S-11『まだ、同じ夢を見ていられたから』
――結局のところ。
わたしは、孤高を気取るには心が弱すぎたのだと思う。
たぶん、だから脇役哲学なのだ。
ひとりではいられなかったから。だから初めから、誰かの隣にいることを前提にしていた。
脇役であるということは、その隣に立つほかの
だってそうじゃないか。
本当にひとりで、ただ自分の思うがまま生きていけるのなら、脇役なんてポジションを目指す必要はなかった。
モブでいい。誰にも認知されるのことのない、ただの背景で構わなかった。集団に埋没し、取るに足らないキャスティングもされない――そんな端役とも呼べない存在で充分だったはずなのだ。
だけど、わたしにそれは選べなかった。
怖かったからだ。
そこまでの覚悟を持っていない。だから、自分ではない誰かの存在を前提として脇役哲学を組み上げた。
無意識から汲み上げられた、《ひとりでいるのが嫌だ》という心の弱さを、きっとどこかで自覚していたのだろう。
わたしは、嫌われることが恐ろしい。
好かれないことじゃない。誰からも好かれたいなんて思わない。
誰もに好いてもらえる人間なんてこの世には存在しない。
そんなことはわかっているのだ。
だけど、好意の裏側が本当に無関心なら、それはむしろ幸せなことだ。救いがある。
こちらも無関心でいいのだから、何に憚ることもない。初めから関係しないのなら摩擦が生まれることもない。誰も傷ついたりはしない。
だけど。一度でも関係してしまったら、それを失うのは酷く怖い。
プラスは二度とゼロに戻らない。プラスである状態が普通になったのなら、それがゼロになった時点でマイナスだ。
わたしは、それが怖い。
無関心でいてくれるのならなんだっていい。だけど、反転した好意は無関心を通り越して嫌悪に変わる。
失望、とはそういうことだ。失われた望みはゼロに還らず、マイナスへ至って憎悪を生む。
だったら最初からひとりでいればいいのに。
それはそれで、わたしにはできなかったのだから笑わせるものだ。
さなかのように、傷ついてでも前に進める、折れない強さがあればよかった。
秋良みたいに、間違いを言い訳にせず、新しい道を模索できる賢さがあればよかった。
だけど、私は強くも賢くもなかった。
本当のわたしは酷く理想主義的で、妥協したくせに、諦めたはずの夢を見続ける。
そんな、誰よりも弱く、愚かな人間だった。
「……ったく。本当にあっさり寝やがるなあ……それはそれで、ムカつかないでもない気がするけど」
目の前で――同じベッドの上で、こちらに背を向けて眠る男のうなじを睨みながら呟いた。
静かな寝息。こいつの寝ている姿は見慣れているから、狸寝入りとかじゃないことなら簡単に見抜ける。
まあ、緊張して眠れないとか言われたら、そのほうが困ってしまうんだけど。
ここで寝られる奴だから、いっしょにいられると考えたわけだし。
それを思えば逆恨みでしかないのだけれど、しかしここまで完璧に女として見られてないとわかると、別の意味で思うところがないではない。
「……ばーか」
小さく呟いて、そんな自分がおかしくて。思わずくすくすと笑ってしまう。
実際、わたしもわたしなのだ。曲がりなりにも自室で、同い年の男子が寝ているというのに、緊張するどころか安堵すら感じてしまっている――そんなわたしが何を言えた義理でもないし、そもそもこれで正解だった。
逆を言えば、それだけわたしも信用してもらっているということなのだから。
――本人は絶対言えないけれど。
正直なところ、わたしは嬉しくて嬉しくて、もうどうにかなってしまいそうなのだ。
いやもう、こんなことで喜んでしまっているわたし自身が、どこか病んでいるんじゃないかとすら思うんだけど。
――我喜屋未那。
まだ半年の付き合いもないのに、すでにわたしの生活の大半をこの男が占めている。
それが不快じゃなくて、むしろ嬉しくて、そんな自分に失笑してしまう。
我ながら、なんて
冷静に考えてみれば、ほかの女と同棲しながら別に彼女を作ろうしている男、と表現すればいかにも最低な感じがしてしまう。
でも、そうでもなければ、わたしたちはお互いをここまで信頼できなかったと思うのだ。
未那だって別にバカじゃない。決して鈍感というわけでもない。むしろ世間的に見た自分の立ち位置には敏感すぎるくらいだろう。
だけど。わたしたちが対等であるためには、そうする以外に方法がないことも事実だった。
でなければいけない。
わたしたちは、対等であることを放棄してはならないのだ。
未那は臆病な奴だから――わたしと同じ、怖がりなバカだから――口で言うほど関係を深めることにこだわらない。
にもかかわらず、あいつがいつも彼女が欲しいと嘯くのは、わたしに対する義理がほとんどだろう。わたしも未那も不器用だから、口に出しては言えないことを、ただ態度だけで示し続ける。
それはきっと、ひとには理解されない生き方なのだ。
あいつの主役理論は、あくまで自分が楽しく生きるためのものだ。あいつ自身が何度も言っている。
だけど、それは結局のところ逆だ。奇しくもあいつが、わたしにそう告げた通りに。
――脇役哲学という言い訳を用意しなければ、ひとりで生きることもできない。
あいつはわたしにそう言った。だが、わたしから言わせれば同じこと。
――主役理論という言い訳を用意しなければ、あいつは自分のために動くことができないんだ。
どこまでも正反対に似ている。矛盾というより二対の矛だ。身を守るには向いていない。
あいつは……未那は、そういう奴なんだろう。
その
だけど違う。あいつは言い訳をしないし、誰かに問われればその行動は全て自己満足だと開き直ってみせるはずだ。
でも、あいつにそうさせているのは、わたしだ。
臆病なくせして、あいつは誰にも選べない道を、ちゃんとひとりでも選べる奴だ。
――言うほどわたしは、別に同棲という関係そのものには固執していない。
これは未那も、たぶん同じだとは思う。むしろ甘えているのは、どちらかというならわたしのほうで。
少なくとも、さなかが未那に惚れていることなんか一目瞭然なわけで。これは特別わたしが聡いのではなく、誰が見たって普通は気づく。当人同士だけが、アホすぎて気づいていないだけだ。
まだ同棲した最初の頃、勝司も交えて四人で出かけたことがあって、そのときにわたしは確信していた。別に言質を取ったわけじゃないけど、話せば一発で気がつく。さなかと未那は、まあ、両想いと言っていいだろう。
だったらわたしは身を引くべきだ。
いや、別にわたしが未那に惚れているわけじゃないから、その表現はおかしいけれど。
だとしても好きな男が、別の女と暮らしていれば、普通に考えて嫌だろう。さなかのことだから嫌とは言わない気がするし、実際、下手したらあの子なら本心から嫌だとは思わないかもしれないけど、それは甘えていいことじゃない。
初めから。わたしたちの関係は、期間限定であることが決まっていた。
今日の――あの顛末さえなければ。
……まあ。
なんだ。
本人には言えないけど。
それでも、
冷静に考えて、
本心を、
飾らず素直に。
口にするとするなら。
わたしは、たぶん、我喜屋未那のことが好きだ。
もちろん人間として。そこに男女のあれこれはない――だけどまあ、これで好きじゃないとか言っても、誰も信じないよね、普通に。
あえて秋良の言葉を借りるなら、愛していると言ってしまっても間違いではない気がする。
いや言わないけど。絶対に死んでも言わないけど。言うくらいなら死ぬけれど。
やっぱり死ぬくらいなら言う。
まあ、でなきゃあんなこと言わないし、あんなこと言っちゃってる時点で言ったも同然なんだけど。
感情というよりは、これはどちらかといえば理屈だ。理屈で未那が好きなのだ、と思う。
考え方は正反対なのに。気が合って趣味が合っていっしょにいると楽しくて。考えていることはだいたいわかるし、お互い気なんて使わないけど、ふとしたところで優しさに触れて。だけど、そんなこと素直に認めなくて。
たとえこの先、仮にわたしに恋人ができたって、それで未那を嫌いになるわけじゃないわけで。
何もかも盲信しているわけじゃない。チキンだしバカだし面倒臭いし、嫌いなとこならいくらだってあげられるし、いっしょにいなきゃ嫌だとか顔を見ていたいとか思わないし、特別なことなんて何ひとつない。適当なくせに妙なとこで神経質なのムカつくし、同族嫌悪だって普通にあるし、恥ずかしいこと平気で言うとこ面倒だし、変なとこで気が利くくせして妙なところで明後日に行くと思うし、他人に気を遣いすぎるとこどうかと思うし、普段は理屈で動いてるくせして肝心なタイミングでは感情を優先するどっちつかずだと思うし、いい加減そろそろさなかとくっつけとやきもきするし、いちいち反撃しないと気が済まないで張り合ってくるのかったるいし、なんだこれ。あいつなんかぜんぜん好きじゃない。
はずなのに。
なのにその全部が嫌じゃない。
仕方がないで許してしまう。
たとえば未那が死んだらボロ泣きする自信があるし、仮にわたしが犠牲になれば未那を助けられるなら迷ってしまうと思うし、いやそんな不吉なこと考えないでくれる? って嫌な顔する未那が自然と浮かんでしまうし、そんな顔を見たいとすら思ってしまう。なんなんだこれ本当に。
そして、きっと、未那から見たわたしもそうなんだろう――なんてことを本気で信じている自分が、もう信じられないほどバカみたいだ。
感情じゃない。これは理屈だ。
だけど、理屈で言うなら、ちょっともう自分でドン引きするくらい、わたしは未那が好きなようだった。
理屈で言ってこれで好きじゃないとか言い張るのが無理って話。感情で言ったら、あんな奴は嫌いでいい。理屈論だ。
「……わたしももう、秋良のこと言えた義理じゃないな、これ……」
あの子なら、「そいつが愛だぜ」とかなんとか、気取った口調で知った風に言うのかな。
どーしてくれんだよ、と。眠っている未那の背中を指で突く。わたしの人生はどこで変わってしまったのやら。
言うまでもなく、そいつは未那と会ったあのときだろう。
後悔したって遅すぎる話だった。というか、わたしと未那のことだ、あの朝に教室で出会ったことも、今振り返れば偶然というか必然っぽい。だってどうせ、考えることなんかいつだって同じだ。
「……だからこそ、ってヤツかな……」
わたしは未那に背を向けた。別に、寝るまで目を向けている理由はあるまい。
そう誓った。ありもしない理想に手を伸ばすと決意してしまった。
それを、たとえ未那に裏切られても失望はしない。
そんなものは、押しつけてしまったわたしの傲慢なのだから。
だけど、それをわたしから裏切ることもまたできない。
それさえ嘘にしてしまっては、もう誰にも顔向けできない怠慢だから。
「だからズッ友だよ、ってか……ホント、バカみたい」
――わたしは友達が欲しかった。
ただの友達じゃない。理想的で空想的で最高の友達が。
それがどんなものなのか、わたしも実のところわかっちゃいない。未那を理想だなんて思ったことはない。
だけど、目指すと決めてしまった。それが水面に映る月を掬うのに似た行為でも、やると決めてはもう戻れない。
……なんだか眠たくなってきた。
今夜もし夢を見るのなら、もしかして、それは同じものなんじゃないか。
なんて。そんな想像をして少しおかしくなってしまう。
「……おやすみ」
誰にともなくそう告げて、わたしは静かに目を閉じた。
返事はない。その事実に満足して、ようやく穏やかな気持ちになった。眠れそうな気がしてくる。
そうでなくてはならない。
だって。なぜなら。
もしもこれを嘘にしてしまったら。
――わたしと未那は、そもそも出会ったことが間違いということになるのだから。
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