりに茶目っ気に全振りで、その分むしろ始末に負えないタイプ。覗きに来るくらいのことは、今のうちから覚悟しておいたほうがいいだろう。
……どうせ、止められないからね。
「なんで、秋良は、そういう……ううぅ」
タチの悪さを悟ったのだろう、さなかが頭を抱えた。
割といっぱいいっぱいになっているらしい。半分はまあ、俺のせいだったが。
もう半分の責任を持っているお母様に、そこで俺は視線を向けた。
しかしどう考えても奇妙な事態だ。
まさか同級生の母親と娘同伴でデートするとか、どういうことなの?
俺も面白半分――を通り越して面白全部で受けてしまったけれど、冷静に考えれば意味不明だ。
なんで、こう、俺に起こるイベントには主役感というものがないのか。
と、視線に気がついたのか、遼子お母様が俺を見た。
「……あら、すみません。お誘いしたのに、ぼうっとしてしまって」
「ああ、いえいえ、お気になさらずです。ええと……僕に何かお話でしょうか?」
「むぅ……」
と唸るさなかには気づかない振りで、笑顔を作る。
それを見て、遼子お母様は一度だけ頷いた。
それから言う。
「――未那くんは、昔とあまり変わっていないのですね」
「昔と、ですか……? ええと」
なんだろう。俺のことをそんなに印象深く覚えていたのだろうか。
かつて俺とさなかは、ほんの一時期だけ同じ小学校に通っていた。さなかの母親である遼子さんが、俺のことを覚えていても不思議とまでは言えない。
とはいえ秋良の話によれば、さなかと遊んでいられた期間はかなり短かったはず。
「覚えてますよ、我喜屋くん……いえ、未那くんですね。さなかはそう呼んでいました」
「お、お母さんっ、それ以上は……!」
悶えるさなかだった。そんなに恥ずかしがることもないだろう。
あのときの俺なら、たぶんこちらからも《さなかちゃん》とか呼んでただろうし。
「すみません、覚えていてくださったのに」
「年が年ですからね。けど、私からは印象に残っていましたよ。名前が未那ですし」
……名前が未那だと覚えやすいかな?
別に、ほかの名前より取り立てて覚えやすくはない気がするんだけど。単に外見で言うなら、俺より秋良のほうがずっと印象に残っただろうと思う。
遼子さんの考えは読めない。
透き通った瞳で、お母様は「それに」と続けて。
「――なにせ、さなかの初恋の男の子だったんですから」
「ぎにゃあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
さなかが椅子から落ちた。
そのリアクションたるや、もはや芸の域にある。
ほかに客がいなくてよかった――とか考えてられるほど実は俺も冷静ではなく。
あかん! いやこれ俺もきついんだけど!? 恥ずかしい!!
昔のことだから、と笑い話にできるならいいけど。そういうのでも、なんか、ないし。
てか何そうだったの!? そ、それ知らなかったんですけど……そうだったの!?
「ばかばかばかお母さんのばかっ! なんでっ? なんでそれ言っちゃうのばかあっ!!」
……あ、そうだったんだ……へえ。
ふうん。あ、そういう、はあ。ほぉう……。
それは……あの、なんですか。
うん……決して悪い気分では、はい、ないですよね?
「だから私、再会したって聞いてからずっと会ってみたかったのね」
やだ、お母様ってばめちゃくちゃマイペース。
ある意味で強敵だ。今まで周りにはいなかったタイプの。
「あ、え……そ、そう、ですか……どうも」
「――ところで今ふたりは付き合っているのかしら?」
「お母様ぁ!?」
ついに俺まで突っ込まされてしまった。ちょちょちょちょ何言ってるのん!?
「あら、違ったかしら?」
「いえあのえっとなんと言いますか」
「未那くんもまんざらではないかと思ったんだけれど」
「……、いえあの」
「さっき初恋だって言ったとき、嬉しそうに見えたから」
「ぇぁ」
……もう。
もうやめてください……。
「母親として、ちょっと気になってしまったの」
ぽやぽやと爆撃を繰り広げる遼子さん。
俺も、さなかも、顔を真っ赤にして何も言えなくなってしまった。
なんだこれ。
頼みます、マスター。早く食事を運んできてください……!
でないと顔から火が出てしまう。
気になる女の子の隣で、その母親に、こんな責め苦を受けさせられるだなんて想像していなかったのだ。すみません、言わせてください。
――どうしてこうなった!
答えは自爆! じゃあもうどうしようもねえじゃねえかよなんだこれぇ!!
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