3-12『普通でいられることの価値3』

 2ゲームを終わらせて、ボウリング場をあとにする。

 さなかの指導の甲斐もあって、2ゲーム目にはおそらく生涯で初めてスコア100の大台を突破することに成功した。今日だけで、さなかと何度ハイタッチしたかわからない。


 ……うん。いいよね。いいよね、本当、青春って感じで。


 ボウリングもやってみれば楽しいものだった。

 別につまらないと思っていたわけでないけれど、それでもこうやって新しいことに挑戦していくことが――その小さな積み重ねが主役理論なのだから。

 まさかボウリングで、こう、ね。あの……アレね。

 女子の、ほら――胸が、ね?

 結構あのアレ、主張がアレっていうの、アレ、意外とアレですよね?


 何が?


 なんて戯言はさておくとしても実際、さなかは大したものだった。

 いや胸の話ではなく実力の話。

「別に普通だよ」と彼女は言うし、もしかしたらその通りなのかもしれないが、それでもやっぱりアベレージで180を越えてくるのはすごいのではないだろうか。

 少なくとも俺よりは圧倒的に上手いので、すごいってことでいいだろう。

 立つ瀬どこ?


 ともあれ、楽しいひとときだった。

 その後は少しだけ買い物巡りをして、それから昼食を取ろうとファミレスに入った。

 それぞれ食事を注文して、ドリンクバーから飲み物を持ってくる。奇しくも、この店は以前、望くんも含めた三人で訪れたのと同じ場所だ。


 いや、わかってて入ったけどね。

 なんか、そういうのも面白いか、みたいな雰囲気になったのだ。


「えっへへ」


 と、目の前のさなかが笑う。にへらっとした表情は実に上機嫌に見えた。

 ちょっと安心。どうなることかと思ったが、彼女にも楽しんでもらえているらしい。

 ひとしきり成果を噛み締めていると、そこでさなかがふと言った。


「……にしても。未那って本当、ちぐはぐだよねー」

「え。何、急に? またヒロインチャレンジの発作が出たの?」

「そういうことじゃないから!」


 ちょっと顔を赤くして叫び、けれどすぐ真顔に戻って。

 さなかは、まっすぐにこちらを見据えた。


「いやまあそれもなんだけどさ。わたし、実はよくわかりやすいって言われるんだけど」

「あ、うん。だろうね」

「あれ? 今、意外な話をしたつもりだったんだけど」

「いや、さなかはわかりやすいでしょ。表情ころころ変わるし」

「えー?」


 釈然としない様子で唇を尖らせるさなかだった。かわいい。

 そしてわかりやすい。


「……あんまり自覚ないんだけどな。そりゃ、ポーカーフェイスとは言わないけど」

「どっちかっていうとツーカーフェイスって感じだよね」

「それは意味わかんないけど」

「あれ?」


 ばっさりだった。最近、ツッコミの切れ味が本当に鋭くなりましたよね……。


「ていうか、それを言うなら未那と叶ちゃんのほうじゃない?」

「……どうなんだろうな。最近、それもよくわからないような気にもなるけど」

「未那は、わかりやすいときはわかりやすいよ」さなかは言う。「あ、今楽しいんだなってときはすぐわかるよね。わたしのこと言えないくらい、もう顔がキラキラだし」

「そんな?」

「そんなだよ。すっごいわかりやすい。今も、さっきもそうだったし」


 少しだけ迷ってから、答えた。

 俺が今を楽しめている、その最大の理由は目の前の少女なのだ。


「そりゃ実際、楽しいから。さなかと……友達といるときは、だいたい楽しいよ」


 ……あかん日和ってしまった。


 いや、本当はこう、《君といっしょだから楽しいんだぜ☆》みたいな、ね?

 バッチーンって感じでウィンク飛ばしてハイ決まったーみたいなアレがうん俺には無理だこれ。

 途中で恥ずかしさに耐え切れなくなって、目を逸らしてしまった。

 それでも、いきなり顔を下げたら不審極まりないので、なんとか視線を上げてさなかを窺ってみると――。


「……不意打ちは、反則でしょ……」


 ストローに口をつけて、上目遣いにぶくぶく息を吹きながらこちらを睨んでいた。


「え、ああ……なんかごめん」

「ほんとだよ。そういうとこだよ。さっきも言ったけど!」


 割とさなかには言われたくない気がしたが、藪をつついて蛇を出すのもバカらしいか。


「さっきもって……何? ちぐはぐって話?」

「そう、それ。未那ってさ、楽しいときは楽しそうにしてるけど、それ以外のときは基本的に自分の気持ち隠してるよね? ポーカーフェイスじゃないけどさー。なんか、これで結構気を遣うタイプっていうかさ。……叶ちゃん以外には、だけど」


 言われて、少しだけ口籠ってしまった。

 そんなことを言われるとは思っていなかったし、こんな話になるとも思っていなかったからだ。責められているわけでもないのに、なぜだろう。返す言葉が見つからない。

 結局――選んだ反応は、いつも通りのそれで。


「叶は、ほら。あいつ相手に変な気を遣うのもアレだろ? 同居してるわけだし」

「うーん、そういうのとも違うんだけどね? 別に未那が叶ちゃんに気を遣ってないって言いたいわけじゃないんだ。いや言ったんだけどさ」

「どゆこと?」

「気を遣うって言い方がダメかな。ほら、単純に未那って気が回るよね。何も言わなくても車道側歩いてくれたりとか、歩く速さ合わせてくれたりとか。学校でもそうだよ。誰に対しても、自然に気遣いができるよね、未那って。そういうとこは尊敬してるんだ」


 今度は急に褒められてしまう。感情が乱気流に見舞われたジェットコースターのように乱高下したっていうか、それ危なすぎだね。たとえがおかしいね。

 ただ、それくらいには混乱していた。会話の行く末が見えなくなってきている。

 何を言うこともできなくなる俺。そんな折、注文してあった料理が運ばれてくる。


「食べよっか」


 と小さく笑ったさなかに、頷くことで俺は答えた。


「……結局、なんの話だったん?」


 そう訊ねた俺に、さなかは真面目くさった顔でこんなことを言う。


「うーん。なんだろ……事情聴取かな」

「事情聴取ときますか」

「んふふー」なぜかさなかは笑う。「そりゃねー。わたしは、たぶん叶ちゃんや秋良ちゃんほどには未那のことを知らないからさ。せっかくだし、いろいろ訊こうかと思って」

「あー……そういう話?」

「そういう話。友達の話を聞くのは楽しいでしょ?」

「確かに。わかりやすい理屈だ」

「こう言うと納得する、っていうことくらいは、わかるようになったんだけどね? そういうとこだけは、未那もわかりやすいんだけどなー」


 なんだろう。もしかして俺は、女子の尻に敷かれる型惑星とか、そういう系の星の下に生まれてしまったのだろうか。

 だろうかじゃないな。そんなスターはない。

 ただ目の前のさなかにしろ、あるいは叶にしろ、最たるところで秋良にせよ、基本的に俺が下の立場にいるような気がしてならない。

 それは主役として……いや、どうなんだ?


「一応、聞いておきたいなって思って」


 さなかは言う。何を、と問う意味は果たしてあったのだろうか。

 その答えはわからないままだ。訊ねるより先に、さなかが自ら言ったから。


「――未那はいったい、叶ちゃんのことをどう思ってるのかな、って」


 我喜屋未那は、友利叶のことをいったいどう思っているのか。

 さなかは、その答えを俺から聞きたい、という風ではないように思う。どちらかというのなら、ただ訊ねることそれ自体を目的にしているように思えた。いや――だとするなら問うているのはさなかじゃない。

 俺だ。

 俺が、俺に対して問うべきなのだ。


 いったいお前おれあいつのことをなんだと思っているのか、と。


 答えが、すぐには出てこなかった。

 友達だ、同居人だ、同僚だ、クラスメイトだ。そのどれもが解答として不適切という気になる。

 そのことが自分自身どこまでも意外な一方、俺はきっと答えられないということを、どこかで予感していたように思う――いや、そうなるように、そう気づくように、さなかは今ここで俺に話を振ったのだろう。


 ほかの誰との関係を訊かれたところで、俺は答えに困らないはずだ。

 秋良でさえ旧友のひと言で説明がつくことを、俺は叶に対してだけ答えられない。友達だとさえ言えない。

 いや――違う。それさえ誤魔化しだ。

 少なくとも俺は叶を友達だと思っている。

 だというのに答えとして適しているとは思えないのだ。

 友達だというなら、さなかも、あるいは学校のクラスメイトたちだってそうだ。年齢が離れてはいるけれど、かんな荘の住人たちや、ほのか屋の仲間、それ以外にも此香のように、友達ならたくさんできた。


 ――だけど俺は、叶だけはそれと同列には考えられていないらしい。

 それくらいにはあいつのことを、俺は――だと思ってしまっている。


 当たり前だとも思ったし、それはおかしいとも思った。

 そのどちらも正しいように感じられる反面、どちらも間違っている気がした。

 などというのは遠回しな表現で、単に俺の内側に、答えを見つけることができていないというだけの話だろう。


「……わかんねえ」


 だから。俺は正直に、そう答えた。

 さなかはそれを聞いてわずかに微笑む。想像はついていた、という表情だった。


「それはよくないよ、未那。誰より、叶ちゃんに対してよくないと思う」

「……かな?」

「そりゃそうってもんだよ。別に、何もかも言葉にできる関係である必要はないと思うよ? でも、そんな肩書きでの関係さえ思い浮かばないっていうのは、たぶん、よくないことだと思う。まあ――少なくとも主役っぽくはないかな?」

「それを言われると痛い……」


 あいつが男ならよかったのに――そんなことを一瞬だけ考えて、すぐ首を振った。

 それはない。性別が云々以前に、叶じゃない叶など叶ではないだろう。当たり前のことしか言っていない気がするが、あいつの場合は特にそうだ。なんて想像できない。

 ――それくらい、あいつの存在を自然に思ってしまっている自分がいる。


「だけど、やっぱり思いつかない。少なくとも、異性として好きってことは絶対ないし」

「叶ちゃんはいい女だと思うけどなー?」

「いや、嫌だよ。あいつ面倒臭いもん。なんかもう存在が」

「それは未那だけは言っちゃダメな奴だよ。言っとくけど未那も相当めんどくさいよ」

「それは……さなかもじゃない?」

「……かもねっ!」


 そんな冗談を言い合って、ふたりで顔を見合わせて笑う。……冗談だよね?


「なんか、考えたことなかったな。逆にクラスメイトで、バイト先の同僚で、同居人で、だけと敵対してて……みたいな、そういう全部含めた関係がいちばん正しいのかも」

「敵対してる感じ、完全にゼロだけどね?」

「いいんだよ。確かに最近かなりなあなあになってきたけど。一応そういうアレだから」

「一応って言っちゃってるじゃん」

「……それでいいと思えるくらいには、今の生活を気に入ってるからね」

「そっか」頷いて、さなかは笑う。「ようやくわかった。未那は、んだね」

「そりゃ……もちろん。さなかはどう思う?」

「そりゃもちろん。……うん。わたしも、今は楽しいよ」

 だとしたら。


 ――それでいいと、俺は、笑っていられるはずだった。



     ※



 夕方頃に、揃って帰路につく。

 秋良や叶も揃って、夕食にしようと思っていた。だから特に何も食べないでいる。

 駅に戻って、ふたりでかんな荘まで歩いた。そろそろ自転車は買ってもいいかもしれない。


 陽の長い夏の夕方は、風情よりも明るさが勝っている。

 とはいえ暗くなるときは一瞬でなるのだから、太陽は意外と仕事時間に厳密だ。

 残業を頼みたい気温ではないが、沈んでいく夕日を名残惜しく思わないと言えば嘘になる。楽しいひとときは、長いほうがいい。


 とはいえ今日は、夜になってもまだまだ終わらない。

 さなかも秋良も泊まっていくのだから、まだまだイベントは盛りだくさんだろう。そのことを思えば、帰路でなんのイベントもなかったことくらいは問題じゃない。

 いや、たとえ特筆するようなことはなくとも、なんてことのない雑談さえ楽しいのだ。それは否定することじゃない。

 世の主役たちが当たり前に持っているその刹那さえ、俺にとっては努力で勝ち取った何物にも代えがたい時間なのだから。


 そうして、かんな荘の前まで帰ったときだった。

 部屋の前に立っている人影を目にする。


 秋良だった。


「あれ。何してんだ?」


 そう訊ねた俺に、秋良が視線を向けてくる。

 なぜか難しい表情をしていた。


「ああ……ふたりともお帰り。連絡しようか迷っていたところだけれど、帰ってきたならタイミングがいい。いや、ある意味では最悪のタイミングとも言えるけれど」

「……何言ってんだよ?」


 知らず、声音が低くなってしまう。

 未那、と俺を呼ぶ声が、横のさなかから聞こえた。


 これは直感だ。単なる経験則。この旧友が持って回ったような喋り方をするなどいつも通りのことで、それ自体が気になるわけじゃない。

 だけど――雰囲気が違うことはわかる。


「……叶はどうした? いっしょじゃないのかよ」


 だとしても、その名前を出したことは経験ですらない勘だった。

 虫が報せた、わけでもない。

 俺はなんにもわかっていなかったし、次の瞬間、秋良から告げられた言葉だって、初めはまるで理解できなかった。




「――




 端的な言葉。大事なことならまっすぐに告げる秋良だから、それも当たり前だけれど。

 そんなことを言われても理解が追いつかない。言語としてすら認識できない。


「は? いなくなったって……なんだよ。迷子にでもなったのか?」

「そんなわけないだろう。いや、どこに行ったのかなんて知らないんだが」

「……なら買い物にでも行ったんじゃねえの? あいつ、自分の行きたいところにふらっと行くタイプの奴だから、待ってりゃ別にすぐ帰ってくるんじゃ、ないのか」


 言っていて思う。指摘されずともわかっている。そんな雰囲気じゃないことくらい。

 第一、仮に叶が自分の都合でいなくなるのだとしても、それならそれで行き先くらいは言っていくだろう。何も言わずに、秋良を置いていなくなるような奴では絶対にない。

 あの脇役哲学者が――そんなことをするはずがないと知っている。


「――人が来たんだ」


 秋良は言った。いきなりなんの話を始めるのかと思った。

 またいつもの遠回しな比喩かと疑った俺に、だが秋良は言葉を重ねる。


「ここに……叶を訪ねてきた。中学時代の友人だ、と本人は言っていたね。名前は、悪い、ぼくとしたことが訊き忘れてしまったけれど」


 嫌な予感がした。中学時代の旧友が訪ねてきただけなら、俺も同じだというのに。

 だって、俺は知っている。

 なぜ叶が、脇役哲学を志すようになったのかということを。

 そして俺は今朝、確かにこの場所に同い年くらいの少女を案内している。


 ――


「……それで?」


 訊ねた俺に秋良が答える。


「彼女は――というのは訪ねてきた叶の旧友さんだが、叶とふたりでどこかに行ったよ。しきりに何度も謝られたが、立場としてはぼくも同じだからね。止められるはずもない。ただ、まあ――見ている限り、少なくとも客観的には、険悪には見えなかった」

「……主観的には?」


 秋良は答えなかった。こいつは、確証のないことは言わないから。

 ただ、秋良は事実だけ告げる。


「あれから半日、叶とは連絡すらつかない。電話は、何度かしてみたんだけどね」

「それは……」

「わからない。単に話し込んでいるだけかもしれない。だから未那、逆に訊きたい」

「……何を?」

?」


 その言葉に、俺は何も返すことができず。






 ――そして叶は、その日、かんな荘に帰ってくることがなかった。

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