3-12『普通でいられることの価値2』
てなわけで。一応、仮にもデート前にしては妙な顛末を経ながらも。
しばらく四人でぐだぐだとした時間を過ごしてから、俺はさなかと部屋を出た。
「行ってくるねー!」
と手を振るさなかに、見送る叶と秋良が口々にこんなことを言う。
「気をつけてねー。いろんな意味でー。油断しちゃダメだよー?」
「いやいや。逆にここは気合いを入れてね、と言うべきじゃないかな?」
「確かに。いっそ逆に、いい感じに気を抜いてねー、と言ってあげるべきかもしれない」
「少なくとも未那は気を確かにね? いろんな意味で、うん。帰りは朝でもいいよ」
「――いやなんの話っ!?」
赤い顔でツッコミを入れるさなかには、実に同感の思いであった。
本当、このふたりを引き合わせてしまったことは、やっぱり痛恨の間違いだったかもしれない……。
「あのふたりは放っといて、行こうぜ、もう」
「あ……うん」
さなかの手を引いて、さっさと逃げ出すことにした。
どう考えても、これからデートに行くって感じの空気じゃないよなあ。
本当にもう。
角を折れたところで手を放し、それからさなかと並んで歩く。
さなかはまだ顔が赤く、こちらをちらちらと上目遣いで、照れたように窺っていた。
……あー。
「ご、ごめん。急に手、握って」
「……む」
そう言った瞬間、さなかが少しだけ頬を膨らませる。驚いた俺に彼女は言った。
「別に、嫌とは言ってませんけどー」
「お……おう。いや、嫌じゃないならよかったんだけど……」
「一応、デートなんだし。手、繋ぐくらい、いいよ。普通でしょ?」
うおぉえぁ。
思わず全身が硬直してしまう俺であった。
なんだこれ超恥ずかしい。
まだ自宅のすぐ近所だというのに、自分のいる場所の景色が普段とはまったく違うような気がしてきてしまう。なんか色彩がやけに鮮やかというか。
それはきっと錯覚で、もちろんそんなわけはないけれど。
だとしても、そういうふうに感じられる状況だということがもう、たぶんその時点で素晴らしいのだと思った。
いつも見ている光景も、感じ方次第で違って見える。
そいつを味わうのが、主役理論の醍醐味ってヤツなのだと思う。――そう考えられる自分を、少し誇りたくなった。
だからってわけじゃない、と思いたいところだけど。
勢いのままに、俺はこう言った。
「んじゃ、また繋ぐ?」
さなかは肩を震わせながら俯いて、
「……ごめん、むり……」
おっとこれ思ったより心に来ますね?
「あ、……ですよね。そうですよね」
「はずかしすぎて、しんじゃう」
「だよね、うん、近所だしね? 見つかって、噂とかされたら恥ずかしいしね? なんか調子乗ってごめんね……」
振るふると首を振るさなかと、目を合わせないまま、駅を目指して歩きだした。
いや。いや、いいんだよ? うん。確かにまだ要求レベルに俺が届いていなかった的なところありますからね?
初心者は初心者らしく、初心者コースを目指すべきだよね。
だけど、なんだろう。ちょっと、心の軋む音が聞こえた気がした。
ぽきっ! とか。そんな感じの音が。
うん、それ軋むっていうか折れてますよね。
……大丈夫かなあ……。
出だしから怖ろしいまでの不安を抱きつつ駅へ向かう。
その間、あまり会話らしい会話は行われなかった。
いや本当に大丈夫、これ? もしかして俺あれ引かれたのでは?
主役レベル1の俺が行うべきは当然、レベル1のデートである。さなかもまたヒロインレベル1ってところだろうし、身の丈に合った行動が求められるのだろう。たぶん。
手を繋いで歩くとか、考えてみればレベル3くらいはありそうだし。よくわかんないけど。
ていうかレベル1デートで何すればいいのかも、ぶっちゃけわからないけれど。
……そうだよ。どうすんだよ今日。マジで何も考えてないぞ俺。
なんとなく電車に乗って繁華街のほうへ出る、という程度の行動計画しか立ててない。
え? わかんない。世の男女の皆さんって、まだ付き合ってない相手とデートするときにどういうふうなことをするの? それってどこに行ったら教えてもらえるのん?
こういうとき、主役理論は具体的な答えを教えてくれない。
こいつはあくまで包括的な日常の活動指針であって、実際的にデートプランなんかを作る役には立たないのだ。
昨日のうちに秋良に訊いておけばよかった。何したらいいのかひとつも思いつかない。
そもそもこれってデートなのか?
もはやその点から自信がなくなってきてしまう。
さなかのサシで出かけるのは、大きく考えて三回目になるだろうか。
一度目が望くんと別れて此香に会うまで、二度目が家から連れ出して青春公園に行ったとき――どうしようなんの参考にもならないパターンしか経験がない。レベルマイナス1まであった。
駅前の人波を眺めながら混乱する。
あかん、完全にテンパってきた。
ちゃんとふたりで出かけるのは実質初めてだし、さなか以外の相手で考えても、経験があるのは秋良と叶のふたりだけ。それもやはりなんの参考にもならない。
ダメだ詰んだ。
「――未那?」
と、頭ぐるぐるになったところへさなかの声がかかる。
すわ不安を見抜かれたか、と俺は焦る。けれどさなかはこちらを見ていなかった。
駅の前辺りを指で差して、小さくこんなふうに呟く。
「あそこ。ほら見て……あのひと、道に迷ってるんじゃないかな?」
言われて視線を向けると、確かにそこに、手元のスマホと、駅前の地図を見比べている少女がひとりいた。年頃としては、おそらく同年代くらいだろう。地味な少女だった。
「本当だ」
そう呟いた俺に、さなかがこちらを見て小さく微笑む。
「なんか、懐かしい光景だよね」
「あー。そういやさなかは、アレ見てたんだっけ」
思い出すのは入学前の冬のこと。迷子の少女に声をかけ、結果いっしょに迷子になってほのか屋に保護されるとかいうダサさ炸裂の顛末。その一連の流れをさなかは見ていたという。
確かに言われてみれば、あのときとほとんど同じような展開だ。
そこに違いがあるとすれば――。
「声、かけてこよっか」
にっと笑って、さなかは俺を見上げた。その笑みに俺は苦笑を返す。
「さすがに、二度も同じ流れで迷子にはなりたくないけど。てか、いいの?」
「そうするって決めたからね。こういうとき、声をかけるのが主役理論――なんでしょ?」
第一条――《機会を待つな、自らの手と足で奪い取れ》。
どんなことでもいい。そこに何かがあって、何かを起こそうと願うなら。そこへ、自ら飛び込んでいくのが主役の在り方だ。
機会なくして挑戦もない。待っているだけで全てが報われるようなら、努力なんて言葉は上滑りするだけだ。
その思いは俺だけでなく、きっとさなかも共通して抱いていること。
「まったく……さなかも悪影響を受けたもんだ」
小さく肩を揺らした俺に、笑いながらさなかが答える。
「いやいや。影響元が何言ってんのさ。わたしがこうなったの未那のせいだよ?」
「そう? もともと素質があったと思うけどなあ、さなかは。謎チャレンジし出すし」
「謎って……いいけどさあ」
拗ねたように唇を尖らせると、それからさなかは柔らかく微笑んだ。
ああ、こうだった――と俺は思い出す。
状況に浮ついて、さなかと普段、どんな感じで話していたのかさえわからなくなっていたけれど、そう。確かにこんな感じだった。
不安なんて気づけばなくなっていた。いや、そもそも主役理論に則って楽しみに行こうとしている俺が、不安を感じているようでは本末転倒だ。
仮に失敗するとしても、せめてその過程だけは楽しもう。楽しめなくとも関わろう、足掻こう。そう決めたはずだから。
いつも通りの自分でいれば、それで充分なのだと思う。
さなかだって、きっと同じように考えている。
主役を目指すと――たとえ、その意味が俺とは厳密には違っていても――さなかだってそう決めたのだから。
だから彼女は微笑みながら、見知らぬ迷い人に近づいて、自分からこう声をかけた。
「すみません。もしかして道をお探しですか?」
迷子の少女は顔を上げ、驚いたように目をぱちくりとさせる。知らない男女がいきなり声をかけてきたのだ、それも無理ない反応だろう。俺もまた小さく笑って言う。
「よければお教えしますよ。この辺りに住んでるので、わかるかもしれません」
小さな親切。そう言い切ることさえ烏滸がましいような、自己満足のための偽善。それでも、声をかけた一日はきっと、かけなかった日とは違うものになるから。
それだけで充分だと俺は思った。誰に憚ることもない。
そう。こんなもんは難しく考えるようなことじゃないのだ。笑って俺は主張する。
――別に、楽しきゃそれでいいだろう、って。
※
「にしても驚いたねー」
と、さなかが言った。
電車を乗り継ぎ、大きな街に出た俺たちは、考えた末にボウリングへと向かったのだ。夏休み中だが、幸い空きはあってすぐ案内される。
レーンまで移動して、さてとゲームを開始したところだった。
危うげなくスペアを取って、ピースを作りながら戻ってきたさなかとハイタッチ。それから椅子に座ったところで、交代する前にさなかが言ったのだ。
「驚いたって?」
「うん。ほら、さっきの人だよ。まさか、未那の家を目指してるとは思わなかったな」
「正確にはかんな荘を、だけどね。でも確かに驚いた……誰かの親戚かな」
夏休みだし、そういうこともあるかもしれない、と俺は思う。
件の迷子の少女がスマートフォンに表示していた地図。それは我らがかんな荘の住所を表示していたのだ。お陰で案内には困らなかったが、ちょっとした偶然だった。
「名前とか聞かなかったけど、なんの用事だったんだろ。叶ちゃんの友達かなあ?」
首を傾げるさなか。
確かに、澄んでいる俺が言うのもなんだが、あのアパートとは結びつかない感じだ。
「年代的にはそんな感じだったけどさ。……あいつが自宅に友達呼ぶ? てか、そもそも友達いるの、あいつ?」
「……あ、あはははは……それは酷いんじゃないかな」
「さなかだって否定してないじゃん」
中学までの知人とは今もう、叶は繋がっていないはずだ。だから違うと俺は考えた。
もともと、何やってんだかよくわからない人ばかり住んでいる場所だから、どんな人が訪ねてきてもおかしくないという気がしないでもないし。ちょっと気にはなるけれど。
「確かに誰の知り合いだろ……瑠璃さんかな? アレで顔広いし。でも親戚ってことなら誰の知り合いでもあり得そうだよなー……本命は瑠璃さん、対抗で礼さんかな」
「礼さん、って?」
小首を傾げるさなか。そういえば、まだ会ったことがなかったか。
というか俺も、あの引きこもりのお姉さんとはほとんど顔を合わせたことがない。
「
「……へー。ふーん。どんな人?」
デート中にほかの女の話するんだー、みたいな顔のさなか。
なのに掘り下げてくる。
「まあ、なんか面白いお姉さんだよ。たとえるなら陽気なゾンビって感じ」
「陽気なゾンビって何……」
「あるいは太陽と友達の吸血鬼みたいな」
「どんな人なの!?」
「うーん、説明しづらい。個人的には会心の比喩なんだけど」
まあいずれ紹介する日も来るだろう、きっと。人当たり自体はいい人だから、さなかとなら仲よくなれる気がする。
うん、友達が友達と友達になる、という想像はいいものだ。
閉じずに広がる輪こそが青春の階ならば、主役たるものその楔たらねばならぬ。
みたいな。自分でも何言ってんだかいまいちわからないけど。
そういうのも俺らしい。
違うか。違うな。それは違う。
「ま、その辺も帰ればわかるでしょ」
「てか未那、なんならあの迷子の子とも友達になろうとしてるでしょ?」
ニヤリと笑うさなかの言葉は、否定の余地なき図星だった。
「バレた?」
「バレるも何もないでしょ。未那ならそーするっていうのはもう、世界の法則だし」
「世界の法則ではないと思うけども……ダメかな?」
「ダメとか言うわけないじゃん。そういうこと訊くのがよくないと思うなー」
うっ、確かに。これは反省すべきだろう。
土壇場で不安がる、と叶に指摘されたのはこういうところだろうか。
「まあ今は一応デート中なんだから。わたしのことを考えてほしいなー……なんて。その、言ってみたりして……あははは」
自分で言って、それから自分で顔を赤くするさなかだった。
……俺の顔まで熱くなってくる。
どうしてこう、予想外の攻撃を仕掛けてきては自爆をして帰っていくのですか、さなかさんは。ヒロインチャレンジも成果が出てますね?
「ほ、ほら! それより未那の番だよ! がんばれっ」
「お? お、おう。そうな。よし、見てろ! 俺の華麗なる、あの、アレを」
「言えてないよっ!?」
ぐだぐだっぷりを発揮しながらレーンの前に立ち、第一投を俺は投じた。
俺の中では完璧なフォーム。そこから放たれたボールは、すーっとまっすぐに斜め方向へと進んでいくと、脇にある溝へと綺麗に嵌まった。そこにあるのが当然の如く。
……うん。
「なるほどな!」
「いや何が!?」
ツッコミのさなかさんのリアクションは早い。さすがです。
「えーと……どしたの? なんか、調子悪かったとか?」
恐る恐ると言った様子のさなかに訊かれる。もうわかっている表情だった。
俺としても、この期に及んで見苦しい言い訳はしない。主役らしく沙汰を受けよう。
「気にしないでくれ。いいんだよ、素直な感想を正直に言ってくれて」
さなかは言った。
「未那、ボウリングめっちゃくちゃ下手っぴだね!」
「……あの。いいんだよ、もう少しオブラートに包んでくれても?」
「え? えーと、えーと……フォームからもう下手さが滲み出てたよねっ!!」
「おっとー、それは追い討ちではー? トドメなのではー?」
「あれっ!?」
遠回しな言い方をしようとするあまり逆に的確に俺を傷つけてくるさなかであった。
いや、いいんですけどね。はいはい。確かに私はボウリング下手くそですよ。
「未那ってボウリング苦手だったの……? 運動神経はそんなに悪くないよね?」
不思議そうに首を傾げられてしまう。
華麗にスペアを取っていったさなかに対し、俺のほうは見事にガター。格好つかない。
できればいいところを見せておきたかったのだが、まあデートレベル以前にボウリングレベルが1な時点で無理な話ではあったか。諦めて俺は真実を告げる。
「いや……実はボウリングってほとんどやったことなくて」
「あ、そうなんだ?」
「うん。最後にやったの小学生とかじゃないかな。人生で一、二回とかだと思う」
「へえ? ちょっと珍しいね。友達とかと行ったりしな――あっ」
いや、あっ、て。
今この子「あっ」て言ったぞ、おい。
「あ、えっと、あー。うん。まあ、ボウリングなんてね、そんな……その、難しいものでもないからね? うん。すぐ上達するよ、未那なら。だいじょぶだいじょぶ。ね?」
焦った感じにフォローを淹れてくれるさなか。その優しさが逆に痛む。
「もういっそ殺せよ……」
「ごめんって!」
「ボウリングなんていっしょに行く友達いませんでしたよ。ええ。ごめんね……」
表情の死亡した俺を傍目に、あははは、と乾いた笑いを漏らすさなか。
この子ってば、ときどき笑って誤魔化そうとしてきますよね。まあ、ほかにどうしろって話だけど。
秋良とはこういうとこ行くってことしなかったしね。かといって、ひとりで来るようなところでもないし。
そしたらそりゃ、経験絶無の人間が一丁上がりですよね。はい。
舐めてた。玉転がすくらいなら誤魔化せるかと思ってた。そんなわけなかった。バカ。
「ま、まあまあ。それならそれでいいじゃん。ね?」
さなかが小さく笑って言う。心なし、どこか嬉しそうにすら見えた。
「そんなに気を遣わなくてもいいんですよ……?」
「もー。そんな拗ねないでよ。できないなら、ほら、わたしが教えられるじゃん?」
さなかは笑いながらこちらへと近づいてくる。
本当に、その表情は楽しそうに見えた。いや俺の無様を笑ってるとかじゃなくて。
「……それって、ちょっと嬉しいなってわたしは思うよ? あんまり、未那に教えられることとかなさそうだし。役得、かな?」
「そんなこともないと、俺は思うけどね……いや本当に」
「それならそれでいいけどさ。じゃ、これはいつかのお礼ってことで」
なんてことを笑顔で言われてしまっては、確かに俺もこれ以上いじけていられない。
手を伸ばそうと、足掻こうと、結局は届く範囲にしか至れないのだと、俺は知っているはずではなかったか。
下手に格好つけたって、どうせ上手くいきはしない。だって俺だ。
レベル1の主役が少しずつ、できることを増やしていこうという話なのだから。
それをいっしょになって進んでくれる誰かがいることは、嘆くようなことなんかじゃない。
などと言うほど、重たい話でもないけれど。
単にこれは友達とボウリングをしているというだけの話なのだから。
ほら、楽しむ以外にやることはない。
「ほら未那。まず立ち方からなんか違う。もっとこう、ボールをまっすぐ持って――」
と、さなかに指導を受ける俺。
まあそれはいいんですけれども。
……あの。
ちょっとこう、自然にボディタッチしてくるのはそのちょっとあのうひぃ。
「ん? どしたの未那、体固いよ?」
「……なんでもないです……」
この子は本当、自然でいるときがいちばんヤバいんだって話であって。
だから、隣のレーンの皆さん。
あんまりこっち見ないでもらえないでしょうか?
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