S-12『さなかと秋良が喋るだけじゃない』

「――よかったのかい?」


 といういきなりの問いに、湯森ゆもりさなかは首を傾げた。


「え、ごめん秋良、何か言った?」


 問い返した彼女は現在、その身体に衣服を纏っていない。

 というのも、風呂上がりだからだ。身体を隠すものはバスタオル一枚だけで、この場にいるのが同性の宮代みやしろ秋良あきらだけだから、ほとんど隠れてもいなかった。


 今いるのは、かんな荘一〇二号室――現在は我喜屋わきや未那みなが借りているまさにその一室。

 かんな荘の所有者である神名かんな瑠璃るりの許可を得て、さなかと秋良のふたりは隣、一〇一号室に無料宿泊することを許されている。


 ――それはそれで、おかしな話だと思うけど……。


 優しいというか甘いというか、親切にしても好意的すぎる厚意。

 冷静になって考えれば、さなかとしても、なぜ瑠璃がここまで許してくれるのかがいまいちわからない。

 初対面のようなのにいつの間にか話をつけて合鍵を借りてきたところを見るに、おそらく秋良がなんらかの形で取り引きをしていたのだろう、とは推測するけれど。持ちかける秋良も、受ける瑠璃も、なんだか底知れない感じだ。

 ――まあ、とはいえだ。

 いくら貸してもらえたとはいえ、もともと誰も住んでいない部屋なのだ。要するに電気も水道も来ていない。

 よってふたりは、食事やシャワーなどに関しては、未那か叶の部屋を借りざるを得なかった。


 彼女たちが未那の部屋に来ている理由は、そこにある。

 合鍵を置いていってくれたのだ。

 しれっとふた部屋分も鍵を手に入れている秋良が、やっぱりわからないさなかであった。


「ああいや、終わってからでいいよ」


 秋良が言った。さきほどの話に関してだろう。さなかは髪を拭きながら、そっか、と小さく頷いた。

 自宅から持ってきたドライヤーで髪を乾かすさなか。しかし、なんだか酷く落ち着かない。そわそわする。

 それを見て取ったのだろう。秋良が小さく、噴き出すようにこう声をかけた。


「……緊張しているみたいだね?」

「や、そりゃそうでしょ……」


 じとっとした目を向けるさなか。誰のせいだと思っているのか。

 対する秋良は、軽く肩を竦めて微笑むばかりだ。


「どうだった? 気持ちよかったかな?」

「何その質問……いや、別に普通だったけど」

「おや、こいつは意外だね。さなかのことだからもっと興奮するかと思っていた」

「どういう意味!? いや、お風呂は落ち着く場所でしょ、普通」

「ほう? 湯船に浸かって落ち着いていられたと?」

「湯船の中で騒ぐわけないじゃん……」

「……あれ?」

「うん?」


 なんだか話が噛み合っていない様子である。

 気づいたのだろう、秋良は軽く片手を挙げて謝罪を述べた。


「すまない。ちょっと話がずれていたみたいだ」

「あー。いや別に謝らなくてもいいけど」

「未那の部屋での入浴に、てっきり欲情しているものだと思っていたよ」

「ごめん訂正、謝って! それは本当に謝って!!」

「当人が不在とはいえ男の部屋で全裸になるというのにかい!?」

「なんで驚くの!? その驚きおかしくない!? そ、そんなこと考えてなかったよっ!!」


 顔を真っ赤にするさなかだった。

 もちろんである。そんなこと考えていなかったのである。

 ほんのちょっとだけしか。


「欲情したというのは誤りだったかい」

「これ以上ない誤りだよ! そんな過ち犯してないよ!!」

「浴場なのに欲情しないとは」

「なんでそんな狂おしく面白くないダジャレ言ったの急に!?」

「さなかのリアクションが面白いからだけど」

「この女、めちゃくちゃタチ悪いんですけどー!?」


 ああもうっ! と頭を抱えるさなか。

 わかってはいたけれど。覚えている限り、秋良は昔からそういう子だった。

 悪戯好きで、頭が回って、けれど友達にはすごく優しい。いっしょにいて楽しい少女だった。

 ……もしかしたら少年かもしれないとは思っていたわけだけれど。


 ドライヤーを置いて、今度こそ身体を隠しながらさなかは秋良にジト目を向ける。

 もう、早いところ着替えてしまおう。と、いつもより少しだけ手短に身支度を整えた。


「しかし、ならどうして緊張している様子なのかな?」


 そんなさなかに秋良が問う。さなかはやはり、ジトっと秋良を見据えながら。


「……秋良が、着替えてる間ずっとこっち見てるからじゃん」

「そりゃ、目の前に全裸の美少女がいれば見るよ。もちろん見る。少なくともぼくは見る」

「女の子が言うことじゃない……」

「そうかな? そういうさなかだって、先にぼくが上がったときはだいぶこっちを見ていたけれど」

「――うっ」


 痛いところを突かれて、さなかは思わず閉口した。

 ――いやでも仕方がないと思うのだ。

 なにせ、かわいい。それはもうちょっとした冗談みたいに、宮代秋良は顔がいい。

 今は寝間着らしいゆったりとした服を着ているけれど、思い返せば最初に見たときはゴテゴテのパンク系ファッションときたものだ。それをまた、あり得ないくらい自然に着こなしているのだから驚かされる。

 同性の自分でさえ見惚れてしまうほどなのだ。


 ――そりゃ未那もわたしなんかじゃ揺るがないはずだよ……。


 だって反則すぎる、とさなかは泣きたい気分。それこそ芸術品みたいな美少女といっしょに、家族とも友人とも恋人とも違う、それでも近しい関係を築いてきたというのだから。

 当たり前みたいに叶と同棲しているのも、たぶんこの辺りに原因があるのだろう、なんて思うさなかだった。

 無論、実際には未那はさなかに心を揺さぶられまくっているのだが、その辺りには気づいていない。


「うーん……いや、それをぼくのせいばかりにされるのも困るという話だけれどね?」


 と、秋良は苦笑しつつ言う。さなかはすっと目を細めて答えた。


「えー……でもやっぱりおかしいよ。勝司ならたぶん一日で襲ってるよ」

「そのほうが健全だとは思うぼくだけれどね」

「だから言ってるんだけど……」

「でも別に、未那だって普通の男子だ。バカだから態度に出さないよう神経を注いでいるだけで、実際にはいろいろと思うところもあるだろうと思うよ?」

「そうかなあ……そうじゃないかとも思うんだけどさ。……ていうか」


 いや。

 それ以前に。


「――なんでわたしが考えてること普通に読んでるの!?」

「なんだい、今さら。自然に会話してたじゃないか」

「自然すぎて気づかなかっただけだよ! わたし、何も言ってなかったよ!?」

「さなかはわかりやすいから」

「ううぅ……」


 やっぱり反則だ。と、さなかは頭を抱えるのだった。

 叶ひとりでも難敵なのに、こんな伏兵がいるなんて聞いていないというものである。

 なんだろう、この、何をやっても敵いそうにない《ヒロイン力》は。

 美人で賢く変わってはいるけれどその分キャラが立っていて理解もあり深く繋がっているとか。ずるすぎる。

 けれどむくれるさなかを見て、相手の秋良は卓袱台に肘をついてニヤリと笑うのだから。

 もう始末に負えない。


「まあまあ。ぼくは別に未那とどうこうないよ。それはわかっているだろう?」

「……それはわかってるけどさ」


 下着を身に着けながらさなかは呟く。


 ――そう。わかっている。

 恋人同士だとか、恋愛関係だとか。そういう言葉で、未那と秋良のふたりを言い表すことはできないのだ。

 さなかとも、それに叶とも、秋良は違う。なぜならふたりは、だから。

 そこに、今さらとやかく言おうとは思わない。そういう面倒臭い人間を好きになってしまった、さなかの負けだ。


「どうしたもんかなあ……」


 着替えを終えたさなかは、秋良の対面に座ってそう零した。

 秋良は小さく笑う。彼女にとっては、さなかもまた愛すべき友人なのだから。


「ぼくはね。ぼくは友達には優しくするよう心がけている」

「……秋良?」

「まあ別に普通の話なんだけれどね。優しくする、という言い方で鼻につくようなら、贔屓をするし特別扱いもする、と言い換えておこうか。どっちにしろ同じ話だとは思うけど」

「……」

「だってそうだろう? こんな変な話し方の、性格の悪い変わった奴を受け入れてくれる相手は貴重なんだぜ? ならそれに報いるだけのことはしたいと、ぼくは当たり前に考えるさ」

「秋良は別に、いつもそうやってるわけじゃないでしょ?」

「もちろん。だけど仮面を被っているからこそ、それを外したときの自分を受容してもらえるのは嬉しいものさ」


 言うなり秋良は、両手の人差し指を立てて自分の頬に当てる。

 そしてにっこり笑って言った。


「だってほら、いつもこんな話し方だと疲れちゃうじゃん? 私だって気を抜きたいときはあるよー☆」

「……どう考えても、秋良の素の喋り方のほうがわたしは疲れると思うんだけど……」

「えー、さなかってばひっどーいっ。そんなこと言うなしー。私だって気にしてるんだしー!」

「なんかもう逆に怖い……」

「あははははっ♪」


 満面の笑みを作ってから、秋良は腕を下ろした。

 表情から声のトーンまでが一瞬で変わる。変装したわけでもないのに、もはや別人にすら見えてしまうレベルだ。

 ――いや、そういう擬態女子って別に少数派じゃないんだけど。

 これはまた何か違う種類のヤツだ。ちょうちょとかカメレオンじゃなくて、たぶんアンコウとか食虫植物とか、そういうアレ。油断して近づいてきたエモノを、コロっとコロっちゃう☆ヤツ。コロっちゃうってなんだろう……。


「今何か失礼なことを考えていなかったかい?」


 さなかはさっと視線を逸らした。

 危ない。そういえば自分はわかりやすいと言われたばかりだった。気をつけないと。

 いやもう完全にバレていた気もするけれど。忘れよう。


「まあ、いいけれどもね。それだけ気安いということだから」

「あはは……それは久し振りなのに秋良がぐいぐい来てくれたからだと思うけど」

「そうかな? まあ、久し振りだったからね」

「あんまり懐かしいって感じでもないけど。でも、そういうとこ未那に少し似てる……ああいや、違うか」

「違う?」

「うん。たぶんそれは逆で、未那がきっと秋良に似てるんだろうね。いや、というか、似ていないのに同じことをしようとしてた、がいちばん近いのかな。よくは、わかんないんだけど」


 ――思えば。未那は、きっと秋良から強く影響を受けている。

 主役理論さえ共同で作ったという話だ。彼女の考え方、在り方というものは、きっと未那の底のほうを形作ったものだと思う。それだけ長い時間を過ごしてきたわけだし、今にして思えば、未那の中には確かに秋良の影がある。

 けれどそれは、裏を返せば秋良にとっての未那も、もしかしたら同じなのかもしれない。

 ふたりはまるで似ていない。だけど、それでもずっといっしょにいた幼馴染みなのだ。

 それはきっと、つまり、そういうことなのだと思う。


 つまり、さなかは。

 秋良に嫉妬していたわけではない。その位置に取って代わりたいだなんて考えたわけでもない。

 ただ単純に――ふたりの関係がだけなのだろう。

 どちらか一方に焦がれているわけではない。

 未那と近しいこと自体を羨ましく思っているわけでもない。

 ただ純粋に、そう付き合えるだけの関係を築ける、そんな相手と出会えていること自体が羨ましいのだと思う。


「……まったく驚かされる。自分が恥ずかしくなってくるよ」


 そんなさなかを見て、秋良はわずかに頬を掻いた。

 またぞろ心を読まれたのか。

 なんだろう、と首を傾げたさなかに、秋良は小さくこう言った。


「いや。さなかは強いね、というだけの話だ。知った風なことを言っているだけだよ」

「……えっと」

「最初の問いに戻ろうかな。――?」

「よかった、って?」


 秋良は静かに首を振った。


「ぼくは、まあ、失敗してしまったから。だからお節介をするというわけじゃないけれど、ともあれぼくが未那にしてあげられることなんて、実のところほとんどなくなってしまっている。だけど、しないわけにはいかない」

「……、……」

。こんなものを見る必要はきっとない。だけど、だから――君と叶は違うはずだと思うんだ。ぼくのために失敗してしまった未那が、高校生活を楽しく送りたいと言った。だから、ぼくの願いは極論すれば、未那の願いが叶うこと。それだけ……なんだけれどね」


 ――ようやく、わかったような気がした。

 秋良が未那に取る態度。

 それはだ。

 この在り方は、きっと歪な関係なのだ。歪である上に、それをわかっていてなお肯定している。

 ひとつの自責であり、ゆえの滅私だった。秋良は未那に負い目があり、だからこそふたりでいないことを選んだ。

 あくまでも友人同士として。あるいは共依存に陥ったり、誤った恋愛関係に進む可能性もあっただろう。ふたりはお互いに恋愛感情なんて持っていなし、それは今も変わらない。

 だとしても、ものを、ことさらに否定しないことはできたはずだ。未那に告白されたとき、それを受け入れる選択肢を、秋良は選べなかったわけじゃない。それでもいいと思わなかったなんて、口が裂けても言えなかった。そういう始まりを、偽物だなんて口に出すことはできないだろう。好きじゃなくても嫌いじゃないなら付き合えたし、そこから始める恋愛だって別にあるだろう。そんなことはわかっている。

 だけど――それでもそれは間違いだと、秋良は断じることにした。

《旧友になる》という以外に、ふたりは関係を保てなくなった。

 近くにいないままいっしょにいるという以外には、秋良でさえ何も思いつかなかったのだ。


 ゆえに彼女の行いは、全てが未那のためにある。

 それはきっと綺麗なものではない。ただの罪滅ぼしであり、けれどそれを秋良は認めない。口には出さない。

 自分の失敗を彼に尻拭いさせてしまった。その時点で対等ではあれなくなった。

 だから離れた。離れてなお力になり続けると誓った。

 最後に未那が望んだものを、誰にも――未那当人にさえ理解されなくても、手に入れる手助けだけはし続ける。それだけの決意があるだけで、ほかの不純物なんて何もない。

 そして、それを自分の正当化にだけは死んでも使わない。だから彼女は何も言わない。


「けれど……そうだね。望むなら、さなかにはぼくと未那の話を教えたいと思う。それはきっとぼくの役目だから」


 ――未那は、きっと気づいている。

 だけど未那も秋良も、それを口にしたりはしない。当然だろう。

 あの男はバカで優しいから、もし気づいても秋良にやめろだなんて言わない。言えない。

 たとえ自分が汚れても、を選べる人間だから。それを選ぶことの難しさを、秋良はきちんと知っている。


「いっそ未那が女か、ぼくが男ならよかったと本気で思うぜ。それなら余計な勘繰りもされなかった」


 秋良は言う。だからこれは恋ではなく愛なのだと、恥ずかしげもなく嘯くように。

 それは強がりでもない事実だ。だって仮にそうだったとしても、きっと同じ道を選んだから。

 そして、さなかにもそれがわかる。秋良は嘘も言っていなければ、自分の考えを誤解してもいない。


「……道理で秋良に嫉妬しないわけだよ、わたしが。これでもわがままなつもりなんだけど」

「そうかな? まあ、そう言えることが君の美徳なのは間違いない」

「褒めるね、わたしのこと」

「別に聖人だと思っているわけじゃないよ? 本心から感心しているんだ。マジだぜ」

「なんだろな。ただ――わたしは羨ましいだけなんだよ。秋良がというより、いっそ未那が、かもね。秋良みたいな友達がいて、幸せだよ、未那は」

「さてね。だけどこれはぼくの話。叶は違うし、さなか……君もまた違う。なぜなら君は、未那のことが好きなわけだから。そして叶は……どうなんだろうね。だけど」


 ――だから、もう一度だけ訊くぜ。

 と。宮代秋良は、訊ねた。


「これで、よかったのかい? 未那を、叶のところに行かせてしまって」


 その問いに――湯森さなかは。

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