3-13『普通でいられることの価値4』
主役。そして脇役。
これらは本来、創作における概念で、現実とはまるで関係ない。
ただそれも考え方次第で、この世界を、現実を、ひとつの物語であると見れば、そこに主役と脇役を定義することはできる。
もちろん主観が自分である以上、主役とはすなわち誰にとっても自分自身を指す言葉である。それが脇役にはなり得ない。
だから俺/叶は、もっと大きな視点において自分を主役/脇役と再定義した。
俺が憧れた主役とは、世に溢れる様々な物語の主役たちだ。
世界を救うため戦ったり、スポーツの世界で活躍したり、難事件を解決したり――あるいは青春を楽しんだり。
俺も例に漏れず、幼い頃はテレビの中の変身ヒーローや、マンガなんかの主人公に熱中した。
そして、やがて気づく。周りの環境は、この現実は、決して誰かひとりの個人を主役にした大きな物語にはならないのだと。なんかすごい超パワーに目覚めたりとか、いきなり異世界に呼び出されて伝説のスーパーアイテム的何かを手にする日なんて永久に来ない。
だとしても、それは腐るようなことじゃない。物語の主人公全てが能力的に優れているわけでは決してないし、彼らの暮らす架空の世界全てが非現実的なわけでもない。
きっと誰だって――架空の世界の住人だって、この現実の人間だって――自分が生まれた世界の中で、楽しく生きていく方法を模索するものなのだ。その点には、きっと違いがない。
だから俺は、今生きているこの世界を、今までよりもう少し楽しめるものにするため、いや、楽しめる自分になるために主役を目指すことにした。
それは自己満足の物語だ。自分ではないほかの誰かから見て主役的な活躍がしたいわけではなく、ただ俺は、俺自身が自分のことを主役だと認められるようになりたいだけ。
そのために秋良に協力してもらった。彼女とともに、主役理論を創り出した。
さなかには、きっと俺の気持ちがわかると思う。さなかだって同じことで悩んでいたのだから。だから彼女は一歩を踏み出し、変わることを――そう挑戦することを選択した。
――では、友利叶はどうだろう。
あいつは俺とは違う。叶が目指したのは脇役であり、主役ではない。そして彼女の言う脇役とは、あくまでも他人から見た視点における脇役なのだ。あいつだって初めからそう言っていた。
自分が主役として生きる視点とは、違う視点から彼女は自分を脇役として再定義しようとしている。あるいは、させようとしている、と言うべきだろうか。
その意味では結局のところ、俺も叶もそう違いはないのかもしれない。手法が異なっているだけで目的は同じ。目指す先はどちらも大差がない。
ただ、その周りだけが違う。
本当に、そうなのだろうか――。
時刻は零時を回った。日付が変わっても、叶とは連絡がつかなかった。
その間、俺は特に何かをしたというわけでもない。
秋良が作ってくれた簡単な夕食を、さなかも含めて三人で食べて、あとは――あとは何をしていただろう。覚えていない。
別に大したことじゃないだろうと思う自分がいる。
単純に、何か事件に巻き込まれているんじゃないかと不安に思う自分もいた。
――そして、そのどちらでもないと確信している自分も、確かにそこに存在していて。
「ダメだ、やっぱり連絡つかない。既読もなし……大丈夫かな、叶ちゃん」
不安そうに呟く、さなかの声がした。彼女は頻繁に、叶に連絡を取ってくれている。
俺は、特に何も答えなかった。代わりというように秋良が口を開く。
「どうするべきだろうね。こうも連絡が取れないとなると、警察に連絡することも考慮に入れる必要があるだろうが――未那はどう思う?」
「……なんでいちいち俺に訊くんだよ。そういうことはお前が考えたほうが正しいだろ」
「怒らなくてもいいだろう」
「別に怒ってねえよ。なんで俺が怒んだよ意味わかんねえだろ。……別にあいつ、お前の話じゃ自分からいなくなったんだろ? そう心配するようなことじゃねえって」
などと言っている自分の口調に、まるで説得力がないことには自覚があった。
ダメだ。いったい何をやっているんだ俺は。秋良に当たってどうする。
「……悪い」
「やっぱりらしくないね、未那。普段なら、すぐにでも飛び出していくところだろうに」
「居場所もわかんねえのに飛び出してどうすんだよ。そこまで考えなしじゃない」
「いや、そこまで考えなしだよ、未那は」
「……あの。今そういう話じゃなかったと思うんですけど?」
「処置なしとはこのことだね」
肩を竦める秋良。いや、だからって俺にどうしろっていうんだ。
「さなかはどう思う?」
と、そこで秋良はさなかに視線を向けた。さなかは軽く頷いて答える。
「……うん。やっぱり心配だし、どうにか連絡が取れないか確認してみたほうがいいとは思う……だから」
さなかの視線がこちらを向いた。
そのまっすぐな眼光を、なぜか直視できない。思わず視線を逸らしそうになる。
「未那は? 連絡してみないの? まだ一回もしてないよね」
「秋良とさなかがやっただろ。それでダメなら連絡する意味ねえよ」
「そうかな」
さなかは淡々と言う。
「未那が相手なら、もしかしたら出るかもよ?」
何を言っているんだ、と本気で思ったが、気づけば秋良まで俺を見ている。その視線がさなかと同意見であることを語っていた。なんだってんだ。
そして口でまで言う。
「君は実にバカだな」
「なんだよ……猫型ロボットかよ……」
「のび太くんよりバカだよ」
「いや、のび太くんはあれで割と多才でしょう」
「そうだね。で? みな太くんはいったい何にビビっているわけだい?」
「みな太くんって……」
「じゃあ当ててみせようか? ――『自分が余計なことをしたせいで叶の友達をここまで連れてきてしまった。こいつは俺のせいだ。だからこれ以上、余計なことはできない』」
「――――…………」
「信じられないくらいバカだな、君は。さなかも言ってやるといい」
「……うん。本当にそう考えてるんだったら、未那はバカだよ。らしくない」
バカを見る視線が二対で突き刺さる。
そこまで言わなくてもいいのではなかろうか。
「なぜだい? なぜ、なんとでも居場所を突き止めて迎えに行かないんだ。自分のせいだというなら、それこそが責任の取り方だろう? まあ別に君のせいだとは思わないが」
「……だから、別にそこまでするようなことじゃ――」
「やらない理由を探している時点で未那らしくないと言っているんだよ」
責められている、わけではない、と思う。秋良の口調は驚くほど優しかった。
わかっている。たぶん、こいつはどんなことだって、それが俺の本心から望んだ選択であるなら、決して反対しないということを。違うと知っているから言っているのだ。
スマートフォンに目を落とした。
当然、そこには《友利叶》の項目がある。
だけど、どうしても連絡できない。することが恐ろしい。
――恐ろしい?
あれ……いったい俺は何を怖がっているんだろう。
「……なあ」
と、俺は訊いた。
「普段の俺だったら、こういうときどうしたかな?」
「逆に訊こう」
と、秋良は言う。
「仮に、いなくなったのがぼくだったら。あるいはさなかだったら。君は自分でどうしたと思う?」
俺はさなかを見た。視線を向けられたさなかは、なぜか小さく苦笑した。
……そういえば実際、俺はさなかの家まで駆けて行ったことがある。叶に背中を押してもらったことも事実だろうが、そうでなくても俺は結局、同じことをしただろう。
「でも、それってらしいかどうかって話か? 主役理論をやっている俺は、ある意味じゃ常にらしくないことばっかしてるって言えるかもしれない」
「それは明確に否定しよう。悪いが君は、昔から結構そんなだったよ」
「……それ、わかるな」
秋良の言葉にさなかまで同調する。
「前も言ったけどさ。やっぱり未那って、元からそういう性格なんだと思うよ。わたしも、うっすらだけど覚えてるし」
全方位からバカ判定を喰らっているだけなのではないだろうかという気がしてきた。
「――要するに怖いんだろう。失うことが」
秋良は言う。旧友は、これまでの俺を全て知っている。
「これまでの君は失うことを恐れたりしなかった。だけど今は違う。失いたくないものを得てしまった。だから怖い。今の楽しさが崩れてしまうかもしれないことを恐れている。友達がいないことには耐えられても、友達がいなくなることには耐えられない。今日まで築いてきた関係が、決定的に変質してしまうかもしれないこと。君は、それが怖いんだ」
――ああ、と思わず呻きたくなった。
だって、その通りだったから。
主役理論を始めて、多くの友達に恵まれて、望んでいた楽しい青春を手に入れて。だから俺は、ただ今を続けることだけを、いつの間にか考えるだけになってしまった。
新しい場所へ飛び込んでいくことなら、失敗したって仕方ないで済む。だけど今あるものを失っては、差し引きがゼロではなくマイナスになってしまう。
どうやら俺は、それが怖くて仕方ないらしい。
まるで気づかなかった。今の関係を壊したくないと保守に入っていることに。
俺は、友利叶のことが好きだから。
それは決して恋愛を意味するものではないけれど。それでも、あいつとの生活を心から気に入ってしまっていることは事実なのだ。
しかし、それはお互いに、立ち入らないことを前提とした協力的敵対関係だ。
あいつの内側に深く踏み入って、拒絶されることが恐ろしい。嫌われたくない。
いや、それはきっと叶に対してだけではなく、ほかのあらゆることに対して同じなのだろう。
自分でも気づかないうちに、いつの間にか俺は、ただ現在を続けることだけに苦心するようになってしまっているということ。主役理論のもたらしたモノを、ただ守ろうとするだけの人間になってしまっていた。
――確かに、それはきっと、俺らしくはない。
「……悪いことでは、ないと、思うんだけどね」
「さなか?」
「わたしだって気持ちはわかるよ。現状維持って、たとえその場所が悪いとしても、結局いちばん楽なんだよ。だって、少なくともそれ以上に悪くなることってないから」
だけどさ、とさなかは続ける。
今度の俺は、その瞳に射竦められる気持ちだった。
「未那、言ってくれたじゃん。前に進もうって。目指したい場所があるなら手を伸ばす、どこまでも足掻く。そうやって努力して勝ち取るんだって、わたしに教えてくれた」
「……俺、そんな恥ずかしいこと言った?」
「未那が言ってることは九割だいたい恥ずかしいよ」
……マジで?
いや、それはさすがに……え? そこまでではないよね?
「そんでこうも言ったよ。もし立ち止まりそうになったら背中を押してくれるって。その代わりに、未那が立ち止まりそうになったら、わたしが背中を押すから、って」
「……言った気がするなあ」
「さっきの質問、もっかいするね。――未那にとって、叶ちゃんって何?」
再び考えてみたところで、答えはやっぱり出てこなかった。
何かに定義できるような関係を、俺たちは結局のところ築いていなかったということ。友達になろうという言葉に甘え、身を任せ、それ以上を目指すことをやめてしまった。
きっとその時点で、俺は主役理論の本懐を違えてしまっていたのだろう。
――だったら、ああ確かに、俺のやることなんて決まっている。
「覚悟は決まったようだね」
秋良が言う。その言葉に頷いた。
「ん……まあな。なんでもなかった関係を、何かにできるようにはしたい……と思う」
「まったく手間をかけさせてくれるよ。なんだかんだ言って結局やるんだから、いちいちうだうだ言ってないで最初っからやってほしいものだよね」
「あー、うっさいな! ……悪かったよ。ありがとう」
「いいよ。君とぼくの仲だ。感謝ならさなかに言うべきだね」
「……あー。そうな。ありがとう、さなか」
さなかは何も言わずに、快活な笑みとピースを浮かべた。
……頭が上がらんな、もう。
ともあれ方針は――覚悟は定まった。
どこに行ったのか知らないが、同居人と友達を放置して消えやがったのだ。そんな脇役失格な奴には、ちょいと灸を据えてやらねばなるまい。
スマホをタップし、叶に通話を掛ける。しばらくして、けれど、誰も出なかった。
「……あ、普通に出ないですね」
思わず呟いた俺に対し、秋良がごくあっさりと。
「だろうね。ぼくらがこんだけ掛けても出ないんだから」
「おいぃ! さっきと言ってること違うじゃねえか、おかしくない!?」
「出るかもしれないと言っただけだ」
「くっそ! 本当に俺なら出てくれるんじゃないかみたいな勘違いしちゃったじゃん! 超恥ずかしいんですけど!? どうしてくれんだ、この感じ!!」
「知ったことじゃないよ」
……コイツ、ゼッタイ、ユルサナイ。
ていうか、これもしかして本気で事件とかに巻き込まれてるんじゃないの? だったらこんなアホなことしている場合でもない――と、そこでひとつ思いつく。
電話帳の、叶の欄のひとつ下。今度はそちらに通話を掛けた。
二度のコールのあと、電話の主はすぐに通話に応じた。
「悪い、こんな時間に電話掛けて」
そう告げた俺に、友利望は聞き慣れてきたいつもの淡々とした口調で答える。
「いえ。お久し振りです、我喜屋先輩。掛かってくるんじゃないかと思ってました」
「……ってことは」
「はい。――姉は今、ウチにいます。夕方頃、こっちに来たんで」
ビンゴ。それもダブル。もしかしたらと思って掛けたが、一気に居場所まで掴めた。
「さっきからずっと連絡してるんだけど、ぜんぜん出ないんだ。なんか知ってるか?」
「正直に言えば、姉は今、電話に出られるような状況ではないんです」
「……、それは――どういう」
「――寝ているので」
望くんは言った。
俺は訊き返した。
「……なんて?」
「寝ているので。通話とか気づきませんよ」
「寝てるだけか――いっ!!」
すごいびっくりした。びっくりしすぎて変なツッコミ出た。
まさかそんなオチだとは思わなかった……いやいや。
「それはそれでおかしいか……なんで連絡もなしでいきなり帰省して寝てんだよ」
「寝てる、と言うと正確ではなかったかもですね」
望くんは淡々と。
「いえ、寝てることは寝てますが、より正確に言うなら――部屋から出てこなくなったという感じです」
「……そうか。何があったか、とか聞いたか?」
「いえ、僕は何も。たぶん訊いても答えないと思いますし。そちらは?」
「こっちも正直、詳しいことは知らない。ただ、どうも午前中に、叶の旧友が訪ねてきたみたいでな」
「――ああ。そういうことですか」
ことのほか、透徹した声音で望くんは呟く。
だが今、その真意を問い質す暇はない。そんなことより訊くべきことがあった。
「なあ、望くん。突然だが、――友利家の住所を教えてくれ」
「はい――え。はっ!?」
さきほどまでとは打って変わって、驚いた反応の望くんだった。
そりゃそうか、と心中だけで苦笑しつつ、俺は言葉を重ねていく。
「今から行く。けど叶の……望くんちの住所とか知らねえし。教えてくれ」
「いや……えっと、いや、あの。まずそもそも終電とか過ぎて――」
「別に電車が無理ならチャリで行くよ。行けるか知らんが、夕方に着いたってくらいだしそこまで遠くないんだろ? 別に迷惑はかけない。必要なら叶のほう呼び出すし、家まで押しかけたりしねえよ。だから住所か、もしくは最寄り駅でもいい。教えてくれ」
あまりに突然すぎる俺の申し出に、しばし望くんは放心していたようだった。
けれど、やがて理解したのか、それともどうでもよくなったのか。彼は住所を教えてくれた。それを復唱して、間違いがないことを確認してから、俺は秋良に訊ねる。
「……そこまでどのくらいかかる?」
何も言わずとも、秋良なら俺の復唱を聞いた段階で調べてくれている。
実際、秋良は即答で答えた。
「電車がないからね。自転車なら……まあ、四、五時間といったところだろう」
「なるほど。始発待つよりは早いな。じゃあ行ってくる」
「補導されないようにね」
ごくあっさり言ってのける秋良。その脇のさなかが、
「あれ。でも未那、確か自転車持ってないよね?」
「――あっ」
「何も考えてなかったの!? ……わかった、わたしの貸すよ。取りに行こう」
「ありがとう!」
礼だけ告げて、電話口に戻る。
「ま、そういうわけだ。着いたら連絡するから……あー、悪いけど四、五時間ほど待っててもらってもいい?」
「滅茶苦茶言いますね」
「俺も言ってから滅茶苦茶だと思った。ごめん」
「……わかりました。なんか、先輩らしいと思いますし。着いたら連絡してください」
「恩に着る。埋め合わせは必ず」
「いえ、こちらこそ――すみません。ありがとうございます」
「なんで望くんがお礼を言うんだよ」
小さく笑った。罵られるならともかく、感謝されるようなことは一切していない。
こいつはあくまで、俺のわがままのための行為でしかないのだから。
そんなこと、していいはずがないと思っていた。主役理論を構築してしまったからこそ俺は、誰かの内側へ無造作に踏み入ることを避けてしまっていたから。
だけど知ったことじゃない。
俺はもう、朝まですら耐えられないほどに、今、すぐにでも――叶に会いに行きたい。
理由なんてそれだけだ。あいつの顔が見たい。呆れたような声を聞きたい。なぜいなくなったのかと問い質したい。叶うなら手を差し伸べたい。
友利叶のことを、知りたい。
そして、いっしょにここへ帰ってきたい。
どこまでも自分勝手な思いに、身を投げ出すと俺は決めた。
そのわがままで、秋良とさなかを振り回す。何、俺を煽ったのはこのふたりだ。今さら文句なんて言わせない。うん、……いや望くんはごめんね? 本当に。
通話を切って、俺はふたりに向き直った。
本当は。それでも恐ろしいと、思わないと言えば嘘になる。あまりにも身勝手な願望に彼女たちを突き合わせているのではないか、と。そうして失望されるのが怖い。
――だけど。
そうして振り返った俺を、ふたりとも笑顔で見ていたのだから。
ま、みんな揃って、バカなんだろうさ。
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