3-10『きっと、当人以外は知っていた6』
「――それで、話とは何かな、叶?」
かんな荘への帰り道、その途中。
未那とさなかから別れてすぐに、宮代秋良はそう切り出した。
友利叶は、自分でも言語化できない、妙な苛立ちを隠しつつ答える。
「まあ……何ってことのほどでもないけど。ていうかその喋り方は?」
「まさか訊きたいことってそれかい?」
小さく、秋良は苦笑する。やけに余裕のある笑みだった。
やはりなんとなく気に喰わない、と叶は顔を逸らして表情を歪める。
別段、嫌うような理由のある相手ではないのに、その意味深な態度がやけに気がかりだった。
「どちらかというなら、この喋り方が素だからね。気に障るようなら戻すけれど」
「別に。話し方にいちいちどうこう言わない」
「そうか。ありがとう――叶は優しいね。ぼくは結構、君が好きだぜ」
「――――…………」さすがに。
叶も、その言葉には振り返って秋良を見つめた。露骨に怪訝な表情で。
「……あんた、結構性格悪い? そういうこと正面から言うかな、普通」
「また正面から訊くなあ。君を怒らせるつもりはないんだ。これは本心だよ。本当に」
「だったら、いったい何企んでるわけ?」
「さっきのことかい? それだったら叶も乗ったじゃないか。ほら、さなかの気持ちは、見ていればバレバレだからね。ちょいと後押ししようと思っただけだよ」
――叶だって、それは同じなんだろう?
邪気のない笑みで秋良は言う。そこに悪意の影など一切ないし、叶もそこまで疑ってはいない。頷く以外になかった。
「ま……それはね。別に応援も邪魔も、個人的にはするつもりとかなかったけどさ。あの様子じゃ高校三年間かけてもどこまで進展するか怪しいし。……責任も、まあ、あるし」
最後の言葉に秋良は触れなかった。苦笑で応じて肩を揺らす。
「そんな感じだね」
「ったく……いい雰囲気なんだし、さっさとくっつけばいいのに」
「ところで。――そうなったら君はどうするんだい?」
「は? ……どうするって何が」
この手の話題は叶もいい加減に面倒だ。未那に対してどうこうという気はない。秋良がそういう意味で言っているなら、それこそ的外れと言わざるを得なかった。
だが秋良は首を横に振る。
「別に今、君が未那を好きだとは言っていないよ」
「じゃあ何が――」
「――もし未那とさなかが付き合ったとして。それでも君は同居を続けるのかい? と、ぼくは普通に、そう訊ねたつもりだったけれど。予想外の質問ってわけじゃないだろう」
「――――」
叶は、思わず押し黙った。
その通り、訊かれて当たり前の問いでしかないからだ。
だから驚いた。
当然の発想が自分から出てこなかった、その事実に。
言うなれば叶は、今の生活の終わりについて、まるで考えていなかったということになる。
いつか終わって当たり前の状況であることなど、初めからわかっていたはずなのに。
「……え、っと……」
答えが出てこない。その理由さえわからない。
なぜなのか。なぜ自分は、答えを出せないのだろうか。
「ごめん」
と、直後に秋良が叶に謝る。それで叶は呼吸を思い出した。――忘れていた。
「な――なんで、謝るの」
「不用意に訊くことじゃなかったみたいだ。悪いね。てっきりぼくは、そうなったらまた元の隣人に戻るだけだと、そう答えるものだと思い込んでいた」
それは逆を言えば、叶はそうとは答えられなかった――ということでもある。
だが、叶が何を言うよりも先んじて、秋良は謝罪を重ねていく。
「気にしないでくれ。別に責めるつもりはないんだ。そうしろといっているわけじゃないってことは理解しておいてもらいたい」
「……いや。秋良が言ったこと、当たり前だと思う」
「当たり前かどうかなんて、そんなことを判断基準にする君じゃないだろう」
「そう……だけど。なんでそんなこと言えるの?」
「君のことは未那から聞いている。未那の話、正直言って大半が君のことだぜ?」
「――何それ」
「いっしょに住んでいるんだから当たり前だろう。おかしなことは言っていないよ」
「……今のはからかったよね?」
「ごめん。――今のはからかった」
それだけ言って、秋良と叶は顔を見合わせ――そして同時に噴き出した。
叶は思う。なるほど、と。この分なら、どうやら思ったよりも仲よくやれそうだ。
「はあ――未那の友人だけあるね。いや旧友だっけ? ま、どっちにしろ変人だ」
「否定はしないけどね。悪いが叶も大概だぜ?」
「そりゃ、脇役哲学者ですから」
「なるほど。主役理論者と同居するわけだ。――いや、わけわかんないけど」
ひとしきり笑い合い、それから叶は呟く。
「でも、そっか。確かにそうだね。さなかが未那とくっつくなら、さすがにこのままってわけにゃいかないかー。結局、決着はつかずに終わりそうかなー……引き分け、か」
「……名残惜しい、かい?」
そう訊ねた秋良に、今度こそ叶は、正直な思いを返そうことができそうだった。
「ん、ま――正直そうみたい。自分でも意外なんだけど。なんかな……絆されたかなあ」
いや違う。元から、未那と過ごすことを嫌だと思ったことなんてなかったのだ。
喧嘩ばかりで意見が合わず、にもかかわらず趣味が似ていて、いっしょにいてもまるで苦にならない。
この先、ここまで付き合いやすい人間と出会うことはないかもしれない。
それは、あの壁を再建した日からずっと、変わっていない単純な事実だ。
「……元に戻るだけなんだけどさ。ゼロじゃなくなったものがゼロになるのはマイナス、か。ああくそ、あのバカの言う通りじゃんか」
「別に、今のところまだ気にしなくてもいいと思うけれどね」
と。呟く叶に、秋良はそんなことを言った。
叶は胡乱げに目を細めて答える。
「あっさり言うなあ。訊いてきたくせに」
「でも事実だ」
秋良は言った。
どこか、透徹した表情で。
「――あのふたりが付き合うことは当分ないね。本当に一生ないかもしれない」
「秋良……あんた、何言ってんの?」
その言葉は。いくらなんでも、叶にとってさえ予想外のひと言だった。
確かにお互い初心で、進展も遅いとは思っていた。このまま三年間、付き合わないかもしれないとも言った。
だがどうせ周りは後押しするし、いずれ付き合うだろうと思っての冗談で叶は言っていたのだ。
そしてそれは、秋良も同じなのだろう、と。
だが違った。秋良の表情が少しだけ、苦々しげな翳りを帯びる。
「状況が思ったよりも悪い、という話だよ。正直、参った。悪い予感はしていたんだが、ここまで深刻だとはぼくも思っていなかった。――本当、どうしたもんかな」
「……あのさ秋良。悪いけど、ただ意味深なこと言いたいだけだってんなら――」
「叶」
秋良は、叶の言葉を止めるように言う。
「なぜ未那に友達がいなかったと思う?」
「なぜ……って」
「未那から話をどこまで聞いた? それを聞いてどう思った」
かつて、あの公園で、未那から聞いた話を叶は思い出す。
自分の思う通りに生きてきた。そのせいで他者との交流が希薄になり、その鋭い目つきなどが相まって、気づけば不良のレッテルを張られて集団から浮いてしまっていた――。
だから未那は、それを自分の怠慢だと断じた。
見過ごしてきてしまった青春らしい楽しさを手に入れるため。その努力を形にするために主役理論を考案し、それに則って生きてきた。確かに、未那はそう言った。
「問一。――どうして未那は、これまでの生き方を変えようと思ったのか」
秋良は問うた。
叶は答えない。
「問二。――では本当に友達のいなかった人間が、ああもあっさり自分を変えられるものなのだろうか。主役理論なんてものを、本当に徹底できるものだろうか」
秋良は問うた。
叶は答えない。
「そして問三。――ではそもそも、なぜ未那には友達がいなかったのだろうか。本当に、たったそれだけの理由で、未那はひとりきりだったのか」
秋良は、問うた。
叶は――答えた。
「――そんなわけがない」
「その通り。そんなわけがない」
きっと誰しもが認める通り。友利叶と我喜屋未那は似ている。
だったら、初めから気づくべきだった。少なくとも、友利叶にはそれができた。
別に、未那があのとき、嘘をついたと言いたいわけじゃない。未那は正直に話していただろうし、だから叶もそれに応えた。
ただ、それだけじゃなかったというだけだ。
つまらない話だと、お互いに言った。
酷いトラウマや、劇的な失敗談などそこにはないと。
弱運の人間に物語性などないと。
だから未那は、単に話を省略して、なんでもないことのように言っただけだ。
事実あの段階で、その過去はすでになんでもないものに変わっていたのだから。だから略した。
――あのときの叶が、まったく同じことをしていたように。
「あんた……秋良、本当は、ここに何しに来たの?」
叶は問う。だって、それはこれだけなら、やはりそれだけの話でしかない。
過去に何かがあったとして、それを未那が伏せていたとして。極論、そんなことは別に叶には関係ないのだ。
友達だという程度の理由で、踏み込んでいい場所など限られる。
ならば今、ここで、なぜ秋良はこんな話を始めたのか。
まるで問いかけるように、友利叶という人間にそれを言う理由とは何か。
「未那はね、バカだぜ。そりゃもうどうしようもないくらいバカさ」
秋良は叶の問いに答えない。意図的に、はぐらかすような言葉を吐く。
叶は、けれどあえて問いを重ねようとはしなかった。
彼女はきっとはぐらかさない。そう、信じたから。遠回しで妙な喋り方だけど、大事なことを隠して伏せるような人間ではきっとない。そう思ったから。
だって、宮代秋良は、我喜屋未那の友達だ。
「叶。訊くけれど、未那には今、何人くらい友達がいる?」
「……さあ。どうだろ、わかんないけど、かなり多いんじゃないの? 高校入ってから、本当にいろんな人と遊び回ってるみたいだから」
「みたいだね。ぼくもそう聞いている。だけどね――本当は違うのさ。いや、別に未那がその人たちを友達だと思っていないとか、そういうことじゃなくて。ただ、重さが違う」
「……重さ?」
「ああ。――未那が言う《友達》という言葉の重さを、きっと誰も知らないんだ」
友達になりたい、と。そう、未那から言われたときのことを思い出す。
秋良は小さく笑っていた。
闇に溶ける黒い姿が、なぜだかやけに優しく見えた。
「ま、んなもん未那が悪いんだけどね。全部、あの変人の責任さ。そんなもん周りがいちいち気遣ってあげなきゃいけない理由もないってもんだろ?」
「……でしょーよ。つか、なんでいきなりこんな暗い話になるわけ? 予想外すぎ」
「それは仕方ないさ。ぼくの愛は重いからね」
「うーわ……」
「ただまあ、そうだね。こういう話だ。持っていなかったものを、いきなり手に入れたとして。人が次に考えることは何か」
秋良の言いたいことは、もう叶にもわかっていた。
言葉を受け取って続ける。
「……失うことが怖くなる、か」
「だね。いや、本当に参った。完全に無意識なんだろうけど、今の未那は友達を失う可能性ってヤツに酷く怯えているらしい。こりゃもうちょっとした人間不信だぜ?」
「だから自分から告白なんてできないってわけだ。ヘタレだと思ってたけど……いーや、マジで面倒臭いな、あの男。つか、普段からあれだけ青春青春言ってて、それ?」
無論。それだけの話じゃないことくらいわかっているのだ。もっと根が深いことは。
思い返してみれば、そんな未那のちぐはぐさは、これまでも何度か見てきている。
あの男は、誰かと友達になろうとする努力は惜しまないくせに、一度できた繋がりを失うことには酷く臆病だった。
――あの日、壁を打ち抜いたのも、その辺りが理由らしい。
いや。叶は叶で、また未那にとっては例外なのかもしれないけれど。
誰もが持っている純粋な衝動なのだろう。――嫌われるのが怖い、というのは。
「さなかもさなかで、それを知って未那に踏み込めるタイプじゃないからなー……ああ、いやどうだろ。最近のさなかなら、ちょっとわかんないかもな」
ことさら軽いことのように叶は言った。
どうあれ別段、叶が何かをする気などない。
「結局、なんでこれわたしに言ったの?」
そう訊ねた叶に、秋良はウィンクを決めながら、笑みで答えた。
「叶は優しいから、そうなったら未那を気遣ってくれると思ってね」
「――あんた、やっぱ性格悪いわ」
「なぜ来たのかと訊いただろう? もちろん未那に肩入れするためだとも」
「正直に言うなあ……」
「とはいえ手詰まりだからね。ここは、叶にブレイクスルーを期待したいところなのさ」
「……秋良はさ」
少しだけ躊躇ってから。
ま、いいや――という程度の軽い気持ちで、叶は秋良に訊ねた。
「未那のことが、好きだったの?」
「今だって愛しているとも。――無論、友達として」
なるほど愛が重い、と、叶は笑う。
「こりゃ未那に秋良はもったいないわ」
「――じゃあ、代わりに貰ってくれるかい?」
「誰が。――誰を」
「さて?」
軽く肩を竦めて笑う、ひとりの少女に。
もうひとりの少女もまた、肩を揺らして笑いかける。
――それはきっと、誰が見ても、友達同士のやり取りだった。
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